Senkaku Library 尖閣ライブラリー

尖閣諸島は日本の領土である動かぬ証拠

米琉球政府統治下の尖閣諸島

2012-11-25 | 魚釣島の歴史

1952年2月10日美國歸還北緯29度以北吐噶喇群島給日本。

1953年12月25日美國將奄美群島歸還日本,並以布告予二十七號公布「琉球列島之地理境界」。

1954年美軍日本地圖將尖閣群島劃在舊金山和約美國托管區內。





1956年美軍西表島地圖將釣魚台劃入日本領土




戦後、沖縄県は日本の行政権から外され、米国の占領下に置かれた。

1955(昭和30)年10月 米軍は久場島(黄尾嶼)を演習地として使用
1956(昭和31)年4月11日 大正島(赤尾嶼)を米軍演習地として使用
1958(昭和33)年 高等弁務官布令20号に基づき、米軍、久場島を軍用地に指定。
         古賀善次氏と米軍との間に、地料契約が結ばれる。
1961(昭和36)年4月11日 石垣市は土地借貸安定法に従い、土地等級設定のため、係員11名が渡島。

1968(昭和43)年 米民政府は不法入域を取り締まるため、尖閣諸島海域の軍用機による哨戒を開始。
         琉球政府も巡視船による定期パトロールを実施。


1969(昭和44)年5月、琉球政府は尖閣諸島に標杭を建てた。

島上的地名地標



-------------------

美國托管時期設於魚釣島千疊岩警告牌

1970(昭和45)年、琉球政府は、魚釣島、北小島、南小島、久場島、大正島の5島に、琉球列島以外の居住者が高等弁務官の許可なく、これらの島嶼に入域することを禁ずる「領域表示板」を建てた。
また、これとは別に、1969(昭和44)年、石垣市が上記5島に地籍表示のための標柱を建立した。






最新の画像もっと見る

コメントを投稿