あなたの…

素材抜粋 2011.08.19
デフレの終わり
2012年に「千載一遇」の買い場がくる
若林栄四著
日本実業出版社
2011/07/10第三刷
フィボナッチ・ナンバー
もつとも格付会社S&Pなぞは、サブプライムボンドに最上級の格付けを与えてきた米国危機の戦犯のような企業であり、大したクレディビリティはない。
円が対米ドルでピークをつけるのは、2012年2月の1ドル=74円だ。
しかし、それを過ぎれば、本格的な円安トレンドの到来とともに、物価もデフレ基調からインフレ基調へと変わっていく。当然、そうなれば日本経済の回復に対する期待感も高まっていくため、株価は上昇トレンドに入っていく。
米国のメディアで報じられているマーケツト情報を見ても、常に投資家が主語に来る。そうではなく、本来は相場が主語にくるべきなのだ。
以上
事務局から与えられました時間は30分ということですので、早速、本論を始めさせて頂きますが・・・・・その前に、皆さん不思議に思われていることでしょうから、一言お断りしておきます。
私は、ここの学部を昭和42年に卒業して、以来民間企業で30年ほど働いております「会社人間」です。その会社での担当業務は<厚生年金基金>という企業の年金でして、20数年同一の仕事を行なっています。ということで、20数年同一の仕事をするなどというのは一般企業では希なことであって、典型的会社人間というよりアウトサイダ-的会社人間ということになります。
「白山哲学会」のような学究的世界に、私のような会社人間が厚かましくもしゃしゃり出てきましたにつきましては、こちらの針生教授に、今年の7月に発行された校友会報に拙著『情緒の力業』の紹介を書いて頂いておりますので、そちらをご参照頂けたら幸いです。私の本の出版を機会に、少々大袈裟に言えば異業種交流が図られたとでもお考え頂いたら宜しいかと思います。
そういうことで、以下、私が皆さんにお話することは、皆さんのような学究的な方々にはラチもない三百代言であって、普段親しまれているエレガントなベグリッフの世界からはほど遠い内容かも知れません。ここで、お話させて頂くについては、やはり<哲学>について皆さんの前で話すべきかとも考えましたが、早々に私の任にあらずと断念致しました。むしろ、会社人間として実業の世界の一端でもお話した方が皆さんにはエキサィティングだろうと考えるに至りました。
さて、本日のお話の構成は、アリストテレスの「三段論法」でもなく、ヘ-ゲルの「正・
反・合」でもなく、花伝書の「序・破・急」に沿ってお話してみたいと考えました。
といいますのも、常々、私は「三段論法」や「正・反・合」の西洋合理主義の論理構成、
つまり<1+1=2>に対して、何か胡散臭さ、でっち上げの意図を感じておりました。そ
れは、ただ単に論理展開ツ-ルとしての仮定にしか過ぎないのではないかと、不信の念に捕らわれていました。
しかし、現代哲学で支配的な考え方は、あくまでも、知的、客観的、科学的合理性追求の姿勢でありましょう。しかし、会社人間の私が日夜格闘していますのは「結論・背景・効果」というような性急なスタイルです。そういうことで、実業の世界には、一片たりとも知的、客観的、科学的合理性追求の姿勢はありませんと断言してもよいようなドロに塗れた世界です。その逆がまかり通っているのが現実です。もちろん、私自身のプライベ-トな考え方は、著書のタイトルのように、『情緒の力業』なのですが。
ところで、先日、私のところの事務所で、或る外資系投資顧問会社のうら若き女性営業員とお話していたとき、その方が次のように話されたことがありました。
「外資系企業に入社しようと思って、<英検>の勉強をしていましたときに、<英検>そのものには受かりましたのですけど・・・・・何んとなく、英語というものが分からず、もやもやしていたのです。
或る日、友人の外人家庭に遊びに行ったとき、パ-ティ-の席で、夢中になって友人の家族皆なと話している自分に気がついたの!
その瞬間、こんな太い角材でガツンと殴られたかのように分かったの。
IT'S A ENGLISH,ENGLISH !
と叫んでいたわ、その時! 」
その方は、この経験、立ちふさがっていたもやもやしたものが破れ、向う側へ突破したことを英語では「ブレイクスル-」と言うと教えてくれました。
偶々、私も『情緒の力業』の中で、同様な事例を数多く採集していましたので、その内の幾つか、とくに宇宙飛行士逹の経験(立花隆『宇宙からの帰還』)を話して尽きるところがありませんでした。
この経験にはどんな意味があるのかということで、40代の全部を使って私は『情緒の力業』を書いたことになりましたが、この話しを聞いた頃、この本の出版の準備をしていましたので、本の帯に「ブレイクスル-」という言葉を使わせてもらいました。
一方、実業の厚生年金基金業務展開の方でも、もやもやしたものがありました。厚生年金基金の仕事は、お陰様で20数年継続させてもらいましたので、その間に数多くの業務改善も実現致しました。しかし、最近ではこの業務改善の思考スタイルの限界を意識していました。といいますのも、この「カイゼン」は英語になっているそうですが、基本的に線形論理で構成されていて、改善に改善を重ねて一直線上をひた走ることになります。硬直的でスタティックなこの業務改善の思考方法では、動的な現実に対応出来なくなっています。そこへ、この「ブレイクスル-」な思考スタイルが浮上してきました。コンセプトの拡張はこれで達成されることでありましょう。
「序」はこの程度に致しまして、次いで花伝書の「破」と行きましょう。そこで「破」らしく日本の金融の機能不全についてです。
世界がグロ-バル化している事態については皆さんもご承知のことと存じます。技術は世界を一つにしてしまいました。国境が無意味になりつつあります。鎖国政策や共産主義はロ-カル視されて立ちいかなくなりつつあります。恣意的なスタンドプレ-や個人や国家の作為が成り立たなくなっています。共産主義はニクソンが為替のフロ-ト制移行を決意したことで簡単に崩壊してしまいました。赤い血を見ることもなく。
世界のグロ-バル化は、金融の世界に端的に表れています。金融界のグロ-バリゼィションの進行は、金銭の決済場面で典型的に表れています。ロンドンからニュ-ヨ-ク、そして東京、香港と巨大マネ-が<資本の論理>によって瞬時のうちに移動します。1円の円高ドル安で一企業のレベルで百億円単位の損益のブレが発生します。1ドル80円にでもなれば、日本で製造業は成り立たなくなるそうです。そうなれば、雇用はますます悪化し、ますます少子社会となり、年金も学校も従来通りには成り立たなくなるでしょう。
それなのに、日本の金融は95年に次々に発生した金融事件の対応に示されたように、従来体制の無能力、当事者能力が無い既得権益集団であることを公開し、機能不全そのもので金融危機の様子を見せ始めています。超低利金融政策による銀行救済と年金生活者潰し、それに中高年、女子大生等の就労機会を奪っています。厚生年金基金でも、低利回りの資産運用のため、積立不足基金が続出し、解散する基金も出始めています。
金融を中心にして、日本の経済はどん詰まりにきて、タ-ニング・ポイントに近づきつつあるようです。かっての日本経済の勢いはすっかり失われ、身動きの出来ない状態に陥っています。このことは経済界だけのことではなく、日本全体が陥っている閉塞状況であろうと考えられます。そして、これを現象させたのが、従来手法の機能不全ということです。
最後に、花伝書の「急」と行きましょう。日本全体の閉塞状況、つまり従来手法の機能不全の根本原因は<国民の総サラリ-マン化>によるものと考えられます。
役人から始まって、政治家も会社人間も、教育界もスポ-ツ界も、商売人も経営者も、農家も大工も、・・・・・・・日本のあらゆる場面で、人々はすっかりサラリ-マンとなってしまいました。サラリ-マンをやっていれば、どうにか事は回っていましたし、どうにか食えたし、また別の意味では、それがあまりに長く続いたことで事を荒立てる必要が無くなってしまったのであります。
このサラリ-マンの手法というのが出る釘は打たれる、横並び発想、群れ思考、角は丸めること、光は削ぐこと、アィディアは殺すこと、農耕村落的発想等々言われているものであります。つまり、最終的には<何もしないこと>がサラリ-マンの鉄則となっているのです。
こういう手法で、グロ-バル化した世界に立ち向かうというのは何ということでしょう。
農耕民族の仲良しクラブで鎖国政策を維持・継続しようとも、グロ-バル化した世界では狩猟民族の切磋琢磨にとても勝ち目はないでしょう。
従来手法の機能不全がこのように、国民の総サラリ-マン化によって生み出されたとすれば、それを生み出しました母体は何であったのでしょうか。
それは、農耕民族である日本の土壌の上に、戦前「満州国」で実験され、日本に持ち込まれた官僚による統制経済、共産主義国家よりも過重な計画経済の導入であったろうと考えられます。官僚による統制は、日本国民の農耕的資質にマッチして国民の自主性をスポイルしてしまい、ハシの上げ下げまで人に言われなければ出来ないような主体性のまったくないロボット人間を大量に作りだしてしまったのです。自らの好き嫌いの判断を行動に示すのではないドブネズミ色の背広集団を作りだしたのです。
統制・計画経済の手法は、<決める>ということであって、物事が<決まる>ということについては無知であり、<決まる>ということを認めることは論理矛盾でもあります。
この<決まる>ということを言っている方は、通貨マフィアでもあったかっての大蔵官僚の行天豊雄氏ですが、行天氏は外国との為替交渉の経験からこのような知恵を得られたとのことであります。それなのに、大蔵行政の日々の業務は逆に<決める>ばかりが先行し、あらゆる場面で物議をかもしています。
世の中には、相手の主張を論破して<決める>という論理形式に対して、浮遊させたまま結論を急がず<決まる>まで放り置くという形式も有りえるのでしょう。
ただ、今ここで私が考えている「序・破・急」の論理も、そういう<決まる>という事態を前提に、素材をそこへ提供するだけに限定していて、皆さんと議論を戦わしたいと望んでいるわけではありません。
さて、今、日本は閉塞状況にあって、従来手法の機能不全を招いている場面でいろんなモヤモヤが重く立ちこめています。まだまだ向う側へブレイクスル-していないプレ・ブレイクスル-な事態にあるのでしょう。唐突ですが、おそらく明治維新前と同じでありましょう。明治時代の人たちには良きにつけ悪しきにつけ、なんと「人物」が多かったことでしょう。あの時代には、人々にヴィジョンが充満していたし、人が生きるというベ-シックな次元からの高邁な生が日々の生活に具現していたようです。そこから類推すれば日本人にもそのような品性があるようです。今は何処かに置き忘れているのかも知れません。
昔、ドイツの哲学者フィヒテは「ドイツ国民に告ぐ! 」と高らかに叫んだことがありました。今や、日本は戦後の手法の末期症状を呈し、ブレイクスル-を目指して何かが必要になつてきたようであります。どなたか、この会場の中からでも「日本国民に告ぐ! 」と叫んでもらいたいと思います。そういう伝統が、この「白山哲学会」には脈打っているものと信じております。
つまらない話しを申し上げました。 ご静聴、誠に有難うございました。
平成8年10月26日
東洋大学白山哲学会
オープン翻訳プロジェクトTEDというウェブサイトを発見しました。
ちなみに、これをご覧になって試してみてください。
http://www.ted.com/talks/lang/jpn/damon_horowitz.html
楽しいですよ。