
私は、荷風が好きで殆どの作品を読んだ。
何を読んでも、裏切られることがなかった。
『狐』が、一番印象深く好きな作品だが、この『日和下駄』が荷風と出会った初めの作品だ。
荷風の何が好きかとあらためて考えて見ると、多分、そのデカダンスを謳歌した生き様と、それと並行する諦観の念を感じてしまうところではないかと、思う。
特に、その荷風の死に様は、あまりにも荷風らしくて、なにか心に迫る感慨がある。
しかし、荷風の評伝や評論を読んで、ああ、荷風が、すぐそこにいたら、きっと惚れることはないなぁとも思うのである。
いわゆる、変質者としての傾向が否めない。
押し入れの壁に穴を開け、新婚の隣人を夜な夜な覗いていたのである。
はたまた、愛人の歯を全部、抜いてしまうということもあった。
ちょっと、背筋がぞわっ、である。
だが、
文学って、凄い。
勿論、書き手の人間性というのもを如実に具現しているやも知れぬが、それでも生身を超える、なにか不思議がある。
そこが、文学の至高の幸福たるところだ。
私は、やっぱり、荷風が好きだ。
三ノ輪浄閑寺。
吉原の女たちの末路、夜陰にまぎれ投げ込まれたお墓の真ん前にある荷風の文学碑。
その碑文。
今のわかき人々
われにな問ひそ今の世と
また來る時代の藝術を。
われは明治の兒ならずや。
その文化歴史となりて葬られし時
わが青春の夢もまた消えたり。
團菊はしおれて櫻癡はちりき。
一葉落ちて紅葉はかれ
緑雨の聲も亦絶えり。
圓朝も去れり紫蝶も去れり。
わが感激の泉とくに枯れたり。
われは明治の兒なりけり。
或年大地俄にゆらめき
火は都を燬きぬ
柳村先生既になく
鴎外漁史も亦姿をかくしぬ。
江戸文化の名残烟となりぬ。
明治の文化また灰となりぬ。
今の世のわかき人々
我にな語りそ今の世と
また來む時代の藝術を。
くもりし眼鏡ふくとても
われ今何を見得るべき。
われ明治の兒ならずや。
去りし明治の兒ならずや。
講談社文芸文庫版もある。
