天津旧日本租界の旧宮島街を歩いていると、古そうな社名プレートを掲げる建築物を見かけました。

滙川公司とあります。

日本租借時代に掲げられたものでしょうか。
当時の文献を調べてみると、宮島街17番地に滙川公司という店舗があったことが分かりました。
まさにここです。

合資会社滙川公司はカメラや写真用品、時計を販売した会社だったようです。
邦字書籍に広告も出していました。

ドイツのカメラメーカーであるライカ社やツァイス社の販売代理店だったようです。舶来品を扱っていたと。
創業者は中川敏浩という1893年、神戸市出身の実業家でした。
同氏は1912年に大連に赴き、1916年に天津に渡り、1920年にこの会社を立ち上げたとあります。
天津を拠点に青島や済南にも支店を持ったようです。
意図的だったのか偶然なのかわかりませんが、今も日本企業の社名プレートがそのまま残っているのは極めて珍しいことです。
これはお宝です。

滙川公司とあります。

日本租借時代に掲げられたものでしょうか。
当時の文献を調べてみると、宮島街17番地に滙川公司という店舗があったことが分かりました。
まさにここです。

合資会社滙川公司はカメラや写真用品、時計を販売した会社だったようです。
邦字書籍に広告も出していました。

ドイツのカメラメーカーであるライカ社やツァイス社の販売代理店だったようです。舶来品を扱っていたと。
創業者は中川敏浩という1893年、神戸市出身の実業家でした。
同氏は1912年に大連に赴き、1916年に天津に渡り、1920年にこの会社を立ち上げたとあります。
天津を拠点に青島や済南にも支店を持ったようです。
意図的だったのか偶然なのかわかりませんが、今も日本企業の社名プレートがそのまま残っているのは極めて珍しいことです。
これはお宝です。