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官僚制と組織論を考えるのに貴重な資料をご覧ください。
官と民の生きざまに対して示唆に富むことこの上ないです。
『失敗の本質―日本軍の組織論的研究』戸部良一 寺本義也 鎌田伸一 杉之尾孝生 村井友秀 野中郁次郎 中央公論新社
はしがき
たとえば日本の大東亜戦争史を社会科学的に見直してその敗北の実態を明らかにすれば、それは敗戦という悲惨な経験のうえに築かれた平和と繁栄を享受してきたわれわれの世代にとって、極めて大きな意味を持つことになるのではないか。
大東亜戦争史上の失敗に示された日本軍の組織特性を探求するという新たなテーマは、……
われわれは本書が、戦史に社会科学的分析のメスを入れた先験的研究となること、またわが国ではおそらく初めて組織論の立場から軍事組織を実証的に分析した本格的研究となることを期したが、むろん本書は完璧なものではありえない。
序章 日本軍の失敗から何を学ぶか
本書は、日本がなぜ大東亜戦争に突入したのかを問うものではないからである。
本書はむしろ、なぜ敗けたのかという問いの本来の意味にこだわり、開戦したあとの日本の「戦い方」「敗け方」を研究対象とする。
大東亜戦争における諸作戦の失敗を、組織としての日本軍の失敗ととらえ直し、これを現代の組織にとっての教訓、あるいは反面教師として活用することが、本書の最も大きなねらいである。
そもそも軍隊とは、近代的組織、すなわち合理的・階層的官僚組織の最も代表的なものである。戦前の日本においても、その軍事組織は、合理性と効率性を追求した官僚制組織の典型と見られた。
しかしながら、問題は、そのような誤判断を許容した日本軍の組織的特性、物量的劣勢のもとで非現実的かつ無理な作戦を敢行せしめた組織的欠陥にこそあるのであって、この問題はあまり顧みられることがなかった。
危機、すなわち不確実性が高く不安定かつ流動的な状況――それは軍隊が本来の任務を果たすべき状況であった――で日本軍は、大東亜戦争のいくつかの作戦失敗に見られるように、有効に機能しえずさまざまな組織的欠陥を露呈した。
結局、本書がめざすところは、大東亜戦争における日本軍の作戦失敗例からその組織的欠陥や特性を析出し、組織としての日本軍の失敗に籠められたメッセージを現代的に解読することなのである。
米軍の成功と日本軍の失敗とを分かつ重大なポイントとなったのは、不測の事態が発生したとき、それに瞬時に有効かつ適切に反応できたか否か、であった。
インパール、レイテ、沖縄は、日本の敗色が濃厚となった時点での作戦失敗の主要な例である。……。人間関係を過度に重視する情緒主義や、強烈な使命感を抱く個人の突出を許容するシステムの存在が、失敗の主要な要因として指摘される。
ここでは、組織の環境適応理論や、組織の進化論、なかんずく自己革新組織、組織文化、組織学習などの概念を用いて、日本軍の失敗の本質に関する総合的理論化が試みられる。
一章 失敗の事例研究
ノモンハン事件(昭和一四年五月~九月)は、当初関東軍にとって単なる火遊びにすぎなかったが、結果は日本陸軍にとって初めての敗北感を味わわせたのみならず、日本の外交方針にまで影響を与えた大事件となった。
関東軍第一課参謀辻政信少佐起案 「満ソ国境紛争処理要綱」
すなわち皇軍の伝統は打算を超越し、上下父子の心情をもって統合するにあり、血を流し、骨を曝す戦場における統帥の本旨とは、数字ではなく理性でもなく、人間味あふれるものでなければならない、との思想であった
これを聞いた磯谷関東軍参謀長は、数千の将兵が血を流した土地を棄てて撤兵することは統帥上なしえない、と主張し容易に納得しなかった。そこで中央部は、「要綱」を強制して関東軍の感情を刺激することを怖れ、「要綱」の実施を命ずる処置をとらなかった。関東軍の立場を尊重し、実施はあくまでもその自発的意思によるという従来の方法をとったのである。
大本営としては作戦終結の意思を持っていたが、統帥の原則として実際の作戦運用はできるだけ現地の関東軍に任せるべきであると考えていた。したがって、大本営の指導方式は、まず関東軍の地位を尊重して、作戦中止を厳命するようなことはせず、使用兵力を制限するなどの微妙な表現によって中央部の意図を伝えようとしたのである。
ソ連軍の攻勢の結果、多数の日本軍第一線部隊の連隊長クラスが戦死し、あるいは戦闘の最終段階で自決した。また生き残った部隊のある者は、独断で陣地を放棄して後退したとしてきびしく非難され、自決を強要された。日本軍は生き残ることを怯懦とみなし、高価な体験をその後に生かす道を自ら閉ざしてしまった。
当時の関東軍の一師団に対する検閲後の講評は、「統率訓練は外面の粉飾を事として内容充実せず、上下徒に巧言令色に流れて、実践即応の準備を欠く、その戦力は支那軍にも劣るものあり」というものであった。
また関東軍の作戦演習では、まったく勝ち目のないような戦況になっても、日本軍のみが持つとされた精神力と統帥指揮能力の優越といった無形的戦力によって勝利を得るという、いわば神懸り的な指導で終わることがつねであった。
情報機関の欠陥と過度の精神主義により、敵を知らず、己を知らず、大敵を侮っていたのである。
「日本軍の高級将校は無能である」 ソ連第一集団軍司令官ジューコフ
ミッドウェイは、短期間であったが連戦連勝を続けてきた日本軍側が初めて経験した挫折であり、太平洋を巡る日米両軍の戦いにおけるターニング・ポイントとなった。
劣勢な日本軍が米国海軍に対して優位に立つには、多少の危険をおかしても、奇襲によって自主的に積極的な作戦を行い、その後も攻勢を持続し相手を守勢に追い込み、「米国海軍および米国民をして救うべからざる程度にその士気を阻喪せしめ」るほかない。これが山本(連合艦隊司令長官)の判断であった。
ガダルカナル作戦は、大東亜戦争の陸戦のターニング・ポイントであった。海軍敗北の起点がミッドウェイ海戦であったとすれば、陸軍が陸戦において初めて米国に負けたのがガダルカナルであった。
作戦司令部には兵站無視、情報力軽視、科学的思考方法軽視の風潮があった。それゆえ、日本軍の戦略策定過程は、独自の風土をもつ硬直的・官僚的な思考の体質のままに机上でのプランを練っていく過程で生まれる抽象的なものであったが、
戦略的グランド・デザインの欠如
したがって、本来的に、第一線からの積み重ねの反復を通じて個々の戦闘の経験が戦略・戦術の策定に帰納的に反映されるシステムが生まれていれば、環境変化への果敢な対応策が遂行されるはずであった。しかしながら、第一線からの作戦変更はほとんど拒否されたし、したがって第一線からのフィードバックは存在しなかった。
大本営のエリートも、現場に出る努力をしなかった。
インパール作戦は、大東亜戦争遂行のための右翼の拠点たるビルマの防衛を主な目的とし、昭和十九年三月に開始された。
インパール作戦→作戦構想自体の杜撰さ
「私は盧溝橋事件のきっかけを作ったが、事件は拡大して支那事変となり、遂には今次大東亜戦争にまで進展してしまった。もし今後自分の力によってインドに侵攻し、大東亜戦争遂行に決定的な影響を与えることができれば、今次対戦勃発の遠因を作った私としては、国家に対して申し訳が立つであろう。」(第一五軍司令官牟田口)
東条の指摘した五つの問題点すべてについて綿密な検討を加え確信を得たうえでの決断であったのではない。軍事的合理性以外のところから導き出された決断がまず最初になされ、あとはそれに辻褄を合わせたものでしかなかった、と極言してもよいであろう。
つまり、いわゆるコンティンジェンシー・プラン(不測の事態に備えた計画)が事前に検討されていなければならなかった。ところが実は、この必要性の認識こそ第一五軍の作戦計画にまったく欠如していたものであった。
牟田口によれば、作戦不成功の場合を考えるのは、作戦の成功について疑念を持つことと同じであるがゆえに必勝の信念と矛盾し、したがって部隊の士気に悪影響を及ぼす恐れがあった。
ところが河辺は、「そこまで決めつけては牟田口の立つ瀬はあるまい。また大軍の統帥としてあまり恰好がよくない」と、中の命令案を押さえてしまった。ここでも、「体面」や「人情」が軍事的合理性を凌駕していた。
ことに後者は、インパール作戦開始前に何度か修正されてしかるべき体験を味わわされたにもかかわらず少しも改められず、先入観の根強さを示すとともに、組織による学習の貧困ないし欠如を物語った。また、「必勝の信念」という非合理的心情も、積極性と攻撃を同一視しこれを過度に強調することによって、杜撰な計画に対する疑念を抑圧した。そして、これは陸軍という組織に浸透したカルチュア(組織の文化)の一部でもあった。
ここに取り上げるレイテ海戦は、敗色濃厚な日本軍が昭和一九年一〇月にフィリピンのレイテ島に上陸しつつあった米軍を撃滅するために行った起死回生の捨身の作戦であった。
一〇月二〇日の「朝日新聞」は次のように報じた。
「我部隊は……敵機動部隊を猛攻し、其の過半の兵力を壊滅して之を潰走せしめたり」
しかし、実際には米軍艦艇の損害は、撃沈されたものは一隻もなく、損害空母一、軽巡二、駆逐艦二隻の計五隻のみである。……。ここで重要なことは、この日本側の戦果の過大評価が、あとで見るようにその後のレイテ海戦に大きな影響を及ぼすことになるという事実である。とくに、海軍は一六日の偵察によって、敵空母、機動部隊がほとんど無傷で健在であるのを確認したが、この事実を大本営陸軍部には知らせなかったのである。
栗田艦隊「反転」
いずれにしろ、各部隊およびそれらの間の不信、情報、索敵関係の低能力と混乱とが直接、間接に「謎の反転」とむすびついていることだけは確かであった。
「……連合艦隊長官としては、いくさに勝ち目がない泥田の中にますます落ちこんでしまうばかりだから、速やかに終戦に導いてくれと、直截に口を切ることは立場上ちょっとできなかった。」(豊田福武『最後の帝国海軍』)
策定されたのは、「乾坤一擲」「起死回生」「九死に一生」の捷号作戦(しょうごうさくせん)であった。
日本海軍が、一部の例外的な人々を別として、戦艦と巨砲による「艦隊決戦」を最も重視していたことは周知のとおりである。栗田艦隊旗艦の「大和」、「武蔵」はそうした思想のいわば成果であり結晶であった。
「作戦の外道」→特攻攻撃
大東亜戦争において硫黄島とともにただ二つの国土戦となった沖縄作戦は、昭和二〇年四月一日から六月二六日の間、……(日本軍)約八万六四〇〇名と(米軍)約二三万八七〇〇名とが沖縄の地で激突し、戦死者は日本軍約六万五〇〇〇名、住民約一〇万名、米軍一万二二八一名に達する阿修羅の様相を呈した。
北・中飛行場問題は、大本営、第一〇方面軍が第三二軍の実態掌握に努力を尽くさず、かつ国軍全般の戦略デザインに占めるべき沖縄作戦の戦略的地位・役割を一点の疑義もなく明確に示す努力を怠った点に、第一の発生原因が求められる。
第二の原因は、第三二軍の上級司令部に対する真摯な態度の欠如に求められる。たとえ上級統帥が麻のごとく乱れる事態があったにせよ、国軍全般の戦略デザインとの吻合を顧慮することなく、自軍の作戦目的・方針を半ば独立的に決定すすることは、軍隊統帥の外道としてきびしく指弾されなければならない。
二章 失敗の本質――戦略・組織における日本軍の失敗の分析
あいまいな戦略目的
日本軍の作戦計画は、一般的にかなり大まかで、その細部については、中央部の参謀と実施部隊の参謀との間の打ち合わせによって詰められることが通例であったといわれる。
しかし、レイテ海戦の場合には、ことは作戦目的とそれに基づく栗田艦艦隊の目標と任務に関する作戦の根幹にかかわる事柄である。
ノモンハン事件の際にも、陸軍中央部は関東軍の自主性を尊重するという形で結局作戦目的についての明確な意思表示を遅らせてしまった。
レイテ海戦の場合も、実施部隊の自由裁量性を許容する前提として、まず作戦目的に関する価値観の統一をこそはかるべきであったと思われる。
インパール作戦では、第十五軍がインド侵攻を作戦目的としたのに対し、その上級司令部であるビルマ方面軍、南方軍はビルマ防衛を意図するという形で意思の不統一があった。
台北会議における沈黙の応酬に典型的に見られるように、上級司令部と現地軍との間には、戦略思想の統一のための積極的な努力はほとんど払われなかった。
結局、日本軍は六つの作戦のすべてにおいて、作戦目的に関する全軍的一致を確立することに失敗している。
この点で、日本軍の失敗の過程は、主観と独善から希望的観測に依存する戦略目的が戦争の現実と合理的論理によって漸次破壊されてきたプロセスであったということができる。
本来、グランド・ストラテジーとは、「一国(または一連の国家群)のあらゆる資源を、ある戦争のための政治目的――基本的政策の想定するゴール――の達成に向かって調整し、かつ指向すること」である。(リデルㇵ―ト『戦略論』)
ここで強調されている論理は、ある程度の人的、物的損害を与え南方資源地帯を確保して長期戦に持ち込めば、米国の戦意喪失、その結果としての講和がなされようという漠然たるものであり、きわめてあいまいな戦争終末観である。
短期決戦の戦略志向
さらに開戦時の最高指導者である東条英機首相兼陸相も「戦争の短期決戦は希望するところにして種々考慮する所あるも名案なし、敵の死命を制する手段なきを遺憾とす」と述べていた。
日本軍の戦略思考が短期志向だというのは、以上の発言でも明らかなように、長期の見通しを欠いたなかで、日米開戦に踏み切ったというその近視眼的な考え方を指しているのである。
短期決戦志向の戦略は、前で見たように一面で攻撃重視、決戦重視の考え方とむすびついているが、、他方で防禦、情報、諜報に対する関心の低さ、兵力補充、補給・兵站の軽視となって現われたのである。
主観的で「帰納的」な戦略策定――空気の支配
戦略策定の方法論をやや単純化していえば、日本軍は帰納的、米軍は演繹的と特徴づけることができるであろう。
さらに厳密にいうならば、日本軍は事実から法則を析出するという本来の意味での帰納法も持たなかったとさえいうべきかもしれない。
日本軍の戦略策定は一定の原理や論理に基づくというよりは、多分に情緒や空気が支配する傾向がなきにしもあらずであった。これはおそらく科学的思考が、組織の思考のクセとして共有されるまでに至っていなかったことと関係があるだろう。
沖縄作戦の策定にあたって最後まで科学的合理性を主張した八原高級参謀が、日本軍は精神力や駆け引き的運用の効果を過度に重視し、科学的検討に欠けるところが大であると嘆じたのはまさにこのことをさしているのである。
これはもはや作戦というべきものではない、理性的判断が情緒的、精神的判断に途を譲ってしまった。
「全般の空気よりして、当時も今日も(「大和」の)特攻出撃は当然と思う」(軍令部次長小沢治三郎中将)
日本軍が個人ならびに組織に共有されるべき戦闘に対する科学的方法論を欠いていたのに対し、米軍の戦闘展開プロセスは、まさに論理実証主義の展開にほかならなかった。
ガダルカナルでの実戦経験をもとに、タウラ上陸作戦、硫黄島上陸作戦、沖縄作戦と太平洋における合計一八の上陸作戦を通じて、米海兵隊が水陸両用作戦のコンセプトを展開するプロセスは、演繹・帰納の反覆による愚直なまでの科学的方法の追及であった。
他方、日本軍のエリートには、概念の創造とその操作化ができた者はほとんどいなかった。
日本軍の最大の特徴は「言葉を奪ったことである」(山本七平『一下級将校の見た帝国陸軍』
狭くて進化のない戦略オプション
こうした日本軍の戦闘上の巧緻さは、それを徹底することによって、それ自体が戦略的強みに転化することがあった。いわゆる、オペレーション(戦術・戦法)の戦略化である。
こうした硬直的な戦略発想は、秋山真之をして「海軍要務令が虎の巻として扱われている」と嘆かせたほどであるが、昭和九年の改訂以後結局一度も改訂されず、航空主兵の思想が海軍内部で正式に取り上げられるチャンスを逸してしまった。連合艦隊参謀として実戦の経験も豊富な千早正隆は、「海軍要務令で指示したことが実際の戦闘場面で起きたことは一度もなかったといってよい」と述べている。
その意味で戦略は進化すべきものである。進化のためには、さまざまな変更(バリエーション)が意識的に発生され、そのなかから有効な変異のみが生き残る形で淘汰が行われて、それが保持されるという進化のサイクルが機能していなければならない。
牟田口司令官は、作戦不成功の場合を考えるのは、必勝の信念と矛盾すると主張した。
岡崎久彦によれば、「統帥綱領」のように高級指揮官の行動を細かく規制したものは、アングロ・サクソン戦略にも、ドイツ兵学にもなく、日本軍独特のもののようである。
いずれにしろ、こうした一連の綱領類が存在し、それが聖典化する過程で、視野の狭小化、想像力の貧困化、思考の硬直化という病理現象が進行し、ひいては戦略の進化を阻害し、戦略オプションの幅と深みを著しく制約することにつながったといえよう。
アンバランスな戦闘技術体系
陸軍に「ふ」兵器と名付けられた秘密兵器があった。……。これが世にいう「風船爆弾」であった。
「現地調達」という言葉が多用されたが、結局ロジスティック軽視の日本的表現であることが多かったのである。
英語の綴りは「logistic」。「記号論理学の」「兵站学の、物流の」といった意味。「ロジスティック回帰」などと言う場合は、前者の「記号論理学の」といった意味。「物流の」といった意味の場合は、「ロジスティック」よりも「ロジスティクス」と表現するのが一般的。ロジスティクス(logistics)は、「物流」「輸送」などといった意味の英単語。(Weblio)
人的ネットワーク偏重の組織構造
ノモンハン事件を流れる一本の糸は、出先機関である関東軍が随所で中央部の統帥を無視或いは著しく軽視したという事実であり、さらに、関東軍内部では、第一課(作戦)作戦班長服部卓四郎中佐、同ノモンハン事件主担任辻政信少佐を中心とする作戦参謀が主導権を握っていたという組織構造上の特異性である。
以上のような事実は、日本軍が戦前において高度の官僚制を採用した最も合理的な組織であったはずであるにもかかわらず、その実体は、官僚制の中に情緒性を混在させ、インフォーマルな人的ネットワークが強力に機能するという特異な組織であることを示している。
強い情緒的結合と個人の下剋上的突出を許容するシステムを共存させたのが日本軍の組織構造上の特異性である。本来、官僚制は垂直的階層分化を通じた公式権限を行使するところに大きな特徴がある。その意味で、官僚制の機能が期待される強い時間的制約のもとでさえ、改装による意思決定システムは効率的に機能せず、根回しと腹のすり合わせによる意思決定が行われていた。
そこ(日本的集団主義)で重視されるのは、組織目標と目標達成手段の合理的、体系的な形成・選択よりも、組織メンバー間の「間柄」に対する配慮である。
米海軍のダイナミックな人事システムは、将官の任命にも生かされていた。米海軍では一般に少将までしか昇進させずに、それ以後は作戦展開の必要に応じて中将、大将に任命し、その任務を終了するとまたもとに戻すことによってきわめて柔軟な人事配置が可能であった。この点、「軍令承行令」によって、指揮権について先任、後任の序列を頑なに守った硬直的な日本海軍と対照的である。米軍の人事配置システムは、官僚制が持つ状況変化への適応力の低下という欠陥を是正し、ダイナミズムを注入することに成功したのである。
属人的な組織の統合
近代的な大規模作戦を計画し、実施するためには、陸・海・空の兵力を統合し、その一貫性、整合性を確保しなければならない。
結局、日本軍が陸海軍共通の作戦計画として策定したのは、昭和二〇年一月二〇日決定の「帝国陸海軍作戦大網」が最初であった。
*なぜ「帝国軍」ではないのか。分裂の極み、統帥権が機能していない。
学習を軽視した組織
およそ日本軍には、失敗のというべき蓄積・伝播を組織的に行うリーダーシップもシステムも欠如していたというべきである。
「百発百中の砲一門、よく百発一中の砲百門を制す」(日本海海戦直後の東郷司令長官の訓示)
失敗した戦法、戦術、戦略を分析し、その改善策を探求し、それを組織の他の部分へも伝播していくということは驚くほど実行されなかった。
大東亜戦争中一貫して日本軍は学習を怠った組織であった。
……米第三艦隊参謀長ロバート・B・カー二―少将はレイテ島攻略を前にして次のように語った。
「どんな計画にも理論がなければならない。理論と思想にもとづかないプランや作戦は、女性のヒステリー声と同じく、多少の空気の振動以外には、具体的な効果を与えることはできない。」
(陸軍士官学校・海軍兵学校の)学生にとって、問題はたえず、教科書や教官から与えられるものであって、目的や目標自体を創造したり、変革することはほとんど求められなかったし、また許容もされなかった。
海軍の用語に、「前動続行」という言葉がある。これは、作戦遂行において従来通りの行動をとり続けるという戦闘上の概念であるが、まさに日本軍全体が、状況が変化しているにもかかわらず「前動続行」を繰り返しつつあった。
しかし、本来学習とはその段階にとどまるものではない。必要に応じて、目標や問題の基本構造そのものをも再定義し変革するという、よりダイナミックなプロセスが存在する。組織が長期的に環境に適応していくためには、自己の行動をたえず変化する現実に照らして修正し、さらに進んで、学習する主体としての自己自体をつくり変えていくという自己革新的ないし自己超越的な行動を含んだ「ダブル・ループ学習(double loop learning)」が不可欠である。日本軍は、この点で決定的な欠陥を持っていたといえる。
第六軍司令官は、辻参謀が勝手に第一線に行って部隊を指揮したりしたのは軍紀をみだす行為であって、責任をとって予備役に編入させるべきだと強く主張した。また、陸軍省人事局長も、この見解を支持した。しかし、参謀人事を掌握する参謀本部総務部長は、将来有用な人物として現役に残す処置をとった。
にもかかわらず、日本軍はその責任を問おうとしなかった。ノモンハンの事例に見られるように戦闘失敗の責任は、しばしば転勤という手段で解消された。
責任を問われなかった軍人たち
辻参謀・南雲長官・草鹿参謀長・福留中将・栗田長官……
三章 失敗の教訓――日本軍の失敗の本質と今日的課題
これら(失敗の)原因を総合していえることは、日本軍は、自らの戦略と組織をその環境にマッチさせることに失敗したということである。
零下三〇度になっても機能しうるようにつくられていた砲や機材は、高温多湿の熱帯では十分機能しなかったし、組織自体もアメリカ軍とジャングルを中心に展開する戦場にマッチしたものではなかったのである。(山本七平『一下級将校の見た帝国陸軍』)
……火力重視の米軍の合理主義に対し白兵重視のパラダイムを精神主義にまで高めていったのだろう。
一方、海軍の艦隊決戦主義は、日本古来の兵学を踏襲し、日本海海戦によって検証され、体系づけられた、といわれる。明治三八年の日本海海戦は、世界の海戦史上いまだかってない完全勝利であった。
日本軍は、米軍のように、陸・海・空の機能を一元的に管理する最高軍事組織としての統合参謀本部を持たなかった。
明治以来、陸軍はソ連を仮想敵国とほぼ限定し、作戦用兵は北満の原野を予想戦場とする大陸作戦に偏っていた。
一方海軍では、米海軍を仮想敵とし、戦艦軍を中心に輪形陣で太平洋を西進してくる米艦隊の遊撃を想定した。
これに対して日本軍は、大本営という統合部門を持ちながら、強力な統合機能を欠いたために、陸軍はソ連―白兵主義、海軍は米国―艦隊決戦主義という目標志向性の差を最後まで調整することができなかった。
それらの人びと(実務的陸軍の将校と理数系に強い海軍将校)がオリジナリティを奨励するよりは、暗記と記憶力を強調した教育システムを通じて養成されたということである。
組織は学習しながら進化していく。つまり、組織はその成果を通じて既存の知識の強化、修正あるいは棄却と新知識の獲得を行っていく。組織学習(organizational learning)とは、組織の行為とその結果との間の因果関係についての知識を、強化あるいは変化させる組織内部のプロセスである、と定義される。
学習棄却
より情緒的陸軍
既述のように組織が絶えず内部でゆらぎ続け、ゆらぎが内部で増幅され一定のクリティカル・ポイントを超えれば、システムは不安定域を超えて新しい構造へ飛躍する。そのためには斬新的変化だけでは十分でなく、ときには突然変異のような突発的な変化が必要である。したがって、進化は、創造的破壊を伴う「自己超越」現象でもある。
ガダルカナル戦では、海兵隊員が戦争のあい間にテニスをするのを見て辻政信は驚いたといわれている。
これに対して、日本軍には、悲壮感が強く余裕や遊びの精神がなかった。
およそイノベーション(革新)は、異質なヒト、情報、偶然を取り込むところに始まる。官僚制とは、あらゆる異端・偶然の要素を徹底的に排除した組織構造である。日本軍は異端を嫌った。
日本軍の最大の失敗の本質は、特定の戦略原型に徹底的に適応しすぎて学習棄却ができず自己革新能力を失ってしまった、ということであった。
日本軍が特定のパラダイムに固執し、環境変化への適応能力を失った点は、「革新的」といわれる一部政党や報道機関にそのまま継承されているようである。すべての事象を特定の信奉するパラダイムのみで一元的に解釈し、そのパラダイムで説明できない現象をすべて捨象する頑なさは、まさに適応しすぎて特殊化した日本軍を見ているようですらある。さらに行政官庁についていえば、タテ割りの独立した省庁が割拠し日本軍同様統合機能を欠いている。
事実、戦後の日本経済の奇跡を担ったのは復員将兵を中心とする世代であり、彼らが「天皇戦士」から「産業戦士」への自己否定的転身の過程で日本的経営システムをつくり上げたという指摘もある。(中村忠一『戦後民主主義の経営学』)問われているのである。
日本的企業組織も、新たな環境変化に対応するために、自己革新能力を創造できるかどうかが問われているのである。
文庫版あとがき
このような自己革新組織の本質は、自己と世界に関する新たな認識枠組みを作り出すこと、すなわち概念の創造にある。しかしながら、既成の秩序を自ら解体したり既存の組み替えたりして、新たな概念を作り出すことは、われわれの最も苦手とするところであった。日本軍のエリートには、教義の現場主義を超えた形而上的思考が脆弱で、普遍的な概念の創造とその操作化できる者は殆どいなかったといわれる所以である。
自らの依って立つ「概念」についての自覚が希薄だからこそ、いま行っていることが何なのかということの意味がわからないままに、バターン化された「模範解答」の繰り返しに終始する。それゆえ、戦略策定を誤った場合でもその誤りを的確に認識できず、責任の所在が不明なままに、フィードバックと反省による知の積み上げができないのである。その結果、自己否定的学習、すなわちもはや無用もしくは有害となってしまった知識の棄却ができなくなる。過剰適応、過剰学習とはこれにほかならなかった。
日露戦争から三六年後の一九四一年、わが国は既存の国際秩序に対して独自のグランド・デザインを描こうとする試みを開始した。そして、三年八ヵ月の失敗の検証をへて、この試みは挫折した。これによって、日露戦争によって獲得した国際社会の主要メンバーとしての資格と地位をすべて喪失した。
企業をはじめわが国のあらゆる領域の組織は、主体的に独自の概念を構想し、フロンティアに挑戦し、新たな時代を切り開くことができるかということ、すなわち自己革新組織としての能力を問われている。
平成三年七月 執筆者一同
*平成二十九年四月十四日抜粋終了。
*日本人は「形而上的思考が脆弱」、すなわち哲学していないのである。
*抜粋者は一九四一年八月生まれ、こんなことが行われていたとは露知らずであった。
6.国の公会計制度改革の課題と展望
東信男(会計検査院)
2001年3月末における国と地方を合わせた長期債務残高は645兆円に上ると見込まれているが,これは日本のGDPの1.29倍に達する規模である。このGDP比は,他の主要先進国と比較すると最悪の水準であり,租税収入の低迷,金融破綻処理の拡大などにより,さらに悪化する可能性がある。この結果,財政の硬直化により,今後,経済構造の成熟化,少子高齢化社会の到来などの社会経済情勢の変化に対応した機動的な財政運営を行うことができるかどうか懸念される状況になっている。
一方,1990年代初頭から現在の日本と同じように財政赤字の拡大に悩んできた欧米主要先進国では,NPM(New Public Management:新公共管理論)1)の理論を行政・財政に導入することで,行政の効率化及び財政の健全化に努めた結果,近年,国及び地方を合わせた長期債務残高のGDP比は横ばい,または,減少する傾向にあり,日本との差を際だたせている。
そして,このNPMの最後の切り札とされているのが,公会計制度の改革と政策評価2)の導入である。つまり,欧米主要先進国では,国民へのアカウンタビリティを高めることで,行政・財政の構造改革に対する国民からの支持を獲得し,国家財政の危機的状況を克服してきたのである。
現行の公会計制度では,現金主義・単式簿記に基づいた記帳が行われているため,資金のフローと資金のストックが別々の帳簿体系で会計処理されており,歳入歳出決算には歳入歳出予算の対象となった財政資金のフローだけが反映される結果となっている。つまり,もう一つの資金フローである歳入歳出外現金(資金運用部資金,簡易生命保険資金等の財投資金,外国為替資金等)については,毎年度,巨額の資金が調達・運用されているにもかかわらず,歳入歳出決算には表示されていないため,現行の歳入歳出決算には資金フローの一部しか反映されていない。
現行の公会計制度では,(1)で述べたとおり,現金主義・単式簿記に基づいた会計処理が行われているため,経常収支と資本収支が区別されていないなど,発生主義に基づいたコストが認識されていない。
さらに,国の政策の中には,社会保障,公共事業等,複数の会計で実施されているものもあるにもかかわらず,歳入歳出決算は一般会計及び各特別会計(勘定が設置されている特別会計では各勘定)ごとにしか作成されておらず,これらを連結した国全体としての連結歳入歳出決算が作成されていない)。この結果,国が当該年度に実施した政策ごとのコスト情報を把握することが不可能となっている。
国の行政は財政面からは予算により統制されていることから,我が国では決算の役割として,予算統制が的確に機能したかどうか,すなわち,合規性(Regularity)に関する情報を提供することが最重要と考えられている。
3.公会計制度改革の目的
(1)国の財政状況に関する網羅的・体系的なフロー・ストック情報を提供する。
(2)政策評価を有効に行うために必要な政策ごとのコスト情報を提供する。
(3)決算で得られる財務情報及び業績情報を予算の編成・配分にリンクさせる。
例えば,1998年度において,一般会計及び38特別会計の歳出決算額の単純合計額は356兆9708億円であったが,このうち会計・勘定間の繰入れによる重複額は47.7%に相当する170兆4209億円に上っている。また,1998年度末において,財政投融資制度の中核を担っている資金運用部特別会計では,国債保有高が94兆6353億円,一般会計・特別会計貸付金が92兆8851億円に上っている。したがって,国の行政活動及び財政状態の実態を把握するためには,一般会計と38特別会計を連結することが必要である。連結に当たっては,一般会計に加え特別会計の歳出も主要経費別に分類するなど一般会計と特別会計の歳入歳出に関する分類体系を統一したり,歳入歳出外現金に関連して保有することになった資産・負債も含めるなど,会計処理の原則及び手続きの統一を図ることが求められる。
各プロセスにおいては,大蔵省の予算編成における予算編成支援システム,各省庁の予算執行における官庁会計事務データ通信システム(ADAMS),会計検査院の決算確認における決算確認システムなどのように,省庁の一部では会計事務を電算処理しているが,会計データのプロセスから次のプロセスへの移行は基本的には紙媒体により行われている。また,債権,物品,国有財産等のストック情報に関しては,歳入歳出決算とは独立した帳簿体系によりそれぞれ管理されているため,ADAMSからの会計データが自動的に蓄積される体制にはなっていない。このように,現行の公会計制度では,全プロセスにおいて共有できるような会計データの電子化・データベース化が行われていないことと,フロー情報とストック情報が遮断されているため,歳入歳出決算の作成と債権,物品,国有財産等の各総計算書の作成に膨大な労力と時間が投入されている。
企業会計的手法の導入により現行の公会計制度を改革する場合,会計事務処理のためのインフラをどのように整備するかが課題となる。発生主義が導入されると,現在のように出納整理期限及び出納閉鎖期限(7月31日)を設定する必要がなくなり,また,複式簿記が導入されると,フロー情報とストック情報がリンクして処理されることから,決算の早期作成が可能となり,企業会計並に年度末経過後3ヶ月以内に国会へ提出することが可能になる。これにより,決算に開示される国の行政活動の実績及び財政状態を決算対象年度の翌々年度の概算要求及び予算編成に反映することが可能になるため,決算の早期作成が公会計制度改革のメリットの一つといえる。しかし,これは理論的な話であり,会計処理としては複雑化することから,決算の早期作成を現実のものとするためには,会計データの電子化・データベース化を行うとともに,予算要求から決算の確認までの全プロセスを包含したソフトウエア・プログラムの開発とシステム運用を行うことにより,労力と時間の大幅な削減を図ることが必要不可欠である。
現在,国は前記の予算編成支援システム及びADAMSの適用範囲の拡大を図る一方で,省庁内LAN,霞ヶ関WAN等の既存のネットワーク・インフラを活用したり,省庁間電子文書交換システムを整備することにより,行政事務の電子化を推進しており,決算作成まで統一的に処理できる官庁会計事務処理体系の確立も視野に入れている。企業会計的手法の導入により公会計制度の改革を行うに当たっては,このようなインフラ整備が前提となることから,積極的な取組みが求められる。
出所:http://www.jbaudit.go.jp/koryu/study/mag/pdf/j22d05.pdf
7.参考資料:政府公会計制度改革の国際的動向
2016.6月
山浦久司(明治大学)
政府の財政が悪化するなかで、財政構造全体を常時的に把握して管理し、会計の規律(compliance)を保ち、また行政の合理化と効率化を果たすためには、企業会計の利点を政府公会計にも採り入れるべきだとの考え方が急激に広まってきた。
また、政府は、国民や議会・国会への説明責任(accountability)を果たし、その他のステークホルダー、たとえば各種の公債引き受けファンド、官民合同のPFI(Private Finance Initiative)やPPP(Public Private Partnership)事業の民間パートナーなどへ情報を開示するためにも、発生主義会計の有用性が認識されている。
現在、政府公会計に発生主義(accrual-basis)を採り入れている国は、世界で何か国あるのだろうか。
この疑問に答える最新の調査結果がプライス・ウオーターハウス社(PwC)から公表された。この調査(2015 年 3 月までの期)によれば、調査対象国 120か国(直接に返事を受け取った国 88 か国、デスク調査国 32 か国)のうち、27か国が現金主義、30 か国が修正現金主義(期末日後、一定の出納整理期間を設ける。日本はこのタイプ)、26 か国が修正発生主義(発生主義の適用による資産・負債項目の一部を認識しない)、37 か国が発生主義を適用しているとされ、発 生 主 義 な ら び に 修 正 発 生 主 義 に よ る 政 府 公 会 計 を 採 用 し て い る 国 は 52%に上るとする。
この調査によれば、政府公会計の発生主義化は明確な流れとして認識できる167が、その背景にあるのは、行政体を経営するうえでの様々な利点が認められるからである。そして、その最大の利点は、政府の財政機能の有効性を高め、健全で、責任体制を保持した、透明性の高い政府運営を可能にする点にあり、さらに、固定資産の管理、原価計算、行政評価などの改善に資することで効率的な行政の経営を可能にし、また長期計画と予測にも貢献することにあるとする。
最近では、欧州公会計基準(European Public Sector Accounting Standards:以下、EPSAS)という新しい概念のもとで、EU加盟国間の会計制度の公会計制度の統一化を進
めようとしている点が注目されている。
そして、欧州会計検査院は、EU 公会計制度の問題点の元凶が現金主義と発生主 義 の 折 衷 体 に あ る こ と を 「 発 生 主 義 会 計 制 度 に 向 け て
( Towards an accrualbased accounting system)」と題する意見として表明するに至った。これを受けて、欧州委員会は、新しい財政規則(Financial Regulation)を 2002 年に成立させ、欧州会計検査院が批判した点に対処して、2005 年度から公的機関に対応す
る国際的に承認を受けた発生主義会計の原則に準拠して財務諸表を作成することを規定したのである。
EU加盟各国の公会計の成熟度
英国 96% ドイツ 22% ギリシャ 12% フランス 89% スエーデン 81%
また、ドイツのように、発生主義化を回避した国は、「成熟度」というカテゴリーとは一線を画すべきである。
EUが、2007 年リスボン条約で欧州議会の権限を強めるなどした結果、加盟国間の財政政策の調和化についての必要性は高まったものと考えるべきで、その当然の帰結として、公会計改革に関する新たな動きが始まった。
その改革の契機は、2009 年以降の欧州財政危機の発端となったギリシャの財政赤字問題である。ギリシャでは、同年 10 月に新政権に変わり、旧政権下で国内総生産(GDP)比 5%程度と公表されていた財政赤字が、実は 13%近くに達し(後に、13%を超えていることが判明)、債務残高も対 GDP 比 130%以上の巨額であることが明らかになった。
また、加盟国の抵抗とは、ドイツの EPSAS 適用に対する反対である。ドイツの財政状態は、現在のところ他の加盟国より比較的良好であるが、EPSAS を適用することになれば、将来的に年金債務を計上せざるを得なくなり、他の加盟国と同様のレベルに財政状態が悪化するのでないかということである。つまり、透明性が向上することで、国際金融市場において借入金利が上昇することを懸念しているのではないかということである。
EPSAS の法制化には、欧州委員会からの法案の提出と、欧州議会および理事会の同意が必要であるため、上記の事情を顧みると、EPSAS プロジェクトが確実に実施されるかどうかは予断を許さないといえよう。
出所:http://www.jaa-net.jp/sc2014a/pdf/C06b.pdf
8.新しい公会計制度への提言
亀井孝文(南山大学)
後世の会計史家から見れば,近年約20 年間は世界の公会計制度にとっておそらく最も大きな変革を遂げた時代のひとつであると評価されるであろう。その決定的な理由は,公金の管理と記録がようやく「会計論」として認識されてきたことによる。逆にいえば,これまで存在したのは財政制度の一環としての単なる公金の出納に関する手続き規定であって,「会計論」としての公会計制度ではなかったということでもある。
現行制度では国に関しても地方自治体に関しても簿記法を直接指示する規定は存在しないが,備えるべき帳簿と決算として求められる計算書によって事実上の簿記法が決定されるしくみとなっている。
1889 年明治会計法が制定されたことによってそれまで 10 年間にわたって採用されてきた複記法が廃止され,その後に採用された帳簿は,当時の官庁簿記書によれば「貸借を応用したる複記の法に拠らず又簿記法に所謂単式とも称すべからざる一種の書留簿の様式」といわれる。内容からいえば,それはドイツ語圏の国々で伝統的に採用されてきたカメラル簿記で用いられる帳簿様式に基づいたものである。
このように現行の公会計における簿記法はその歴史的経緯にまで遡ると複雑な背景と内容をもっており,巷間いわれるように「わが国公会計制度における簿記法は単式簿記」と簡単に割り切ることはできない。少なくとも「複式簿記ではないから単式簿記」という理解は修正される必要がある。新しい制度における簿記法を考える場合にも,制度の歴史的経緯と現行制度に関する明確な理解を基礎にしなければならない。また,簿記法には上記のような簿記法の他に,カメラル簿記と複式簿記との折衷の意味をもつスイスのコンスタント簿記,あるいは,カメラル簿記を改良し拡張したオーストリアの多段階簿記等さまざまなものがある。
コンテンラーメンは「標準勘定組織」ともいわれ,会計主体の違いにかかわりなく勘定をその本質に基づいて分類整理した体系表である。コンテンラーメンでは各勘定が10 進法によってクラス分類され,次の段階では,個別会計主体に適合するようにこれに基づいてコンテンプラーンが作成される。
*厚生年金基金事務所において、抜粋者は昭和50年頃、業務分掌表を十進法によつて細分化していた。その延長線に複式簿記の勘定科目を設定していた。
主としてドイツ語圏では新たに会計制度を構築するさいには必ずコンテンラーメンが作成され,新しい公会計制度の議論にさいしても,公会計コンテンラーメンが最初に提案されている。コンテンラーメンにおける各勘定にはすべて番号が付され,勘定分類の細分化に従って番号の桁数も増えることとなる。重要なことは,この番号を記録のコンピュータ処理にさいしてコード番号として機能させ得ることである。
しかし,どのような会計にあってもまず制度を構成する個別概念と計算構造が存在すること,また,計算構造の論理性が担保される記帳システムが存在することは普遍的な要請である。ここに会計が統計から区別される根拠が存在する。
出所:http://www.jbaudit.go.jp/koryu/study/mag/pdf/j45d01.pdf
9.財政民主主義と公会計の課題
中道信廣
現在、わが国では、明治国家建設以来続いてきた、官治社会の体質のため、民主社会では、 到底考えられないような、諸悪の現象が噴出している。私たちが分担し納付した税が、会計検査院の指摘をまつまでもなく、各省庁の所管分野で、 惜しげもなく無駄に浪費 (官僚にとっては、有意義な使途であろうが、納税者にとっては、国民の義務であっても負担することを拒否したいような) されている事実が暴露されている。
この現状を改善していくためには、外科的大手術が必要であり、その場限りの治療策 (官僚の綱紀粛正や業者との飲食禁止や天下り自粛 策など) ではどうしょうもない。
民主主義の原理が機能し、政府には、税を国民から徴収する代わりに政治を行うことを受任・受託するという関係が生まれる。そこで、会計で古くから民主社会の伝統として伝えられてきたアカウンタビリイティが機能する場が設定される。その受託責任を果たすための財政 (財務) 報告が、 国民に、またそれを代表する議会になされる。
それは、ジョン・ロック著『市民政府論』で展開された、人民の革命権 抵抗権の理論か、 その原理的核心になった、とされている。
わが国では明治維新の後、天皇主権のもと、官僚専制的な中央集権国家が形成され、西南戦役の西郷をはじめ、反政府の思想は強権のもとに弾圧され、自由民権運動も、大正デモクラシーも、殆ど、その成果を現在に伝えられなかった。しかし、西欧諸国における革命の原理とされた、ジョン・ロックの『市民政府論』は、「権力の不適切な行使に対して人民の側から抵抗しうる」ことを示し、「政治権力は人民の同意に基づいてのみ行使されうる」、「信託違反に対する最終的手段としての抵抗権は、自然法によって認められた権利であり、人民は、天に訴える自由を、あらゆる法に優先する自然法として留保している」 ことを明らかにしている。この自然法の精神である抵抗権・革命権の思想が、わが国の社会で受け入れられるようになることも、民主社会に不可欠な第三の前提条件として、欠かせないものであると、私は考えている。
10.予算制度改革と公会計制度改革
筆谷 勇
昨今、わが国の多くの地方公共団体は総務省方式による貸借対照表(以下、「B/S」と
いう。)を作成しているが、この総務省方式による B/S の作成方式は平成 12 年に公表されたものであるが、会計制度に基かずにあくまで統計的手法に基いて B/S を作成しているために,折角の B/S も中身のない外枠のみからなる「張子の虎」のような入れ物を作ったに過ぎず、経営管理目的には全く役に立っていないのが現状であり、平成 18 年 5 月に公表された総務省の[新地方公会計制度研究会報告書]においても、6年前と殆ど同じものが名称を変えて公表されたに過ぎず、一向に改善しようとする気配が感じられない
のは極めて遺憾な状況といわざるを得ない。
前者の[会計の基礎]についての世界的な趨勢を見ると、会計取引の認識時点を、①現
金主義、②修正現金主義、③修正発生主義、④発生主義へと変遷させてきているが、日本
においては、平成 15 年6月 30 日、財制度等審議会が、[現金主義会計]について、「最も作成しやすくしかも理解しやすい」という理由から、これに優る[会計の基礎]はない、ということを、その[公会計に関する基本的考え方]において明言し、この考え方をわざわざインターネット等を通じて国民の前に公表しているが、今や、英国、ニュージーランドを初め先進各国は発生主義会計を既に導入しておるか、または、その導入準備に走
っている国々が大部分であり、旧態依然として守旧的な取組みのみを行なおうとしている日本の現状を知るたびに、日本人としては背筋に極めて冷たいものが走るのを感ずるのを禁じ得ない人々が多いといわざるを得ない。
*総務省にも財務省にも会計を学んだ者がいないのか、あるいはまた、外部に問い合わせるという姿勢がないのか、それが一国を担うはずの日本官僚の内向き姿勢なのだろう。東大卒官僚の一般教養が疑われる。東大で何を学んだのだろう。東京都に教えを乞うべきだろう。
財政制度等審議会などが提唱している貸借対照表の作成方法に関しての本質的な欠陥(会計制度によらずに統計的に貸借対照表の作成方針を指導していること)について、再考を促したいと念ずるものである。
中長期予算制度、内閣への大幅な権限委譲を考えるためには、決算制度の強化が必要である。即ち、予算については、憲法第86条において、「内閣は、毎会計年度の予算を作成し、国会に提出して、その審議を受け議決を経なければならない。」として国会の「議決」を求めている。これに対して、憲法第90条①は、「国の収入支出の決算は、すべて毎年会計検査院がこれを検査し、内閣は、次の年度に、その検査報告とともに、これを国会に提出しなければならない。」として、[決算]の国会への「提出義務」のみを定めて[決算に関する国会決議]については一切触れていない。
一方、財政法第40条は「内閣は、会計検査院の検査を経た歳入歳出決算を、翌年度開予算制度改革と公会計制度改革会の常会において国会に提出するのを常例とする」として、会計検査院による行政内部の監査に重点をおいており、国会による[決算]に関する外部監査についてはこれをなおざりにしている、というよりも、むしろ殆ど無視をしているのが現状である。
少なくとも、国会による決算の妥当性についての「決議」が必要といわれており、そのためには、現行の歳入歳出決算書のみの「フロー情報」に係る決算だけではなく、貸借対照表などの「ストック情報」に係る決算についても国会の「議決」を必要とするように現行の「憲法」および「財政法」を改めるべきである。
*上記、決算の国会議決に関する意見に全面的に賛成する。この事態を国会議員は承知しているのだろうか。官僚の暴走を国会議員が抑えないで誰がする。先の大戦での軍部独走を許したのも国会の議決が機能していなかった故であろう。
現行の憲法、財政法、地方自治法及び地方財政法等における予算制度は、単年度収支均衡予算主義に拠っていて、これを固定資産も含めた「中長期収支および中長期損益予算」にまで改訂するには現行法制度の改正を伴うことになり、その改正を緊急に達成することは極めて困難なことと言わざるをえない。
しかし、先進公会計改革諸国の努力の成果について見習うべき時期は目前にあるといえ
るのであって、日本のみが例外ということはありえないものと考えられるのであり、現に、東京都においては、平成18年度より発生主義会計の導入に踏み切っており、発生主義会計→予算制度改革→中長期収支・損益会計導入の路線が、近い将来において敷かれるものと期待されており、従って、これに伴う法整備も近い将来に実現することになるものと考えられている。
予算のフィードバック機能を高めることによって、予算統制主義から決算重視型経営管理システムへのフレーム・ワークの転換を図る。
したがって、正確、かつ、現実的な「財政政策」を策定してそれを『予算化』するためには、『現金主義会計』のみによっていては不正確で、しかも、非現実的な結果しかもたらされないということを、為政者をはじめとする関係者は是非とも理解してもらいたいのである。
「収支分岐点分析」の例で見たように、「公会計制度改革」の基本となるものは「会計の基礎」を現在の「現金主義会計」から「発生主義会計」に改めることが最小限必要な大前提であることが理解できるのであり、「新地方公会計制度研究会報告書」が提唱しているような「統計的手法によった単なる空洞化した貸借対照表」の作成のみでは、「収支分岐点分析」のような精緻な計算を可能にすることは到底不可能であることを理解すべきなのである。
このようなことは数百年前(1,495 年)からイタリアで公表されたルカ・パチオリの「ズムマ」(数学書)によって紹介されてきている発生主義に基く会計手法ではあるが、不幸にして日本では明治の半ば(1,889 年)以降から現金主義会計が公的部門に採用されてきたのは、誠に不幸な出来事といわざるを得ない。
やはり、現金主義を前提にした改善手法には自ずから限界があり、ましてや、単年度のみでなくて中長期的に資金収支を合理的に分析するためには、[会計の基礎:会計基準]を現金主義会計から発生主義会計に転換しない限りにおいては、有効な改善手法が見当たら
ない、というのが本稿の結論なのである。
出所:http://www.lec.ac.jp/pdf/activity/kiyou/no06/07.pdf
11.東京都の新たな公会計制度 解説書
平成20年4月
東京都会計管理局
行政と民間との協働や地方分権改革を推進するうえで、地方自治体は、住民に対する説明責任を一層果たすとともに、行政運営に当たり「経営」の視点を確立することが不可欠となっています。このため、多くの自治体が財務諸表を作成していますが、官庁会計方式による決算数値を組み替えたものであり、作成に時間がかかること、個別事業ごとに作成することが困難であることなどの限界が生じています。
こうした従来の財務諸表の課題を克服するため、平成14年5月に、石原知事が、東京都の公会計制度に複式簿記・発生主義会計を導入することを表明しました。その後、会計基準の検討や財務会計システムの再構築を行い、平成18年4月に新たな公会計制度を導入し、平成19年9月にはこの制度による我が国初の本格的な財務諸表を公表いたしました。
新たな公会計制度は、従来の官庁会計(単式簿記・現金主義会計)に複式簿記・発生主義会計の考え方を加えた会計制度で、財務会計システムにより、日々の会計処理の段階から複式簿記の処理を行い、多様な財務諸表を迅速かつ正確に作成するものです。このことによって、財務諸表の分析結果を翌年度予算に反映させることが可能になるとともに、個別の事業改善に活用することが可能となります。
以上の「ストック情報」と「コスト情報」の2つの欠如のために、更には「アカウンタビリティ(説明責任)」と「マネジメント」の2つの欠如を招く結果となっています。これが官庁会計の「4つの欠如」といわれるものです。
平成14年5月末の定例記者会見で石原都知事は、東京都の会計制度に複式簿記・発生主義会計を導入することを表明しました。知事の表明後、庁内に公認会計士も含めた「東京都の会計制度改革に関する検討委員会」を設置して東京都の会計制度改革についての検討を行い、それにあわせて財務会計システムの再構築に着手しました。
様々な試行錯誤の末、平成18年度から一般会計及び特別会計(ただし、公営企業会計及び準公営企業会計を除く。)に複式簿記・発生主義会計が導入され、新しい財務会計システムにより会計処理が行われています。
これまで国や地方自治体の中には、官庁会計の決算数値を組み替えて財務諸表を作成している例はありますが、日々の会計処理の段階から複式簿記・発生主義会計で処理を行うのは、東京都が日本で初めてのことになります。
ただし、従来の法令に定められた官庁会計をやめてしまうということではありません。平成18年度から従前の官庁会計に加えて、複式簿記・発生主義会計を導入したということです。この制度は「民間の企業会計手法を踏まえつつも、行政の特質を考慮した独自の会計制度」ということができると思います。
東京都会計基準の特徴
○ 行政コスト計算書では、民間の損益計算書における「収益」という用語は用いず、収入については行政サービスの提供に要した費用(コスト)に対する財源という概念に基づき整理した。
○ キャッシュ・フロー計算書では、現金収支をその原因に即して直接に記録する「直接法」を採用した。
○ 行政コスト計算書及びキャッシュ・フロー計算書の費用に係る勘定科目については、給与関係費や物件費など、東京都の予算で用いている性質別の科目分類を採用した。
○ 貸借対照表では、道路や橋梁などの社会資本を特に「インフラ資産」として区分計上するとともに、「行政財産」や「普通財産」といった地方自治法における財産の分類も採用した。
簿記に関する最初の書物は、1494年にイタリアのルカ・パチョーリという修道僧が著した数学書であると言われています。
東京都の財務会計システムの概要と特徴
●会計処理を行うシステムの全体像
財務諸表を作成するためには、財務会計システムだけでなく、様々なシステムとの連携が必要
●東京都の財務会計システムの特徴
現行の官庁会計の処理はこれまでと同様。複式簿記・発生主義会計を並行して導入
日々仕訳を行って勘定残高を蓄積するシステムであるため、迅速な財務諸表の作成が可能
仕訳情報、建設仮勘定情報等を簡単な操作で自動生成するなど、職員負担を軽減
他の財産や負債を管理するシステムと連携し、情報を共有
会計別や局別、事業別等の多様な財務諸表が作成可能
●財務会計システムの概要と複式処理サブシステム
財務会計システムは複式処理サブシステムを含め10のサブシステムで構成
複式処理サブシステムは、仕訳情報の蓄積や仕訳の訂正、財産、負債などのシステムとの連携、財務諸表の作成などの機能を保有
複式簿記は、中世に地中海貿易で栄えたベニスの商人たちが、帳簿の右側と左側に分けて記録したことが始まりと言われています。
日本では、明治6年、アラン・シャンドというイギリス人の口述筆記を翻訳した「銀行簿記精法」により複式簿記が紹介されたと言われています。
財務会計システムの再構築に要した開発経費は、平成15年度から17年度の合計で約22億円です。
この開発経費には、複式簿記・発生主義会計対応機能の開発費用だけではなく、官庁会計部分の開発費用、開発期間中の本番用サーバ機器・データセンタの運用費、開発用機器費用及び端末操作研修費用等が含まれています。
これは、今回の再構築は、既存の官庁会計のシステムに複式簿記・発生主義会計の機能を付与するというものではなく、Web方式による新たな財務会計システムを構築する形態をとったためのものです。
従来の財務会計システムは、平成4年度から稼働を開始しましたが、大型汎用機と専用端末を使用するシステムであり、平成14年度時点では、高額な運用経費の問題や積み重なったシステム改修により、全体として更新する時期となっていました。
この再構築により、運用の経費は、年間13億円から8億円に減少しました。その結果、開発経費は、5年程度で回収する見込みです。
ドイツの文豪ゲーテは、複式簿記を「人間の精神が生んだ最高の発明の一つ」と絶賛しています。
東京都会計基準
平成17年8月26日
17出会第308号
改正 平成18年3月31日17出会第811号
平成19年2月28日18出会第675号
平成20年3月31日19会管会第777号
序章
本会計基準は、東京都における一般会計、特別会計(地方自治法第209条第1項に定める一般会計及び特別会計をいう。ただし、地方公営企業法第2条の規定により地方公営企業法の全部又は一部の適用を受ける特別会計を除く。以下同じ。)及び局別の財務諸表を作成する際の基準を示したものである。
第1章 総則
1 基本的な考え方
(1)複式簿記の記帳方法による財務諸表の作成
本基準は、複式簿記の記帳方法による正確な会計帳簿を通じて財務諸表を作成する際
の基準を示すものである。
(以下略)
*東京都はすばらしい事業を行っている。
出所:http://www.kaikeikanri.metro.tokyo.jp/000sinkoukaikei.pdf
#憲法90条 #財務省 #総務省 #グローバリズム #単式簿記 #複式簿記 #デモ #東京都 #バランス・シ-ト #民意 #国会 #議員 #決算 #官僚 #特別会計
抜粋 公会計インターネット資料
2016.11.13
*印は抜粋者のコメントです。
1.「日本の公会計、グローバル化へのハードル」
清水涼子(公認会計士)
2004.04
現在、日本の企業会計は、グローバルスタンダード化が進み、海外の先進国とほぼ同水準にあるのに対し、公会計は、まだ国によって制度がまちまちで、日本は日本独自の会計を採用しているというところです。日本の場合、中心となる一般会計の部分は現金主義会計をとっており、例えば周辺のいわば独立採算制が原則の電気・水道といった公共サービス事業を行う会計や政府出資法人の会計は、例外的に発生主義会計をとっています。
日本の場合、ツールとしての「単式簿記」=官庁会計=「現金主義」と考えて頂いて結構ですが、「単年度主義」という言葉は、少しニュアンスが違っていまして、その年の支出は、その年の収入で賄うという意味ですので、必ずしも現金主義とイコールではありません。
ただ、日本では、単年度主義で且つ現金主義ですので、この3つの言葉が同じレベルで氾濫しているという状況です。
―― 日本の会計制度の問題点、特に現金主義を中心とした問題点とは。
まず一つは「ストックの情報がない」ということです。つまり、年ごとに出ていくお金と入ってくるお金は分かりますが、いくら資産があり、どれだけ負債を抱えているのかが分かりません。その結果、国民に対して、サービス提供能力を示すことができないということが一つ目の問題点です。
もう一つは「正確なコストが把握できない」ということです。つまり、その年度でいくらの支出があるかということだけは分かるのですが、建物等の施設を利用したサービスの本当のコストは把握できません。
一国の経済危機等が国際的に波及する現在の状況を考えると、他国の財政状態に無関心でいられなくなってきています。その意味からも公会計にも比較可能性は重要で、企業会計同様、グローバル化へ進む素地はあると思われます。
一言で言えば、「現金主義から発生主義への移行」が世界的な潮流です。
例えば、アングロサクソン系の先進国では、1980年代から1990年代にかけて、ほぼ発生主義への移行が完了しています。またフランスは、中央政府が現在改革中ですし、ドイツは多少遅れていて、地方自治体が発生主義への移行過程にあるという状況です。逆に、アジアやアフリカは、まだ大部分が現金主義会計によっているというのが現状です。
財務省に財政制度審議会公会計基本小委員会があり、昨年(平成15年)6月に「公会計に関する基本的考え方」を公表しました。この中で、「現金ベースのものは不可欠である」と明言した上で、「発生主義会計の活用も検討すべき」としています。つまり、発生主義会計の有用性は認めているものの、制度的には移行しないということです。発生主義のメリットを検討している段階にあると言ってよいのではないでしょうか。
このような例(オーストラリア10年)を見ると、日本の場合も、発生主義への移行が仮に決定したとしても、まだまだ時間がかかるものだと思ってよいでしょう。
これは、従来、行政の分野に効率性は馴染まないといった考え方があり、それだけ問題意識が希薄だったのではないでしょうか。
また、上に立つ人が発生主義のメリットを本当に理解して推進していなければ、なかなか事は進まないのだろうと思います。そのような意味でも、発生主義会計を利用して、そのメリットを享受するのだというコンセンサスを持っていかないとスムーズには進んでいかないでしょう。
現在、東京都は制度会計と並行して複式簿記を利用しようとしていますが、やはりトップ(石原)の考え方が非常に大きいのだろうと思います。
国民の視点に立つと、日本に不足しているのは、前述したストック情報にしてもコスト情報にしても、国民から見えない部分が非常に大きく、しかも実際あまり知らされていないということです。それと同時に、長期的展望にも欠けていると思います。これは単年度主義の弊害ですが、見通しがどうなのかという説明がほとんどなされません。発生主義会計による予測など、将来の財政状態がどのように変化するのかもっと説明されるべきです。また、国民ももっと政府の財政状態に関心を持たなければいけないと思います。
―― 新聞でも報道されましたが、清水さんはこのたび、日本で初めてIFAC(国際会計士連盟)のPSC(公会計委員会)の日本代表委員として選出されました。今、ご自分の役割をどのように考えられていますか。
出所:http://www.lec-jp.com/h-bunka/item/v238/pdf/200404_44.pdf
2.公会計制度とパブリック・ガバナンスのあり方について
桜内文城(経済産業研究所)
Research & Review (2002年7月号)
公会計とは、利益の獲得を目的とせず、または、利益の多寡が成果の評価基準とはならない公共部門における経済主体の全般(中央政府、地方公共団体、特殊法人等)を対象とする会計技術・手法を意味する。
現在、「国の貸借対照表(試案)」(財務省)、「機能するバランスシート:東京都の経営を改革する冷徹な道具」(東京都)、「独立行政法人会計基準」(総務省)等々、公会計制度改革に向けた流れがみられる。
特に、公共部門の経済主体の中でも、中央政府は、課税徴収権及び(中央銀行を通じた)通貨発行権を共に有することから、経済資源の調達における外的制約がほとんど存在しない。たとえ中央政府の負債が巨額に達した場合であっても、財政当局は、増税または中央銀行の公債引受等による通貨増発、即ち、インフレによる負債の実質価値の低下(インフレ税)を惹起することを通じ、名目上固定的な債務の償還を滞りなく行うことができる。
公会計が「利益」の獲得を目的としない以上、「発生主義」に基づく「損益計算」は不要とされ、従来、公会計の世界においては、主に現金の流出入を測定の焦点とする「現金主義」が採用されてきたところである。「現金主義」の長所は、収益的支出のみならず、社会資本形成等の資本的支出や社会保障給付といった移転支出も把握し得るということにあり、公共政策上の意思決定において、より有用な情報を提供することが可能であったとも言えよう。
しかし、現金主義会計の場合、その測定の焦点である現金は、貸借対照表に計上されるストック(資産及び負債)の一項目に過ぎないため、その他のストック(固定資産や長期負債等)に関する情報が不足し、その結果、財政運営が将来に及ぼす影響や将来負担を把握できないという問題が生ずる。特に、現在、我が国の財政状況は、歳入の四割前後が公債発行収入によるものへと変化するなど、ストック(資産及び負債)の管理とそれによる世代間にわたる負担の適正化といった点が極めて重要となってきている。これが、公会計の世界においても発生主義会計が必要とされるに至り、貸借対照表上のストック情報(資産及び負債の残高)が開示されることとなった大きな理由である。
公会計の目的は、公会計情報の利用者とそのニーズによって決定されるべきものである。従って、様々な立場はあり得るが、究極的には、公会計の目的は、パブリック・ガバナンスの確立にあると考える。
パブリック・ガバナンスとは、国家の統治システムにおいて、国家の究極的な持分権者(プリンシパル)である国民が、国政担当者(内閣ないし執行権[executive power])を自らのエージェント(代理人)として国政運営を委託しつつ、可能な限り国民の利益の方向性に合致するよう国政担当者の意思決定を規律付けるメカニズムをいう。
その場合、国民は、納税を通じて政府に経済資源の運用を委託し、いわば信託法上の委託者ないし持分権者の地位に立つと同時に、政府の資源調達における優位性(即ち、課税徴収権及び通貨発行権)に基づく反射的効果として、現役世代のみならず将来世代も含め、国政運営の結果である世代間にわたる国の負債につき一種の無限連帯責任を負っているのと同様の地位に置かれる。他方、政府は、国民から預かった経済資源を信託財産として管理・運用し、いわば信託法上の受託者としての義務と責任を負う。
公会計制度改革は、パブリック・ガバナンスの確立を通じ、国家の究極的な持分権者である現役世代・将来世代双方を含む国民の利益を保護する「タックスペイヤー・デモクラシー」の実現をめざすものである。
出所:http://www.rieti.go.jp/jp/papers/journal/0207/rr01.html
3.石原都知事の導入した複式簿記・発生主義会計
(はてなブログMark)
石原慎太郎「こんなでたらめな会計制度、単式簿記でやっているのは、先進国で日本だけ。北朝鮮やパプアニューギニア、フィリピンくらいのもんだ」
池上彰「パプアニューギニアやフィリピンを北朝鮮と同じに扱うようなことを言うから暴走老人と呼ばれるんじゃないですか?」
石原氏は東京都の会計に複式簿記・発生主義会計を導入する準備を2002年から始め、2006年から導入、会計士による外部監査も実施するようにしました。日本のどの自治体もやっていなかった画期的なことです。これは今や完全に老害と化した氏の実績の中で大変評価できる点だと思います。
東京都は、平成18年4月から、従来の官庁会計(単式簿記・現金主義会計)に複式簿記・発生主義会計の考え方を取り入れた新しい公会計制度を導入いたしました。
また、全国の自治体が、複式簿記・発生主義会計を導入し、本格的な財務諸表を作成できるよう、支援を行っています。
「東京都会計管理局:東京都の新たな公会計制度」
この項の記述には税理士・公認会計士の渡辺俊之先生の記事を参考にさせていただきました。
平成18年8月に策定された 「地方公共団体における行政改革の更なる推進のための指針」 でも、平成22年度決算分までに貸借対照表(B/S)、行政コスト計算書(P/L)、資金収支計算書(C/F)、純資産変動計算書(NWM))の4表の整備、または4表の作成に必要な情報開示をすることが求められていました。しかしこれらの計算書は、複式簿記の手法で作成されていません。
国・地方公共団体の会計の仕組みを刷新するためには、自己検証能力のある複式簿記の方式こそが重要で、検証可能性のない単式簿記による記帳では無意味です。
国は、平成20年度決算から 「基準モデル」 又は 「総務省方式改訂モデル」 という二つの公会計モデルを活用して財政書類を整備するよう要請しています。しかしながら、これらのモデルは、我が国で一般的に用いられている企業会計基準や、諸外国で準拠している国際会計基準の考え方とも異なります。新たなる公会計方式の採用にあたっては、国が進める、単式簿記をベースとしたモデルではなく、将来的には、自己検証能力のある複式簿記の方式を公会計制度改革に採用することの重要性をも、是非理解しかつ認識してほしいものです。
記帳方法に単式簿記をとっても複式簿記をとっても、当然ながらその経済実態が同じであれば残るお金の金額は同じです。しかし複式簿記を採用することで、お金の配分をより計画的・効率的にできるようになり、結果無駄が減るということが言えると思います。以上の理由から行政(公会計)にも複式簿記的会計観を取り入れる必要があると言えます。石原氏が言わんとするところもここなのではないでしょうか。
単式簿記で許されるのは、町内会やサークルの会計、おこづかい帳レベルまでです。古来「読み、書き、そろばん」と言われるように、簿記は基本的なリテラシーの一部ですから義務教育で教えないのは社会の損失と言っていいです。
*だから総務省や財務省の東大卒官僚が複式簿記を知らないのだ。義務教育で教えてもらえなかったのだ。
もし良かったら、「独立行政法人会計基準」をご覧になってみていただけますか。
http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/gyoukan/kanri/dokuritu/pdf/tyukai_110628.pdf
通則法の中で、独立行政法人の会計は原則として企業会計原則によるものとする、と定めておきながら、どうやって国の決算に無理矢理繰り入れられるような処理をするのかが、いろいろ決めてあります。
出所:http://que-sais-je.hatenablog.com/entry/20121220/1355983660
4.公会計に関する基本的考え方
平成15年6月30日
財政制度等審議会
1.我が国においては、公会計の新たな取組みとして、国の貸借対照表(試案)や特殊法人等の行政コスト計算書の作成、新たな特別会計財務書類の作成などの取組みが進められている。また、地方公共団体においては、東京都の「機能するバランスシート」の取組みなど公会計改革に対する意識が高まっており、諸外国においては、公会計の充実を図る様々な取組みが行われ、行政のマネジメント改革と一体のものとして公会計制度の改革を進めている国が見受けられる。
このように、公共部門の会計制度である公会計については、内外においてその重要性が認識されるとともに、機能の充実が求められている。
*東京都の「機能するバランスシート」という表現は、東大卒官僚には思いもよらぬ言い方なのだろう。
(注)予算とは、一会計年度内における歳入、歳出の見積もり、つまり、予定的な総計算であり、国の予算は、議会による行政府に対する財政権(歳出に関する執行権限)の付与である。また、決算とは、予算に対する実績、一会計年度における歳入歳出の総計算であり、国の決算は、予算の執行結果を把握し、議会に報告されるものを言う。
*憲法第九十条 国の収入支出の決算は、すべて毎年会計検査院がこれを検査し、内閣は、次の年度に、その検査報告とともに、これを国会に提出しなければならない。
*この条文が曲者でしょう。議員をスポイルする元凶であり、議会無視・国民無視の根源でしょう。これを変えなければ官僚の勝手を防げません。
予算・決算が官僚の手に握られていて、決算は国会への「報告」で事が済んでいる。国会の議決すらいらない仕組みになっているということ。国会のブレーキという機能を官僚は排除しているのだ。官僚とは何様なのだ。僕ではないのか。複式簿記の採用などはこの条文を変えなければ促進されない。
① 一般的に予算とは、議会から行政府に対する歳出権の付与であり、そのような予算の執行結果を把握し、議会へ報告するものとして決算がある。
予算、決算について、多くの国では、現金支出を管理し、明確さを求める観点から現金ベースでの計上が行われている(注)。豪州、ニュージーランドでは、各省庁に裁量が委ねられる一部の歳出項目について、フルコストを把握する観点から発生主義ベースで計算された予算額が議決されており、一般に発生主義予算が行われていると説明されている。また、英国では、発生主義ベースの予算額(資源額)と現金ベースの予算額の両方が議決対象とされ、議会統制の対象とされている。
*国の予算・決算は単なる報告事項ではなく、国民から選出された議員の議決を要する事案だというのが、今次の常識である。
(3)公会計の意義、目的
① 議会による財政活動の民主的統制
国の財政活動の基本は、国家により強制的に徴収された税を政策に基づき配分することである。このため、我が国の憲法においては、国会による財政統制に関する規定が厳格に定められている。予算を通じて事前の資金配分を明確にし、これを国会の議決による統制の下に置くこと、また、予算に基づく適正な執行を管理するとともに、その結果を決算として事後的に整理し国会へ報告することは、財政民主主義の観点から不可欠である。
*「その結果を決算として事後的に整理し国会へ報告すること」、報告事項ではないのだということの認識は現在官僚にも議員にも無いようだ。
我が国の憲法においては、国会による財政統制に関する規定が厳格に定められている。予算を通じて事前の資金配分を明確にし、これを国会の議決による統制の下に置くこと、また、予算に基づく適正な執行を管理するとともに、その結果を決算として事後的に整理し国会へ報告することは、財政民主主義の観点から不可欠である。
*「財政民主主義」とは何か? 「国会の議決による統制」とは何か? 未だに統制という言葉が生きているのだ。軍隊用語でしょう。
*統制(とうせい、英: control)は、指揮にあたって、計画実行に必要な戦力、物資、時間、場所を見積もり、配分し、作戦行動を監視することによって、指揮官の企図を達成するために部下の行動を合理性・能率の面から監督することをいう。指揮 (command) と合わせた指揮統制 (command and control) という概念で理解されるが、本質的にそれぞれ異なる概念である。旧軍では統理とも。(ウィキペディア)
① 現在、国の会計の記録整理は、単式記帳で行われているが、企業における会計処理一般においては、複式記帳が行われている。複式記帳については、すべての財(事実)の増減変動を記録し、発生主義的財務諸表を効率的に作成するために経常取引と資本取引を仕訳する機能や、会計処理の自動検証機能(借方、貸方の残が一致する機能)が存在する。
現金ベースで予算管理が行われる現在の国の会計においては、一元的な国庫金管理の下で、実質的に会計処理の自動検証機能が働いており、直ちに複式記帳を採用する必要性はないと考えられる。(ハアァ!)
*内閣は予算を作成し、国会の審議を受け議決を経なければならない。(憲法86条)
日本国憲法 第86条は、日本国憲法の第7章にある条文であり、予算の作成と国会の議決について規定している。(ウィキベディア)
5.憲法・財政法・会計法
*日本国憲法(昭和二十一年十一月三日憲法)
第六十条 予算は、さきに衆議院に提出しなければならない。
○2 予算について、参議院で衆議院と異なつた議決をした場合に、法律の定めるところにより、両議院の協議会を開いても意見が一致しないとき、又は参議院が、衆議院の可決した予算を受け取つた後、国会休会中の期間を除いて三十日以内に、議決しないときは、衆議院の議決を国会の議決とする。
第八十六条 内閣は、毎会計年度の予算を作成し、国会に提出して、その審議を受け議決を経なければならない。
第九十条 国の収入支出の決算は、すべて毎年会計検査院がこれを検査し、内閣は、次の年度に、その検査報告とともに、これを国会に提出しなければならない。
*財政法(ざいせいほう、昭和22年3月31日法律第34号)は、国の財政に関する基本法であり、予算の種類、作成と執行等について規定した法律である。
広義には、財政に関する法規全般を指す概念として用いられ、この場合には、租税法、地方財政法、財政法、会計法、予算決算及び会計令、国有財産法などが「財政法」の範疇に含まれる。(ウィキベディア)
*財政法(昭和二十二年三月三十一日法律第三十四号)
第二十七条 内閣は、毎会計年度の予算を、前年度の一月中に、国会に提出するのを常例とする。
第三十九条 内閣は、歳入歳出決算に、歳入決算明細書、各省各庁の歳出決算報告書及び継続費決算報告書並びに国の債務に関する計算書を添附して、これを翌年度の十一月三十日までに会計検査院に送付しなければならない。
第四十条 内閣は、会計検査院の検査を経た歳入歳出決算を、翌年度開会の常会において国会に提出するのを常例とする。
会計法(かいけいほう、昭和22年3月31日法律35号)は、国による歳入徴収、支出、契約等について規定した日本の法律である。大日本帝国憲法下での旧・会計法(明治22年制定)に代わって制定された(法律名称上は「会計法を改正する法律」となっている)。施行令にあたる、予算決算及び会計令(よさんけっさんおよびかいけいれい、昭和22年4月30日勅令第165)とともに使用されることが多い。(ウィキベディア)
*予算は国会の議決が必要だが、決算はどうして報告でよいのか? この論理がわからない。私の厚生年金基金並びに健康保険組合の事務長経験では毎年予算決算は議案として提出し、議決を得ていた。報告事項ではなかった。
出所:http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S21/S21KE000.html
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S22/S22HO034.html
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S22/S22HO035.html
(続く)
ホテル・美術館・会館等総支配人 様
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早速ですが、下記「黄金の玉座」をご覧いただきたく、ご案内いたしました。
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湯島聖堂・大成殿にデビュ
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ご興味ございましたら、下記にご連絡ください。
ご参考:http://blog.goo.ne.jp/chugei8ozaki
以上
先日、院出のバリバリビジネスマンの友人(日本年金学会会員)が、ある本を探している旨電話してきて、蔵書の有無を聞かれました。
10年ほど前に出版されたその翻訳本を神田の古書店街、日比谷図書館、国会図書館等を探し回ったが見つからない由。
あいにく、当方の蔵書にもありませんでしたので、あるサイトで検索しましたところ、すぐに出てきました。古本の安価なものでしたが。
数年来、当方の本探しは古本屋も、図書館も、町の本屋にも出かけていません。もっぱら、このサイトを利用しています。最近、このサイトで次のような本を入手しています。
藤森栄一『かもしかみち』学生社 昭和42年
バジョット『イギリス憲政論』中央公論社 昭和55年
宮本常一『忘れられた日本人』岩波書店 2001年
E・H・ノーマン『日本における近代国家の成立』岩波書店 1953年
石田幹之助『長安の春』平凡社 1988年等々。
これを歩き回って探したら、途中で嫌になり、投げ出していたかもしれません。
そのサイトとは、皆さんご承知のことと思いますが、Amazonの検索サイト(https://www.amazon.co.jp)です。パソコンの前で用が済みます。靴底も減りもませんし、2、3日で自宅に送ってきます。
もし、探している本がありましたら、本探しの一つの方法として検索して試してみてください。
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*無料配布キャンペーンで26冊のDLをいただきました。
「暗号について」を改訂しました。改訂部分は以下の通りです。
飯島宗享著『気分の哲学』毎日新聞社 昭和45年3月発行
以下にP.22~P.27抜粋
(P.22)
自己意識の成立とか、自意識の誕生とか、自我の自覚とか言われるあの経験のことだ。その最初の経験とそのときの気分を、鮮度をおとさずに確保しておくことが、これからの話の基盤として大事なことは、もちろんきみにも理解できるだろうね。
自我のめざめと断絶感
B 言われてみると、なるほど、アナムネーゼよりその方が先に思いつかれていいことだったように思われます。生まれてから初めての経験だったし、今から思うと、あの時を境にして子供から大人の他界に足を踏み入れたような気がするんですが、実際、あの時は驚いたのなんの、一瞬にして世界がまるで変貌して、波が退いていくように、にわかに何もかもが自分からドンドン、ドンドン離れていって、わおっと叫んだおぼえがあります。自分だけがひとりぼっちに収り残されたのか、自分が突然まるであのカフカの『変身』のように甲虫か何かに変ってしまったのか、直面までの自分とちかって、何もかもが、自分以外の何もかもが、まるで自分と縁どおいものになってしまっているんで、異様だったな。それに、いきなりでしょう。体か浮くって形容がありますけど、心が宙に浮いたようで、全然とりとめがなくって、気がついたら、ひどく心ぼそくて、
(P.23)
それから無性に恐くなって、駆け出したっけ。
A よくおぼえてるね。ぼくもおぼえてるけど、そのときの気分の記憶があざやかなほど、情景の記憶ははっきりしない。大きなショックだったから、そんなときは心象の風景としての気分の方に気を奪われて、目や耳が受け取ったものは上の空になるらしいよ。だが、あのショックの経験は話してみると誰でも忘れられないものとして、ちゃんとおぼえているようだね。ぼくは、その当時、中学生だったわけだが、好んで散歩にいく丘の林のなかに、展望のきく草原があって、そこに腰をおろして、町の家並や木々の頭越しに有明海の海を眺めてるときのことだったな。こまごましたことは、あとから考えるとわかるけれども、その瞬間の印象としては残っていない。
B ぼくも、そのときの記憶はありますが、凪景はそれほどはっきりしてないですね。子供のころ、家族がふと他人に思えるような瞬問があったり、自分の手足が自分とは無関係の棒ぎれにみえたり、またそれに類する経験がありましたけど、それは何かの錯覚たろうと思っていた。だから、あの体験もなにか不思議なことだくらいにしか思われなかったですね。ただ、地方から東京にやってきて、国電の中だったか、そのときは別で、何かあるなと思った。
A なんだ、つまらない面がぼくと似てるんだな。心象の風景といっしょに物象の風景も、きみから聞かせてもらえるかと思ったのに。……だけどね、そのときの光景をまざまざと記憶している人も、案外、たくさんいるらしくて、いつだったか学生の卒業論文を見ていたら、そのなかの
(P.24)
一人がこの経験について実に鮮明な印象を記している一節があったんで、論文そのものはみんな学生に返しだけど、その箇所だけは写しをとって、しまっといたんだ。どこか、そこらにあるはずだから、見てみよう。……これですがね、そう、いい機会だから、披露しておこう。こういう文章なんだ―
「ある事件が十三歳の時、校庭で起きた。晩秋のある晴れた日、私は昼食後の満腹感で校庭を歩いていた。他の中学生たちは、校庭で遊んでいた、すると急に、風の音と彼らの遊び声が、ボリュームを落とし、あたりが静まり、私は白いワイシャツが風に揺れているさまを見つづけていた。それは風の強い日の旗のように、バタバタと音をたてていた。その衣服の白さと、バタバタという音だけに、私の意識は集中された。その時、ひどい孤独とともに私は叫んだ。――ああ! 彼らも人間だ、と。その白さ、バタバタという音は、私の意識に他人としてそこに〈ある〉という感じを、たたきつけた。」(この一文は高野義博君のもの)
B なんだか、あんまりうまく表現されて、整いすぎて、まさにそうだという気もちといっしょに、そうだと思うとたんに、ほんとにそうだっただろうか、なにか、経験とズレがあるんじゃないか、という気もしますが……
A 今は言葉が信用できなくなった時代だと言われるが、ほんとにそうだと思う言葉に出あったときほど、待てよ、これは眉に唾をつけて吟味する必要かおるのではないかと、警戒してかかる
(P.25)
心理が、きみにそんな気をおこさせるんでしょうね。しかし、言葉の問題はどうせあとで話題になるだろうけど、だいたい、言葉と経験とはズレてるのが建前で、ズレがあるからこそ、それを埋めようとして言葉が重ねられたり、作られたりもするんだと、考えておかなきゃならんだろうね。ズレ方はさまざまだし、それに応じて人間のさまざまなあり方かあり、それにともなう気分もあるというわけだ。経験は経験であって、結局のところは、言葉になりきれないんだ。「経験の言葉」なんて言ってみたって、私の経験という私に固有の具休的で、その限りで一回的な、個別的なものを、言葉という抽象的で、普遍的で、だからこそ共同性の媒体にもなりうるものに、移しこんで伝えようとしても、それは悲願にとどまって、その願いゆえの努力が大事なものを作り出すにはしても、願いそのものの完全な実現は、ないんだな。人間の孤独なんてことが、心の深いところで誰にもつぶやかれるのも、そのためだろう。交わりのための言葉は、みんな嘘ッパチで、だから、言葉らしい意味のある言葉といえば、せいぜい、自分ひとりの場でのモノローグ(独白)ぐらいで、それしか信じられないと言ってみても、その独り言だって、自分の経験とのあいだには、たいへんな距離があると気づくものだ。
B たしかに、さっきの高野さんの文章でしたか、あの文章を聞かせてもらって、その時は経験とのズレみたいなものを感じたのですが、考えてみると、ぼくがぼくの経験を記録してみても、記録されて言葉になったとたんに、ぼくはやっぱり同じことを感じるだろう、という気がしてき
(P.26)
ました。経験と言葉とのあいだには埋めようのない溝があると覚悟してかかれ、なんて言われると、抵抗を感じて、そのことはそれとして適当な機会にまた持ち出したいと思いますが、Aさんに言いくるめられたというのではなしに、率直に考えて、やはり高野さんの記録は、的確な表現として高く評価したいです。
A 彼の場合も、もちろん、その体験は現在の彼の意識と言葉で顧みられて、文章に定着されているわけだ。それから数年たった今、彼にもういちど書いてもらったら、彼の今の関心や言葉を反映するような、別の衷現になることは否めないだろうね。けれども、これを書いた当時の高野君は、キルケゴールだのヤスパースだのサルトルだのといった思想家のことを噛っていたわけだから、その影響は彼の表現のうちにあるだろうけど、この表現のうちには、十三歳の経験当時にも現在にも通じる本質的に不変なものが出ていると思う。つまり、その瞬間においては、他の人も他の物も、自分と自分でないものとの隔絶の大きさにくらべれば、それらの間の個々の差が意識から落ちていくほど、もっぱら自分と他者との断絶感だけが自分の手もとにあった、ということだ。十三歳の経験当時だと、きみの言葉を借りると「心が宙に浮いたようで、とりとめなく、心ぼそく、怖かった」というような気分が圧倒的で、その意味を考えたりするよりも、まずは周章狼狽、恐慌状態ですよね。他者の存在の自覚とか、自我とか、それら二つの自覚の同時的成立とか、そんな意味づけをともなった理解は、あとのこと、少なくともその経験に反省を加えるだ
(P.27)
けの余裕をとりもどしてからのことですね。その後、自分でもそれに類する経験を重ねたり、他人にも同様な経験があることを知ったりするうちに、非日常的で異様な特別の出来事ではあるにしても、自分がそのために狂人でも天才でもあるわけではなく、むしろ普通の人間なのだということの証拠でさえあり、そういうものとして「人間」を理解するようになっていくのだけれども、初経験のときは、たいへんですよね。
思春期の「情動不穏」
B ひところ、「情動不穏」なんて言葉が電車のなかの吊り下げ広告や新聞広告などでしきりに目について、辞典を引かなくても、何かものものしい言葉の意味まで、ちゃんとその広告のなかに説明してあったものですが、要するに、いらいらするとか、気もちが集中しないとか、ふっと心がどこかへいってしまうとか、かなりひどい心理的な不安定さを、現代の成人病として印象づけて、その神経症状をノイローゼにまでしないために、そして人間蒸発の予防にもなりますよって調子で、精神安定剤、といっても鎮静剤のたぐいでしょうが、トラソキライザーの広告宣伝がこの言葉を使ってましたが、おぼえていらっしゃいますか。
高野義博著『述語は永遠に……』書出し部分
ベルだ、ベルだ、出て行ってしまうぞ、「新幹線ひかり」、畜生奴、飛乗らにゃあ。痛い! 何だ、彼奴は、人の足蹴っ飛ばしておいて、どんザラ奴! 痛い、痛いぞ、畜生。今になって痛くなってきた、唾付けとこうか……何処へ行った? ああ、彼奴か? ガラス越しの口吻だ。何とかの遊び、だ。ここは何号車だろう? 鳴り始めと同じ音量のはずなのに……びっくりさせやがったなあ、ドスでも刺されたみたいだった。暑いなあ! チェッ、心理学か、気を遣いすぎる駅員奴、ボリュームをいっぱいにしておいてスィッチを入れやがったな……そうしておいて、気づかれない位ずつ下げていくんだろう。ボリュームを握っている触覚、ベルの音量を聴いている耳、気遣い心、お役目ご苦労さん……じゃないね。スピーカを通しているんじゃないから。直だもの、「物そのもの」というわけだ。……とすると、こちらの耳の所為か、「聞く耳、持たん者は聞け」か、もう一つ、「つんぼにゃあ、聞こえぬ」と、……しかも、ベートーベェンは聴いた、と……。混んでいるなぁ、ここは……ううん、いい匂い! コーヒーも欲しいけど腹も……。何時だろうなあ……昼飯だなあ。先に食っとくか……でも、いっぱいだろうなあ……後にしようか。四号車なのか。皆座って……る、ああ、あそこ二つとも。ちょうどいいや、後ろ向きだ、おっ、危ない。揺れる、揺れる、こん畜生! うん? 今、何て言った? ……「畜生! 」運転手に言ったつもりなのか、この列車に言ったのか。おっと又々。十返舎一九は狂歌を吟じながらの二人連れを東海道に泳がせ、もちろん二本足だったが……私はここに座って……最後の列の……Dか、じゃないE席だ、ああ、いい席だ、お誂えだ、一人になれる……
肉が痙攣したのを機に、針を刺されたような激痛が走り、ガバッと跳ね起きようとしたが……身動きも出来ない重さで押さえつけられ、潰されそうになっている自分に、まるで過去を一巡りしてきたかのように気がついた。ウンウン唸ってその重いものを跳ね除けようとするのだが、手も足も硬直したみたいに意のままにならない。うなされてでもいたのだろうか。切れ切れの呻き声のような谺が記憶の網に引っ掛かって震えていた。それは有るとも無いともはっきりしないほんの幽かな想い出のよう……しかし、その更に奥まったところには、自分が気のつく前の、夢の記憶のような暗黒の大陸が黒々と横たわっているのが感じられたし、意識の轍を見失う遙か彼方に燎原の火の、残り火のようなものがチョロチョロと燃えているのがはっきり望めた。しかし、大腿部の破けるような痛みと胸から肩にかけての引きつるような痛みに加えて軀の何処か、場所のはっきりしない遠方の地、これと名指せない多義的な地点、心の内科的辺境に、何か尋常とは異なった特殊な痛み、というか……感覚、いや、自我の放棄され尽くした後の、為されるがままの、決壊中の堤防の心地。形式から内容の抜け出してしまった後の、蝉の抜け殻のような半透明な白々しさがあって、死に行く者が手の届かない所へ行ってしまったりこの世へと再び上がって来たりしているかのように、ある境界を彷徨っていた。
蜥蜴の緑や紫に入り交じる切り離された尻尾が時々引きつりを起こしてピクピクッと生き返るように、痛みが暗黒の大陸と燎原の火の方へのめり込みそうな私を目の前の現実へと引き戻していた。相手を抱き込む仕儀になっていた私の両手は痩せ猫の背を、濡れたその背を撫でたときの感覚……そのゾオッとする気味悪さを離すに離せぬままであった。痛みは鉄の爪でも立てられたよう……少しでも軀を動かせば、動かしただけ食い込み……そこから血がゾロゾロと垂れ流れ……既に、私は血の海に横たわっていた。ベットリした血の流れがゆっくりと暖かい臭気を発して鼻を抜けていった。そうして、ついに、私が目にしたのは……ピューマのような……あるいは豹のような、いや、虎のようにしなやかな、そう、ゆったりと構えていて虎かもしれない。何かそういう猫の縁者、猫科の動物。……その虎とおぼしきものがしっかと私の上に覆い被さり、鋼の爪を胸の上に突き立て、そのしっとりとした三叉の口は胃の辺りの臭いを嗅ぎながら鼻をピクピク……させて……狙っていた、が……? ……風がふっと切れたかのように、ふと、私はある疑問に取り付かれてしまった。……そんなはずはないと、よく見れば見るほど疑問であったものは徐々に確信に変わらざるを得なかった。そ、そんなはずはないのだが、……その虎とおぼしきものの仕草や視線の置き具合が……どことなく……この私自身に似ているのを驚き呆れながら発見したのだ。な、なんということだ……。
(以下略)
高野義博著『情緒の力業』第一章
第一章〈現実〉の出現
序 志学元年の経験
一般に、我々は孔子の言うように「十有五にして学に志す」と言われている。自ら意識的に学び始めるというこの志学の年、十五歳説は前後二、三年のズレはあっても客観的な事実として現代の実証的な心理学者もつとに認めているところである。
これに関して、W・ジェイムズは次のように言っている。我々は、「普通十四歳から十七歳までに」「自分は未完成であり不完全であるという感じ、思案、意気阻喪、病的な内省、罪悪感、来世に対する不安、懐疑の悲しみ」等々の強い印象を残す経験をする、と。
また、E・ミンコフスキーは、これを次のように述べている。「思春期は、それまでまどろんでいた力の荒々しい目覚めによって、単に幼少年期から成年期への移行期であるだけではなく、われわれの前に一つの生、つまりわれわれの生の展望を開きながら、われわれのうちでの〈人間〉への目覚めの時期ともなっている」のであると。つまり、俗に反抗期とか自意識の誕生とか言われるこの経験は少年期特有の経験なのである。
この経験は外部世界の不意の登場によってもたらされる、という点に特徴がある。というのも、それまで〈見て見ず〉であった事象を誕生以来初めて意識を伴って、〈それ〉として〈そこ〉に見始めるのであるから。この新たな目、つまり意識を伴った目で万事万象を見始めることを指して、孔子は〈志学〉と言ったものと思われるのである。
ところで、昔から、このような特異な経験をする端境期の少年を対象にして地上のあらゆる地方に、その土地特有の大人の仲間入りを儀式化した人会式・イニシエイションが数多く執り行われているし行われていた。これは、この時期の少年のこの特有な経験に注目し、それを日常的な事件にしてしまわないため特異性を更に展開するために儀式化し、そこに教育的な配慮をこめた先人の知恵の成果なのである。
しかし現代では、この儀式は影が薄くなり村落や共同体の導きは無くなり、先達は呆けてしまい、少年達は自ら一人一人が試行錯誤を繰り返しながら孤立した環境のなかで学びとって行かなければならないような状況に放り出されているのである。
一 志学以前
この志学以前、人は世界と一体になってその生成変化のままに生きているのである。そこは、身の回り全てが親密な具体的事象だけで構成されている、ごく限られた個性的な空間である。
その世界は、人が〈見て見ず〉のままにその都度その都度一回限りの具体的な環境を素早く完全燃焼して直に生きている充実空間である。また、自他の区別のない同体融合している混濁状態であり、神秘的な共存感、神聖血縁的な連なりによって意味深い生命感に溢れた関係で構成されているのである。その生の場は〈活発な安らぎ〉という形容矛盾の許容される永続状態であって、そこだけで足りていて知ろうとしないのである。
このように、その生の場は風習、習慣、伝統等によって形作られ、それらの影響力が絶対の力を発揮するのである。それらが生の基盤を構成し、それらがその人の生き方を方向付けてしまうのである。つまり、世界を意識的に己が意志の下に構成するのではなく、むしろ、己が意志をそれらへの順応のために晒すのであり、そうするようにあらゆる場面が仕組まれているのである。意志が働く余地が無い程それらが振るう力は絶大であって、意志はそれらの内的な世界に限定されてしか生きる道は無いのである。それらは、感受性も事の運び方も物への対処の仕方をも支配決定し、人格にある独特な資質を形成するのである。
この資質に関して、W・ハイゼンベルクはある講演で、次のように語ったという。「この前の大戦以来、日本からもたらされた理論物理学への大きな科学的貢献は、極東の伝統における哲学的思想と量子論の哲学的実体の間に、なんらかの関係があることを示しているのではあるまいか。今世紀の始め頃にヨーロッパでまだ広く行われていた素朴な唯物的な思考法を通ってこなかった人達の方が、量子論的なリアリティの概念に適応することがかえって容易であるのかもしれない」と。
また、J・P・サルトルの小説の主人公ロカンタンが存在の不安に怯えて嘔吐することについて、イスラーム哲学者井筒俊彦が次のように言って、西洋人と東洋人の生き方の背景を説明してこの資質の違いに触れている。「仏教的表現を使って言うなら、世俗諦的意識の働きに慣れ、世俗諦的立場に身を置き、世俗諦的にしかものを見ることの出来ない人は、たまたま勝義諦的事態に触れることがあっても、それだけの準備が出来てないからそこにただ何か得体の知れない、ぶよぶよした淫らな裸の塊しか見ないのである」
要するに、対象的・文節的に把握仕切れないその不気味な塊を前にして、ロカンタンは精神的失禁、すなわち吐いてしまうのである。「これに反して、東洋の精神的伝統では〈嘔吐〉に追い込まれはしない」(同)
確かに日本の場合、ロカンタンのように肉体的生理的嘔吐発作が起きようがないように唯心的精神土壌が生活全般を包み論理が唯心的に構造化されていると言えるだろう。それは、例えば日本のいろんな職人衆の生き方に見られるように、〈一つの仕事〉の完成を目指す為に全てがその王道に沿って構造化されている生き方を強いられる伝統的な生活にも現れている。
心理学者A・マズローはこれを次のように言っている。「日本映画「生きる」に見られるような(……)仕事によって自己実現をするということは同時に、自我の追及と満足を得ることであり、また真の自我ともいうべき無我に到達することである」と。
このような生活基盤の伝統の中に生きている我々が身辺を見回し、人生の意味を尋ね始めるきっかけとなる〈志学〉の経験をしたときに、伝統や環境が効果的に作勤しないで精神のバランスを失ったとしても、また、時代と共に徐々に効果が薄れているとはいえその基盤までは侵されていない唯心的土壌の大いなる手の内に保護されていることには変わりがない。そのため、ロカンタンのように嘔吐をする者は少ないだろうが、無我に到達するための長い試行錯誤を余儀無くされる者は多いだろう。己が意志により作り上げた明確な線を示す生き方ではなく、傍目にはどっちつかずの生き方をする者がである。というのも、「革新者」は伝統の強力に叩きのめされ排除されるのである。むしろ、その叩きに自分を晒すことこそ求められるのである。
それというのも、我々の生きている日本の生活空間はなんといっても概念的な曖昧さが漂う唯心的土壌であり、概念以前の集団表象の残響に関わる世界であるからである。
この辺りの事情について、現代の小説家辻邦生は次のように言っている。「われわれの国上は、かつて共同体的な集団表象のなかでは、民族と同体化した神聖血縁的な上地であり、民族の父祖、神々、英雄がそこにつねに生きつづけた。われわれと国土との間には(……)意味深い生命にあふれた関係が存在していた」と。
唯心的・精神主義的戦術で今次世界大戦で大敗を喫し、それまでの神聖血縁的な融即一体的な生き方から集団表象の無力に目覚め民主主義という概念的に明確な科学的生き方の導入を企り〈第二の開国〉をせざるを得なかった日本は、今、また、無機化していく生活の風化に晒されて意味の欠如した無限空転を続けているのである。
我々は以下にこの〈志学元年〉である経験を経て、〈現実〉がどのように出現してくるのか、時代の状況がどのように我々一人一人に絡まってくるのか、その構造を探ってみたいと考えるのである。つまり、融即的土壌に科学的方法はどのように根付こうとしているのか、それがどういう浮き草状態を呈しているのか、どのような問題を抱えているのか、どのようにしたらこの難問を突破出来るのかを人間の内面の心理的葛藤の場に見ていこうというのである。
二 志学の経験
我々は誕生に次ぐ幼児期・少年期を環境や伝統の大いなる手に保護育成されて過ごし、その時代特有の教育・倫理・道徳・宗教・価値観等の形成する方向に導かれるのである。ということは、社会の志向する心性に幼い心は造型されて、その心性の絶対性のなかで融即的な強い関連で結ばれた世界に生きるのである。「われわれはこれまで聞き方を学んだことのないものは聞かないのです」(J・ラカン)という排除と独断によって形成された一宇宙を作りあげるのである。
その生々流転して止まぬ生にすっかり自動対応して、止どまることを知らずに生きていくこの世界は一面幸福な世界ではある。そこだけで足りているのであれば。しかし、世の中に変わらないものは無いのだし、追っ付けそこには変化の兆しが現れるのである。
その世界に破綻が生ずるのが、つまり有機的関連で強く結ばれていたものに疑わしさが付着し始めるのが、先に触れた〈志学元年〉の経験である。
それは、ツルゲーネフが『ハムレット』から引用しているように、
この心が主になって
自分の選択を支配し
人々を区別することを
覚えた時から
始まるのであり、有機的関連で結ばれていたものの間に区別を設け、融即的なものを分離し客観化して、意味深い関係を排除し抜き去った〈対象〉として、そこに据置き初めてからである。
それもこれもみな、不意に登場した外部世界のために、世界を問うはめに陥ったので、かような事態に投げこまれるのである。
先にも触れたように、この〈志学〉の年の経験は一応誰でも少年期の十五歳前後に経験するもののようである。ただ、人によってその印象が強かったり弱かったりするようである。同じような経験をした者が他人のその経験の話を聞き、又は本の中でそういう場面に出会ったときに、記憶の底に眠っている忘れ果てていた己の経験に巡り合うということが間々あることである。それというのも、この経験が独特な経験であって少々不可思議な印象を残しはするが非日常的な経験であるため故意に抹殺され無視されるからである。
ところが、この経験の印象の強い者は大変なショックを受けるのである。その突然の襲来と有無を言わせぬ強烈さで、まるで何か名付けようのない巨大なものに鷲掴みにされ、右に左に引きずり回されるような驚天動地な経験であり、心の中で何かが爆発でもしたかのように爆風が駆け巡り、 情緒が動転して一大活劇を演じるのである。このような大きなショックを受けた者にとって、世界は判断対象となり一大疑問符となってしまうのである。
一方、記憶の底に沈んでしまう程度のショックである者には、伝統的な形式の大いなる手の保護力が有効に働き、その瞬間的経験は無かったかのように忘れ去られるのである。
この後者については、その受容の構造、意志や知性の客観性がどう組み立てられているのか、興味のあるところではあるが、当面ここで問題にしたいのは前者、大きなショックを受け呆然自失となる者の経験である。
さて、この経験について著者はかって次のように書いたことがある。
ある事件が十三歳の時、校庭で起きた。晩秋のある晴れた日、私は昼食後の満腹感で校庭を歩いていた。他の中学生達は、校庭で既に遊んでいた。すると急に、風の音と彼等の遊び声が、ボリュームを落とし、辺りが静まり、私は白いワイシャツが風に揺れているさまを見続けていた。それは風の強い日の旗のように、バタバタと音をたてていた。その衣服の白さと、バタバタという音だけに、私の意識は集中された。その時、ひどい孤独とともに私は叫んだ。
「――ああ、彼等も人間だ」と。
その白さ、バタバタという音は、私の意識に他人としてそこに〈ある〉という感じを、叩き付けた。
これは、彼等中学生も著者と同じように人間なのだということを著者の尊大さからその時初めて認めたということではなく、存在の事実として、客観的対象として、そこに彼等が居る事実を認めさせられたのである。第三人称である外部世界の不意の登場に立ち会ったのである。私と彼等との間の無限の間隔、つまり〈距離の感覚〉という奇妙な世界にいる自分に気がついたのである。
村上陽一郎は、この経験について次のように述べている。「その閃いたなにものかを今になって理屈付けてみれば、それは、彼と自分とは違う人間なのだ、という一種の距離感覚であったのだ。
しかし、別の観点からすれば、このように対象化して自我の前に据置くことこそ、ハムレットの言うように「この心が主になって」行う行為であるから尊大と言えばこれ程尊大な行為もないであろう。全宇宙をほとんど自身の内部に限定し、「幼年期の間は、もっとも直接的な必要や恐怖によるのでないかぎり、ぼくは外部世異にぼとんど関心を示さなかった」というM・レリスの言うような幼年期の尊大さに比べれば。
さて、〈志学元年〉の経験以後の世界で、我々は物象を目の前に据えて、繁々と見詰めるのであった。それというのも、世界が今までとは違った相貌を示したからなのであり、そこに見慣れぬものが不思議なものがざわめているので、視線を固定せざるを得ないのである。世界をそのあるがままの状態から無理矢理引き剥し、流動生成してやまぬものの一片を、あるいはその一面を、釘付けにして観察対象として固定せざるを得ないのである。すなわち、物象の〈対象化〉を計るのである。
「何だろう? あれらは」という前屈みの姿勢に、不意に登場した外部世界は解けぬパズルのまま謎となるしかないのである。疑問文ばかりが陸続と誕生し肥人化するのである。つまり「人生は生きるに値するか」、「人生の意味は何か」、「我々は何処から来、何処へ去るのか」、「世界を思いのままに動かしている何者かがいるのか」、「このような問いを発している、私とは何か」(鈴木大拙)等々。これらの問いは、突き詰めてみれば「実在の究極的意味の探求」(同)となるのではあるが、ここに重大な落とし穴があるのは後々になって初めて気が付くことである。というのも設問の「実在とは何か」という形式そのままに、回答も同じ形式――客観形式によることが前提されているのだし、強要されもするのである。
すなわち、これらの問いの根源の問い「私とは何か?」に対して「私は……である」という主語―述語形式による回答が待機しているのであり、さらにこの回答には述語の確定ということが前提されているのである。この前提は、意識ならびに言葉を使っての確定であるということを更に前提しているのである。
ところで、学説の別れるところではあるが意識の本来的資質は「志向性」であり、言葉のそれは「分節性」であろう。この両者が合いよって世界を呈示してくるのであるから、客観形式としての述語の確定は〈厳密さ〉をその旨とし、〈留まるを知らず〉がその本来の姿となるのであって、〈曖昧さと放棄〉こそこの問うという形式の絶対のタブーとなるのである。こうして我々は問いの無い融即的な状態から、志学の経験を経て不意に登場した外部世界について、問う羽目になるのである。
そこで、この問うという作業がどのようになされ、〈現実〉をどのように呼び出すのかを次に探つてみたいと考えるのである。
三〈現実〉の出現
世界に融即混在し得た状態に、突然、外部世界が登場し、見慣れぬ不思議なものに取り囲まれて、身の廻り一帯の全てについて問う羽目になってしまった者に、初めて〈現実〉が出現するのである。それ以前の問わない者にはここでいう〈現実〉は存在しない。有るのは生成流動してやまない奔放な生、有機的関連でがっしり構成された既成の価値観で完成されている生ばかりである。その生の形式はこのように論述すること自体が本来無意味なことである。なぜなら、停滞は何処にもないのだから。言葉が取り付くことの出来ない言葉以前の世界なのであるから。
本来滞りのない生に停滞をもたらし、〈現実〉を呼び出してしまう〈問うという作業〉は意識と言葉という鍬を使っての土壌の掘り起こしのことである。末開墾の土壌は見はるかす彼方まで広いるのであり、掘り起こされた土塊の数々が歯形も生々しく放り出されているのである。
そう、「処女地が犯された!」という暗く重い密やかな念がこの作業には常に付纏うのである。しかし、この心情に反して意識と言葉という鍬は〈厳密さ〉を旨として〈留まるを知らず〉に振り降ろされ続けるのである。末開墾の生成流動してやまぬ土壌は問いという鍬に振り起こされ客観性という白い腹を晒け出すのだ。跳ね回っていた魚も問いにこづかれてついにおとなしくなり対象という死体となるのである。
一般に意識とは名の無い物象を命名によって把握するところに生ずる主体の内的状態をいうのであり、名の無いところに〈対象〉を構成して、その構成物によって世界を知覚することをいうのである。生成流動してやまない渦雲状星団のホウボウたる流れをハムの輪切りのように切り取って目の前に据えることをいうのである。
ということは、意識はそこに対象を定立し得なければ意識ではないのであるから、意識が対象に向かう意気込みには存亡のかかった懸命なものがあるのである。
その志向性を旨とする意識によって名の無い物象は自我の前に対象として定立されて、AなりBなりの名を得るのである。名を得るとは、それをそれとして他の一切から分離、区別し、一定のものとして固定することである。つまり、分節を旨とする言葉によって、それと指定されるのであり、その言葉をもって世界の一端に組み込まれるのである。これが名の無い物象が人間の経験の世界に入って来るときの基本構造である。
問いの型式――意識と言葉によって〈現実〉がこのように人間の経験の中に出現してくるのに引き金となったのは言うまでもなく〈志学元年〉の経験であったが、この経験の成立条件として忘れてならないのが、問いを問う者白身の〈自我の目覚め〉という特別な事態である。〈志学元年〉の経験の成立、すなわち〈現実〉の出現、外部世界の登場は全面的にこの〈自我の目覚め〉によっているのである。
このような〈志学元年〉の経験によって我々はそれまでとはまったく異質の世界に入って行くことになるのだが、その世界は突然やってきてまったく動く気配を見せないのである。それは暴力的な訪れ方をして、以前の世界に取って替わって居すわり続ける不可逆な構造を持った事態なのである。
それでは、その〈自我の目覚め〉とはどういう事態であるのだろうか。〈目覚め〉というのだから、その前は微睡んでいたことになる。まず〈自我の微睡み〉という事態があり、次いで〈自我の目覚め〉いう事態が生じたのである。
〈自我の目覚め〉は言葉と意識による対象の定立であったが〈自我の微睡み〉はそういうもののない融即的な混在界のことであり、先天的な、ならびに後天的条件によって感受性の傾向、つまり質が方向付けられている準本能的事態である。自意識的判断によって選択された世界ではなく、先験的所与として既に与えられて存在する世界であって、解決すべき何もない、判断形成される主体的作業以前の事態を〈自我の微睡み〉というのである。
このような自我の微睡みの事態に、自我の目覚めは「突発的な出来事として、まるで用意のないところを奇襲されたように、自分が作りだしたのではなく、自分が襲われた思いがけぬハプ二ングとしてやってくるものだから、自分がそれに対して受け身であるだけに、その出来事は悩みでもあり不安でもあるという気分にともなわれてやってくる」(飯島宗享)のである。そして、従来までの基準であったものが疑わしくなり、「それ以前までの基準にあぐらをかいて、惰性的、習慣的にかまえていてはすまない状況がそこに生じている」(同)のである。
それは微睡みから目覚めに強制的にうながされることであり、というのも、それは「事件」として人を襲うからであるが、新たな基準によって自分と世界とをとりまとめなければならない問いを発している自分を発見するということである。それは空間と時間に関する外界、物象、事象等を己が意識野に連れ来たって〈見られる客体〉として目の前に据付作業をしている意志的な自分を発見することである。その自分が物を融即的事態から分離、分節して対象化するのである。「我」であり、「汝」である「もの」が出現し、〈過現未〉が切り取られ抽出されるのである。このように、〈自我の目覚め〉はその実、その裏に、〈他我の自覚〉を自我の中に生じさせることを含んでいるのであるが、それもこれも「我」が「汝」を「我」から引き離したものとして見詰めて問うからである。
問うということは、問う者を現実の外に置くこと、あるいは問う者と問われる者との分離を前提にしているのであるから、この問うという作業は倫理的証明の形において究明される概念的詮索、客観的な営為であり、知性の行為なのである。この知性の本来的な資質は〈厳密さ〉と〈留まるを知らず〉を旨とするので、次から次へと問いを生み出して、『述語は永遠に……』(拙著)溢れ続けて主語を満たすことはないのである。満たされない主語は宙ぶらりんのままの状態の打破を目指し、火急に回答を求めて〈述語捜し〉に奔走するのである。句点「。」のエンドマーク目掛けて主語―述語のコスモスを。
このように、出現した〈現実〉に対して自我は知性的に対応して、従来の融即的混在とは異次元の「我」と「汝」、「外界」と「内界」等の対立的な存在の次元に入って行くのである。外部世界に面した自我の対応は、その〈現実〉を目の前に捕まえようとするのであり、知性の網によって主語―述語構文の中に閉じ込めようと企るのである。その意識的な閉じ込めの体系が論理であり概念である。それは言葉により構築された理念であり観念である。
世界は一自我の中に、このように構築されて、これがあるがままの〈現実〉だとして自我によって呈示されるのである。ということは、自我は〈現実〉を統一する根拠であり、〈現実〉が成立する礎石なのである。
このようにして、外部世界の不意の登場の間に「自我」と〈現実〉という主観と客観が間を置かずに出現しているのである。それは融即的混在界では、主観・客観の分裂・分節とはならず両様の働きが団塊状で行われているのであった。それが、問いが生じたことによって、今までの所与の世界に対して自我の意志によって構想され得る反自然的な世界の可能性が誕生したのである。世界に対して意志的に立ち向かう素地が出来たということであると同時に、意識による開明が端緒に付いたということである。
我々は次に、この自我の意志によって構想される世界観の二つの基本構造、つまり客観性によるのと主観性によるのとを考えてみたいと思うのである。
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個人はすべて各自がそこへ生れ落ちた言語習慣の受益者であると同時に犠牲者である……
(A・ハックスリー)
端的に私と環境との最初の結びつきは気分である。良質の、ためにするのではない閑雅な観察とはこの意味での気分的な結びつきにほかならない。
(大室幹雄)
言葉を効果的に扱う術を学ばなければならない、と同時にわれわれは所与の事実すべてに品種のレッテルを貼ったり解説的抽象を施してまったくの陳腐な見せかけへと歪曲してしまう概念という半透明の媒体を通さずに世界を直に眺める能力を保持し、必要とあればそれを強化することもしなければならない。
(A・ハックスリー)
この至福の金剛身として表されている清浄な境界に達した時、初めて超意識の領域に足を踏み入れられるのだ。一切の汚れがきれいに洗い流され、自我は心の深層部を透かし出す透明な窓になる。これに伴い、この世界の認識の仕方も変化する。前方に広がる美しい国々がそれを暗示している。今や目にする物一切が、神聖な本姓を見せて光り輝き、その光景はまるで地上に降りかかる天国の欠片のようだ。
(E・バーンバウム)
ここでは日常の生活空間も随所でその存在論的な意味を変換することが起こる。われわれの構えから見れば、ごく他愛もない出来事をきっかけに生活空間の一転に潜伏する生命の流れが噴出すると、そこは聖なるものの顕現する場所として存在論的な変換を遂げ、この聖所を中心として生活空間全体が宇宙論的な秩序を現す新たな世界として人々の視のうちに出現する。そしてそれとともに人間の内なる生命もまた新しい秩序のうちに新たな生を開始する。
(大室幹雄))
一回きりの人生だけでは充分ではありません。
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貴兄の旅の進捗を祈願しております。
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