すでにご覧になった方もいらっしゃると思いますが、土木研究所跡地に鹿島開発記念碑が完成し、昨日はその完成祝賀会に出席しました。
開発当時に生まれていなかった私は、世紀の大事業といわれた鹿島開発の事については、さまざまな資料から得た知識や先輩方から話として聞いたことしかわかりませんが、昨日の祝賀会の主催者である、神栖町鹿島開発用地提供者同盟の高安委員長からは、そんな私にも当時のご苦労や出来事、さまざまな思いが感じられるような、気持ちのこもったごあいさつがありました。
また、記念碑には土地を提供された約2,400名のお名前が刻まれていましたが、私も存じ上げている方のお名前もたくさんあり、非常に歴史を感じさせていただきました。
昨日をもって、神栖町鹿島開発用地提供者同盟は解散をされたとのことで、一つの時代の区切りということかもしれませんが、今の財政豊かな神栖市があるのは、鹿島開発があったからこそであり、今後もそれは私たちが後世に引き継いでいかなければなりません。
一方で、そこにとらわれ過ぎることなく、次の世代へ踏み出した考え方も必要だと思います。
それは、鹿島開発を知らない私たちの世代だからこそできることかもしれませんし、また、やらなければいけないことであり、それが神栖市のさらなる発展につながることだと思っています。
開発当時に生まれていなかった私は、世紀の大事業といわれた鹿島開発の事については、さまざまな資料から得た知識や先輩方から話として聞いたことしかわかりませんが、昨日の祝賀会の主催者である、神栖町鹿島開発用地提供者同盟の高安委員長からは、そんな私にも当時のご苦労や出来事、さまざまな思いが感じられるような、気持ちのこもったごあいさつがありました。
また、記念碑には土地を提供された約2,400名のお名前が刻まれていましたが、私も存じ上げている方のお名前もたくさんあり、非常に歴史を感じさせていただきました。
昨日をもって、神栖町鹿島開発用地提供者同盟は解散をされたとのことで、一つの時代の区切りということかもしれませんが、今の財政豊かな神栖市があるのは、鹿島開発があったからこそであり、今後もそれは私たちが後世に引き継いでいかなければなりません。
一方で、そこにとらわれ過ぎることなく、次の世代へ踏み出した考え方も必要だと思います。
それは、鹿島開発を知らない私たちの世代だからこそできることかもしれませんし、また、やらなければいけないことであり、それが神栖市のさらなる発展につながることだと思っています。