異文化交流クイズ。ファーストシーズン第5回。今回はオーストリアの美術史家アドルフ・フィッシャーの記録から。
もっとも訳本の裏表紙には「美術史家」とありますが、詳細を読むと専門の学者ではなく在野の研究者、というか前職は「市立劇場の監督」という変わり種。それでも日本とアジア趣味が高じて、後に所蔵品を提供してケルン市に東洋美術館設立させているわけですが。
この本の特徴は一度目の来日で日本に魅せられた彼が、二度目の来日時には画家の友人を同伴させたこと。ということで、非常に挿絵が豊富で明治中期の日本の雰囲気がよく分かります。
しかも前職が市立劇場の監督だったということで、当時の日本の芝居について――能や歌舞伎、狂言は勿論、壮士芝居まで――非常に詳細に記されていてこれまた興味深い資料です。
さて、ここで今回のクエスチョン。
彼はアメリカやエジプトを始め、アジア趣味が高じてからは「インドから日本にかけて」世界中を旅行していますが、日本の某所でこんな愚痴をもらしています。
『恐ろしい暑さであった。インドから日本まで様々なことを耐え抜いたわたしでさえ、ほとんど我慢の限界に来た』と。
さて、このインドやエジプトよりも暑いと書かれた『某所』とは一体何処のことでしょうか? 回答は都道府県名で。
ヒントとしては、これは日本特有の暑さであり、かつフィッシャーはこの地で夕方から行われる“行事”を見に来るために、この地域にやってきています。
もっとも訳本の裏表紙には「美術史家」とありますが、詳細を読むと専門の学者ではなく在野の研究者、というか前職は「市立劇場の監督」という変わり種。それでも日本とアジア趣味が高じて、後に所蔵品を提供してケルン市に東洋美術館設立させているわけですが。
この本の特徴は一度目の来日で日本に魅せられた彼が、二度目の来日時には画家の友人を同伴させたこと。ということで、非常に挿絵が豊富で明治中期の日本の雰囲気がよく分かります。
しかも前職が市立劇場の監督だったということで、当時の日本の芝居について――能や歌舞伎、狂言は勿論、壮士芝居まで――非常に詳細に記されていてこれまた興味深い資料です。
さて、ここで今回のクエスチョン。
彼はアメリカやエジプトを始め、アジア趣味が高じてからは「インドから日本にかけて」世界中を旅行していますが、日本の某所でこんな愚痴をもらしています。
『恐ろしい暑さであった。インドから日本まで様々なことを耐え抜いたわたしでさえ、ほとんど我慢の限界に来た』と。
さて、このインドやエジプトよりも暑いと書かれた『某所』とは一体何処のことでしょうか? 回答は都道府県名で。
ヒントとしては、これは日本特有の暑さであり、かつフィッシャーはこの地で夕方から行われる“行事”を見に来るために、この地域にやってきています。