素材抜粋
2004/02/16
日本の社会保障
広井 良典著
岩波新書 2003年 第9冊
こうした視点で見ると、再び現在の日本における社会保障についての議論は、あまりにも表
層的であることを痛感せざるを得ない。現在政府の審議会などでさまざまな議論は行われてい
るが、医療保険は医療保険、年金は年金、という具合に、医療、福祉、年金等といった社会保
障の個別分野がバラバラに論じられ、全体としてどのような社会保障の姿を選びとるのか、と
いう議論やビジョンがほぼ不在の状況となっている。
いずれにしても、いま何よりも必要なのは、社会保障の全体を視野に入れた上で、医療、年
金、福祉といった各分野における真に望ましい「公私の役割分担」の姿を明らかにし、それら
を踏まえて、これから選びとるべき社会保障の全体像に関わる基本的な選択肢を設定し、議論
を深め、選びとっていくという作業に他ならない。
このような問題意識に立った上で、本書では、特に次の三つの点に留意しながら議論を展開
していきたい。
第一は、「原理に遡った考察」ということである。社会保障の問題は、考えていくと、自ず
と「公平、平等とは何をもって言えるか」、「個人の生活の保障において、国家が果たすべき役
割はどこまでか」といった哲学的とも言えるテーマに行き着かざるをえない。
幸か不幸か、経済成長による「パイの拡大」が当然の状況であった戦後の日本においては、
パイの拡大自体が多くを解決してくれたため、こうした問題を考えなくともそれなりに対応で
きた。
しかし経済が構造的な低成長期に入り、また高齢化が急速に進む中で、富の「再分配」のあ
り方、つまり「所与のパイをどう分けるか」が前面に問われるこれからの時代においては、こ
うした原理原則に立ち返った議論をしなければ、事態は収拾のつかない紛糾に陥るか、さもな
くばひたすら問題を先送りして将来世代に赤字やツケを回す、といったことになりかねない
(その兆しは既に現れている、とも言える)。だからこそ、対症療法的でない、原理に遡った
考察が何よりも必要なのである。
第二は、「社会保障と経済とのダイナミックな関係」への着目である。
第三は、「グローバルな視点」である。
一般に社会保障は、個人が保険料を出し合って集団でリスクに備える、という「リスクの分
散」を基本原理とする「社会保険」と、税を財源とした「所得の再分配」を基本とする「福祉
(公的扶助)」とにさしあたり分けることができる。
社会保障は、産業化による「共同体の解体」そして大量の都市労働者の発生という新しい状
況の中で、それまで(農村)共同体が果たしていた相互扶助的機能を、人為的なかたちで国家
が代替するものとして登場した、と言ってもよいだろう。
こうした草創期の社会保険(ドイツのそれ)は、産業化ないし開発に向けての、文字通り国
家の「産業政策」としての役割を担っていた、と言うことができ、多分に「パターナリスティ
ック(国家保護主義的)な」性格を帯びていたと見ることもできよう。
モデル
失業保険や年金保険を柱とする社会保障政策が、他でもなく「ニューディール政策」の一環
として、つまり、年金を通じて高齢者の、失業保険を通じて失業者の、購買力を付与するとい
う「有効需要創出政策」ないし購買力付与政策として行われたことは、紛れもなくこうした社
会保障のケインズ政策的機能を示している。
こうした点を考慮すると、日本の経験は、ある意味で、「後発国家における社会保障制度設
計のあり方」という点で、欧米先進諸国の経験にはない独特の意味を有するものとなっている。
ここではわが国の社会保障システムの生成や展開を、制度そのものを切り離して分析・評価
するのではなく、その背後にある経済社会システムとの相互依存的かつダイナミックな関係に
着目し、一体のものとして考察する、ということに留意したい。
その意味では、ここでの分析は、近代経済学の分野で活発になりつつある「比較制度分析」
あるいは「経済システムの進化」といった視点と問題意識を共有するものとなっている。
すなわち、当時の文書においてこうした年金制度創設の趣旨として挙げられているのは、
「労働者の短期移動防止と長期勤労奨励→労働力の保全増強と生産力の拡充」、「国民貯蓄=
資本蓄積への寄与」、「軍需インフレの解消」という点であり、まさに年金制度創設は戦時政策
の一環として機能していたのである。
国全体のゴールが戦争遂行から「経済成長」へと変わっただけで、いずれにしてもその強力
な手段の一つとして「国民皆保険」というシステムが位置づけられていたことには変りがない、
とも言える。
ここで日本は、一階に基礎年金、二階に厚生年金(所得比例部分)という形で、まさに普遍
主義モデル(均一給付の基礎年金)とドイツ型社会保険モデル(職域中心の報酬比例年金)と
をドッキングさせたことになる。しかも、両者は財源的にも融合しており、さらに、基礎年金
部分はその財源が「三分の一は税、三分の二は保険料」となっている。
ある意味で、「ドイツ型モデルから普遍主義モデルへ」の移行の途上にあるのがわが国の年
金制度と言えるだろう。
およそ社会保障システムというものは、インフォーマルな扶助関係(特に家族)が産業化の進
展により希薄化・解体していくのを、フォーマル(公的)な制度によって代替ないし補完してい
くことに基本的な機能を持つものと言える。
こうした意味で、現在の日本が社会保障制度改革において直面している問題は、欧米諸国の
場合のそれ以上に困難な面を持っている。そうであるがゆえに、場当たり的な対症療法や問題
の先送りに終始するのではなく、次章以下で考えていくように、原理原則に遡った、明確な理
念を伴った改革が求められているのである。
成熟化社会における社会保障制度は
第一に、「市場」をベースとしつつ、それを補完/修正する制度として、第二に「個人」を
基本的な単位としつつ、個人と個人の自覚的なネットワーキングを支援する制度として構築さ
れるべきであろう。これは今後の社会保障の設計にあたってのもっとも基本的な理念となるも
のである。
基礎年金はそうした“損得論”とは無縁な、純然たる所得再分配の制度として位置づけられ
るべきであるし、かつ、この部分については現在以上のしっかりとした保障がなされるべきで
ある(特に今後急速な増加が予想されるひとり暮らしの女性高齢者等について)。
一方、「年金の所得比例部分」については、基本的に「リスクの分散」としての性格(この
場合、長生きのリスク)をもつものであるから、まず「税」ではなく「保険」での対応とすべ
きである。
つまり、「高所得の者が(高い保険料を払った見返りとして)高い年金を得る」という、「貯
蓄」的な機能に主眼を置いた所得比例型の年金制度(厚生年金の二階建て部分)を、強制加入
の制度として国家が行う根拠は小さいのではないだろうか。
いま求められているのは、医療、年金、福祉にわたる社会保障の全体を視野に収めた上で、
各々の分野における公私の役割分担のあり方を明らかにしながら、社会保障全体の最終的な将
来像についての「基本的な選択肢」を示し、議論を深めていく作業に他ならない。
しかしこうした点、特に具体的な社会保障改革の方向にかかわる部分は、最終的には様々な
議論を通じて国民一人ひとりが選びとり、また政治過程を通じて合意形成や意思決定が行われ
ていくべきものであり、「絶対にこれが正しい」というものがある、という性格の問題ではな
い。
それは何よりも、社会保障全体の姿として、最終的に「公」的に保障されるのはどこまでで、
どこからは「私」ないし自助努力の領域に委ねられていくことになるのかについての、基本的
な将来像が示されていない(あるいは、そうした「選択」を問う議論自体が行われていない)
ことにあると筆者には思われる。
むしろ「原理・原則」に立ち返った、政府の果たすべき役割についての基本的な議論が必要
となっている。こうした認識を踏まえ、社会保障全体についての、最終的に目指すべき将来像
についての「選択肢」を明らかにし議論を深め意思決定をしていく作業が何よりも求められて
いる。
閉塞感の根本的な原因は何か? 個々に挙げればキリがないが、もっとも本質的には、日本
が今後迎えていく高齢化社会ないし成熟社会についての積極的な展望あるいはビジョンが見
えない、ということに尽きると思われる。
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【投稿者コメント】
厚生年金の報酬比例部分について国家が行う必然性はもはやなくなっている、時代は先を行っていると考える。