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HBD in Liaodong Peninsula

中国と日本のぶらぶら街歩き日記です。2024年5月からは東京から発信しています

「水師営の会見所」1930年代の土産物

2017-12-05 | その他
この置物は、昨年、大連で手に入れた骨董品です。



「水師営の会見所」の方位磁針付きキーホルダーです。
水師営の会見所は、1905年1月5日、乃木希典とステッセルによる停戦の署名式が行われた歴史的な場所です。

日本租借時代の旅順の観光地で販売されていた土産物と思われます。
水師営会見所で売られていたのかもかもしれません。




当時の写真が残っています。




キーホルダーは金属製なのでずっしりとした重量感があります。

紐を通す穴がありますし、方位磁針が付いているので持ち歩くことを想定して作られたのだと思いますが、キーホルダーとしては些か大きすぎるサイズです。

下側が平らになっているので、置物にもなります。

日本租借時代の旅順は「聖地」と呼ばれた一大観光地でしたので、訪れた日本人向けにこのような土産物がたくさん製造されたのでしょう。

このキーホルダーを模っている末広がりの石碑は、満州戦績保存会により1916年に建てられたものです。

旅順の戦績を巡るバスツアーが整備され、観光客で賑わったのは1930年代ですので、この土産物の製造もその頃でしょう。

裏面には、こんな文字が刻印されています。


昨日の敵は 今日の友
語る言葉も うちとけて

これは戦前、小学校で広く歌われた文部省唱歌「水師営の会見」のフレーズです。
今も戦前生まれの高齢者であれば歌える方が多いと思います。

この歌が初めて掲載された教科書は、1910年(明治43年)発行の尋常小学読本唱歌(十巻)です。
読本は東京の乃木神社の宝物殿に展示されています。


小学生にこんな国威発揚のメッセージが強い歌を教え込み、こうした土産物にまで刻み込むのですから、当時の日本の特異な雰囲気が伝わってきます。

きっと、今も日本国内のどこかの家に同じものが眠っていると思います。

水師営の会見

作詩 佐々木信綱  作曲 岡野貞一
尋常小学読本唱歌(十巻) 明治43年7月

旅順開城 約成りて
敵の将軍 ステッセル
乃木大将と 会見に
所はいずこ 水師営
庭に一本 棗の木
弾丸あとも いちじるく
くずれ残れる 民家に
今ぞ相見る 二将軍

乃木大将は おごそかに
御めぐみ深き 大君の
大みことのり 伝うれば
彼かしこみて 謝しまつる

昨日の敵は 今日の友
語る言葉も うちとけて
我はたたえつ 彼の防備
彼はたたえつ 我が武勇

かたち正して 言いいでぬ
「此の方面の 戦闘に
二子を失い 給いつる
閣下の心 如何にぞ」と

「二人の我が子 それぞれに
死所を得たるを 喜べり
これぞ武門の面目」と
大将答え 力あり

両将昼食 共にして
なおも尽きせぬ 物語
「我に愛する 良馬あり
今日の記念に 献ずべし」

「厚意謝するに 余りあり
軍のおきてに したがいて
他日我が手に 受領せば
ながくいたわり 養わん」

「さらば」と握手 ねんごろに
別れて行くや 右左
砲音絶えし 砲台に
ひらめき立てり 日の御旗
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日本で食べる洋食の味  - 本場より高レベルかも?

2017-11-05 | その他
「あれ? 何か物足りない....」

先日、出張で久しぶりにオランダやハンガリー、イタリアなど欧州を訪れたときに感じたことです。

現地で食べる料理が、自分がイメージしていた洋食ほど美味しく感じないのです。

仕事での訪問だったので、それほどゆっくりと食事を楽しむ場面もなかったのですが、どれもが物足りなく感じられました。

食材や味付けが単調に感じられ、すぐに飽きてしまいます。
決して不味くはないのですが、もう一捻り欲しいな、という気持ちです。






なぜでしょうか?

自分の味覚が変化したのでしょうか。

このレベルなら、日本で食べる洋食の方がマシなはずです。

しかし、本場の洋食よりモノマネの日本の洋食の方が美味しいということがあるでしょうか?

そこで、帰国後、改めて東京で本格的なイタリア料理の店に行って食べ比べてみることにしました。




いい店でした。

食べ比べの結果、
やはり、日本の洋食の方が美味しく感じました。

見た目も味の深さも、本場のそれを凌駕しているように思います。
明治維新以降、時間をかけてレベルアップした日本の洋食が追い越してしまったのでしょうか?

日本の洋食は手が込んでいて、ひとつひとつが繊細です。
僕が本場で不足を感じた「一捻り」が効いています。


いずれも日本人向けにアレンジした結果なのだと思います。
日本人の料理センスは卓抜していますね。

サービスレベルも日本の方が上でしょう。

ただ、これが中華料理となると話は違ってきます。
中華料理の場合は、中国で食べた方が美味しいのです。
これは僕が中国で暮らしたからでしょうか。

ともあれ、自分が日本人をやっていてよかったと思います。
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イタリア・ベルガモ – 古い城塞都市を訪ねる

2017-10-15 | その他
先日、出張でイタリア北部のベルガモという小都市を訪問する機会がありました。



アルプスの南側の山麓にあたります。
ロンバルディア平原を望む小高い丘の上に立つ古い城塞都市です。



イタリアらしい情緒と風情が溢れる優美な街並みと佇まいに感嘆します。
抜けるような高い空も景観に彩りを添えます。

聞けば、ベルガモの今の街の形は約800年前にできあがったそうです。

中世で時が止まったかのようです。
よくここまで持ちこたえてきたものです。





城壁に囲まれた旧市街はアルタと呼ばれています。
新宿のスタジオアルタのアルタとは、イタリア語だったのですね。

これだけの時間が経過しても風化することなく街並みが維持できているのは、地震がないことや気候も理由の一つだと思いますが、確かな建築技術や保存に向けた努力があってのこそでしょう。



アルタでは、細い道沿いに住宅や商店がひしめきあっています。
街の人々は皆朗らかで、そこかしこで笑顔が溢れます。ゆったりとした時間の流れを感じます。



たまにこういう西洋文化に触れると、新しい発見や刺激が得られてよいものです。





ベルガモは印象に残る街でした。
出張とはいえ、こういう美しい古都にくるのはご褒美だなあ、という気持ちになります。

なにしろ海外出張といえば中国ばかりでしたので。
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ブダペスト – 誓いの地への再訪

2017-09-25 | その他
出張で、ハンガリーのブダペストを訪問しました。


20年ぶり、2度目の来訪です。

ブダペスト旧市街は、ドナウ川を中心に歴史建築や風光明媚な景色が広がる美しい街です。「ドナウの真珠」とも形容される世界遺産の都市です。




僕には、この街に少し特別な思い入れがあります。

僕の海外生活のきっかけを作ってくれた憧れの場所なのです。

1990年代はじめ、就職したての東京の職場には、ブダペストで駐在経験を積んだ先輩が数名いました。

先輩たちは、よくブダペストで経験した仕事や生活の思い出を聞かせてくれました。

先輩たちは、仕事ぶりや価値観、振舞いが洗練されていて、どことなく垢抜けているような雰囲気がありました。きっと、経験がそうさせていたのでしょう。

上京したばかりの田舎青年だった僕には、この先輩たちは憧れであり、とても輝いて見えました。

僕といえば、東京で働くことを決めただけでも大きな決断だったので、海外で働くなどまったく考えが及びません。

当時の僕は、上司の教えを乞うて日々の仕事を覚えることで精一杯でしたが、やがて、自分にも将来、海外で働くチャンスがゼロでもないのだ、そういう選択肢もあるかもしれないということは朧げながら意識するようになりました。

休日に図書館に出向くとハンガリーに関する書物を読んだりして、想像を膨らませたりもしました。

この90年代の時期、先輩から受けた触発が今の海外畑の仕事のルーツになっています。

夏休みを利用して1人でハンガリーを訪問したこともありました。


古く美しい街並みや海外の文化に感嘆し、いつか先輩のようにここで働いてみたいと思うようになりました。

そのためには努力を積まなければならないとも考え、仕事にも真剣に取り組むようになりました。

こうして海外勤務への関心を高めていった結果、その後2度の海外勤務を経験することになりました。

結果として僕が駐在したのはハンガリーではなく中国でしたが、ハンガリーへの憧れがモチベーションになって外国畑で働くための自分磨きに力が入ったのは確かです。

ここで暮らしたかもしれないと思うと、他の海外都市とは違った親しみを覚えます。

短い滞在でしたが、今の自分の進む道を分けた誓いの地に立つことで初心を思い出したり、当時と今の自分を比較してみたり、いろんな想像が脳裏を巡りました。



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第30回大連国際マラソン(詳報)

2017-05-24 | その他
今年の大連国際マラソンの完走記を書き留めてみました。
例年同様、少し長くなりますが、お付き合いください。

●再びスタートラインに

卒業したつもりの大連国際マラソンで、再び走る機会が巡ってきました。

昨年11月の帰国以来、東京で週末ごとに荒川の土手で汗を流してきました。

川幅の広い荒川沿いのジョグは気持ちがいいものです。
心地よい音楽を楽しみつつ、ユリカモメやムクドリ、ツグミなど水辺の野鳥や季節の草花を愛でながら走ると、走行距離も自ずと延びるものです。

年齢からくるものなのか、スピードの低下は否めませんが、スタミナ面の強化は手応えがあり、長時間でも走り続けることができるようになりました。

3月になると、元同僚のYが大連マラソンの受け付け開始の連絡をくれました。

さっそくエントリーして準備に取りかかりました。仕事の状況次第では渡航できないかもしれませんが、エントリーしなければ出場も叶いません。
行けるかどうかは神様に祈るのみです。

30km走も2本やりました。コンディションは良好で、痛いところはどこもありません。

4月中旬になると、仕事のメドがつき、行ける可能性が高まってきました。
上司に休暇を申し出て、フライトを予約しました。

今回は脚の痙攣予防のため、コムレケアという薬も用意しました。
今年は自信を持って挑戦できそうです。

レース前日となる12日は仕事を休み、午後のフライトで大連に入りました。
到着した周水子国際空港からは、何度も山登りを楽しんだ鞍子山の尖った山頂が目に入ります。
やあ、おかえり、と語りかけてくれているようです。
久しぶりに大連の空気を吸い込みます。
第2の故郷に帰ってきました。

旧友らと大連の海鮮を楽しみ、早めに就寝してレースに備えました。

レース当日は早めにスタート地点である国際会議中心に出向いて、軽く準備運動を済ませます。
空は厚い雲がかかっており、東側からいくぶん強めの風が吹いています。気温は14度ぐらいでしょうか。コンディションは上々です。



今年の参加者は約3万人で、そのうち約1万人がフルマラソンに挑戦するそうです。今年から、車いすマラソンも同時開催されることになったようです。
CCTV5チャンネルで全国生中継もあるようです。さすがに中国4大マラソンに数えられる大会です。



スタート地点は熱気に包まれています。
中国らしい盛大な開幕セレモニーの後、7:30に号砲です。
風は西から吹いています。
今年の目標タイムは、3時間50分としました。





日頃のトレーニングではこんなペースでは走っていませんが、レースなら周囲が引っ張ってくれますので、多少のスピードアップができることは経験で分かっています。

早めにスタート地点に集合したため、比較的前方のスタート位置を取ることができました。
このため、スタート後も混雑に巻き込まれることなく、スムーズに走行スペースを確保できました。

●応援

港湾広場を過ぎ、人民路に入ります。
シャングリラホテルの前で、元同僚のWくんが手を振って応援してくれました。

人民路は、わずかに登りになっています。路面の平らな部分を選んで脚を進めます。
中山広場に入りました。全国重点文物保護単位指定の歴史建築群に囲まれながら、直径213メートルの広大なロータリーの内側を選んで走ります。

左手には今宿泊している大連賓館(旧大連ヤマトホテル)が見守ります。

中山路に入りました。
昨年と同じく、中央分離帯に植栽されたゼラニウムが白とピンクの鮮やかな花でランナーの目を楽しませてくれます。
右側には大連駅、旧連鎖街が過ぎていきます。
沿道は何重もの観客が連なり、大きな声援を送ってくれています。

青泥窪橋を過ぎると、緩やかな坂が迫ってきました。右側に、僕の名前を大きく書いた看板を持って待ち構えている一団が目に入りました。Lちゃんと、なじみの日本料理店の老板や店員さんたちです。なつかしい顔に笑顔がこぼれます。

右手を上げてハイタッチをしながら

「ただいま!」、「おかえり!」

と挨拶を交わします。
こんな早い時間に、ありがたいことです。

森ビルを過ぎて坂の頂上が近づいてくると、まもなく5km地点です。

旧満鉄中央試験所の脇から迫り出したアカシアは白い花房を下げ、風が手伝って甘い香りを漂わせています。

これぞ大連の香りです。
今こそ、大連が最も美しい季節です。

最初の5kmは26分52秒で通過です。
予定どおりです。

坂を登り切ると、人民広場が広がります。
大連市人民政府庁舎を左に見ながら今度は下りに入ります。
広い中山路の両側には、早朝にもかかわらず多くの人が詰めかけ、暖かい声援を送っています。

1kmごとに設置された距離表示のサインボードの近くに、白と青のコスチュームを纏ったスリムな若い女性2人組が笑顔で手を振っています。この女性たち、ことごとくスタイルのいい美人で、さながらボクシングのラウンドガールのようです。いったいどこから集めてきたのでしょうか?

馬栏河を渡ると、旧大連富士が目に入ってきます。左は和平広場、日本租借時代の競馬場跡です。
額から汗が流れてきました。厚かった雲が薄くなりはじめ、気温が上がってきたようです。
右側には路面電車202号線が見えます。

●新緑を楽しむ

大連現代博物館の手前を左に曲がると、星海広場に入ります。
星海広場といえば、去年の夏に突然撤去された華表はどうなったかと思い、広場の中央に目を配りながら走りますが、遠目には変化は感じられません。



手前には大哥と一緒に北京ダックを堪能したグランドハイアット、海の向こうには新名所となった星海湾大橋が美しい姿を見せています。

10km地点を通過です。
この5km、26分05秒です。
体が軽くなってきて、快適に脚が進みます。

星海広場に別れを告げ、再び馬栏河を渡ると、市内に戻ります。
去年と同じ、12.5kmの給水所でポケットから鎮痛剤を取り出し、1錠流し込みました。
今のところどこにも痛みはありませんが、今後ハプニングがあっても予防の効果があるでしょう。

ゴーリキー路に入りました。
道路の両側に立つプラタナスのみずみずしい若葉が重なり合うように屋根を作り、コースに日陰をもたらしてくれます。



道路の左側には日本租借時代に建てられた古い住宅が連なります。取り壊す予定なのか、崩壊寸前の住宅も目に付きます。

この辺りから、約3kmの登り坂が続きます。このコース最大の難所です。

我慢の場所ですが、オールド大連の景色が苦しさを紛らわせてくれるようです。
やや歩幅を狭めて腕を振ります。

車で移動するときにはあまり気が付かない程度の緩やかな登りですが、自分の足で走ってみるとかなりの角度を感じます。

15kmの関門が見えてきました。
この5km、26分02秒です。
スピードを落としたつもりでしたが、思いのほかペースが落ちていません。少し無理をしてしまったかもしれません。
このままで大丈夫でしょうか。少しだけ、不安がよぎります。

さらに坂道が続き、水仙街付近に来ました。ようやく坂の頂上に到達です。実に15分以上登り続けてきました。左側には旧関東州庁職員用官舎が見えてきました。

唐山街に入ると、一気に下りになります。この一帯は住宅街なので、沿道の応援にも厚みがあります。
右側に見える松山寺の五重塔にも黙礼します。

18km地点です。
坂を下りきると視界が広がり、五恵路に入ります。労働公園が近づいてきました。
労働公園バス停に再びLちゃんの姿が見えました。笑顔で手を振ってくれています。

「ほら、あっちにもいるよ!」

とLちゃんが指差した道路の反対側には先ほどの店のメンバー5人が再び大きな看板を持って声を上げてくれています。

駆け寄って全員とハイタッチをして、エネルギーを貰います。

「ありがとう。がんばるよ」

空は雲が薄れ、青空が目立つようになってきました。
左側は延板を立てたように真っ平らな高層ビルが陽光を受けてまぶしく輝いています。スイッシュホテルです。

労働公園を右折して解放路に入りました。
沿道では多くの人が幾重にもなって応援の声を上げてくれています。

左に見える万宝海鮮防では、離任前にX会長が盛大な送別会を開いてくれたことが思い出されます。

右側に見える満倶球場跡地は建築工事が始まっていました。
前方に見える大連市第24中学(旧春日小学校)は、終戦直後、芥川賞作家・清岡卓行が残留邦人向けに教鞭を取った校舎です。

左にカーブして七七街に入りました。
ここがコースのうち最も狭い道です。

両側には日本租借時代の低層の老建築が並びます。
街路樹が緑のトンネルとなり、路面にコントラストの強い木漏れ日を降り注いでいます。
これもまた、5月の大連らしい美しい景色です。



解放街との交差点に差し掛かりました。ここは知る人ぞ知る、大連神社の表参道だった通りです。
本殿のあった右側を向き、軽く黙礼します。

20km地点が見えてきました。
この5km、26分36秒です。
順調です。まだどこにも違和感はなく、軽快に足が動いています。

●後半戦

南山花園酒店から北側に進路を取り、朝陽街に入ると、まもなく中間地点です。
ハーフマラソンの出場者はここでレース終了です。
時計を確認すると、1時間51分40秒を指しています。
このペースで行けば、目標の3時間50分はクリアできる計算です。

上手くいくでしょうか。ひざは大丈夫か、足首はどうか、ふくらはぎは・・・。走りながら体中のひとつひとつを慎重にチェックします。

三八広場が見えてきました。ここから魯迅路です。二七広場を過ぎると、ビルの隙間から左側にゴールの国際会議中心が目に入ってきます。直線距離にして1.5kmほどでしょうか。この後、この場所から二度離れて戻ってこなければなりません。

22km過ぎではエードステーションが見えてきました。去年から始まった改善です。
3分の1に分けられたバナナを抓み取り、口に放り込みます。じわりと甘みが広がります。

魯迅路は路面電車も走る道路なので、30メートルほどの広い道路の中央にはレールが敷設されています。今日は運行を中止しており、ところどころに停まっている無人の車両が目に入ります。

カーブの多い魯迅路で最短コースを探りながら走ると、何度も大股で段差のあるレールを跨ぐ必要に迫られます。このレール跨ぎが思いのほかエネルギーを使います。大股でレールを跨いででも短いコースを通るのがいいのか、いっそ距離ロスを覚悟で路面のよい道の真ん中を走った方が効率的なのか、迷いながら進路を選びます。

華楽広場を過ぎると、最後の登りが迫ってきました。
いくぶん歩幅が狭くなり、蹴りの力が弱まってきたように感じられます。レース後半の登り坂はスタミナを奪うものです。

厳しい登りです。苦しかった去年のレースでも、これほどまでに坂道にストレスは感じなったのですが、ここまで坂道が堪えるのは、日頃平坦な東京を走っているからでしょうか。

ここを乗り切れば、あとは下りと平坦のみです。目線を下げてやり過ごします。

コース上には車いすのランナーも目に付くようになりました。一般ランナーの20分前にスタートした彼らに追いついたようです。車いすランナーには登り坂が一際堪えるようで、顔を赤くして必死で両手を動かしています。声は掛けませんが、心の中でエールを送ります。

25kmの関門を通過しました。
この5km、26分38秒です。

ほとんど同じペースですが、3度の登り坂とレール跨ぎで消耗したのか、少しずつ膝から下にしびれを感じるようになってきました。

ここで市街地のコースに別れを告げます。
海之韵公園の埋め立て地が近づいてきました。空は雲がなくなり、青空が広がっています。5月らしい強い日差しが自分の影を路面に映しています。気温も上がってきたようです。
沿道の応援はほとんどなくなり、ぽつりぽつりと運営関係者の姿が見える程度です。先ほどまでの大応援が嘘のようです。

●強風

海之韵公園を東の突き当たりまで進むと、港隆路を折り返して西に向かいます。27kmを通過します。
このとき、正面から強い西風が襲ってきました。前日に聞いていた天気予報どおりです。ランナー泣かせの強い向かい風ですが、逃げる場所がありません。前傾姿勢を取り、風よけになりそうなランナーの背中を探しながら位置を探りますが、ランナーの数が多くないので、ほとんど効果がありません。4、5メートル間隔で1人、という感じでしょうか。

コース場には数㎞置きにミストシャワーが設置されていますが、ミストが強風で横に流されてしまい、ほとんど下を通過するランナーに恩恵が届いていません。

半年ぶりに訪れる東港埋め立て地ですが、以前とほとんど景色は変わっていないようです。マンションの建設工事もそれほど進んでおらず、実際に住民が住み始めているビルはほとんどないように感じられます。

道路の反対側からは、折り返してくるランナーの姿が見えます。彼らは3時間前後のランナーでしょうか。スピード感のある走りに映ります。

単調な一本道を、西に向かって進みます。

30kmの関門が見えてきました。
ここまで2時間39分24秒です。
この5km、27分14秒です。徐々に足が重くなってきました。

さすがにペースが落ちてきましたが、目標の3時間50分は十分射程圏です。

マラソンはここからが勝負です。

気持ちを入れ直します。多少のペースダウンは想定内です。
給水所ではスポーツドリンクを2杯流し込みました。

●突然の痙攣

遠くに31㎞の表示が目に入ってきたときです。
突如、右ふくらはぎに強い痛みが起きました。まさかの痙攣です。突然のハプニングに動揺します。
コムレケアを飲んでいたこともあり、今回は痙攣の心配はないと思い込んでいました。僕には効果がないのでしょうか?
即座に立ち止まり、歩道との段差を利用して手早くストレッチを行います。

10秒ほど固まった筋肉を伸ばし、再び西に走り始めます。この先、この痛みと付き合いながらゴールを目指さなければならないのでしょうか。ペースダウンは免れません。

「頼む、これ以上悪化しないでくれ・・・」

祈りながら慎重に足を動かします。さらに歩幅を狭くすることにしました。ゴールまで、あと1時間とちょっとです。

前方に国際会議中心が迫ってきました。まもなく折り返しです。

「ああ、ここがゴールだったらいいのに・・・」

痙攣の動揺からか、急に弱気の虫が顔を出してきました。

30km過ぎでいつも痙攣が起きてしまうのは、トレーニングが足りていないのでしょうか。あるいは、僕の体質の問題なのでしょうか。

左側は地下鉄2号線の会議中心駅とショッピングモール「ガレリア」です。再び沿道の応援が増えてきました。大勢の人が中国の国旗を降りながら応援の声を上げています。

「慌てるな、冷静になれ、落ち着け・・・」

焦る自分に言い聞かせます。

ようやく折り返し地点です。再び東に向かいます。あと1往復です。
今度は一転して追い風になりました。風が背中を押してくれているようです。これは助かります。
追い風になると、急に額からじわりと汗が流れてきました。

ふくらはぎの痛みが少し軽減してきました。まだまだ神様は見捨てていないのかもしれません。

1,000曲あまりを収録した携帯音楽プレーヤーは、スタート時点からシャッフルモードに設定しています。やはり、苦しいときには音楽がアシストしてくれます。

ところが、痙攣発症後、イヤホンから流れてくるのは、なぜか古内東子やアデルなど女性の優しい曲ばかりです。今欲しいのはこんなバラードではありません。もっとノリノリの、メリハリの効いたサウンドです。ポケットからプレーヤーを取り出し、先送りして次の曲をチョイスします。と、再び古内東子が回ってきます。

「いや、違う。それじゃない。今は甘いラブソングは必要ない」

今必要なのは、もっとアップテンポなやつです。望みの曲が出てくるまで先送りします。

32.5km過ぎのエードステーションでもう一度バナナをつかみ取ります。水と一緒に流し込みます。
このまま、あと1時間の辛抱です。

1kmごとに立っている距離表示の美人モデルが待ち遠しく感じるようになりました。何度も腕時計を確認します。
周囲には歩くランナーが目立つようになってきました。

ようやく35kmが近づいてきました。
この5km、28分07秒です。

今の時刻は10時40分です。
だいぶ日が高くなってきました。地面に写る自分の影が短くなってきました。

汗が目に入ってきて、痛みます。その都度Tシャツの袖で拭いますが、絶えることなく目に入ってきます。

ふくらはぎの痛みは、潮の満ち引きのように変化しています。
正面に地下鉄の終点・海之韵駅と青い海が見えてきました。
再び折り返しです。この緩やかなカーブを回りきって港浦路に入れば、最後の直線です。

ようやくここまでたどり着きました。
残りは5kmです。残り30分、もうひと踏ん張りです。

●またもハプニング

港隆路に別れを告げ、港浦路に至るカーブに差し掛かると、左前方から強風が吹きつけてきました。
思わずため息が出ます。この風の存在は織り込み済みですが、実際に受けると心が折れそうになります。ランナーはまばらで、この辺りは高い建物もありません。風よけはなく、全身で強風を受け止めなければなりません。

「ふう、ふう」

息を吐きながら下を向き、影響を最小限にするように走ります。

そのときです。
走っている僕のすぐ手前で、

「ガシャン!」

と大きな音がありました。驚いて顔を上げると、車いすのランナーが転倒したらしく、車いすから体が投げ出されています。右側には車いすが横転しています。強風に煽られたのでしょうか。

とっさに左右を見回すと、近くにいるのは僕だけです。
50メートルほど前に立っている運営スタッフは転倒に気付いていないようです。

しばし、迷います。
当然、ここは助けなければならない場面です。

しかし、今の僕にはそんな余力は残っていません。自分のことで精一杯です。自分がこのままゴールできるかどうかさえ危ういのです。人助けをする余裕はありません。

しかし、ハプニングは僕の目の前で起きています。
さすがにこの位置関係では、見て見ぬふりはできません。
一念発起して横転した車いすを素早く立て直し、ランナーに駆け寄ります。
下半身に重い痛みが走ります。

ほどなく、後続のランナー2人が駆け寄り、手伝ってくれました。3人で車いすランナーを抱え上げ、車いすに戻します。助けてくれた2人も、苦しいに違いありません。

「大丈夫か? いけるか?」

と3人それぞれが声を掛け、無事を確認します。

「ああ、ありがとう。ありがとう」

車いすランナーは謝意の言葉を繰り返します。
彼を助けるのに要した時間は20秒ほどでしょうか。

大きく息を吸い込み、汗を拭い、再び走り始めます。
しかし、足を止めた僅かの時間で筋肉が固まったのか、足の運びがスムーズではありません。

「ああ、くそっ。ほら、やっぱり苦しくなってしまったじゃないか。なんてこった・・・」

自分の目の前で転倒のハプニングが起きたアンラッキーを嘆きます。

「あの車いすランナー、よりによって、なぜあそこで転びやがったのだ・・・。あと10秒後に転んでくれていたら、知らんぷりができたのだ。やはり、見捨てるべきだったか・・・」

恨みの気持ちまで浮かんできます。今の僕の心には、思いやりのカケラもありません。かなり心が荒んでいます。

しかし、あそこで見捨ててしまっては、僕はその後激しい後悔と自責の念に襲われたでしょう。後から考えても、あの判断しかなかったと思います。

●自分と向き合う

レースは佳境に入りました。
カーブを回りきると、正面にゴール地点の国際会議中心が見えてきました。3回目に拝む会議中心です。

ようやく射程に捉えました。あとはこの一本道を走りきればいいのです。正確には大きく回り込んで反対側からゴールするのですが、そこは考えないことにします。

それにしても風は容赦なく吹き付けてきます。
38kmです。
蹴り上げる力が弱くなり、足もペースも上がりません。
35km過ぎからは、1km当たり6分程度を要しています。
時計を見つめ、ゴールまでの所要時間を計算します。

このペースでは、目標達成は微妙なところです。
どこかで一段ギアチェンジをしてもう一度加速し、5分45秒ぐらいに上げる必要があります。

しかし、足がついてきてくれません。もはや、ペースアップは望めそうにもありません。むしろ、どこまでペースダウンを食い止めることができるか、という攻防です。

イヤホンからは再び古内東子の声が聞こえてきました。びゅうびゅうと耳たぶに吹き付ける風の音に混じって、しっとりした柔らかな歌声が流れてきます。まるで、「もう止めてもいいのよ」とやさしく囁かれているようです。このレース中は、なぜか古内東子がヘビーローテーションです。1,000曲中、十数曲しか入っていないはずですが。

「だから、違う、それじゃない・・・。もっとノリのいいやつだよ・・・。ここまできて、やめてたまるか」

しかし、もはやプレーヤーを操作する力も残っていません。ただただ、早く終わりたい。それだけです。プレーヤーを触るのもやめました。この先、どんな曲が来ようが受け流すことにします。

39kmです。
痙攣した右足を庇い続けたためか、左足の足首とかかとにしびれが広がり、つんのめりそうになります。痙攣は相変わらず波のようです。
意識して腕を振りますが、ペースは上がりません。

「立ち止まりたい、ストレッチしたい・・・」

誘惑が過ぎりますが、奥歯を噛んで押さえ込みます。
風向きが変わってくれることを祈ります。しかし、無情にも変わらず正面から吹きつけています。

待ちに待った40kmの関門が見えてきました。
時計に目を落とすと、3時間37分40秒を指しています。

残り2.195kmで、目標達成に猶予された時間は12分20秒・・・。目標達成は厳しくなりました。

万事休す、です。
もう、記録は考えないことにしました。最後まで足を止めずに走りきることに目標を切り替えます。

最後の給水所でスポーツドリンクをつかみ取ります。

紙コップを捨てると、拳を握りしめてゴールを睨みます。

あと10分・・・あと10分の辛抱・・・。

吐息とともに、「はあ、はあ」と大きな音が漏れてきます。フォームは腰が落ちてバラバラです。
左右から他のランナーが抜いていきます。

国際会議中心を左側から回り込むと、ヒルトンホテルが見えてきました。
沿道では多くの市民が声援を送っています。

いったんゴールから遠ざかり、国際会議中心の西側にある人民路に回り込みます。
今イヤホンから流れている曲が、最後の曲でしょう。この曲を聴き終わる頃には、レースは終わっているはずです。

まもなく最後の直線です。最後のひと踏ん張りです。

カーブを回りきると、華やかなゴールゲートが目に飛び込んできました。
待望のフィニッシュラインです。視線を上げて正面を見据えます。

ゴールに至る直線は、両側にスポンサーのロゴを配した高さ1メートルほどのカラフルなボードが並べられてビクトリーロードになっていたはずですが、今は強風を受けて半分ぐらいが吹き飛ばされています。

「終わりだ・・・。やっと終わる・・・。はあ、はあ・・・」

周囲のランナーがラストスパートでスピードを上げて追い抜いていきます。

もはや、彼らを追いかける力は残っていません。

最後の力を振り絞り、つんのめりながらゴールに入りました。

空には5月らしい、抜けるような青空が広がっていました。

■第30回大連国際マラソン 2017年5月13日(土)

5km 0:26:52(26:52)
10km 0:52:56(26:05)
15km 1:18:58(26:02)
20km 1:45:33(26:36)
25km 2:12:10(26:38)
30km 2:39:24(27:14)
35km 3:07:30(28:07)
40km 3:37:39(30:09)
Goal 3:50:54(13:15)

しばらく両手を両膝につき、前屈みになって肩で息を整えます。
とにかく、レースは終わりました。今年も走りきりました。

頬や首筋を触ると、ざらついた白い粉が付いています。乾いた汗です。

目標には54秒、届きませんでした。

しかし、今年も力を出し切りました。コンディション作り、ペース配分、コース取りなど申し分ありませんでした。1年ぶりに自分と徹底的に向き合いました。これが今の自分の力ということです。



ところで、レース後に知ったのですが、レース中、5km地点でZCさんとJさんが、41kmでYが愛娘を連れて応援に駆けつけてきてくれていたそうです。
応援に気がつかず、とても失礼なことをしました。離任したあともこうして暖かく迎えてくれる友人たちに恵まれ、本当に幸せなことです。

「また来年もこの舞台に戻ってこよう。できるならその先も」

そう誓いながら大連を後にしました。
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第30回大連国際マラソン

2017-05-14 | その他
今年も大連国際マラソンに出場しました。

金曜日に休みを取って、半年ぶりの再訪です。
故郷に帰ってきたような気分です。



フルマラソンには1万近くがエントリーしたようです。

美しい春の大連の街を楽しく走ってきました。
街のあちこちで咲き始めたアカシアが甘い香りを放ち、再訪を暖かく迎えてくれたようでした。





記録は、3時間50分58秒でした。
強い西風に難儀しましたが、力は出し切りました。
満足な結果です。





またひとつ、大連でいい思い出ができました。
これから、老朋友たちとビールで乾杯です。
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今年も挑戦します – 第30回大連国際マラソン

2017-05-12 | その他
今年も大連国際マラソンに挑戦することにしました。

4年連続の挑戦です。
半年ぶりの大連の再訪です。

昨年11月に東京に戻って以来、週末ごとに荒川の土手を走ってきました。
東京は気候が温暖ですし、空気の心配もありません。
路面の整備もよく、坂道が少ないので、快適に走り込みができました。

近年になく、いいコンディションでレースに臨むことができそうです。

レースは13日(土)の7:30スタートです。
今から走るのが楽しみです。
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豆腐工場の見学 - とても簡素です

2016-11-12 | その他
国慶節の期間中、普蘭店で自家製豆腐を作る人の家を訪ねるチャンスがありました。

本業は桃を育てる農家ですが、サイドビジネスで豆腐を作っているのだそうです。

もともと豆腐好きの僕ですから、どんなふうに豆腐が作られるのかを知る貴重な機会です。
とても楽しみです。

場所は皮口付近です。大連市内から約2時間で到着です。

行ってみると、豆腐作りの現場は、驚くほど質素なものでした。


この原料の大豆を・・・


ここで絞り取って・・・


ここで冷やして形成する、と。



豆腐というのは、たったこれだけの設備でできてしまうのですね。
原料も大豆と水、にがりだけだそうです。

ただ、時間が掛かるそうです。
この家の家長は、毎日深夜0:30に起き出して豆腐を作り、朝7:30から近所の飲食店に配達しているそうです。

配達後は休憩して、本業である農業に勤しむのだそうです。
週末も関係ありません。休むのは正月と、雨や雪の深い日だけだそうです。

いやはや、頭が下がります。

「毎日そんな生活で、疲れるでしょう?」

と聞くと、

「もう慣れたよ。30年もやっているんだ。生きていくためだよ」

と笑って答えてくれました。
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「西湖の恋人」

2016-09-14 | その他
先日、杭州に出かけた同僚が買ってきてくれたお土産です。




いかがでしょう?

いやぁ、やってくれますね。
まさかの杭州発「白い恋人」のご友人です。

これを見た瞬間、笑いを堪えることができませんでした。

杭州の空港で買ったそうです。ずいぶん目立つところで売っていますね。


こんな箱に入っています。「地道杭州」を謳っています。

18枚入りです。
パッケージやサイズや雰囲気など、本家をよく研究しています。


袋を開けて一口食べてみます。

本家と同じ、ホワイトチョコレートとクッキーのサンドです。
味や食感は本家には遠く及びませんが、追いつこうと努力した雰囲気は伝わってきます。

お土産というのは、「美味しいかどうか」というのが一番大切な要素なのですが、「おもしろいかどうか」というのもこれまた重要です。
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宮崎 「平和の塔」 - 大連から運ばれた礎石も

2016-08-29 | その他
今日はちょっと番外編で、日本国内の建造物をご紹介します。

宮崎市内の平和台公園に「平和の塔」と呼ばれる石造りの塔があります。

今回、一時帰国の機会を利用して訪問してみました。ここに来るのは小学校の遠足以来、数十年ぶりです。


1940年に建造されました。

当時は「八紘之基柱」(あめつちのもとはしら)と呼ばれていました。
「平和台」の現在地名も、当時は「八紘台」だったそうです。

1940年は神武天皇の即位2600年に当たります。それを記念して国の奉祝事業として建造されました。


高さ36.4メートルで、1,789個の切石(縦45センチ、横60センチ、幅15センチ)が積み上げられています。


各地から様々な石が集まりました。

これらの礎石は、日本国内外の都市や日本人団体を通じて寄贈されました。

塔の礎石をひとつひとつ調べていくと、外国から寄贈されているのはほとんどが当時の租借地で、多くが中国でした。


「河南省前田隊」


「満州国奉天市」


「満洲遼陽市公署」


「南京日本人居留民会」。話題になった礎石です。

大連の石もありました。


これが大連です。左下に刻印があります。


拡大してみます。「大連市」の文字が判読できるでしょうか?

この「平和の塔」ですが、戦後「八紘一宇」の碑文や建造に至った背景などにより、様々な物議を醸してきました。

しかし、実を言うと、僕は最近までこのことを知りませんでした。
小学校の先生が教えてくれたのかもしれませんが、覚えていません。
故郷であるにも関わらず、恥じ入るばかりです。

神武天皇即位2600年紀の塔ですが、1940年という近代史上特殊な時期に建造され、こうして海外の租借地から集めた礎石がモニュメントの一部を支えているという事実はしっかりと受け止める必要があるように思います。

何はともあれ、現代の僕ら世代はひたすら平和を追求するしかありません。
久しぶりに戻った故郷で、平和への思いを新たにしました。


塔の東側には、雄大な日向灘の眺望が開けます。


平和台公園は、東京オリンピック(1964年)の聖火リレーのスタート地点にもなりました。
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やり抜きました - 第29回大連国際マラソン(詳報)

2016-06-08 | その他
先日挑戦した大連国際マラソンの詳報です。

長くなりますが、お付き合いください。

もともと、僕は、昨年の大連国際マラソンを最後に中国でのレースを卒業したつもりでした。
レース環境が悪く、運営レベルが低い上、自分は今年のこの時期は大連から去っていると思っていたからです。

ところが、春が訪れても人事異動の話はありません。
3月に発表された今年のマラソンコースは従来から変更され、大連市内の繁華街を通るコースです。
これは好奇心をくすぐられます。これなら話は別です。
誓いを撤回して、挑戦することにしました。

コースの発表が3月後半でしたので、準備期間は2か月しかありません。
それ以前の週末は帰国準備に重点を置いていたこともあり、レースに向けた練習はほとんど積んでいませんでしたので、かなり急な体づくりでした。
過去に挑戦してきたマラソンの中では、もっとも準備不足です。

しかし、限られた期間でできるだけのことはやりました。
目標は一応4時間と設定しました。しかし、せっかくの市内コースですから、目標にはこだわらず、親しんだ大連市街の景観を楽しむことに重点を置くことにしました。

事前の報道では、約2万7千人がこの大会にエントリーしたそうです。
このうち、フルマラソンのエントリーは6千人弱と思われます。

●スタート

東港の国際会議中心がスタート地点です。
スタート時の気温は20度、快晴です。風はほとんど感じません。
上空にはヘリやドローンが旋回して、映像で会場の様子を捉えています。
今年はCCTV(5チャンネル)で生中継もあるようです。

5月22日7:30分、市長の号砲でスタートしました。

スタートまでのロスタイムは1分10秒ぐらいです。
人垣をかき分けながら、走りやすい路面を探ります。


(翌日の地元紙です)


(別の新聞です)


(これも別の新聞。どれも1面で報じています)

港湾広場を抜けて大連のメインストリートである人民路に入ると、道路の両面を大勢の市民が埋め尽くし、暖かい声援を投げかけてきます。
5年ぶりの市内開催ですので、初めてマラソンに接する市民もいるでしょう。
公安も運営スタッフも、きびきびとした動きでレース進行を支えます。

高層ビルに囲まれた大通りを、これだけの声援を受けて走ることのできることに高揚感が漲ります。人民路は港に向かってかなり緩やかな傾斜があることは承知していましたが、通りの真ん中を走ると、その傾斜を体で感じ取ることができました。

●メインストリートを走る

中山広場のラウンドアバウトに入りました。ここが大連市の中心です。
いつも多くの車がひしめいている中山広場ですが、今日はランナー専用です。

中国銀行大連支行(旧横浜正金銀行大連支店)前でG協会のKちゃんが応援にきてくれているはずです。
右側に意識を傾けて走っていると、姿が目に入ってきました。
スマホを構え、笑顔で手を振って迎えてくれます。

「Kちゃん、ありがとう」

と礼を告げ、ハイタッチを交わします。こんな朝早くから、ありがたいことです。

中山路に入りました。
中央分離帯に植栽されたピンクと白のゼラニウムが目を和ませてくれます。
目線を上に向けると、前面の青空です。歩道は大勢の市民の声援です。
なんと贅沢なコースでしょう。

友好広場を過ぎ、勝利広場、旧連鎖街と、日頃慣れ親しんだ光景を愛でながら西に向かいます。
パビリオンの前で、同僚のLちゃんと思しき姿が目に入りました。
前日、彼女は今年のマラソンはテレビ観戦すると話していましたが、どうやら沿道まで出掛けてくれたようです。
笑顔でハイタッチを交わしてエネルギーをもらいます。

日系企業が集積する森ビル前を通過です。
この辺りから坂道になります。沿道の声援に応えながら、腕を振って坂道を上ります。

5キロ地点を通過です。
27分42秒で通過です。

●体が重い

心なしか、どうも普段の練習に比べると体が重く感じられます。
気のせいかもしれませんが、少なくとも快調とは言えません。

まあ、走っている間に調子は上がってくるでしょう。レースはまだ始まったばかりです。
気にしないようにします。
坂道を頂上まで駆け上がると、人民広場です。

市政府庁舎を過ぎたところで、H区委員会のSさんの姿が目に入りました。
両手を振りながら、日本語で僕の名前を連呼してくれています。
Sさんの待つ歩道寄りに駆け寄り、握手して礼を述べます。ありがたいことです。

気温が上がってきたようです。額からは汗が流れてきます。
聯合路、白山路、太原街を過ぎ、馬欄河を渡ると和平広場です。正面に旧大連富士が目に入ってきました。

3年間の思い出がつまった場所が続々と登場します。
それぞれの思い出を思い浮かべると、自然に気分が高揚します。

路面電車202号線に沿って西に向かいます。
片側4車線の広い路面には当然ながら車は走っていません。すべてランナーのための道路です。

前方に星海広場が目に入ってきました。
大連博物館前で中山路に別れを告げ、会展路に入ると、10キロ地点です。

この5キロ、26分37秒です。
時計はまずまずですが、やはり体は重く感じます。
僕はもともと調子の変動が少ないタイプで、日によって調子を落とすようなことはあまりないのですが、今日は珍しく重さを感じます。
これが大連最後の記念のレースということで、力が入りすぎているのかもしれません。
前夜、緊張であまり熟睡できなかったことも影響しているかもしれません。

星海広場を1周します。海の向こうには星海湾大橋の美しいフォルムが目に入ってきます。
ここから先は、東側に向かいます。

12.5キロの給水所で、ポケットに入れていた痛み止めの薬を1錠流し込みました。
今のところどこにも痛みは出ていませんが、感じ始めてからでは手遅れです。
順調ならレース終了まであと3時間です。多少の痛みならこの1錠で足りるでしょう。まあ、お守りのようなものです。

●オールド大連

ゴーリキー路に入りました。大連市内で、僕が好きな通りのひとつです。
路面の両側から大型のプラタナスの枝葉が緑のトンネルを模ります。みずみずしい新緑を吸い込みながら、老建築の残るオールド大連の雰囲気を楽しみます。

やはり、ゴーリキー路は新緑の季節が似合います。

15ロ地点手前で、再びSさんの姿が目に入ってきました。人民広場からここまで歩いて移動してきてくれたようです。
やはり手を振りながら大声で僕の名前を呼んでくれています。
これは予想外です。笑顔で手を振って応えます。

15キロ地点を通過です。
この5キロ、26分33秒です。
同じペースを維持できています。風は感じません。気温が上がっているのか、容赦なく汗が流れてきます。

給水所では、多めの給水を心掛けるようにしました。

このゴーリキー路、西から東に向かって、なだらかな上りが続いています。車で通過するときには気が付きませんが、自分の足で走るとハッキリと判ります。
上りの脚元に負荷がよく伝わってきます。
これも都市マラソンならではの発見です。

コース中、一番厳しい上りはこの辺りかもしれません。それでも、去年までの金石灘に比べたら楽なものです。坂は急でも、周りの美しい景観と声援が相殺してくれます。
これぞ都市マラソンの魅力です。

ゴーリキー路から唐山街に入りました。
あっという間に感じられます。好きなゴーリキー路との別れに、名残惜しさを感じます。

唐山街は住宅街ですから、ここでも沿道から多くの声援を受けることができます。
会ったこともないランナーに暖かい声援を送り続けてくれる大連人に励まされます。

唐山街の並木道を抜けると、道幅が広がり一気に視界が広がります。五恵路に入りました。
右側には労働公園が広がります。

●応援に励まされる

ここでは、同僚のYが待ってくれているはずです。
右側の歩道に意識を傾けて走っていると、Yの姿が目に入ってきました。Yの両親もいるようです。パビリオンの前で会ったLちゃんも一緒です。
これはうれしいです。

ハイタッチをして、写真を撮ってもらいます。



青泥窪橋に戻ってきました。
スイッシュホテルを過ぎ、解放路を右折します。この辺りの応援の多さは大変なものです。まるでゴール地点のような賑わいです。

去年まではなかった感覚です。
やはり、沿道の応援は力になります。

七七路に入りました。ここも走るのが楽しみだったコースのひとつです。
ゴーリキー路と並ぶ、オールド大連エリアです。
この通りは、コース中、最も道幅が狭い場所です。日本租借時代の戸建ての老建築に囲まれたノスタルジーあふれるエリアです。道幅が狭いせいか、幾分スピードを感じます。街路樹が影を作ってくれているので、暑さも多少紛れます。
経験的には、この19キロ地点ぐらいというのは、ランニングハイの状態になる頃です。

快調とは言えませんが、悪くもありません。先ほどよりは多少体が軽く感じられるようになってきました。

20キロ地点を迎えました。
この5キロ、26分51秒です。このペースで走り切れば、4時間の目標には届きます。
しかし、消耗度や暑さを考えると、最後までこのペースを維持するのは難しいでしょう。
残った体力を、上手く配分する工夫が必要です。

●暑さ

さらに気温が上がってきたようです。のどの渇きを感じます。できるだけ日陰のコースを選びます。
給水ポイントでは、立ち止まって2杯のスポーツドリンクを流し込みます。
朝陽街に入り、中間点を通過しました。ここまで1時間53分40秒です。
ここでハーフマラソンの選手はゴールです。

ここから先はフルマラソンの選手だけが残ることになります。
位置取りがだいぶ楽になってきました。
三八広場に来ました。ここにも大勢の市民が集まっています。

ここから魯迅路を東に向かいます。また沿道の応援が賑やかになってきました。
路面電車201号線と並行するコースです。ここもオールド大連です。
路面電車も運行を止めて、ランナーを応援します。
ここから大連半島の最も東側に向かって進みます。

22.5キロ地点には、エードステーションもありました。去年まではなかったサービスです。バナナを4分の1カットだけ取って補給します。

25キロを通過します。
この5キロ、27分06秒です。まだペースは維持できています。

華楽広場を越えると、上り坂が迫ってきました。等高線に沿うように整備された道ですが、一部には急坂もあるようです。
ここがコース中、2番目の難所です。
しっかり腕を振って小刻みに足を運び、坂の頂点を目指します。
しかし、坂道にはもう慣れました。これがコースで最後の上りです。

●「未来」の大連を走る

東港の埋め立て地に入れば、あとは15キロの平坦です。
坂を下って東港地区に入りました。ここからゴールまでは「未来」の大連コースです。
建設中の高層ビル群の中を、東西に1.5往復します。

ビルはどれもが建設中なので、この辺りには住民はいません。
したがって、沿道の応援はほとんどありません。まあ、これはこれで独特の雰囲気があります。
僕はこの2か月間、主にこのエリアで練習を積んできたので、コースは熟知しています。

スタートから2時間半を走ってきました。
汗が目に入ってきます。気温は25度を超えていると思います。日差しも容赦なく照り付けてきます。

両足にしびれを感じるようになってきました。

30キロ地点を通過です。
この5km、27分29秒です。
息が上がり、脚の重さを感じるようになってきました。
ここから先は、1年ぶりに経験する30キロ越えゾーンに突入です。

●苦しいレースに

右脚ふくらはぎに軽い痙攣が出てきました。体力は、もうそんなに残っていないように感じられます。
ゴールまで、残り1時間半です。この痙攣と付き合いながら残り10キロ以上を走り切るのは難しそうです。

「うーん・・・、今日のレースは失敗か・・・」

弱気の虫が顔を覗かせます。

いったん立ち止まって右脚のストレッチをすべきか、このまま誤魔化しながら走り続けるか、しばらく悩みました。
立ち止まってしまったら、そこで心が折れてしまいそうな気がします。
走り続けることにしました。多少ペースが落ちても構いません。



31キロ地点、前方にYファミリーの姿が見てきました。
励ましてもらいます。
Yから事前に頼んでおいたバナナ1本を受け取り、栄養補給です。
程よく熟していて、美味いです。
軽く噛んだだけで体内に吸収されます。栄養補給はこれで十分です。

気分を切り替えて、再び走り始めます。
しかし、今度は左足の甲にピリピリとした痛みを感じるようになってきました。
これで左右両方の足に痛みを抱えてしまいました。これはいけません。
痛みが爆発しないように、歩幅を小さくすることにしました。

右手に、ゴール地点の国際会議中心が近くに見えてきました。
ここから東側に折り返してゴールから離れ、4キロ先でもう一度折り返して戻ってきます。

32.5キロの給水所で、2度目の痛み止めを飲みました。

「頼む・・・。効いてくれ・・・」

祈りながら走ります。

残り10キロになりました。
なかなか体が言うことを聞きません。あと10キロもあるのです。
呼吸の乱れが大きくなってきました。暑さの影響もあるでしょう。これは厳しいレースになりました。

「ちょっと歩くか・・・、一度止まるか・・・」

再び弱気の虫が顔を出します。
いや、ここで止まったら終わりです。一生の恥です。
自分に負けたことになります。

逃げてはなりません。
ここまでくると、もはや体調の良し悪しなど関係ありません。精神力の勝負です。
ここは自分と向かい合わなければなりません。
腕を振り、脚を運びます。明らかにペースが落ちました。

時計を確認します。
3時間50分を切るのは無理ですが、このまま走るのを止めなければ、目標の4時間は何とかクリアできそうです。

気持ちを切らさずに、狙いを定めます。

「行ける・・・行けるぞ・・・。体調が悪くても、練習不足でも、気持ちで克服できる・・・」

35キロ地点を通過です。
この5キロ、29分59秒です。

「はあ、はあ」
荒い息遣いがはっきり音になって出てきます。

給水所では、両手に紙コップを取ってのどに流し込みます。
スポーツドリンクの甘みがひときわ強く感じます。
この辺りは道幅が広く、日影がありません。5月下旬の強い日差しが容赦なくスタミナを奪っていきます。

1キロごとの距離標示が待ち遠しくて仕方ありません。1キロがかなり長く感じるようになってきました。

●ごまかす

音楽のボリュームをひとつ上げました。
イヤホンを耳に押し込みます。
去年と同じように、ここは疲れと痛みを誤魔化すために音楽に意識を集中することにしました。

この曲はPSY・Sか。就職試験の勉強中に聴いたな・・・。一度ライブを観てみたかったな・・・。
これはスティーリー・ダン・・・。今聴いてもカッコいい都会的なサウンド・・・。
イン・エクセス・・・、誰にも似ていないザラつきのあるソリッドな音。このバンドも一度観てみたかったな・・・。

さながら、音楽評論家にでもなったような解説を脳裏で展開します。
今、自分は走っているのではない。音楽を楽しんでいるのだ・・・。そういう時間なのだ.・・・。自分に言い聞かせます。

前方に海が見えてきました。最後の折り返し地点です。
再び西に進路を取ります。
ここから先は、ゴールに向かってまっすぐ走るだけです。

汗が容赦なく目に流れ込んできます。痛みで目が開けられません。

ほどなく、遠くに国際会議中心が視界に入ってきました。あれが待ち望んだゴールです。
しかし、ここからゴールまでの距離は4キロ以上あります。油断してはなりません。
脚はことのほか重く、自分の脚ではないようです。

周囲のランナーが自分の脇から追い抜いていきます。

●粘り切れるか

残り30分弱です。
時計を確認します。
ペースは落ちていますが、幸いなことに、左足甲の痛みは和らいできました。痛み止めが効いてきたようです。

気持ちを切らさずに、ゴールを睨みつけて腕を振り、足を運びます。
再び、容赦ない日差しが体力を奪います。

国際会議中心は、なかなか近づいてきません。

「くそう・・・、まだか・・・まだか・・・」

40キロを通過です。
この5キロ、31分53秒です。

明らかなペースダウンです。
しかし、もはやどうすることもできません。現実を受け入れるしかありません。
構いません。このままのペースでも、足を止めることをしなければ、4時間には届きそうです。

奥歯を強く噛みしめ、腕を振って前を目指します。
もう、レースの9割以上は終わったのです。
残り10分ちょっとです。

最後の給水所はパスすることにしました。

もう体力は残っていません。幅広い路面から最短コースを探り、最も効率的な走りを意識します。

ゴールが近づき、再び沿道の応援が多くなってきました。
しかし、高揚感は上がってきません。
前回のレースでは最後にペースを上げることに成功しましたが、今回は違います。もう体中のどこを探しても力が残っていません。

早く終わりたい、その一心です。

国際会議中心を回り込み、ヒルトンホテルを右折すると、ゴールゲートが目に入ってきました。

「ああ、終わりだ・・・、やっと終わる・・・」

それでも1秒でも縮めたいと思います。腕を振ってできる限り歩幅を伸ばします。
苦悶で顔が歪みます。

ゴール手前、再びYが駆け寄ってきました。
しかし、もはやYの声援に応える余裕はありません。
後から聞いたのですが、このゴール付近では、Y以外にも数名が僕の応援をしてくれていたそうです。しかし、まったく気が付きませんでした。周りに気を配る余裕がなかったのだと思います。



ゴールゲートの時計が見えました。3時間57分台を示しています。
何とか間に合いそうです。

拳を握りしめ、天を仰ぐようにゴールしました。
空には初夏の抜けるような青空が広がっていました。

◆第29回大連国際マラソン
2016年5月22日(日)晴れ 26度

05km 0:27:42
10km 0:54:18 (26:37)
15km 1:20:50 (26:33)
20km 1:47:40 (26:51)
25km 2:14:46 (27:06)
30km 2:42:14 (27:29)
35km 3:12:13 (29:59)
40km 3:44:05 (31:53)
Finish 3:57:41 (13:37)

なんとか成功しました。今回も走り切りました。フィジカルもメンタルも、ギリギリでした。
フルマラソンは生涯9回目の挑戦でしたが、5番目の記録でした。このコンディションにしては、十分満足のいく成績です。
立ち止まっていてもまったく不思議のないレースでした。よくぞ折れずに最後まで走りきれたものだと思います。
レースを重ね、精神力が養われてきたのでしょうか。これはわかりません。
しかし、いいコースでした。レースの運営も抜群に良くなりました。
コース選定から細かいレース運営まで、ランナーの視線がよく反映されていると思いました。専門家の参画があったのでしょう。

昨年までの大連国際マラソンの運営は、決して褒められたものではなく、「国際」を謳うには疑問を感じるところもあったのですが、今年は格段にレベルアップしました。これならば世界から選手を呼んでも恥ずかしくないレベルです。

これを中国最後のレースにしようと思っていましたが、またチャンスがあれば挑戦してみたい、そう思わせるレースでした。

大連生活の最後に、いいレースができました。
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「孤高の天才」プリンスの訃報

2016-04-24 | その他
今週、米国のミュージシャン・プリンスが急死したというニュースがありました。

57歳です。
出勤前にネットで見つけた突然の悲報に、目を疑いました。
先日、デヴィット・ボウイが亡くなったときにも喪失感を受けましたが、今回はそれを大きく上回るインパクトでした。

ちょうど先週末のことです。
スマホをいじっていたら、偶然にも80年代後半の彼のライブ音源を発見しました。日本未発売のお宝音源です。
試しに数曲聞いてみたら、会場の興奮が伝わってくる素晴らしいサウンドでした。
改めてプリンスの天才ぶりを思い知り、この1週間ヘビーローテーションしていたところでした。

プリンスは、僕の音楽人生に最も大きな影響を与えたミュージシャンです。
出会いは1984年、中学3年の頃です。
彼の最大のヒット作となったアルバム「Purple Rain」です。

ワム!やデュラン・デュランのようなキャッチーでメロディアスなニューロマンティックが全盛だった時代です。
僕もそっち派でしたので、当初はそれほどプリンスの音楽に興味はありませんでしたが、当時の音楽評論家は誰もがプリンスを絶賛していました。
萩原健太とか渋谷陽一とか、そういう人たちです。

背伸びしたがりの田舎小僧だった僕は、それほど専門家から評価されている音楽なら、自分も分かった風に振る舞わないとカッコ悪いのではないか、という思春期特有の自尊心から、好きでもないのに無理をして聴き込んだものです。

プリンス作品の受け止め方が変わってきたのは、次作の「Around the World in a Day」(1985年)です。


「Around the World in a Day」(1985年)

大ヒットした前作から作風がガラッと変わり、サイケデリックなアプローチを見せました。

ふつう、大ヒットの後というのは二匹目のドジョウを狙って似たような作品を送り出すものです。
しかし、プリンスはそうではありませんでした。

その次作、「Parade」(1986年)ではさらに進化したサウンドを披露します。


「Parade」(1986年)

先行シングルの「Kiss」は、それまで聴いたことのないスカスカな音のファンクでした。それでも全米1位に支持されます。
1枚のアルバムに収められたバラエティ豊かな9曲が、組み立てられた1曲のように聴こえてきたのは、これが初めてのことでした。

プリンスは休む間もなく怒涛のように意欲的な作品をリリースしていきます。
その翌年の2枚組アルバム「Sign of the times」(1987年)ではさらに新しい面を見せつけます。


「Sign of the times」(1987年)

どのアルバムが本当のプリンスなのか、よくわかりません。
リスナーの期待や予想など無視しているかのような独走状態です。

この辺りから僕の音楽の聴き方、趣向が変わっていきました。

これまで聴いてきたアルバムの中で好きな10作を選ぶとすれば、この3作は必ず入ります。
今聴いても、新鮮に感じます。

プリンスは、マイケル・ジャクソン、マドンナと同年生まれで、しかも3人とも米国で出生地が近かったということでも知られています。

日本での知名度では、マイケルやマドンナにはどうしても劣りますが、世界の音楽界に与えた影響は、この人が最大でしょう。
それぐらい独創的で、個性的でした。

僕はプリンスのファンとして知られる岡村靖幸やスガシカオの曲も好んで聴いています。
彼らが作り出すサウンドにも、プリンスの影響が随所に感じられます。

プリンスの作り出す音楽は、唯一無二で誰にも似ていませんし、誰の協力も得ていません。

マイケルの才能を見出したクインシー・ジョーンズ、マドンナの魅力を引き出したナイル・ロジャースのような引き立て役はいなかったのです。

プリンスはいつも1人でした。全部自分自身で作り出してきました。

しかし、90年代後半以降、プリンスはヒットシーンから姿を消していきます。
リスナーに飽きられたのか、時代が彼の進化に付いていけなくなったのかはわかりません。

ラジオから彼の曲が流れてくる機会がぐっと減りました。

それでも彼は毎年作品を世に送り出します。
セールスに関係なく、実験的な作品を発表し、世の中に問い続けました。

バングルスに提供した「Manic Monday」(1986年)やシンニード・オコナーに提供した「Nothing compares 2 U」(1990年)などのヒット曲から分かるように、彼は元々から才能豊かなメロディ・メーカーです。
リスナーに寄り添って売れ線の曲を作り続ければもっとヒット曲を輩出することができたでしょうし、商業的にも成功できたと思います。

また、マイケルやマドンナのように他人のプロデュースを受けていたら、さらに違った魅力が見られたかもしれません。
でも、彼はその道は選びませんでした。

まさに孤高の天才だったのでしょう。
オバマ大統領もコメントしていましたが、「現代で最も才能豊かな音楽家の一人」です。
世界の音楽界は大きな財産を失いました。

57歳・・・。早すぎた栄光・・・。
プリンス本人にとっては、どんな人生だったのでしょうか。

やがて、プリンスの音楽が再評価される日が来ると思います。

僕は一生、プリンスの音楽を聴き続けます。
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あの日から5年

2016-03-11 | その他
今日で、あの大震災から5年を迎えます。

早いものだな・・・。
という感想が偽らざる気持ちです。

しかし、それは僕自身がたいして大きな被害を受けずに済んだからなのかもしれません。

5年です。
当時の状況を思い出し、その後苦労された色んな方々のことを想像しなければならない節目です。

冷静に、5年前の当日のことを思い出してみます。

僕は都心で仕事をしていました。金曜日の午後でした。
翌週に大型イベントを控え、準備に追われていました。

突然の強く長い揺れ、おびえてパニックになる同僚、倒れてくる書棚、どこからか溢れてくる水、断絶された通信網、マヒした交通網、深夜に歩いて帰った道、スーパーから消え失せた食品類・・・。

結局、計画していた大型イベントは中止になり、始末に追われました。

今落ち着いて思い返してみると、大変な修羅場です。
命があっただけ、ありがたいと考えなければなりません。

揺れのない外国の生活の中で、うっかり忘れてしまいそうです。
被災地の復興を、今も苦しんでいる方々の解放を心から祈り、自分も努力します。


(地震のない大連市街の光景を眺めながら、あれこれ思いを巡らせました)
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美術館のような家 - 作者不明ですが・・・

2016-03-07 | その他
先日、とある中国人の知人が、

「友人の自宅に呼ばれているので、一緒に行かない? あなた、たしか美術に関心があったよね。きっと面白いから」

というので、出掛けてみました。

郊外の海辺に建つ豪華な3階建ての一軒家です。
ちなみに、僕はこの「知人の友人」とは面識がありません。どんなビジネスをやっている人かも知りません。

ただ、玄関に到着して見た家の造りやセキュリティ環境から考えると、この家主がただならぬ金持ちであることは間違いなさそうです。

どうやら、この「知人の友人」は骨董品や美術品を集めているようです。

家に入ると、驚くような豪華絢爛な内装に目が眩みます。


(超豪華なダイニングです)

聞いてみると、この一軒家の購入に1,500万元、内装に1,500万元かけたそうです。
つまり、約6億円ということです。

住み込みのお手伝いさんもいるそうです。
すごいバブリーぶりですね。

笑顔で我らを迎えてくれた家主は40代後半の男性です。
彼はふくよかな腹をさすりながら、こう言います。

「やあやあ、よく来てくれたね。どうだい、この家は? まあ、家の中を案内するから、見て行ってよ」

案内に従って家の中をめぐると、そこかしこに数多くの骨董品や美術品が飾ってありました。さながら、美術館のようです。

中国の工芸品や仏像もあれば西洋絵画、日本の古美術もあります。新しいものもあれば古そうなものもあります。
バラエティに富んでいますが、どれも高価そうなものばかりです。


(階段の壁面にもこんな感じで西洋絵画が並びます)

家主の書斎で、この小さな絵画に目が留まりました。



聖母マリア像です。

うつむいて手を合わせていますので、「無原罪の御宿り」のシーンでしょうか。

忠実な写実性と精緻な筆遣いから、ルネサンス後期のイタリアの宗教画と推測しました。
この辺りが僕の絵画趣味のストライクゾーンです。

まさか大連の民家でこんな絵に出会えるとは思いませんでした。

しばし立ち止まって注目します。

家主は僕に語りかけてきます。

「この絵が気に入ったのかい? いい絵だろう? これは、ベルギーのオークションで買ったんだ。1540・・・40何年の作品だったかな。イタリア人の絵だ。落札価格は70万元ぐらいだったかな」

これはお宝です。
16世紀半ばのイタリア絵画といえば、マニエリスムの時代です。
ティントレットやヴェロネーゼ、ティッツィアーノなどの巨匠が活躍した時代です。

しかし、この絵は見たことがありませんし、作者もわかりません。

「へえ・・・作者の名前は?」

「うーん、なんていったかな? イタリアの難しい名前だったので、忘れたな。6人で競り合って、買ったんだ」

この家主、70万元(約1,400万円)も払って買った絵の作者さえ覚えていません。信じられません。

フィーリングだけで買ったのではないかと思います。

その後も、見せてもらった絵画の作者を尋ねてみましたが、ことごとくハッキリしない回答です。
彼が答えてくれるのは、オークションが行われた場所と落札金額だけです。

「どこどこで○十万元で落札した。いい絵だろう?」

こんな感じです。これで説明は終了です。



このバロック初期のものと思われる聖家族像については、

「うん、これは大きい絵だけど、大して高くなかったよ。50万元。パリだったかな」



この2人の子どもが描かれている作品はとても高かったそうですが、やはり作者は知らないそうです。
どことなくノーマン・ロックウェルを彷彿させるユニークな作風ですが、19世紀の米国絵画でしょうか。

・・・とにかく、もやもやします。
歴史的な価値のある絵画でありながら、作者名も制作年も作品の背景もわからない・・・。

あまりにお金がありすぎて、使い道に困っているのでしょうか。
このクラスのお金持ちの金銭感覚は、僕のような庶民には永遠に理解できないと思います。

何ともうらやましいことです。
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ボーイング787 - 初搭乗しました

2016-02-12 | その他
遅ればせながら、ボーイング787に搭乗してみました。

大連発成田行きのJL828便です。
直前の予約になったことが却って幸いしたのか、プレミアムエコノミーの席に案内してもらえました。


(こんなに広いです。足を伸ばしても届きません)

いやー、787・・・快適です。子どもみたいにワクワクします。

座席の角度や位置は細かいところまで自分の思い通りの形にカスタマイズすることができます。


(このコントローラーを使って座席を調節します)

モニターもかなり大きいサイズです。


(コントローラーはこんな小型サイズ)

窓は電子シェードです。


(このボタンで明るさを調節すると・・・)


(窓が明るくなったり暗くなったりします)

帰路は普通のエコノミークラスでしたが、それでも十分ゆったりです。

トイレもウォシュレットでした。
大連-成田間なら3時間にも満たない短いフライト時間ですから多少狭くても苦になりませんが、米国や欧州の路線に乗ることがあれば、ぜひ787を選びたいものです。


(空の上も飲んだくれます)


(復路で見えた景色。朝鮮半島の東側です)
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