博多祇園山笠・櫛田神社・

2012-07-11 | 歴史、文化

所用で博多え、櫛田神社参拝

飾り山笠、豪華絢爛、

 

 

 

 

 

 

        櫛田神社正面

 五葉木瓜の神紋章

歴史『ウィキぺディア』より

社伝では、天平宝字元年(757年)、松阪にあった櫛田神社を勧請したのに始まるとされ、松坂の櫛田神社の祭神の大幡主神が天照大神に仕える一族の神であったことから、天照大神も一緒に勧請されたと伝えられる。天慶4年(941年)、小野好古が藤原純友の乱を鎮めるために京都の八坂神社に祈願し、平定した後に当社に素盞嗚神を勧請したと伝えられる。

他に、平安時代末期、平清盛が所領の肥前国神埼の櫛田神社(櫛田宮)を、日宋貿易の拠点とした博多に勧請したものであるとする説があり、櫛田神社の宮司らが編纂し1965年昭和40年)に文部省(当時)に提出した『博多山笠記録』や1979年(昭和54年)に福岡市が発行した『福岡の歴史』はこの説を取り上げている。しかし、それは同市早良区の櫛田神社のことであるという反論もある。(

※鳥居の扁額には櫛田宮と彫刻されている。(写真ご参照)

清道の幟は、この櫛田神社境内にも立てられていますが

 

上記「承天寺」前にて撮影、清道、これは山笠発祥の地とされていて承天寺、「菊の御紋」の御門、近隣のビルは、この寺院に向けて正面玄関が設置されている。   今日この聖地へ上記御門右横に石碑があり当院の境内に入れる御門があるのですが、そこに

そこに数人の若衆タバコを吸いながら時々大声で笑うなどしていて、山笠関係者の法被は着用していなかったが、草履(赤白)を履いておられたので関係者と思えたが、内外から観光客も多々見えておられ、この種のマナーは、戴けないと思った。特に清道前、

この清道を全舁山が来て周り疾風してゆく、これを見て感動しない人はいないだろう。

国重要無形文化文化財を示す石碑「櫛田神社」内

 

 

 


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