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素材抜粋-日本的経営の論点 名著から探る成功原則

2011年01月12日 | 読書
素材抜粋
                                      
2003/12/22


日本的経営の論点
名著から探る成功原則
飯田 文彦著 
PHP選書 1998年




 ”日本的経営”と呼ばれる独特の経営方式は、さまざまの深刻な問題に直面して対応を迫られてはいるが、いくつかの修正を施しつつ、基本的には従来の路線に沿って問題の解決がはかられてゆくものと私は考えている。日本的経営の限界は現行制度の限界であって、日本人に適合した制度の限界ではないからである。
岩田龍子『現代日本の経営風土』1978年


 年功制や終身雇用制の時代は急速に終わりつつある。日本の企業は新しい経営システムの構築に向かって模索を始めているが、それが一定の成果を収めるまでにはかなりの期間を要するだろう。
                  中谷 巌『転換する日本企業』1987年


 そもそも日本人の基本的な考え方は、「変える」ということよりも「変わる」という考え方である。だから環境変化に”適応する”ことには非常に敏捷だが、環境を変えることはもちろん、自社を自分の意思で”変革する”という発想が希薄だ。
                              織畑 基一


 アベグレンの、「多様な部署の仕事を経験してきていればつぶしがきくから食を奪われる心配はない」という言葉は、ローテーション異動(部門や職務間の配置転換)の有効性を象徴的に表現している。


 こうした日本企業の職務の曖昧さについて、外国人に説明する場合には、最初から日本企業には職務は存在しないといってしまったほうが分かりやすいかもしれない。その一言でおそらく彼らは驚き、そして呆れはててしまうであろう。
                田中博秀『日本的経営の労務管理』1988年


 日本企業における職務分担・・・・・・・サッカー
 欧米企業におけるそれ  ・・・・・・・野球


 また、田中博秀は、終身雇用の「短期的な非効率性」を認めながらも、一方で、その不利益を上回るほどの「長期的な効率性」を得ることができると主張する。


 それゆえ、戦前には、終身雇用制は存在したが、終身雇用問題はほとんど表面化していなかった。後者が大きくクローズアップされるようになったのは、戦後、それもとくに最近、技術革新や貿易自由化に応じた新しい経営づくりが必要になったからである。そこでは、終身雇用は新しい経営のにない手である新しい労働者を雇用するさいの阻害要因として、指摘されている。要するに、終身雇用についても、歴史的には経営の要請から出発した終身雇用制と、経営の阻害要因としての終身雇用問題とを、はっきりと区別しておく必要があろう。
                間 宏『日本的経営の系譜』1963年


 「日本的経営」の制度的支柱の一つである終身雇用制とは、従業員が定年に達するまで一つの企業に長期勤続する慣行をさしている。企業は、従業員に長期勤続を奨励するために、勤続給の導入、退職金制度の確立、福利厚生施設の充実を行った。すなわち従業員はながく勤続すればするほど賃金が上昇し、定年まで勤め上げれば有利な退職金が支給され、福利施設による便益を受けることによって他企業に移動する気持ちがなくなり、企業に定着する志向を強めたのである。いってみれば、三つの制度は、終身雇用制を維持するための条件としての役割を果たしたといってよい。
              船橋 尚道『日本的雇用と賃金』1983年


 日本のサラリーマンには、会社に忠誠を尽くすも尽くさないも、選ぶ余地がない。なぜなら、会社をやめられないからだ。(中略)
現状では、日本のサラリーマンには、みずからを会社にしっかりと一体化させて生きるより道がない。ほかの国でなら家庭や親友のためにだけ捧げられる心の中身まで、会社に差し出さざるをえないのだ。
K・V・ウォルフレン『人間を幸福にしない日本というシステム』1994年


 すなわち、日本的経営システムは明治以降の日本の近代化過程の中で、日本的なものから欧米的なものへ移行してきた結果ではなく、様々な模索を通じて進化論的に形成されてきたと理解することが適当である。
             吉田 和男『日本的経営システム』1996年


 日米の企業組織の違いは、「個」のイニシアティブを引き出すことによって極大のパフォーマンスを達成するアメリカと、「全体」のまとまりを重視し整然と目標に邁進する日本型に分けられる。工業製品主導の社会では、現場の生産性で一日の長があった日本型に軍配があがったが、スピーディーで創造性が求められる情報重視の社会でも日本型が優位にあるとはとうてい言えない。そこに実は、日本型組織の限界がある。
             G・フィールズ『超「日本的経営」』1996年


 日本的経営の強みは、社員と経営の連帯感であり、それを容易に崩すべきではない。日本ではそれにとって代わる基盤はあまりに浅い。その意味では、日本的経営の根本にある終身雇用の完全放棄はかなりの危険をはらむ。終身雇用をある程度維持することを志す経営が、日本では主流であるべきだと私は思っている。
             G・フィールズ『超「日本的経営」』1996年


 これまでの議論で、私は、西欧型のインディビデュアリズム(個人主義)ではなく、日本社会に適合する独自の日本式個人主義の可能性を示唆してきた。
その独自の個人主義を表現する言葉を提案するとすれば、「個」を尊重しながら「全体」との調和を志すという意味で、「個調主義」という言葉が適当かもしれない。
繰り返すが、いままでの社会の基本的価値観を全否定したシステムを一昼夜で確立しようとすれば、混乱が生じ、その企業は痛手をこうむる。
             G・フィールズ『超「日本的経営」』1996年


 このように、フィールズは、「年功制は廃止するが、核となる正社員については終身雇用を維持して連帯感を強め、その他に契約社員として有能な専門家を多数活用する」という未来像を示している。


 深刻なのは、日本の国内でこの日本的経営に対する評価が急速に低下していることである。しばらく前に起こったバブルは、愚直さ失ったために出てきたものである。(中略)日本的経営を支えていた愚直の精神は不要になったのだろうか。
             加護野 忠男『日本的経営の復権』1997年


 最大の原因は、日本企業の人事のシステムがうまく機能しなくなったことに求められるのではないか、と私は見ている。愚直な人ではなく、「かしこい」人が評価されるシステムになってしまったということである。(中略)
 それどころか、逆に、「実績主義の報酬制度」や「管理職年俸制」といった「かしこさ」をより評価するシステムが導入されつつある。どこかで歯車が狂い始めたのである。
             加護野 忠男『日本的経営の復権』1997年


 このような観点から、本書を通じて明らかになった成功原則・・・・・・・それは、どのようなシステムを設計するにしても、そこに「企業と社員との一体感の追求」と「生真面目に努力する社員の尊重」という設計目的が込められていることが必要であり、「その国や地域社会の文化(与件となるような価値観)の弱みは抑え、強みに磨きをかけて活用できるようなシステム」を心がけておけば、それが最善のシステムだということなのである。


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【投稿者コメント】
様々に分岐した就業形態の今現在、マドリング・スルーな活動こそ次のステップへの重要な歩みであって、官僚好みの理想論は何の力も発揮できないであろう。

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