素材抜粋
企業分析と資本市場
北川 哲雄『アナリストのための企業分析と資本市場』
東洋経済新報社 2000年
FASBはまさに時代の法的要請を受けて発足以来、1998年までの25年間で134もの新たな基準書を生み出してきた。これをもって、フィードバック制御が良く働き、法の変革機能が順調に果たされてきた、という評価を与えることも可能であろう。
……・資本市場においては「自生」的な制御の仕組みがアメリカでは長年の歴史からできあがっているという仮説を筆者はもっている。
法的規制下にある情報開示はミニマム(最低限)のものとなりつつある。フォーマルに対してインフォーマルな、強制的に対し自主的な、インボランタリーに対してボランタリーな情報開示の分析が、今や避けて通れないものとなってきた。
それでは、このインフォーマルな情報開示、情報交換におけるフィードバック制御はいかにしてなされるのか。ここでは、公認会計士のような「法的強制力をもつ安定装置」、FASB、SECのような「安定機能と変動に対応する機能」をあわせもつ「半公的(セミパブリック)機関」あるいは「公的(パブリック)機関」はない。しかし、現実には精妙なフィードバック制御が働いている。その要因の一つは、個々の構成者の行為に対し常にその機構の外部に「評価者」が存在しているからである。
Institutional Investor 誌は、純粋な私企業が経営する一雑誌にすぎないが、資本市場システムにおける重要なフィードバック制御機能の一翼を担っているのである。
インフォーマルな情報発信、それを受けてのアナリストによる「予想収益の算定」、さらに、それをもとにする機関投資家の投資決定等それらの「行為」が、資本市場システム目標を叶えるのにきわめて重要なものであるということになる。そこにみられる各構成者を他の構成者が適切に「評価」する仕組みが存在することが重要である点も指摘した。
そして、その評価の仕組みが「自生」的にーー強制的監督機関によりできあがったわけではなく、いわば自然発生的に、しかし必然性の結果としてできあがったという意味ーー形成されてきている点も指摘した。そして「自生」的なるゆえに、この制御機構は「非常に時代の変化に敏感に対応できるシステム」ということができよう。そして、この社会的背景として考えなければならないのは「サブスタンス・オーバー・フォーム」という哲学であろう。これは通常、アメリカ会計理論でよく使われる概念である。連結会計による財務諸表作成の正当性をいうとき、「法的形式よりも経済活動上の実質を優先して考える」といったときの説明概念である。しかし、この哲学はもっと広範なものを示している。「法的形式」自体が悪いわけではない。社会・経済構造は常に変動する。刑法上の「法的形式」はともかく、経済活動に絡まる「法的形式」は、社会の変動に対応する形で、自主的、自生的に一定の合意の上で可能な範囲内で「実態」にあわせていこうという哲学とみてよいだろう。
戦後(日本)の企業会計制度(証取法会計)における確定決算制度の首尾一貫した容認によって、投資家のための財務情報提供は歪められてきたが、「法的」には有効なため、抵抗する動きもなく今日まできてしまったという苦い経験がある。もし日本人の関係者の間に、「サブスタンス・オーバー・フォーム」という哲学が少しでもあれば、とっくに解決できていた問題であろう。
つまり、本来の「企業利益算定」にあたり、「会計理論」に沿った適用を企業の経営者が行わない、あるいは考えることすらしないという「風土」を日本の上場企業の一部(大部分?)に醸成してしまった。
昨今の話題では、日本においても「年金の会計基準」が変更され、新しい基準に基づく会計処理が2000年度決算よりなされることになり、企業によっては大きな「利益変動要因」となると予想される。おそらくは今後も、大きな利益変動要因になることは十分考えられる。年金会計の仕組みを完璧に理解するのは、会計士でも専門分野が異なれば難解なものとされる。
これらの点は社会システム理論の中でもホメオスタシス理論を援用して説明することが最も適合すると思われる。
…… なぜアメリカでそのようなシステム運営ができ、日本はアメリカに及ばないと思われているかということである。
…… 。
第3は、やや抽象的ないい方ではあるが、「記憶」あるいは「経験」の欠如である。第1番目の資本市場システムの「非オリジン性」「遅行性」と第2番目の「形式的存在性」、これらの要因が相まって起こるものが、資本市場システムの運営に携わる人々、あるいは参画する構成者の、さまざまな資本市場システムにからまる「課題」への「対処」の遅さ、感覚の鈍さといったようなものである。これは「記憶」が生かされないことを意味する。換言すれば、起こった問題に対する森有正氏が述べたところの「経験」を積む力に欠けているのかもしれない。
…… 細胞は作り出して他の細胞に働きかけ、増殖や文化、運動、成長、分泌などの新しい働きを呼び覚ます生物活性分子群を、ひとまとめにしてサイトカインと呼ぶ。サイトカインは細胞と細胞の間の情報伝達をしている分子である。真にアナリストの役割は資本市場という一つの生体システムにおいて、他のシステム構成者(細胞)に「何らかの新しい働きを呼び覚ます」役割をもつサイトカインと呼ぶことができる。
プライベートな自生的な組織
しかし、時代は大きく変わりつつある。これら日本特有の金融構造は瓦解しつつある。いつまでもピントのずれた意識をもっている企業に未来はないといえるだろう。
この年、ICFA(公認財務アナリスト協会)が設立され、その翌年第1回のCFA公認財務アナリスト試験が実施され268名が合格し、晴れてアメリカに新たなプロフェッションが誕生した。しかしここに至るまでの道は平坦なものではなかった。
日本と異なり、もともとお手本がどこかの国にあり、官民が一体となって制度の整備を進めてゆくのではなく、いわばプライベート・セクターに属する人々が自らの職業集団の社会的意義を高く掲げ、組織化し維持するためには、その職業人であるための知識、経験があるだけでなく、法律家に要求されるのと同じような高い職業倫理が必要となる。CFAの誕生にあたってもその点の十分な議論があったとみることができよう。
その「スピードののろさ」の要因はさらに、「主体的に新たな経済環境に対応することの能力が関係者に欠如」しているためという仮説を筆者はもっている。
主な会計基準の施行年度の時差
「税効果会計」の本格適用は、なんとアメリカの33年遅れである。この基準の適用が遅れたのは、アナリストの立場からすればまったく理解のできないものであろう。ついでに言えば、「確定決算主義」にもとづく「税法基準優位性」も、アメリカのアナリストから見ればまったく理解不能の事項である。
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【投稿者コメント】理解不能なことが多すぎる日本の仕組み!