新型コロナウイルスの感染者が増えている。いま個人が心がけるべきことは何か。医師の木村知氏は、「今後数カ月経ち、もし手軽に検査出来るようになった場合にも、ごく軽微な症状ならば安易に医療機関に行かないほうが安全。メリットがないばかりか、そこで別の感染症をもらうリスクもある」という――。
■60代の患者がたらい回しにされている
国内でも感染経路の追えない新型コロナウイルス感染者が増えてきた。私は感染症学や疫学の専門家ではない、いわゆる町医者だから、軽々にこのウイルスの特性や国内感染者数の見立て、今後の流行予測などを語るつもりはない。
だが、昨年、すでに中国でヒトーヒト感染が認められていたことを考えると、今年に入って急に国内感染者が発生し始めたと考えるほうが不自然ではないか、とは感じている。「公表されているよりも、潜在的には多くの感染者がいるのではないか」「国はなぜ検査件数を増やさないのだ」という声も日増しに高まっている。
先日、知人の医師が熱発と咳の続く60代女性を診察したときのことだ。胸部CT検査にて両側スリガラス肺炎像、採血検査も行い、ウイルス性肺炎を疑って保健所に連絡したところ、「コロナウイルス感染症を強く疑うものでなければ、医療機関同士で交渉して受け入れ先を決めるよう」と指示された。
その指示を受けて近隣の大学病院に連絡したところ、「当院はコロナ感染者のために、他の患者を転院させてまでベッドを空けている状況だ。コロナ感染者あるいはコロナ感染を強く疑うものでなければ受け入れられない」との理由で受け入れを断られたという。
その後、他の医療機関に電話で受け入れ要請を打診するも、「呼吸器専門医が不在にて受け入れ不可」「コロナの可能性が少しでもあるなら対応できない」と、実に計11カ所の医療機関に受け入れを断られたとのことだ。それでも保健所は、かたくなにPCR検査の適応外であるとの判断を変えないという。
■どのようにして感染者を増やさないようにすべきか
こうした検査態勢の硬直性、医療現場の混乱が数々報道されることもあって、国民の不安が日々高まりを見せている中、政府は「帰国者・接触者相談センターに御相談いただく目安」を発表し、2月25日には「新型コロナウイルス感染症対策の基本方針」を発表した。しかし国民の不安や不満は収まるどころか、ますます高まり続ける一方だ。
最新の世界保健機関(WHO)調査報告書によっても、感染者のおよそ8割は軽症で肺炎の症状も見られない場合もあるとのことだから、感染したら最後、感染者全員が死亡してしまう“殺人ウイルス”ではない。
しかし感染者総数が増えていけば、重症で亡くなる人もそれに応じて増えていくことは避けられない。つまり重症者と死亡者を増やさないためには、いかに感染者総数を抑えるかということに尽きるのだ。当然ながら、今後はこれが最重要課題となる。
それではどのようにして感染者増を抑えればいいのか。
■新型コロナウイルスの論点を整理してみる
その前に、今回の新型コロナウイルス問題における論点整理をしておきたい。論点は大きく3つある。I.新型コロナウイルスに関すること、II.日本の医療制度に関すること、III.日本に根付く風土や社会構造に関すること、である。
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I.新型コロナウイルスに関すること
(1)感染者には無症状~重症肺炎による死亡者が混在している。症状の程度が多彩であるため、典型的症状をもとに診断をつけることが困難である。
(2)発症早期は症状が軽いことが指摘されている。
(3)今のところ特効薬がない。仮に早めに診断がついても重症化を未然に防ぐ薬や予防治療がない。
(4)インフルエンザで行われているような迅速検査が、一般の医療機関で行える体制ではない。
(5)感染症検査の陰性は非感染を証明するものではない。
II.日本の医療制度に関すること
(1)日本は国民皆保険制度のもとフリーアクセスである。
(2)医療資源(ベッド、医療スタッフ、検査キットなど)は有限である。
(3)長年、医療費抑制政策と医師養成数抑制政策がとられてきた。
III.日本に根付く風土や社会構造に関すること
(1)検査や薬が過信されやすい。
(2)労働者側に「カゼで休むと人に迷惑かけるから休めない」という意識がある。
(3)「カゼくらいでは休むな」という体質を持っている企業がいまだに少なくない。
(4)収入や雇用形態の不安定化から安心して仕事を休めない実態がある。
(5)使用者に対する労働者の立場が弱い。
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これらの論点を踏まえて落ち着いて考えていけば、感染を拡大させないために、どのような対策を講じればいいかがおのずと見えてくる。
■病気になった人の行動は5段階ある
対策の大前提は、「自分はもちろん感染したくないし重症者になりたくないが、それと同じくらい他人にも感染させたくないし重症者になってほしくない」、つまり「人にうつされる心配と同じくらい、人にうつす心配をしよう」と一人ひとりが寛容な気持ちのもとに行動することだ。
医療社会学という学問がある。医療に関わる問題を社会学的な視点で考察するものだと考えれば良いだろう。そこでは「病気行動」という、人がある症状を自覚したときを起点として、その後、その人が医療サービスにどのように関わっていくのかという行動過程に関する研究がある。
この過程は、①症状経験段階、②病人役割取得段階、③医療ケアへの接触段階、④依存的患者役割段階、⑤回復・リハビリ段階の5段階に分けて考える。
これらを簡単に説明しよう。まず人は症状を自覚すると、その症状が自分にとっていかなる意味を持つものかを考える(①)。
そして、それがセルフケアで済みそうか、受診すべきものかどうかを自己判断することになるが、その判断がつかない場合は、素人間で相談するなど情報収集し、受診するかどうかを決定する(②)。
医療機関を訪れ、医師から診断や治療についての説明を受けた上で、その提案に応ずるか他の選択肢を探すか判断する(③)。
医師の提案に納得して同意すれば、その医師に依存、つまり患者となって治療を受けることになるが、その後も医師と意見を異にする局面となれば、その医師―患者関係は決裂することもあり得る(④)。
回復して治療終了、あるいはリハビリや再発の有無を検査する等のフォローアップが行われる(⑤)。
■新型コロナ流行のさなか、人の行動はどう変わるか
そしてこの5段階は一方通行ではなく、③から②へ、④から②へといったように、前段階に戻って別の選択のもとに行動を変えることもある。
では、今回の新型コロナウイルス感染症について、この「病気行動」を考えてみよう。それには①と②の行動について、もう少し詳しく見る必要がある。
①の行動をさらに細かく説明しよう。人はまず、体調に異変を感じる(身体的側面)と、その症状が自分にとっていかなるものであるかを識別しようと考える(認識的側面)。そしてその認識には、不安や焦り、他者からの圧力に対する圧迫感などの感情も影響を与える(感情的側面)。
抽象的なので、新型コロナを例に具体的に述べる。
もしあなたが、今朝からノドが痛くなり始め、なんとなく微熱っぽいダルさを自覚したとしよう。さて、あなたはどのような行動をとるだろうか。
■初期症状への対処は状況によって変わる
先日、とある企業経営者向けセミナーで講演をした際にアンケートを採ったところ、30人ほどの出席者のうち、「すぐに医療機関に行く」と回答したのは2人のみ。「まず寝る」という人と「取りあえず市販薬を飲む」という人が、残りの半々であった。
常時はこのような選択をする人も、事情が変われば、その行動を変える可能性は十分にある。例えば、翌週に海外出張や大切なプレゼンを控えているといった場合。普段なら「まず寝る」だが、「早めに医療機関に行こう」と行動を変容させることは十分あり得るのだ。いつもの症状でも、その症状が“今の自分”にとって特別なものと認識された場合は、いつもと異なる行動をとるということだ。
新型コロナウイルスの国内感染者数が増えてきたというニュースが連日報道されている現状は、①における感情的側面に、さらに大きな影響を与えるだろう。
実際、「普段ならこんなカゼの引き始めに医者なんか行かないんですが、コロナが心配なので」という不安を理由に受診する人は少なくない。自分は不安でなくとも「上司からコロナが流行ってきているから出勤前に受診して来いって言われてしまって。私は全然つらくないのですが」と来院する人もいる。これは上司という他者からの圧力からくる圧迫感が行動に変容をもたらした例とも言えるだろう。
■検査が身近になれば、医療機関に人が殺到するだろう
今後、新型コロナウイルス検査の運用が見直され、現在のような保健所が介在するシステムでなく、一般の医療機関においても比較的スムーズに検査できるようになった場合は、さらに病気行動に変容をもたらすことになる。
「検査してもらいたいのに、検査してもらえない」という報道がテレビで繰り返し放映されたことにより、多くの人の検査に対する希望と期待は極めて高くなっている。この状況で、検査がより身近になれば、無症状やごく軽症の人までも、検査を目的として医療機関に殺到することは明らかだ。
事実、2009年の新型インフルエンザ流行期には、重症者が一定数いる一方で、無症状かごく軽微な症状で検査のために受診する人が医療機関に続々詰めかけ、パニックとなったのだ。
「インフルエンザなら会社を休まないといけないのですが、カゼなら休めないので」と検査による診断を希望する人が非常に増えた。
しかし検査は万能ではない。新型コロナでも、初めは陰性だった人が後に陽性となったというケースが報じられたが、感染者がすべて陽性と判定されるわけではない。偽陰性といって、感染者にもかかわらず検査では陰性と出ることが、決して珍しくないのだ。一般的な医療機関で行われているインフルエンザの検査キットも、4割くらいは誤診されていると言われる。
つまり、よく会社が出勤のために必要としている「陰性証明書」は、非感染の証明には全くならない、ただの紙切れにすぎないのだ。
■医師や医療機関は「有限」である
高熱という比較的わかりやすい症状の出ることが多い新型インフルエンザの場合でさえ、流行当時は無症状にもかかわらず検査目的に受診した人が少なくなかった。それを思い起こせば、今回のように、無症状から重症者まで多彩な症状である新型コロナの検査を希望して来院する無症状者は、膨大な数になることは目に見えている。
「会社を休むための診断書を」「検査の陰性証明書を」「出勤(登校)許可証を」という目的で医療機関に殺到すると、医師がそれらの書類作成事務作業で手一杯になり診療業務が著しく妨げられる。すなわち重症者が置き去りにされかねないのだ。重症者に適切な医療が、適切なタイミングで届けることができなくなって、重症者が死亡者となってしまうことになる。
すなわち、今後、一般医療機関でコロナ検査が簡易キットで可能になったとしても、就業や登校の条件として、検査のためだけに受診したりさせたりすることは、絶対にしてはならない。検査施行の有無、陰性陽性にかかわらず、少なくとも体調がすぐれない人は無理して出勤(登校)しない、周囲も無理させないということが、極めて重要なのだ。陽性なら出勤不可だが、陰性なら出勤できるなどと、検査を出勤の可否に利用することは非常に危険なことなのだ。
国民皆保険のわが国では、誰でも、いつでも、どこででも、自己負担さえ支払うことができれば、保険証一枚で簡単に医療サービスにリーチできる。そのためかもしれないが、ややもすると、医療資源すなわち医師などの医療スタッフ数、医療機関数、入院ベッド数、検査資源などが無尽蔵にあると勘違いされがちだ。
しかし当然のことだが、これらの医療資源は有限である。しかも長年、医療費抑制政策のもと、慢性的な人手不足の医療現場は、ただでさえ疲弊しきっている現状だ。その限られた医療資源の範囲で、どうやって新型コロナ重症者の命を救うのか、どこにどういう手段で、限られた医療資源を集中投下するのか、その議論が、これからは極めて重要になってくる。
アクセス、コスト、クオリティという医療の3要素がある。これらの3つを同時に満足させることは困難と言われている。つまり、国民皆保険下のフリーアクセスで、低コスト(医療費抑制政策)であれば、良質な医療は受けられないということだ。
■この状況で医療機関に行くのは危険なだけ
現在の日本の医療がフリーアクセス、低コストながら、健康寿命トップクラスという良質な医療が行われていることは、奇跡と言える。いや、奇跡と言うのは正確ではない。実はその裏には、医療従事者がその命と引き換えに、極めて危険な過重労働をすることによって、なんとか支えている状況なのだ(この点については、ぜひ拙著『病気は社会が引き起こす』(角川新書)をお読みいただきたい)。
重症者を増やさないためには、いかに手遅れの人を増やさないかと、感染者数をいかに増やさないかに尽きる。だが「手遅れの人を増やさない」というのは、「軽症のうちに早めに医療機関で投薬されるべきである」というのとは違う。
なぜなら、この新型コロナウイルス感染症には、早めに診断がついても重症化を未然に防ぐ薬や治療はないからだ。
発症ごく早期の段階では「コロナウイルスが心配だから」との理由で医療機関に行くことは、メリットがないばかりか危険である。医療機関というのは、コロナに限らずさまざまな感染症の人が集まってくる場所、感染症の巣窟と言える場所だからだ。
これを、いかに多くの人に理解してもらい、行動に移してもらうことができるか。それが、今後の日本で新型コロナウイルスが猛威を振るうのか、それとも流行が大爆発することなく収束していくかの、非常に大きなファクター、分水嶺となるのではないかと私は考えている。
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木村 知(きむら・とも)
医師
医学博士、2級ファイナンシャル・プランニング技能士。1968年、カナダ生まれ。2004年まで外科医として大学病院等に勤務後、大学組織を離れ、総合診療、在宅医療に従事。診療のかたわら、医療者ならではの視点で、時事・政治問題などについて論考を発信している。ウェブマガジンfoomiiで「ツイートDr.きむらともの時事放言」を連載中。