HBD in Liaodong Peninsula

中国と日本のぶらぶら街歩き日記です。2024年5月からは東京から発信します

旧玉の井の私娼街 - 「墨東綺譚」の舞台を歩く

2020-04-25 | 東京を歩く
永井荷風の代表作「墨東綺譚」の舞台を歩いてみました。

作品の舞台は向島区寺島町です。今ではこの地名は使われていません。
今の墨田区東向島5丁目付近です。

当時、玉の井と呼ばれていたこの一帯は、大正時代の終わりから1958年まで、私娼街として栄えました。
それまで浅草に集まっていた銘酒屋(銘酒を売る看板を掲げながら、ひそかに私娼を抱えて売春をした店)は、関東大震災(1923年)を機にこの地に移転してきたとされています。

墨東綺譚は1936年(昭和11年)の作品です。

荷風は日中戦争を間近に控えた東京の下町に毎日のように通い、狭い路地を丹念に歩き、この物語を完成させました。
荷風が表現した「ラビラント」の雰囲気は今も残っているでしょうか。

東向島は、路地が複雑に入り組んだ住宅街です。

この一帯は1945年3月の東京大空襲で壊滅的な被害を受けましたので、当時の建物はほとんど残っていません。
これだけ住宅の密度が高ければ、空襲を受けたらたちまち延焼してしまうだろうな、と思わせます。

道路は当時のままですが、今の建物はほぼべてが戦後建て直されたものです。

作品の中で描かれているどこか猥雑な雰囲気は残っていないようです。



この辻は、雨の降る梅雨時、「わたくし」とお雪が出会ったと推定される場所です。
当時、賑本通りと呼ばれた道です。

この場面は、このように描かれています。

にひろげる傘の下から空と町のさまとを見ながら歩きかけると、いきなり後方うしろから、
「檀那、そこまで入れてってよ。」
といいさま、傘の下に真白な首を突込んだ女がある。


さらに歩いてみます。



ここは、お雪の家があった溝際の一角だと思われます。

其家は大其正道路から唯とある路地に入り、汚れた幟のぼりの立っている伏見稲荷の前を過ぎ、溝に沿うて、猶なお奥深く入り込んだ処に在る



この細い道が、物語に出てくる溝(どぶ)のあった場所です。

今は暗渠化されています。小説では、当時はここに大量の蚊が発生したことが描かれています。

当時、この細い路地を歩くと、左右の家から娼婦が首を出して声を掛けてきたのでしょうか。

今はそうした猥雑さは微塵も感じませんが、この狭い道幅でカーブの多い路地は見通しが悪く、たしかに迷宮と呼べそうな風情はあります。



右手前は伏見稲荷があった場所です。
今は八百屋になっていました。
路地の入口には、「ぬけられます」との看板が掛かっていたと思われます。

伏見稲荷の前まで来ると、風は路地の奥とはちがって、表通から真向に突き入りいきなりわたくしの髪を吹乱した。



この道が大正通りです。
小説では浅草から転居してきた銘酒屋が多かったと紹介されています。
今はいろは通りと呼ばれています。



ここはお雪が通った歯医者があった場所です。

「それはすまなかった。虫歯か。」
「急に痛くなったの。目がまわりそうだったわ。腫れてるだろう。」と横顔を見せ、
「あなた。留守番していて下さいな。わたし今の中歯医者へ行って来るから。」
「この近処か。」
「検査場のすぐ手前よ。」
「それじゃ公設市場の方だろう。」
「あなた。方々歩くと見えて、よく知ってるんだねえ。浮気者。」
「痛い。そう邪慳にするもんじゃない。出世前の身体だよ。」
「じゃ頼むわよ。あんまり待たせるようだったら帰って来るわ。」
「お前待ち待ち蚊帳の外……と云うわけか。仕様がない。」




ここは曹洞宗東清寺です。

当時は大正通り沿いにあった玉の井稲荷は移設され、東清寺の中にあります。



今の玉の井稲荷の社殿は建て替えられて新しくなっていますが、この拝殿の両脇に鎮座している一対の石造りのお稲荷様は荷風が通った当時のままでしょうか。
風化しており、古そうです。





これは満願稲荷です。

大正通りの北側に少し入ったところです。路地の奥の見つけにくい場所にあります。



ここには荷風が書いた1936年当時の玉の井の地図が掲げられていました。

旧玉の井はいかがでしょうか。

現在、この地に昭和初期の街並みはほとんど残っていませんが、荷風が作品で残した秀逸な風景描写のおかげで雰囲気をイメージすることはできます。

自分の脳内の合成写真をオーバーラップしながら「ラビラント」を迷ってみるのも一興かと思います
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