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ほっと たいむ

花、歌、絵本、空、そして孫・・・大好きなものに囲まれた大好きな時間

あれから・・・3

2011年04月13日 | 災害(地震・台風など)
4月11日17時16分 震度4
4月12日8時8分 震度5弱
4月12日14時7分 震度4


旭市でも4以上の余震が一昨日から3回きています。
体に感じるものは、もっとたくさんあります。
せっかくの緊急地震速報も、震源が近いと、揺れた後に携帯がけたたましく鳴ります。
そのたびに「ダメじゃ~ん 」とダメだし・・・

震度3くらいだと「また揺れてるね~」で済みますが、さすがに震度4以上は身構えてしまいます。
昨日の震度5弱では、裸足で飛び出して槇塀にしがみついていました。
靴と携帯は持つべきでしたね。(反省・・・)

震災後、3人の被災した方とお話しました。

1人はいつもジャム用のいちごをいただくHちゃんママ。
「いちごがあるから来て~~」と電話があったので、震災後初めて様子を伺いながら
いただきに行きました。
床上浸水だったので畳は全部取り替え、お家の中の障子の下のガラスも割れていました。
「私って気にしない性格だから~~~ それに家があるから大丈夫~」と明るく言われていました。
実家がいちご農家で、風評被害の方を気にしていました。

2人目はKちゃんママ、Hちゃんママのお家より2軒ほど海寄り。
4月2日、スーパーでばったり・・・
平屋のお家で低いので、浸水が酷かったみたいで、片付けも大変だったようです。
「今日やっと避難所から帰ってきたの~」と疲れた様子で話してくれました。
でも最後に、「頑張るから!」と力強く言われ別れました。

3人目はEさん。
娘の「徳島に帰る前にもう一度焼肉を食べた~い!」の要望に応えて、
飯岡バイバス沿いにある焼肉やさんへ・・・
そこで働いているのがEさん。
今回の津波で、お家が流されてしまったそうです。
「働いていた方が気がまぎれるから・・・」と普段通りにお仕事をしていました。
仮設住宅に入るそうです。
本当は辛いはずなのに、明るくお話してくれて胸がつまる思いでした。

3人ともとても力強く、私のほうが元気をもらいました。

4月8日、津波の被害の大きかった海岸通りを車で通りました。
ボランティアの方々の協力もあり、片付いてきているようですが、基礎だけ残っている家、辛うじて屋根と柱だけ残っている家、傾いている家、自分の目で見てあらためて自然の力を思い知らされました。

娘たちの友達の家も「危険」の文字が書かれた赤い紙が貼られていました。
飲食店をやられていたので、待っているお客さんのためにもまた再開したいと頑張っているそうです。

被災された方は、まだまだ普段通りの生活に戻るには時間がかかりますが、でもきっと大丈夫!
頑張ろう!旭
私も応援します。


    

旭市内にある「袋公園」の桜が見頃を迎えています。
例年行われている「桜まつり」は中止になりましたが、
今日、明日のぽかぽか陽気できっと満開になるでしょうね!




あれから・・・2

2011年04月12日 | 災害(地震・台風など)
雪割草の季節ももう終わり・・・
あの混乱の中少しだけ写真を撮ったけど、お花もちょっと寂しそう・・・







被災地の方に申し訳ないと、一時はお花に水をあげるのも控えていたけれど、
クリスマスローズがぐったりしていたり、雪割草が元気なかったりするのを見ると、
‘お花も生きているんだから・・・お花に元気もらっているんだし・・・枯らしたらもっと申し訳ないわよね!’
と、気持ちを切り替えることにしました。



        


旭市では4月4日から、規制値を超える放射性ヨウ素が検出されたと言うことで、
ホウレンソウ、チンゲンサイ、シュンギク、サンチュ、セルリー、パセリの6品目の野菜が
出荷停止になっています。
8日の検査結果では、全て規制値以下でしたが、暫定規制値を安定的に下回るまでの間は、
引き続き出荷制限をしなければいけないそうです。
いつまで続くのでしょう。
おまけに風評被害もあって、野菜のお値段の安いこと・・・

甘~い「縮みほうれん草」3月のある日、1袋20円でした。


こちらはいつもジャム用に頂く屑いちご。
旭市は県内一のいちごの生産地です。
こちらも例外ではなく、売り物の大きないちごでもとっても安くて、
「出荷しても箱代にしかならないけど・・・出さないよりはいいかな~」って・・・
出荷しているそうです。


直径20cm程ある立派なブロッコリー。
これも売れないから・・・と頂き物。


本当に農家の方が気の毒です。
いったいいつになったら放射能を気にせずに生活できるのでしょうか・・・

あれから・・・1

2011年04月08日 | 災害(地震・台風など)
ご無沙汰しています。
地震から4週間。
UPしたいことは、たくさんあるけれど、
赤ちゃんがいるお部屋にパソコンがあるので、なかなかできません。

季節は十分過ぎるほど、春!










地震があった直後、コンビニに何も無い映像がテレビで流れました。
それを見た娘の嫁ぎ先の徳島のお家から紙おむつやミルク、ティッシュペーパー、
それに子供たちのお菓子がどっさり(段ボール箱4箱)送られてきました。

SOちゃん、ROちゃん、そして次女の子のKNちゃん、KEちゃんの分も・・・
本当に助かります!



我が家は地下水を普段から使っていますが、赤ちゃんには水道水のほうが安全だと言うことで、
暮れに台所だけ水道を引きました。
でも放射性ヨウ素が検出ということで、徳島のパパから、「水道水は飲ませないで・・・」と電話が・・・

それでなくても、お水が品薄です。
山梨に住む私の妹に電話したら、勤務中に1時間お休みをいただいて、
あちらこちらの自動販売機からミネラルウォーターを買い集めて、2箱送ってくれました。
頼れる妹です!!



こちらの水道水はずっと放射性ヨウ素の値は100ベクレル/㎏以下です。
3月26日が一番高い値で61ベクレル/㎏、4月7日(昨日)は15ベクレル/㎏でした。
水道水も問題なく、乳児に飲ませても大丈夫な値ですが、
妹が集めてくれた大切な水があるので、ありがたく使わせてもらっています。
ROパパ、安心してね!!


「何か困ったらいつでも言ってね。何でも送るから・・・」と
何人ものお友達が、メールや電話で言ってくださいました。

本当に皆さんに感謝です。

  ありがとう!! 

昨夜も大きな余震がありました。
揺れている時間が長いと、どうしても3月11日を思い出してしまいます。

忘れられない1日 (平成23年3月11日)

2011年03月21日 | 災害(地震・台風など)
地震から11日目
やっと落ち着いてきました。

地震の際には、皆様にたいへんご心配をおかけしました。
メールやコメント、お電話、本当にありがとうございました。
とってもありがたく勇気付けられました。

私の住んでいる千葉県旭市は千葉県の中でも一番被害の多かった地域です。
津波が押し寄せて海沿いの家が大変な被害を受けました。

幸いにも我が家は海から2kmほど離れていますので、津波の直接の被害は受けずに済みました。

息子の友達の家は海沿いにあり、細い路地を車が流されてきたそうです。
家は床上浸水、胸のあたりまで水が来たそうです。
電話をかけた時は「畳をあげて片付けをしているよ!」としっかりとした声が返ってきました。
津波で亡くなった方もいらっしゃるので、無事でよかったとホッとしました。

旭市では波にさらわれたりして19日現在12名の方が亡くなり、3名の方が行方不明になっています。

地震と津波により家屋の全壊が339棟、半壊が164棟、一部損壊が1145棟です。
避難所に身を寄せている方も20日現在239名いらっしゃいます。

亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、
1日も早く被災した方々が普段の生活に戻れることを願っています。



この地震の12時間前の11日午前2時30分 長女に次男が誕生しました。
10日の午後9時30分ごろから「ちょっと腰が痛いかも・・・」
長男の時は破水から始まったので、陣痛の感覚が違うらしく、本人も「陣痛だと思うけど、違うかも・・・」
時間を計ると8分くらいの間隔で腰の痛みがきているらしい。
病院へ電話すると、先生が「一度見てあげるからおいで・・・」
一応入院する支度をして寝ている孫は主人にみてもらって病院に向かいました。
午前0時過ぎに病院について先生の診察、「予定日(3月3日)も過ぎているので、入院して産みましょう。」
それからが早くて、あっという間に6分、2分間隔に・・・
「やばいかも~~~~!」と急いで分娩室に入ってすぐ破水、
そして1回いきんだだけで生まれてしまったそうです。
超が付くくらいの安産でした。



そして12時間後の午後2時46分私と次女と孫3人が病院から外に出た時に、
「東北地方太平洋沖地震」が起こりました。

ここは震度5強でしたが、その揺れは何分続いていたんでしょう。
経験したことの無い大きな揺れ、
周りのもの全てが不気味な音を立てて揺さぶられている恐怖の長い長い時間でした。
私は3人の孫を抱えて地面に座り、次女は長女と生まれたばかりの赤ちゃんを外に連れ出し、
いくらかおさまってから孫3人を車に乗せラジオをつけると津波の警報が・・・
防災無線でも繰り返し叫ばれていました。
病院は海からは離れているので、津波は大丈夫だろう・・・

とりあえず長女たちを院内に・・・
そこでまた大きな揺れ・・・

もう建物の中にはいられません。
3人のママと赤ちゃん、駐車場にベンチを置いて、冷えないように毛布をかけて座ります。

いくらか落ち着くと今度は連絡の取れていない家のほうが心配で、
看護士さんに長女の事をお願いして家に急ぎます。
途中信号は消え、ブロック塀は崩れ・・・

家に着いてまず目に飛び込んできたのは、義母が草取りをしている光景・・・
「うっそ~~~~!こんな時に・・・」

工場は地震直後にボイラーを止め、機械は自動停止・・・

家に入ると物が落ちていましたが、大きな被害は無し。
食器棚も扉が閉まっており、中のものは茶碗蒸しの蓋が1つ割れていただけ・・・
それと百均の鏡が1つ割れていました。

次女が「停電だし水も出ないから、とりあえず食べる物を買ってこよう」とすぐに近くのコンビニへ・・・

孫達のためのお菓子と水、おにぎりとパン、非常時の次女の手際の良さには感心しました。

ここで浜の方から来た方から津波の情報を聞きました。
「○○屋のところまで水が来ているよ。」
山梨生まれで、津波という言葉にピンと来なかった私ですが、
「本当に津波が来ているんだ」と現実を知らされました。

家に戻り、しまってあった石油ストーブを出し、家にあるありったけの懐中電灯を集め、夜に備えました。

次女家族も怖くてアパートにいられないとずっと車の中にいたようですが、
平屋の我が家に非難してきました。

夜は、何回も緊急地震速報が携帯から流れ、そのたびに孫を抱えて外に飛び出す。
何回そんなことを繰り返したでしょう・・・

その夜の星が妙にきれいにきらめいていたことが、今でも忘れられません。


地震の直後の生活と赤ちゃんと一緒の生活にもやっと慣れてきたので、
ちょっとづつUPしていきますね。

こんな時なので、みなさんにちょっぴり元気のおすそ分け・・・

この世に生を受けて1時間後のROちゃん。
ママの羊水でまだふやけたままの真っ白な手で、私の指をしっかり握ってくれました。
世界最大級の地震が起こった日に生まれた小さな命、
亡くなられた方の分まで命を大切にして生きていって欲しいと願うばぁばなのでした。


大丈夫です

2011年03月11日 | 災害(地震・台風など)
今までに経験したことがないすごい地震でした。

今も電気、水道は止まっています。

真っ暗な家の中、懐中電灯だけが頼りです。

ストーブを出して、やかんでお湯を沸かしています。

カップヌードルやお茶くらいはOK。

海に近いので津波が心配なのですが今のところ大丈夫です。

1.5km先の海沿いの道は津波の影響で冠水しているそうです。

次女家族も、平屋の我が家に避難して来ました。

時折くる余震におびえながら夜が明けるのを待ちます。


とりあえず携帯から「大丈夫です」メールを投稿します。