清代末期の物理学者・翻訳家である王季烈(1873 - 1952年)が過ごした別荘は、白雲街の大連療養院の一角にある和洋折衷の老建築です。

1927年の建築です。壁は、最近塗装されたようです。
王季烈は、この家に1927年から10年間を過ごしたそうです。

玄関です。
王季烈は、1931年の満州事変後、愛新覚羅溥儀(清朝最後の皇帝・宣統帝)の妻だった婉容(1906 - 1946年)をここの2階で匿ったとされています。
婉容は同年、関東軍の支援を得て、川島芳子の導かれて天津から旅順に渡りましたが、その途中で一旦ここに立ち寄ったそうです。
婉容は、映画「ラストエンペラー」にも登場します。
溥儀と10代で結婚するも、次第に夫婦仲が悪化し、清朝の終焉から満州国設立、終戦に至る歴史の波に翻弄され、最後はアヘン中毒で39歳にして早世した悲劇の人物です。

婉容

溥儀とのツーショット写真
20世紀の歴史の舞台になった場所です。
ここに辿り着いたとき、婉容はどんな気持ちだったでしょうか。

大連市重点保護建築に指定されています。

白雲街は、日本租借時代の老建築がたくさん残る風情あふれるエリアです。

1927年の建築です。壁は、最近塗装されたようです。
王季烈は、この家に1927年から10年間を過ごしたそうです。

玄関です。
王季烈は、1931年の満州事変後、愛新覚羅溥儀(清朝最後の皇帝・宣統帝)の妻だった婉容(1906 - 1946年)をここの2階で匿ったとされています。
婉容は同年、関東軍の支援を得て、川島芳子の導かれて天津から旅順に渡りましたが、その途中で一旦ここに立ち寄ったそうです。
婉容は、映画「ラストエンペラー」にも登場します。
溥儀と10代で結婚するも、次第に夫婦仲が悪化し、清朝の終焉から満州国設立、終戦に至る歴史の波に翻弄され、最後はアヘン中毒で39歳にして早世した悲劇の人物です。

婉容

溥儀とのツーショット写真
20世紀の歴史の舞台になった場所です。
ここに辿り着いたとき、婉容はどんな気持ちだったでしょうか。

大連市重点保護建築に指定されています。

白雲街は、日本租借時代の老建築がたくさん残る風情あふれるエリアです。
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