異文化交流クイズ。セカンドシーズン第3回は「モネやゴンクール兄弟とも深い交流を結んだ美術商林忠正が当時ヨーロッパに輸出した浮世絵版画は、およそ何枚だったと考えられているでしょうか?」という問題でした。
今回の正解は・・・『15万枚』でした。
それほど当時の日本には浮世絵があったのかと思わされる程に半端じゃない数字ですね。
正確な数字を挙げると、以下のような記録が残されています。
『1890年から1901年の11年間に版画15万6487枚、絵本類9708冊、掛物846を日本から送らせて売りさばいた』
なお現在浮世絵版画の隅に「若井をやぢ」或いは「林忠正」という朱印が押されているものが大量に流通していますが、これが彼らの商品に対する保証の極印だったわけです。
さて、これだけ輸出した結果、当然の事ながら良質の浮世絵は日本国内で払底。というより日本の美術商たちが「このままでは日本で浮世絵がなくなってしまう」と危機感を抱いて日本国内で展覧会を開催するほどに。事態がここに至って、今度は積極的に美術工芸品としての浮世絵を作成しようと前述の「起立工商会社」が中心となり、デザインも欧米の需要にあったものを量産しようとしましたが、物の見事に失敗し倒産に至ります。
要するに「狙って作った」しかも「欧米の需要に合わせて作った」作品ではまるで相手にされなかった、と云うことですね。
この辺が工芸品と芸術の間にある埋めがたい溝なのでしょう。
というところで、浮世絵の海外流出に関する総論でした。次回からはジャポニズムの各論に入ります
今回の正解は・・・『15万枚』でした。
それほど当時の日本には浮世絵があったのかと思わされる程に半端じゃない数字ですね。
正確な数字を挙げると、以下のような記録が残されています。
『1890年から1901年の11年間に版画15万6487枚、絵本類9708冊、掛物846を日本から送らせて売りさばいた』
なお現在浮世絵版画の隅に「若井をやぢ」或いは「林忠正」という朱印が押されているものが大量に流通していますが、これが彼らの商品に対する保証の極印だったわけです。
さて、これだけ輸出した結果、当然の事ながら良質の浮世絵は日本国内で払底。というより日本の美術商たちが「このままでは日本で浮世絵がなくなってしまう」と危機感を抱いて日本国内で展覧会を開催するほどに。事態がここに至って、今度は積極的に美術工芸品としての浮世絵を作成しようと前述の「起立工商会社」が中心となり、デザインも欧米の需要にあったものを量産しようとしましたが、物の見事に失敗し倒産に至ります。
要するに「狙って作った」しかも「欧米の需要に合わせて作った」作品ではまるで相手にされなかった、と云うことですね。
この辺が工芸品と芸術の間にある埋めがたい溝なのでしょう。
というところで、浮世絵の海外流出に関する総論でした。次回からはジャポニズムの各論に入ります