井戸端談義・徒然記(MEi日記)

眺める人生は 楽しい 

雑談は愉し

2013年01月31日 | Weblog
私は、健康な時は季節では冬が好きであった。今年初めてパーキンソンの身で、迎えた
冬は滅法辛いことを知った。全く動かない足を気合いで持って動かそうとするが、脳神経とは

そんなもんじゃない事も解った。50㎝がこんなに遠く感じたのは初めてである。私は思う。
不治の病に冒された人は何を生きがいとすればいいのか。と思う事はこの冬につくづくと

感じてしまった。無理やり生き甲斐をこじつけてみた。無味乾燥とはこんなことを云うのかも
知れないと冬が来るたびこの雰囲気。私には、5月に孫が二人に為る。この5月の子は、女という事で

判ってるらしいがもうメイちゃんと名前が付いてる様である。もう一人の外孫は付設(詳しくは知らない)
という中学に這入ったという。良いのか悪いのかさっぱり判らないが、私の病は変化なし。

今頭に浮かぶのは車椅子の事ばかりで、どう生きればいいのか浅学な私はその場限りの毎日。
今つくづく思う もう少し心の勉強をしておけばよかったのにと思われてならない。

週6日制?5日制?

2013年01月30日 | Weblog



これは私が撮った写真ではありません。プロ写真家だと思う。

1日と言えば1日だけだが、其の1日が将来に至るというのだろうか。巷では
そんな話が囁かれている。判らんでもないがそんな話が有ること自体が不自然
に聞こえるのは私だけか?。国が動き出すのは国民の活力であろう。かって国会
で見られた様に、国の面子というものがそんなに必要なのか。5日制を6日制にして、世界に追い付くそんな考えは

硬すぎると誰も思わないだろうか。1日分を野山を駆け巡って遊び、農山村で
きてる人達と語り合う余程、得るものがあるのでは。その中から必要と思うものが出てくるはず
である。勉強の好きな子も出てくるはずである。私の高校時代は一生の友達をこの時代に作れ!!と、
指導を受けた。如何して何百人と言う人間が足並みそろえて厭で堪らない勉強を、する必要があるのか。これの方が怖いと言えまいか。勉強したい人は必ず出てくる。その人たちがやることを皆に
押し付けるを生む。

三大義務と言うけど…

2013年01月29日 | Weblog

私の好きな場所。自分で撮った写真です。

納税の義務は知ってる。それに就いて少し…消費税が上がる様だ。只それだけをみると、
上がりっ放しの様に見える。低所得者の欄を設ければ上がりっ放しではない様だ。
低所得者は数字的にはすぐ区別が出来るが、その先も難しい。一億総中流の時代は終り、
個人の少しのプライドは残ってるのではなかろうか。「あなたは食料品が安く買えるから

良いわね~」の会話が出来るだろうか。こういう問題は中年以降の方の方が意識は強いのでは…
かえって若者の方が解釈は早いのではと思う。良い恰好はしたいがお金を払うのは厭だという
人も居よう。でも、今の時代苦が嫌ならこれも、仕方ないのか。私は思うのである。
70過ぎまで生きて一時的には金に助けられても、喜びは無い。

お金を持って死んでも何にもならない。あの世があるのだったら別だが、其れもない様だし。
齢を取って見て判るものもある。役に立ってくれるのは、お隣さんである。お金を信じるか
人間を信じるかに為るがこの年で言えることは、人間を信じる。來世も同じ生き方をしたい。

メダカの学校

2013年01月27日 | Weblog

この写真は私がまだ元気な頃朝陽を取りに行ったのだが、撮れず合間に撮ったものです。


メダカは小さいがあーあってもプライドのほうは仲々のものである。と思っていたが、メダカの都合もあるらしい。我が家にメダカが来て3ヵ月為るが、其れを見てると面白くて時間を忘れてしまう。15~6匹居る中で1匹だけちびちゃんがいる。その子に集中して餌をやるのだが、上手くいかない。よく見てみるとそのちびちゃんは何時も口をもごもごさせている。原因はこれだと思った。メダカは小さい、全てが小さいのであろう。だから次ぎの餌が幾ら落ちて来ても食べ切れない、のではと思いだしたのであ

る。それならば時間をとってやればいい事でありそうしてみた。が相変わらずで武士は食わねど高楊枝である。判らないまま現在にいたっている。それとも人間という私の様な輩には、知り尽せぬ何かがあるのか。何時の日か思い描いたちびちゃんを期待しながら此の侭放っといてやろう、生存競争を待ってみようと思った。弱り目の私も何かにつけ自分に置き換えるようになった。あのメダカのちびちゃんも時間を与えてやれば何でも出来る様に為るのであろう。

なんだか俺と同じではないのか、私も行動には時間が欲しい。ちょっと向きを変えて歩きだすまでの時間がほしい。家の内では其れが許されるが街に出るとそうはいかない。「変な おっちゃんに為ってしまう」不治だから同情は要らない。その時間にサッ!!と出てくる手の支えが欲しいのです。何かにつけパーキンソン病に理解頂きたく折に触れ普通の人と変わらず凶暴性もない、病を理解して頂きたく記して行こうと思います。

何かが起きるのが常…

2013年01月26日 | Weblog


                                          私が撮った写真ではない。
日本国民は皆が理不尽に思ってるのではなかろうか。その国から要求をされたから行って工事をしてるのに、捕まえて殺すなんて日本人の考えからは起き様がない。起きたからには日本人もぼつぼつ自分達の国の人間位は最低限であっても護る様にしないと世界に通用しない様に思うのは私だけか。高い能力を持ちながら動けない自衛隊法如何なっているのかは知らないが、国民を護れないじれったさはあると思う。法はわかるが早く何かを考えないと人の一生がかかっている。

独り歩き出来ない自衛隊は此の侭なのか。自分の国の人間が殺されても只見てるだけである。その遺族にしてみれば悔しさが耐えられるだろうか。非情である、と思う。良い悪いを言うのではないこんな事も起きる筈だという危機意識の低さに驚かされる。危機感が整っていないのである。途上国と言われる所以である。日本国民はどんな事があっても護ってあげると言う意識が伝わって来ないのである。時代は違ったにしろ拉致もそうであろう。よその国からすれば不思議な見られ方をするであろう。

日本国民は、そんな「軟ではない」事も知る必要がある。日本国民は何時いかなる時も、助け出してくれると、思われる日本を待ちたい。   今日のパーキンソンは何時もより症状が強く出てる様だ。この寒さだもの仕方ない・・・。