井戸端談義・徒然記(MEi日記)

眺める人生は 楽しい 

国民の強さが出だした・・・

2013年01月25日 | Weblog


綿が撮った写真の中でも

人間には成り風がある様に、其の集団と為ると出てくるのが、今の自民党の様に堂々として見える。これは今迄に仕切って来たと言う自負だけではない様だ。また、選挙に大勝したというだけのものでも無い様にも見える。実際は如何なのか状況を見極めるしか無い。やはり経験の差と言うのか、どんどん前に進んでいる様にも見える。ここで国民は眼を緩めては為らない。ここで安倍さんの真贋を眼力で持って問うのである。国民の賢明さは出つつあるのだから今力を抜くわけにはいかない。今回自民党を選んだ国

民は賢明だったのではなかろうか。民主党の為にも・・あれだけの期待を棒に振ったのだから。其れなりの勉強期間は必要であろう。情けは人の為に非ずである。それはそれでいいのだが、国民のもう一つ欲しい物があることは否めない。これを繰り返しながら日本の政治も開発途上から抜け出ていくのであろう。それには一番強い国民のもうひと踏ん張りが必須である。良いものは大なり小なり国民は受入れる事も解った。後は自民党に続く大政党が生まれるのが問題と為って来る。国民のボールは、今は政治家が

持っている。そんなに多くはないボールの種類、どんなボールが帰ってくるのか?楽しみもある。楽しんで政治に参加出来る日本国民は、途上とは言え幸せ者かも知れない。いろんな国があろうが生活の出来る国に住める幸せを思いたい。世界中の若者が家族を思い、我が子の寝顔をじっくりと眺める余裕を持って欲しい。        パーキン××は思う。

見えない所が看える人(現実を見た人が言う)

2013年01月24日 | Weblog
以前の様に、ブログへと一直線に来れなくなった。よったよったと出てくる。今日24日は本業であるパーキンソンの診察日ある先生はフレッシュな若さで、孫の様な先生であり親近感が持てる。これも何かの縁というものだろうか。私もこの先生と出会ったを機会にタッグを組んでやってみたいと思ってる。そして出来る事なら奇跡らしきものを味わってみたい。不治の病のパーキンソンの症状が軽くなったと言ってみたい。夢 幻にもそういう事はあるまいが、病人である本人は何かに縋りたい気持ちは一度は病気

の、経験のある方が多かろうから、これ以上は言うまい。冬の晴れは私は特に温かみを感じ「どこか遠くへ行きたい」になる。ゴーギャンだったか人の道が恋しくなる。「人は 何処からきて、何処へ行くのだろう。」と、歯の浮く様な言葉はパーキンソンには必要ないが、そこまでに至るのはパーキンソンにも未だ余裕が思われ、ひとりにたりとする。今日は採血をされた。この採血は泣きどころの一つである。私は注射が大の苦手、その上、血管が出ないと来てるので泣きっ面に蜂どころではない。その血管が出

ないんです。と言った瞬間の看護師の表情は今迄に見落した事はない。今日も何時もの表情の看護師さんであった。変な病気になると、観察眼というか、普通の方より勘が鋭く為る様だ。でも世間は広い、私の一言に担当看護師は代役を立てた。来た人は男性看護師であった。難なく作業を済ませ「ご苦労様です!!」と言って反対方向に立ち去った。プロは色々いるが、こんなカッコいいプロからの採血は初めてだった。後で担当看護師に聞いた「そうなんですよ、あの方見えない物が見える様に上手なんです・・

よ。」胆のう摘出後2~3日後の事であった。今日の採血は手首であった。 

デイ・ケア見聞録

2013年01月22日 | Weblog
私が撮ったものではない。次は私が撮りました。

8時45分歩いて10分位の所から、迎えに来てくれた。道で迎え様としたが、其れもいけないという。兎に角今日は 型に完全に嵌って見様と思う。何か小学校の遠足前の様な心境である。当日の朝「○○さ~ん準備はどうですか」と8時45分に病院から来られた。「は~い!!」と迎え入れた。自分は何も分からないが、私の条件は要支援2という事らしい。もう家を出る準備は出来ましたかと言う。私はあとはガス・ストーブの火を切るだけですと言うと、マネージャーさんが確認して切ってくれた。

そして部屋では杖はつかれて、ないんですねという。役所の調査の時杖使用と言ったのを、思い出した。家の中では杖はついておりませんとあっさり白状した。スムーズな足の動きはなく、パーキンソンの特徴的な歩き方に足は勝手になりたがる。外に出ると見慣れない車が、車庫にあった。先ず先生と(療養師?)挨拶を交わしケアー場に到着。先ず私の要求を求めた。お手洗いをお願いした。「は~い!」分かりましたと答えてくれた。それが最初の会話であった。デイ・ケア場は端から端まで往復すると、ふ

っ!!と言う。このデイ・ケアにはおばあちゃん方が断然多い。吾々男族は10名前後だけ。その中で一人のおばあちゃんが当日の誕生日を迎えられた人として紹介されていた。私は感動した。その感動もあの大木に出会った時の感動である。私の小ささを感じながら初めの拍手から最後まで、名前は紹介時に言われたが忘れた。周りにおられる方々は不治の病を持たれてない事にジェラシイーを感じたのは、その日が初めてである。然し、私の目標ができた。あの方の様に102歳は生きられなくとも、燃えてみたい!

私の運転免許証は来年まであるが、歩く免許証はない。強いて言えば杖かも知れない。

人生いろいろ

2013年01月20日 | Weblog


コメントいただき恐縮です。最近気持が変わったのか、どうせ治らない病気なら人
生の見方も変えてみるかと思いだしたのです。こ言うことを言うともう一人ののんば~が慌てるので言えませんが強気で生きる事

も大切だと、思っております。五島ののんば~宜しくご指南戴きたく思います。なんて言われると、なんて思わず写真を撮りまくりましょう。単純ですかネ~~ まーいいっか!!!

時々自分の病気を忘れる

2013年01月17日 | Weblog


久し振りに自分のブログを見た。何故かひと様のを読んでいるようで冷静である。こんな物を始めたからには、病の身に責任というものが大きく膨らむ。いい加減の人生は厭だし私自身を見詰る最近その時間が永くなっている様にも感じられだした。昨日みんなから非難を受けた。それも仕方ない、自分の思いのままに行動をしたのだから仕方ない。以前からトイレットペーパーの位置が

高いと気になっていた。それが悪かった。自分の病気を忘れていたのである。健康な時はこんなもの簡単とやったのがいけない。
きつくてへばってしまった。その時の自分の情けなさは云いようの無い寂しさ、これが死まで繋がると思いながら座り込む。今日もよく冷えている。冬はパーキンソンには最悪を知る。写真がないので暫く同じものを色づけにつかわせて頂きます。
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