鎌倉評論 (平井 嵩のページ)

市民の目から世界と日本と地域を見つめる

鎌倉9月議会が長期休会  その裏に役所ぐるみの巨大疑獄の疑い

2015-09-28 14:59:33 | 日記

現在、、鎌倉の9月議会が開催中であるが、ある日から突然長期休会に入った。10月20日まで休会である。その原因は自民党中澤議員が、小学校で行うインフルエンザ予防注射に期限切れ薬品を使っていた、と暴露したからである。

その期限切れ薬品を過去にさかのぼってどのくらい使っていたかを正確に調査するために、この休会になっている。

手っ取り早く言って、鎌倉市と鎌倉医師会は共同謀議で期限切れ薬品を使用したのではないか、という疑いなのである。

食品でも期限切れのものは捨てられるか、値段を格段に安くして売られる。食品ならたいした我いもない大が期限切れワクチンというものが一体どのくらいがいがあるのか、無いのか、一般人には分からない。いずれにしろ期限切れのものを子供に注射していたということは、常識外づれの無責任行為である。

それを担当医師や担当役人がどこまで知って行ったのか。彼らを管理している医師会や役所上層部が認識していたのか。

このようなことは医師会や医師、市の担当部長や担当者、要するに発注者(役所)と請負人(医師会)の組織ぐるみの共謀がなければできるものではない。平たく言えば、「ぐるになっていた」と疑えるのである。

そもそも役所はこのような不正がないかチェックするのが仕事である。それが故意にチェックせず見過ごしていたとなれば重大な犯罪というしかない。

この問題に加えて、その薬品の請求書を医師会は白紙で役所に渡し、役人が金額を書き込んでいたというのだ。にわかに信じられない不正であり、まともな常識的行為としてはありえないこと、あってはならないこと、あれば直ちに共謀した水増し請求(詐欺)などの犯罪が疑われるものである。

鎌倉市はほんとにこんな不正なことをやっていたのか。以上はもちろん疑惑であり真実はどうだったのかよく調べねばならない。

この件に関して徹底的に事実を究明してもらわねばならない。

 

    不正の穴探れば深いぞかばねくら(屍倉=鎌倉の別称)

 

 

 


「再び世界の中心で輝く国になる」 安倍首相の目標と歴史観  この男は現実主義者ではなく妄想家ではないか

2015-09-23 15:16:45 | 日記

テレビによると、安倍首相はこんな発言をしたそうだが、彼の容易にうかがい知れない思想の一端を垣間見ることができる発言である。

首相のこの発言はさまざまな彼の思想がこめられている。この言葉の下に隠された思想がなくては出てこないものである。そこでこれを分析してみよう。

「再び」という言葉は、その下に、かつて日本が世界の中心として輝いた時代があったという考えに基づいているはずだ。では、その世界の中心として輝いた時代とはいつの時代を指すか。日本近代150年をざっと見て、世界の中心であったような時代は、80年代のジャパンアズナンバーワンといわれた、戦後経済の絶頂期が一つ考えられる。しかしその頃はまだ冷戦時代でどう見ても世界の中心とは言えない。

もう一つ考えられるのは、1930年代、日本が欧米と背を並べる軍事大国となり、武力で欧米と対抗した時代である。それはやがて調子に乗って軍人どもが帝国主義政策をとり、世界戦争に進んだものだ。

近代150年のうち、世界の中心らしい時代だったのはこの二つの時しか考えられない。むしろ現代がもっとも中心らしい気がするが、「再び」なんだから現代はのぞこう。

結局、安倍首相がかつて日本が世界の中心として輝いたと思っている時代は、軍国主義華やかなりしころの30年代ということになる。

「世界の中心で輝く国になりたい」という願望も時代の合わない妄想的夢想ではないのか。「輝く国になる」など、まして「世界の中心で」という願望など、ヒトラーの「世界に冠たるゲルマン民族」という妄想と同じで、他国、他民族を下にみて威張り散らし、隷属させるという野望に通じる。

国家が世界の中心として輝く必要などどこにあるのか。他国と仲良くし、その結果日本はすばらしいと思われ、自然に尊敬され輝くのならいいだろう。輝く国になろうなどと、自分から望むべきものではないはずだ。

安倍首相とその一派は、日本の安全保障が危険になったという現実に対処するために、無理な解釈改憲によって安保法制を作った。彼らは現実主義に立った処理だといい、平和主義派を現実を見ない夢想主義者だという。

しかしこの安倍首相の言辞からは、夢想論者なのはむしろ彼の方で、しかもその夢想はかつての軍国主義の夢想で、軍事力によって世界を従えるという、あの大東亜共栄圏や八紘一宇の思想ではないのか。こんな政治家に日本の安全保障をまかせておくことはできない。

         名月や軍国主義が朧に見え

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


出版界は不況を通り越して危機   出版文化の危機かメディアの変化か

2015-09-17 16:08:05 | 日記

筆者は現在『日本は近代思想をやり直せ』というタイトルの原稿を書き上げ、出版しようとあちこち折衝している。

この間出版界についていろいろな不景気な話を聞かされた。なにしろ昨今、出版界は不況を通り越して危機なんだそうだ。6月にも栗田出版販売という4番目に大きい取次店が倒産した。

出版不況という話は巷間にも知られているが、どの程度不況なのか一般にはよくわからない。新聞には毎日、本の広告があふれんばかりに載っているし、新聞雑誌の書評欄にも、さかんに書評が出ている。日本の出版文化、知的活動はなお旺盛なように見えるのだが、個別具体的、かつ商売的には成り立たない状態になっているらしいのだ。栗田の倒産はその深刻さを浮き彫りにしたようだ。

なにしろ最近の日本人は本を読まなくなったそうだ。そういえば、何年か前には電車のなかで勤め人はみな本を開いていた。日本人はさすがよく本を読むと外国人から云われものだ。それがいつの間にかマンガに変わり、最近では小型テレビのようなスマホというやつだ。電車に乗って驚くのは、まわりの皆が皆、うつむいてそれをいじくっている光景である。

筆者が書くような硬派系という本など、よほど大きな書店に行かないと置いてない。日本人の知力が落ちたと言われる現象なのだろう。さびしくも嘆かわしい限りだ。

こんなわけで堅い思想書など到底採算に合わないらしい。筆者のような横町の評論家が書いたものなど到底売れない。大学の学者達は研究費とか補助金とかがあり自腹を切らずに済むらしいが、普通は著者が自腹を切らないと出版社は持たないそうだ。

こんなわけで、筆者も折角大著を書いたが、大金を用意しないと出版の当てはない。それでもこの歳になって、著作意欲がわき、抑えがたい。現在、『サムライ精神の哲学』というタイトルで、サムライ精神について書いている。サムライ精神とは、今はなき階級に生まれ育った特殊な人格文化、精神文化であり、新渡戸稲造じゃないが、やはり今日の弛緩した日本人には有用なものではないかと直感している。

その次が『現代神としてのカネ』というタイトルで、貨幣経済のことについてどうしても書きたいと思っている。このブログに筆を運ぶことが間遠くなるばかりだ。

      蝉遠く夢もどこかのぼけ頭

 

 

 

 

 

 

 


北鎌倉駅裏小トンネル破壊   反対市民団体と市長が話し合い  一方的に決定したうえでの威圧的対話集会

2015-09-04 12:27:37 | 日記

 8月31日、上記トンネル問題について、反対市民団体と市長の対話が行われたのだが、それが対話というより、市側の一方的で威圧的な破壊決定に対して、市民団体が中止を懇請し、お願いするという形になっていた。

なにしろ氏側には調査を依頼した「日本トンネル協会」の中間報告に従って、これhで危険と決まったと判断し、破壊を一方的に決定し、補正予算を請求するため9月議会に提案したてしまったというのだ。

2万人を超す反対署名があり、近隣の瓜が谷町内会では98%の人が反対意志を示した統計があり、「守る会」に結集したおおくの市民がいるにもかかわらず、事前に話し合いもせず、市は一方的強圧的に手続きを進めてしまったのである。市側の態度は明らかに強権的であり、市民はつべこべ言うな、という反市民的、権力主義的態度である。

松尾市長というのは、若くてしがらみのない市民は市長というイメージで当選したはずなのに、この強権主義的態度はまったく選挙公約への裏切りである。

この氏側の裏側に、円覚寺が墓地を創りたいという欲望があり、青れで市に圧力を賭けているという噂があるのだが、この松尾市長の尋常ならざる態度は、その裏の圧力に抗しきれない焦りがあるように感じられる。

円覚寺といえば有力観光寺であり、鎌倉にとってはいわば大旦那であり、盆踊りなど地域の文化活動もやってくれている文化のパトロンである。

これが墓地を作りたいと言っているのだから、そのために邪魔なぼろトンネルなど取っ払ってもよい、というのがどうやら市や「協議会」など破壊賛成派の考えなのだろう。

しかし表立っては円覚寺の話は誰もしない。誰もが円覚寺に遠慮としているのだ。表立っては「危険だ」「安全のためだ」というのが破壊の口実である。

大地震が来てあのトンネルを通りかかった人が潰されるという確率は、おそらく道を歩いていて交通事故にあう確率よりはるかにちいさい。人は危険な場面の想像を膨らませて、今にもそれが起きるという妄想に囚われやすいものだ。

安全が表立った口実であり、裏の圧力(円覚寺)はタブーのようになって表に出ないため、市の態度にも解せないものがあり、対立の話し合いも何かおかしいものになっている。

         見たことない強権揮ってトンネル壊し