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編者の一人が伊藤整だ。
伊藤整の『回想の文学 日本文壇史』(講談社文芸文庫)は1巻から12巻まであって、これが面白くて、出版が待ちきれずに、次から次と夢中で読んだものだった。
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この伊藤整が編者をしているというのでから、面白いに違いないと思って読むと、その期待はまったく裏切られず、江戸から明治の文明開化の時代の文学から、近代ジャーナリズムの誕生、キリスト教と文学、評論家の群像など、興味深い目次が並んでいる。
その中で、「ほぉー、なるほど!そうだったのか」と、膝を打つように感心した記述がある。
一葉が、『たけくらべ』を書いて、それはそれは一世を風靡する大ベストセラーとなった。
一葉の文学は、露伴、紅葉などの文学とのちょうど新旧交代の時期だったという。
筋立てを本位とした従来の作風から、克明な心裡描写に重点を置くように変わっていったのだ。
つまり日本の文学が、一葉の出現によって、ストーリー展開重視から、「人を描く」というふうに、書き手の視点が変わったということを意味する。
その結果、紅葉は、人の心裡描写に努力研鑽を積んで、新境地を見出そうとう意気揚々と書いた作品『金色夜叉』に、到達したのだという。
『金色夜叉』という作品は、お宮が、富豪に贈られたダイヤモンドに目がくらみ、許嫁の寛一を振って、熱海の海岸で、寛一に、罵倒される、あの有名な物語である。
芝居にもなり、この作品も当時は一世を風靡することとなった。
しかし、この作品誕生の背景に、一葉の存在があったとは、知らなかった。
そして、それから「人を描く」ということが、いまだに文学の根本となっている。
面白いものだ。