天津の旧フランス租界・赤峰道を歩いていると、こんなバロック風の古そうな洋館がありました。

赤い屋根に天津・少帥府(コマンダー張マンション)という大きな文字がでかでかと突き刺さっています。
せっかくの老建築の優美な雰囲気を台無しにしています。ああ、なんてもったいないことか、と思います。中国観光地あるあるです。
ともあれ、このここはかの張学良の住宅だったようです。
張学良は1925年から32年頃の間、ここで暮らしたそうです。24歳から31歳時ということになります。張学良が爆殺された父・張作霖から満州における権力と巨額の財産を承継して実権を握った頃です。
建物自体は1921年に建てられ、その後増築されてたようです。

庭に立っている左側のブロンズが張学良だそうです。
しかし、少帥府とはいいネーミングです。
若い頃の写真を見ると、たしかにイケメンです。
張学良は100歳まで生きましたが、晩年も少帥とよばれたのでしょうか。

現在、博物館として開放されているようでした。

赤い屋根に天津・少帥府(コマンダー張マンション)という大きな文字がでかでかと突き刺さっています。
せっかくの老建築の優美な雰囲気を台無しにしています。ああ、なんてもったいないことか、と思います。中国観光地あるあるです。
ともあれ、このここはかの張学良の住宅だったようです。
張学良は1925年から32年頃の間、ここで暮らしたそうです。24歳から31歳時ということになります。張学良が爆殺された父・張作霖から満州における権力と巨額の財産を承継して実権を握った頃です。
建物自体は1921年に建てられ、その後増築されてたようです。

庭に立っている左側のブロンズが張学良だそうです。
しかし、少帥府とはいいネーミングです。
若い頃の写真を見ると、たしかにイケメンです。
張学良は100歳まで生きましたが、晩年も少帥とよばれたのでしょうか。

現在、博物館として開放されているようでした。