糟屋屯倉~古代史への道しるべ

2013-08-30 | 歴史、文化

古賀市史跡案内V活動(至:ゆい→ししぶ歴史公園→鹿部山→古賀市歴史資料館)

「ゆい」で午前中歴史座学、講師を務める。タイトルは糟屋屯倉~副題は~古代史への道しるべ

本題に入る前に今甲子園球場で全国高校野球選手権大会開催されている、甲子園の発祥由来

及び野球にまつわるアラカルト話を約60分、

甲子園:1924年開発された、陰暦では”きのえね?にあたり甲子(園)となった。

大昔から西暦1550年頃以降武庫川が氾濫しその後申川、枝川が支川となった、明治になり阪神間の国道の必要性及びこの川の氾濫の改修工事、市民のレクレーション施設の要望から阪神電鉄が当該地域の土地を買い上げその代金を改修工事に充てた。

2つの河川を埋め立てた最初に交わったあたりに運動場をつくられこれが後「甲子園」となった。今年で高校野球は95回大会であるが甲子園の歴史はそれより少ない、最初は鳴尾球場などで大会が開かれた。今では、当然阪神タイガースの本拠地であり

全国高校野球(夏、春)選手権大会の会場であり多くの名勝負が

展開され汗と涙と感動の場所であります。

写真はNHKTV提供(2)

アルプス席の由来、岡本太郎氏、の父一平氏(太郎氏と観覧、席が真っ白アルプスの山の様だと叫んだ、一平氏は翌日の新聞に漫画で掲載)それからそこがアルプスとなった。

野球に関心のない人には、感動的な話しやル―ルを話してもピ―ン来ないのか、眠ってる人もいた。

ホームベースのサイズ、ex,ピッチャーの投球スピード、150k/H、ピッチャーからホームベースまでの長さ、など

ホームベースからホームランの最短距離、レフト、ライト、センター、この頃の野球中継のアナウンス、

右方向、左方向、などと打球の方向性をアナウンスしている、センター方向は、中方向と言わない。

野球はPCと同様アメリカから渡ってきた、英語がメインになっている。(アナウンサ―もっと野球の知識を習得して)

?糟屋の屯倉

古墳時代の考証

花鶴川河口は昔”潟湖?で現在の川幅より相当広がりがあり、大陸との往き復えりの港として(交易)

栄えていたと考察、この田渕遺跡横まで川で繋がっていた、

ししぶ駅前に設置されている古賀市のMAP

 

糟屋の屯倉:ミ=接頭語、ヤケ*宅・家の転・倉庫の意・

「大和朝廷の直轄領から収穫した稲米を備蓄する倉・転じて朝廷の直轄領、宮家,屯宅、三宅、などともかく」とある。

鹿部田渕遺跡は古賀市鹿部土地区画整理事業に伴い発掘がおこなわれ、大型建物の柱列群が発掘され、これが日本書記に記載されている継体天皇22年(西暦582)の磐井の乱に敗れた磐井の子、葛子が献上したミヤケではないこと云う設があり、新町名の美明は「屯倉」の響きをかけ、美しく明るい未来へ伸びる街をイメージした、歴史性と発展性を合わせもった名前である。

遺跡は平成21年7月に県文化財の指定を受け、平成22年には建物は保存整備され歴史公園として残されることとなり現況のとうりである。

 

JRししぶ駅前にある史跡モニュメント:近くの永浦古墳から出土した甲冑(5世紀のもの)など

鮒はこの地の一面に鹿部大池があったが今は埋め立てられた。この池の蓮も

蜻蛉、鶯、貝など古代人がこの沿岸に棲みついた頃は4~5世紀か、朝鮮半島から渡来した海人

集団だったと、このあたりは稲作と池があり、鹿など動物も多く、自然環境に恵まれた温かい天候で

あったと考察される。

 

ししぶ山山頂、53mだけどみなさん猛暑のおりよく頑張りました。現地ガイド風景

山頂から花鶴団地を視る、遠く相島、玄界の海も、

古賀市歴史資料館「石ぶみのつぶやき」企画を見学する。来場者、

歴史資料館で来場者2000人を越えて大盛況との由、良かった。古賀市史跡案内Vが日曜日2名づつ会場に詰めた。

お盆明けと連日猛暑で受講者心配されたが、それは余計な心配でした。

 古賀市史跡案内ボランティア:新田 昌彰

 


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