鎌倉評論 (平井 嵩のページ)

市民の目から世界と日本と地域を見つめる

平和主義の哲学  理屈ではなくパッション(感情)だ しかも日本の唯一世界に誇れる政治思想だ

2015-07-15 12:56:27 | 日記

 集団安全法制可決近し  状況主義(=現実主義)だけで判断していいのか   歴史に耳を傾け、未来への進歩という光を求めることがなくていいのか

筆者は現在第4作目の著書『さむらい精神の哲学』に熱中していて、ブログを書く余裕をなくしている。しかし戦争法案と揶揄される集団保障法案が今日にも可決されると聞くと、筆者も平和主義論を述べないではいられない。

現代の世界政治の不安定さからしても、絶対平和主義の根拠を探し求めることは難しいかもしれない。人間、やっぱり現実主義的判断にひかれがちだし、状況のもつ強みは、それを跳ね返すのに強い精神的なものを必要とする。

現実主義、状況主義を採ることは政治においてもっとも選択しやすく、もっとも通俗精神に訴える。だが政治のもっともとるべき道は、理念や正義の道であり、それを読み間違えると将来において落とし穴に堕ちることは、戦前の歴史からみても言える。

戦前の日本は、天皇君主制という一見強固な独裁制ながらその実は空虚な権力といわれたがらんどうの権力構造で、その権力の座に軍事官僚が占拠し、国民を無謀な帝国主義戦争に駆り立てた。

軍事官僚の無能ぶりは、専門の軍事戦術においても大鑑巨砲主義なんていう日露戦の固定観念から逃れられない状態だったし、当時すでに帝国主義戦争は時代遅れになっていたことも読めず、ドイツのナチズムの尻馬に乗って、八紘一宇という独りよがりの帝国主義戦争に国民を駆り立てた。

平和主義の信念はパッション(感情)である

自分がやられるかもしれない危険を冒して、憲法の平和主義は守らねばならないのか。国家の危機を賭けてまで平和主義をなぜ守るのか。これを自分に納得させるのは、武器をとって反撃すべきだ都いう考えに比べれば遥かに困難である。

だが多くの人々は平和主義を守ろうとする気持ちが強い。たとえ状況は日本に危険であっても、平和主義、平和主義を守ろうとする気持ちは理屈ではなくパッション(感情)から発しているのだ。

瀬戸内寂聴氏が老躯を押してデモに出て、「よい戦争など一つもない」と叫んだが、戦中に庶民の受けた痛手はまだ記憶に残っている。かの沖縄戦の悲惨な戦闘、原爆による残酷な被害、各地が空襲で焼け野原となった悲劇、300万将兵の戦場での残酷な死、こうした記憶は理屈を超えた日本人に戦争への忌避感情を呼び起こす。

戦中派のはしくれの筆者でさえ、青少年期に受けた戦争の屁劇の記憶はまだ生きている。

平和主義の思想とは、観念や理屈ではなく、強いパッションである。ある自民の政治家が、日本には改憲の機は熟していない、と述べていたが、日本人にこのパッションが燃えている限り9条を捨てることはない。

 平和主義は日本人が歴史からつかんだ唯一の政治思想

9条の成立経緯をみると、これが大戦を終えたばかりの当時の人類の悲願であり、夢であったと思えてくる。

東京裁判では戦勝国は日本を「平和への罪」という事後法で裁こうとした。これに対しインド人パール判事は、事後法で以て日本を裁くことは戦勝国が復讐裁判を隠すための偽善であるとして反対し、裁判は一時暗礁に乗りかけたと言われている。

東京裁判が戦勝国の復讐裁判であった言える要素もある。BC級裁判では千人もの日本人が処刑されているからだ。

また9条は天皇制を残すことの交換として、日本の牙を抜くためのアメリカの陰謀だったとも言われている。たとえそうだったとしても、筆者はむしろ戦勝国が自分たちのもちえない平和主義を日本に託したのではないかと思えるのだ。

哲学者ヘーゲルは、人間は「他者の承認をもとめて戦う存在である」と規定したが、此の大思想家にして人間を戦う存在としてしか見ることができないのである。これが、西洋人の人間観なのだ。彼らにとって武器を取らない、戦わないという人間は考えられないのだ。

日本の平和主義は戦勝国に押しつけられたものかもしれないが、日本人は強い悲惨の経験から、自らそれを納得して受け容れ、それをみずからの思想、信念としてきた。

平和主義はこの弱肉強食的国際政治のなかで、日本だけが掲げる、恐らく分不相応な理想主義であろう。日本人はそれをみずから危険に曝しながら守り続けている。

そしてそれは明治以来民主主義など近代思想を輸入するばかりであった日本が、戦後初めて国際社会に向かって発することができるみずからの政治思想である。

そのために世界から尊敬されるというメリットもあるようだし、おそらく世界からみても日本の平和主義は人類の希望となっていると思えるのだ。

 

  9条を宝と見えぬ現実主義何のための国家か何のための栄えか