Senkaku Library 尖閣ライブラリー

尖閣諸島は日本の領土である動かぬ証拠

古賀村の人々

2012-11-23 | 魚釣島の歴史
古賀辰四郎らは、魚釣島だけではなく、尖閣諸島の他の島々にも生活の基盤をつくり、「古賀村」として集落が存在していたことがわかっている。

黃尾嶼(久場島)的古賀村





南小島



明治時期魚釣島西北部和平山事務所



魚釣島上綻放的百合花




古賀辰四郎(攝於島上鰹節工廠)
これが古賀辰四郎の写真として、唯一残っているもの














1918年(大正七年)古賀辰四郎在釣魚台的事業,由其次子 古賀善次繼承
1926年(昭和元年)無償租借期滿,古賀善次開始向日本政府繳納租金

1932年,古賀善次再向日本 政府申請購買售已列入日本政府國有土地的釣魚台島、黃尾嶼、南小島、北小島等四島,該四島乃成為古賀善次的私有地,古賀善次依照日本政府的土地稅法,每年向日本政府繳納土地稅。


1895(明治28)年に、尖閣諸島は日本領土として編入された。
1896(明治29)年、魚釣島と久場島は八重山郡に編入され、南小島、北小島と合わせて国有地に指定された。

同年9月、政府は魚釣島、黄尾嶼(こうびしょ。久場島を指す)、南小島、北小島を30年間、無償で古賀辰四郎に貸与することを決定する。30年間の無料貸与期間後は、1年契約の有料貸与となる。

1932(昭和7)年、尖閣諸島は、古賀辰四郎の息子、古賀善次に払い下げられ、4島は古賀善次の私有地となった。
以後、古賀善次氏は毎年、日本の土地税法に基づき、政府に土地税を支払っている。


魚釣島の謄本


古賀家魚釣島的推薦書


国の各期間や沖縄県も、たびたび尖閣諸島の実地調査を行うようになり、その成果は地図や海図に反映された。あさらに資源調査、地形調査、気象測候所調査などの各種の調査も実施されている。


古賀村の人々
前列中央が、古賀善次氏。



尖閣諸島には、移民が次々に移住し、アホウドリの羽毛の採取、海鳥の糞の採掘、水産加工業などの事業を行い、太平洋戦争が激しくなるまで、300人近い島民が居住していた。

この間、日本の主権行使について、どこの国からも、一度たちろも抗議がきたことはなかった。


昭和15年、戦争の激化により油の配給などが途絶えたため、古賀一族と従業員は、一時的に那覇や石垣島に引き揚げ、戦後、無人島となった。
しかし、アメリカの管理下においても、古賀家は固定資産税を沖縄に払い続け、土地の所有権は認められていた。

戦後の米国占領下においても、米国民政府下の琉球政府が、実効支配の多くの業務を行っていた。





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