鎌倉評論 (平井 嵩のページ)

市民の目から世界と日本と地域を見つめる

北朝鮮とは何者か

2017-10-17 16:27:52 | 日記

鎌倉評論54号の論説を書いたのでアップする

 

暴力主義を崇拝するスターリニズムの子

人間存在のニヒリズム性に立脚する

北朝鮮の真の敵は、日本の平和主義

 

北朝鮮が騒がしい。どのメディアも北朝鮮がどう出るか、何を考えているかといった政治戦術的なことばかり報じ、北鮮の真の姿が語られない。本紙はそこで北朝鮮を歴史的人間的大局から、その国家の正体を考えてみたい。

人類と暴力主義

国家や民族が武力によって互いに侵略し、相争うという姿は有史以来今日まで、そしておそらく将来にわたってもつづく、人類世界の変わらぬ宿命であると考えている人が多いのではなかろうか。国家間においては言うに及ばず、法と権力が支配する国内においても、人は暴力に頼ることが多い。暴力こそ真の正義であるという考えは、暴力否定の聖者や覚者の教説・運動にもかかわらず、人類の胸中から去ることはない。要するに勝てば官軍、弱肉教職が、人類社会の真の姿だという考えは、トマス・ホッブスの人間狼論やアメリカの銃による自己防衛主義を見るまでもなく、この文明時代でもぬぐうことはできない。

ことに、世界政府もなく国連という諸国家の会合はあるものの、その権力も軍事力も弱体である今日、国際政治はまさに強者が支配する無秩序の状態である。アメリカは諸国家のなかの親分に過ぎず、いつ別の親分にとってかわられるかもしれない。現在の世界平和はパクス・アメリカーナに過ぎない。

平和主義という人類知の向上

それでも21世紀になって暴力主義はその有効性を失くし、知性による平和主義が世界に強まりつつあると感じないだろうか。第一、原爆の恐怖が,広島長崎の訴えにより、つまり日本の平和主義運動により浸透したこと。交通通信の発達は人類の相互理解と親密さを高めた。風俗習慣文化の相異はあっても、みな同じ人間だという認識が確実に広まっている。多数の観光客の往来はそうした相互理解を促進しているだろう。また20世紀の大戦争の記憶は失せていないし、東京裁判やドイツ裁判で決められた「平和への罪」「人道への罪」という法概念の発生は、帝国主義とか植民地主義などという野蛮な暴力支配を時代遅れのものにしてしまった。国際世論というものが国際政治に生まれ有効な圧力になっているし、「人道への罪」意識は残虐な政治への強い非難になる。

日本は敗戦により不本意ながら憲法9条の平和主義を押し付けられたと言っているが、実は将来に向けた人類の悲願である平和主義を推し進める使命を負わされたと考えるべきである。武に対し武で立ち向かうのは、人類発生以来の常道だし、たやすいことだ。それを否定し、身を危険にさらしても平和主義を世界に叫ぶ道こそ、日本の価値であり、世界政治への貢献だと考えるべきだ。これは青臭いロマンチズムでも非現実主義でもない。これこそ覚悟をもった武士道精神の現実主義の道ではなかろうか。自己の強さを主張するばかりの人類の狼状態を救済する国家の生き方である。それは古くから現世の無常観を発達させ、「わびる」という自己否定の生き方の思想を確立した日本人だけができることなのだ。日本人の生き方こそ先進的人類知と認識されるべきである。

共産革命は銃口から生まれた 暴力主義の信奉

近代は武力による伝統的王権の転覆という革命によって特色づけられる。イギリス、フランス、アメリカの市民革命がその先発だろう。この市民革命は産業革命によって生まれた資本家(ブルジョワ)の王権への反抗だった。20世紀になって起こった共産主義革命は王権貴族と資本家に対する労働者の反抗だった。この革命は前の市民革命に比べるとはるかに分厚い反革命階級に取り巻かれていた。ロシアが口火を切ったが、共産政権はどこも内外の反革命勢力と戦わねばならなかった。中国や朝鮮の共産勢力は、国内の資本主義勢力や日本帝国主義と対峙した。ベトナムのホーチミン政権、キューバのカストロ政権などどの国も強力な資本主義勢力との戦いから生まれた。毛沢東の「権力は銃口から生まれる」という有名な言葉はこの状況を語っている。したがって共産主義政権は武力を自分の命とし、ことさらこれを信奉する性格をもったのだ。

原爆は国家の誇りと独裁者の人気を高める

北朝鮮がこのような現代史のなかで、武力主義をあがめ暴力だけが自己の生存を可能にするものだ考えるのは無理もない。とくにこの国は朝鮮戦争を戦い、70年前とはいえまだ休戦状態にあるだけなのだ。この歴史経過からいえば、韓国を武力統一するというのは当然の政治目標であっておかしくない。北朝鮮が自国民を飢えさせながら、原爆とロケットさえ持てばアメリカと対等になれると考えているのは、過去の共産政権の被害妄想からくる武力崇拝である。どうみても理性のある考えとは思えないが、いまや武力が国家の誇りともなっていると考えられる。原爆とロケットがなければ北鮮など弱小な後進国、カンボジアやラオスのような国になって注目されることもない。それが原爆とロケットによって、世界から注目され、最強国アメリカと対等になるのだ。これほど国民の誇りをくすぐり、独裁者の人気を高めることはない。それに原爆付きロケットが完成すれば、それで世界を威嚇し、稼ぐことをするかもしれない。まさに盗賊国家である。日本はそのよい標的になるのだ。

共産主義政権の暴力体質の原因

共産主義政権はその成立時、これをつぶそうとする反革命勢力に取り巻かれていた。日本もシベリアに出兵して圧力をかけた。国内的にも反革命分子が多く、これとも戦わねばならない。また権力内部にも権力闘争が激しく、トロツキー、ブハーリン、スターリンなどが争った。革命初期には労働者たちは、王権的独裁を否定し民主政治を目指したのだが、内外にあまりにも敵が多かった。そこでスターリンは権力をとると、民主集中制という欺瞞的方法で独裁制を確立し、政敵を暴力で殺害したばかりか、反抗的な国民を容赦なく強制収容所(ラーゲリ)に入れて虐待した。この手法をスターリニズムといわれるが、この暴力主義が共産政権の一般的手法となってしまった。共産政権の特色はこればかりか、教条主義、閉鎖主義、独裁主義、抑圧恐怖政治、言論弾圧、密告、強制収容、粛清など、人道主義などものともしない暗黒政治で、レーガンが「悪の帝国」といったほど、非人間的な政治になった。民主政治を目指したはずの共産革命がなぜこうなったのか、人間の悲劇的本性の現れというしかない。

北朝鮮は正統的なスターリニズムの政権

北朝鮮は歴史への何の反省もせず、今もこの共産主義政治を忠実に行い、アメリカ資本主義の帝国主義と戦っていると言っているわけだが、どうみてもドン・キホーテであり時代錯誤である。北朝鮮が他の共産政権と違うのは労働者代表にすぎない委員長が、金家によって独占されていることだ。これもマンガ的偽善だが、教条主義の極致であろう。歴史への反省がないこととこの金王朝をのぞけば、北朝鮮は伝統的共産政権の手法を行っているのであり、なんらおかしなことではないのだ。

この共産主義政権は、近代西洋が大いなる希望をもって始めた政治ではなかったのか。そして資本主義のもつ自由主義の逸脱、格差拡大、拝金主義、地球破壊などの問題は、百年前と何も変わらず、人間を苦しめており、平等を叫ぶ共産主義の意義も十分に有効なのだ。

 中国は同じ穴のむじな

北朝鮮は時代錯誤的とはいえ共産主義に忠実な政権であるが、中国は改革開放と称し資本主義化してしまい、アメリカ同様格差は激しくなり、共産主義の理念など失せてしまった。にもかかわらず共産党一党独裁を維持しているが、理念を捨てた共産党は統治の正統性を失っている。何を根拠にお前が支配するのかという懐疑である。そこで中国共産党は日本帝国主義と戦ったという歴史を正当性の根拠にするため、今も国民への反日教育反日宣伝を国策としている。故意に作り上げる正当性論である。大戦中には世界のいたるとこで、また中国自身文化革命時には大量死をだしている。過去の戦中の人間の悪事をほじくれば切りもなくあるにもかかわらず、日本の侵略だけを今だに国をあげて敵視するのは、歴史に対する公平性を欠いている。韓国の慰安婦問題についても同じことがいえる。日本は彼ら自国の問題のために利用されているのだ。

中国共産党はいまや得体のしれない支配階級になっている。にもかかわらずスターリニズム政治手法は残っており、内外に対する暴力主義的政策だけは行われる。天安門事件は今でも容易に行われうるし、言論弾圧は現在相当きついらしい。要するに中国も北朝鮮も同じ穴のむじななのであり、スターリニズムの残骸なのだが、中国は実体は資本主義であり経済的に大成功している。しかしスターリニズムの暴力主義を宿しているため、昔の帝国主義と同じになっている。中国は早く民主化しなければ、世界の災厄になる可能性がある。しかし彼らは決して民主化しない。民主化すればチベットなどの分裂、下層民衆の暴動などが起こるからだ。暴力による強圧的政治であるスターリニズムは中国でも極めて有効なのだ。

アメリカの暴力主義と日本の平和主義

アメリカは高度な文明国にもかかわらず、その社会体質は極度に暴力主義である。恐らく西部開拓史の影響や強い個人主義、競争主義それに銃業者の圧力があるせいだろうが、もっと大きな原因は、世界政治のニヒリズムの先頭で警察官をしているからだ。暴力主義になるのも致し方ない。世界政府ができるまでは、パクスアメリカーナは必要だ。しかしアメリカはこれまで碌な戦争をしてない。共産主義恐怖妄想によるベトナム戦争、原爆があるという判断ミスによるイラク戦争、復讐感情に駆られたアフガン戦争。同盟国である日本は気をつけねばならない。集団的自衛権は危険であり、日本が暴力主義に巻き込まれる原因となる。

日本は平和主義を国是とし、憲法9条に逃れようもなく具体的にそれを明記した。人類史がいまだ暴力主義から逃れられない時代に、極めて特異なことであるが、それは日本国民の肌に焼き付いた戦争の痛みからきている。日本の平和主義は人類史の一点の光明であり、北朝鮮やアメリカなど世界の暴力主義は日本の真の敵である。日本は孤独な平和主義を戦っていると認識すべきだ。