鎌倉評論 (平井 嵩のページ)

市民の目から世界と日本と地域を見つめる

明(あけ)けき清(きよ)き直(なお)き誠(まこと)の心〟

2015-10-22 13:18:29 | 日記

(「鎌倉評論」12月号の論説を書いたのでブログにアップしたい)

 

 

”明(あけ)けき清(きよ)き直(なお)き誠(まこと)の心〟

            日本人の重んじた固有の道徳

                 善悪二元精神の広がる世界で

                 自らも堅持し世界へ主張すべき倫理

 

1、 儒教にもまして日本人が守ってきた誠の精神

当地で起きた不正ワクチン注射、相変わらず発覚する官僚の不正行為。ゴム会社や建築会社の騙し行為、その他産業界で起きる偽装工作。フォルクスワーゲンで起きた唖然とする確信的偽装行為。中東で起きている理解不能な残虐や文化破壊など、人間精神のカオスは今日ますます深刻化している。今回は、筆者の主観に拠りながらも、人間精神とその倫理について論じてみたい。

本能を失くした人間は古来道徳について自ら厳しく律し論じてきた。中国人の考えた儒教という道学は、日本をはじめアジア一帯に普及し、道徳を教導した。先進中国人は、過去において日本人の文化的精神的教師だった。儒教は、「孝」(親子関係の道徳)、「貞」(夫婦間)、「忠」(君臣間)、「序」(長幼の間)、「信」(友人間)の五倫を重んじた。しかしそれらは時代によって変化したし、個人主義や自由主義という近代西洋思想が輸入された今日、儒教道徳はきわめて希薄になっている。

だがしかし、これなくして社会は存立しないという道徳が一つある。日本人はこの道徳を「明けき清き直き誠の心」と古代において呼び、以後それを歴史を通じて今日まで大事にしてきた証拠がある。しかし日本人と日本思想界はこのことを十分認識していないのが不思議であり残念だ。

誠(まこと)の心とは、端的に言うと、正直であること、嘘をつかないこと、誠実な行いをするということだ。考えてもみたい。社会で人が平気で嘘をつき、口では正しいことを言いながら実際には邪悪なことをすれば、社会が成り立たないことは明白である。儒教の言う孝や忠がいかに守られても、人に誠実の心がなければその道徳すら成り立たない。誠の心とは社会の根本道徳といって過言ではない。

 日本人はそのことを古代より直感的に確信した民族であり、為政者や指導者は古くからそれを主張し、民衆を指導した。しかし日本人は論理嫌いの精神から、中国人のように観念化や論理化の構築を行わなかった。そのため世界に向けて発信する哲学的言説とならなかった。そればかりか日本人は大陸文化への事大心が強く、儒教でも仏教でも道教でも大陸のものを尊重し、自らの考えは「日本化」とか「日本的選択」という形でしか主張してこなかった。

2、 誠思想の歴史とその問題点

誠の思想はすでに『古事記』の神話に始まっている。荒ぶる神スサノオは父イザナギに追放されるが、姉のアマテラスに別れの挨拶に行くとアマテラスは高天原(たかまがはら)を奪いにきたと疑う。そこでウケイという占いを行うと、スサノオの潔白が証明される。スサノオは誇って言う。「われに邪(きたなき)こころなし、異心(ことごころ)なし」神話はここで邪心のない心が大事だと言っているのだ。歴代天皇が就任の時に発する「宣命(せんみょう)」という声明文には、「明けき清き直き誠の心」をもつようにくり返し官僚たちの宣告している。古代には「清明心」「明浄心」とも呼ばれたが、中世になるとこれが「正直(せいちょく)」という言葉に統一され、神の教えとして民衆に教えられた。14世紀、北畠親房は『神皇正統記』で「鏡のごとく私心のないことが正直の本源である」としている。江戸初期の儒者、伊藤仁斎は孔子の「仁」を愛と解釈し、その愛とは偽りのない誠の心だとした。幕末の吉田松陰は「至誠天に通ず」と言っており、誠さえあれば天も救ってくれる、と考える。明治の哲学者、西田幾多郎も内面からわき上がってくるもっとも崇高な要求は「至誠」である、としている。彼は、人間存在は無であり自我と世界は一体となったものと考えるが、その自他統合の根底から現われてくる要求が「まこと」というものだ、という。

以上ざっと述べたが、外にも誠思想を主張した思想家は多くいる。表面は仏教、儒教、西洋思想の影響を受けながら、日本人は自ら直感した「まこと」道徳の重要さを守り続けてきたのである。

ところが、日本人のまこと思想には重大な欠点がある。北畠親房が鏡のようにいいなりの素直な人格になれとか、松陰のような至誠天に通ずという、あまりにも他者まかせで主体性のないお人好しでは、これまた現実には危険であるはずだ。東大の倫理学教授、相良亨氏は『誠実と日本人』でこう言う。「伝統的誠、誠実あるいは誠心誠意には、真の他者性が自覚されていないのではないか、と思い始めた」なんとも暢気な話であるが、日本の思想家は誠実を最高道徳と考えながら、その危険性については考えてこなかったのだ。事実日本人の誠意には他者の危険性を意識しない幼児性がみられる。ルース・ベネディクトが挙げた事例に、戦中日本兵はひとたび捕虜となると自軍の秘密情報まで喋ったという話がある。オーム真理教の信者は〝澄んだ眼をして〟嘘をつき、教祖に命じられるままに人殺しに邁進したという話。戦前ソ連のコミンテルンが発する方針(テーゼ)に日本共産党は忠誠を競った。戦後アメリカに服属するとなると、日本外務省はアメリカ一辺倒になった、などの話。

どれも日本人のまこと精神の危険性を示している。しかし現実に対して楽天的だが、「まこと」社会を求めることによって、日本はおおむね誠実で嘘の少ない社会になってきたのであり、それに道徳思想とはどこでも理念的でありその欠点に目をつぶっているものだ。

3、善一元論のキリスト教精神の歴史

 現世には天変地異あり戦争あり飢餓あり、社会には権力の搾取、憎しみ、欺瞞、裏切りなどどう見ても人間には過酷な現実があった。にも拘らず人間はニヒリズムに陥らず、秩序や信頼や愛や平和を求めつづけてきたし、その希求心を失おうとしなかった。そうしなければ生が成り立たないからだ。

西欧のキリスト教においてはかなり作為的な善一元論が採られてきた。即ちこの世は善なる神だけが支配している世界であり、「悪とは善の欠けた状態である」(13世紀トマスアクイナスの言葉)となんとも詭弁的であるが、悪はこの世に本質的にはないというのである。悪はこの世に限りなくあり、善は弱く、悪を認めてしまえばこの世は悪に占領されてしまう、と考える。このカトリック神学にもっとも影響を与えたのは、4世紀のアウグスティヌスであろう。彼は『告白』という本を書いて、人間は神の助けなくして善は成り立たないといった。この本は西洋では歴史を通じて読まれてきた。中世スコラ哲学では「神義論」という議論が盛んに行われた。神の善が支配するというのに、現実にはどうしてかくも悪がはびこっているのかという、もっともな議論であった。

ルネッサンスや宗教改革を経て、西洋近代に人間主義や理性主義が生まれると、神への不信、無神論が広まった。18世紀カント哲学は神に依存しない、自立した人間精神の哲学だった。その根拠は人間理性であった。彼の哲学は哲学史上「コペルニクス的(180度の)転回といわれて画期的だった。そのカントは倫理についてもまるで神のような厳かな定義をしている。「カントの定言命令(絶対的無条件的命令)」というが、ここでの説明ははぶく。西洋人には今も神のような根拠の役をしている。このカントの言い方を借りれば、「明けき清き直き誠の心を持て」というのは、日本人の定言命令と言うべきである。

19世紀、がニーチェが現われ「神は死んだ」と宣告し、西洋人の無神論は強まった。今日、ヨーロッパでは教会に来る人がなくなり、教会は閑古鳥が鳴いているという。西洋人は神を失い、ニヒリズムの荒野をさまよい歩く状態となっている。彼らは、無神論者で無常観や空の精神をもって平然としている日本人に注目しだした。フランスの思想家モーリス・パンゲはその著作『自死の日本史』で言う。「日本が、日本こそがその歴史のもっとも奥深いところからやってきて励まし、力づけてくれるのだ」しかし日本人はその注目に応えるだけの思想力、知的弁論力をもっているだろうか。

アメリカ人もまたニヒリズムに漂流している。アメリカでは頭のなかで正義を求める議論が盛んだ。ジョン・ロールズの『正義論』、日本にも来たマイケル・サンデルの白熱教室、リチャード・ローティ―の「アイロニズム」など、彼らはみな神なき時代に正義の根拠を掴もうとしているのだ。先般ローマ法王がアメリカを訪問し大いに人気を呼んだが、アメリカの大衆はキリスト教に回帰する気持ちを強めているのかもしれない。

4、精善悪二元論の神

この世は、闘争、憎しみ、苦痛に満ちているが、また美しく楽しくいつまでも生きていたいところだ。しかし多くの民族のなかには、その事実を受け止め、この世には善の神と悪の神の両方が支配していると考えた者もいた。「善悪二元論」の精神である。古代ペルシャに盛んだったゾロアスター教、マニ教、それに初期キリスト教のグノーシス派などはこの世は善の神と悪の神が支配すると考えた。

善悪二元論の精神はこれを理解するのは難しい。一人の心のなかに善心と悪心が同居することを承認するのだから、悪事をしてもそれは悪の神に根拠をもっていて正当に赦されるのである。この矛盾した精神を平気でもってカオスの世界を生き延びようとする。

 善悪二元論はその矛盾の故に人間精神史から消えていった。人間は二元論を嫌ったのだ。先に書いたアウグスティヌスも若いころグノーシス派に属し、悪事を行ったと告白している。

この善悪二元論をもった民族の生存環境は、総じて生きることの過酷なのな土地である。砂漠地帯は植物の生育が悪いうえ、各異民族がその少ない食物をめぐって奪い合う環境である。そのような地域として中東や中国大陸がある。中国は砂漠でなく豊かな土地であるが、四方から貧しい民族が歴史を通じて侵略してくるところだった。中国人は儒教など観念では立派な道徳論を創ったが、過酷な生存環境はそれを一元論として守ることを赦さなかったと思える。

儒教は優れた道徳理論であったが、過酷な現実の前に形式主義になって行った。支配階級の観念論となり、現実の行動とは乖離していった。実行に担保されない道徳論など意味がないのだ。儒教が科挙という官吏登用試験の試験科目になったため中国人は懸命に儒教を勉強したが、現実には平気で賄賂をとり、平気で人肉を食うこともした。(魯迅は「喫人」といっている)理念と現実との乖離ははなはだしいまま長年中国人は過ごしてきた。日本人が誠実を追究したのとは対照的である。

明代、16世紀になってやっと王陽明がこの頭と現実の乖離を糺そうとした。彼は「知行合一」を主張した。考えたことは実行せねばならないという理論だったので、現実主義で誠実を尊んできた日本の侍たちはこれに救われるように飛びついた。幕末の多くの志士は陽明学を奉じていた。陽明学左派といわれた李卓吾(りたくご)は、朱子学のもつ偽善性を激しく非難し、朱子学を学ぶより「童心」をもつことが大事だとした。まさに北畠親房の主張した「鏡のような心」と同じである。

だが陽明学や李卓吾の思想は中国では受け容れられず衰退した。中国には諸子百家の時代から荀子や韓非子のような性悪説があったし、清代末には李宗吾が『厚黒学』という本を書いた。

これは大ヒットし、中国知識人で知らない人はないといわれる。そのエッセンスはこうである。「天は人間を作る時、面の皮の厚かましさを隠せるようにしてくれた。また心中に悪だくみを隠せるようにもしてくれた。愚かな衆生がこのような貴重な宝を身につけていても使わないのでは天下でもっとも愚かなことといえるだろう」

 中国人の中には孔子孟子のような善を求める精神と韓非子、李宗吾のような悪を求める精神があるのだ。まさに二元論である。このような二元論は中国社会を崩壊させつつある。観光客の爆買という現象はすでに社会の崩壊の一端を示している。それは中国人自身が自国の日用品にまで不信をもっているということである。嘘のない誠実な社会でなければ社会は成り立たない。こう言う風潮がニヒリズムの深まる世界においても広がっている。日本人は古代から培ってきた誠の精神を堅持し、それをロゴス化して世界を指導しなければならない時代である。

 

 

 

 

 

 

 


明(あけ)けき清(きよ)き直(なお)き誠(まこと)の心〟

2015-10-22 13:18:29 | 日記

(「鎌倉評論」12月号の論説を書いたのでブログにアップしたい)

 

 

”明(あけ)けき清(きよ)き直(なお)き誠(まこと)の心〟

            日本人の重んじた固有の道徳

                 善悪二元精神の広がる世界で

                 自らも堅持し世界へ主張すべき倫理

 

1、 儒教にもまして日本人が守ってきた誠の精神

当地で起きた不正ワクチン注射、相変わらず発覚する官僚の不正行為。ゴム会社や建築会社の騙し行為、その他産業界で起きる偽装工作。フォルクスワーゲンで起きた唖然とする確信的偽装行為。中東で起きている理解不能な残虐や文化破壊など、人間精神のカオスは今日ますます深刻化している。今回は、筆者の主観に拠りながらも、人間精神とその倫理について論じてみたい。

本能を失くした人間は古来道徳について自ら厳しく律し論じてきた。中国人の考えた儒教という道学は、日本をはじめアジア一帯に普及し、道徳を教導した。先進中国人は、過去において日本人の文化的精神的教師だった。儒教は、「孝」(親子関係の道徳)、「貞」(夫婦間)、「忠」(君臣間)、「序」(長幼の間)、「信」(友人間)の五倫を重んじた。しかしそれらは時代によって変化したし、個人主義や自由主義という近代西洋思想が輸入された今日、儒教道徳はきわめて希薄になっている。

だがしかし、これなくして社会は存立しないという道徳が一つある。日本人はこの道徳を「明けき清き直き誠の心」と古代において呼び、以後それを歴史を通じて今日まで大事にしてきた証拠がある。しかし日本人と日本思想界はこのことを十分認識していないのが不思議であり残念だ。

誠(まこと)の心とは、端的に言うと、正直であること、嘘をつかないこと、誠実な行いをするということだ。考えてもみたい。社会で人が平気で嘘をつき、口では正しいことを言いながら実際には邪悪なことをすれば、社会が成り立たないことは明白である。儒教の言う孝や忠がいかに守られても、人に誠実の心がなければその道徳すら成り立たない。誠の心とは社会の根本道徳といって過言ではない。

 日本人はそのことを古代より直感的に確信した民族であり、為政者や指導者は古くからそれを主張し、民衆を指導した。しかし日本人は論理嫌いの精神から、中国人のように観念化や論理化の構築を行わなかった。そのため世界に向けて発信する哲学的言説とならなかった。そればかりか日本人は大陸文化への事大心が強く、儒教でも仏教でも道教でも大陸のものを尊重し、自らの考えは「日本化」とか「日本的選択」という形でしか主張してこなかった。

2、 誠思想の歴史とその問題点

誠の思想はすでに『古事記』の神話に始まっている。荒ぶる神スサノオは父イザナギに追放されるが、姉のアマテラスに別れの挨拶に行くとアマテラスは高天原(たかまがはら)を奪いにきたと疑う。そこでウケイという占いを行うと、スサノオの潔白が証明される。スサノオは誇って言う。「われに邪(きたなき)こころなし、異心(ことごころ)なし」神話はここで邪心のない心が大事だと言っているのだ。歴代天皇が就任の時に発する「宣命(せんみょう)」という声明文には、「明けき清き直き誠の心」をもつようにくり返し官僚たちの宣告している。古代には「清明心」「明浄心」とも呼ばれたが、中世になるとこれが「正直(せいちょく)」という言葉に統一され、神の教えとして民衆に教えられた。14世紀、北畠親房は『神皇正統記』で「鏡のごとく私心のないことが正直の本源である」としている。江戸初期の儒者、伊藤仁斎は孔子の「仁」を愛と解釈し、その愛とは偽りのない誠の心だとした。幕末の吉田松陰は「至誠天に通ず」と言っており、誠さえあれば天も救ってくれる、と考える。明治の哲学者、西田幾多郎も内面からわき上がってくるもっとも崇高な要求は「至誠」である、としている。彼は、人間存在は無であり自我と世界は一体となったものと考えるが、その自他統合の根底から現われてくる要求が「まこと」というものだ、という。

以上ざっと述べたが、外にも誠思想を主張した思想家は多くいる。表面は仏教、儒教、西洋思想の影響を受けながら、日本人は自ら直感した「まこと」道徳の重要さを守り続けてきたのである。

ところが、日本人のまこと思想には重大な欠点がある。北畠親房が鏡のようにいいなりの素直な人格になれとか、松陰のような至誠天に通ずという、あまりにも他者まかせで主体性のないお人好しでは、これまた現実には危険であるはずだ。東大の倫理学教授、相良亨氏は『誠実と日本人』でこう言う。「伝統的誠、誠実あるいは誠心誠意には、真の他者性が自覚されていないのではないか、と思い始めた」なんとも暢気な話であるが、日本の思想家は誠実を最高道徳と考えながら、その危険性については考えてこなかったのだ。事実日本人の誠意には他者の危険性を意識しない幼児性がみられる。ルース・ベネディクトが挙げた事例に、戦中日本兵はひとたび捕虜となると自軍の秘密情報まで喋ったという話がある。オーム真理教の信者は〝澄んだ眼をして〟嘘をつき、教祖に命じられるままに人殺しに邁進したという話。戦前ソ連のコミンテルンが発する方針(テーゼ)に日本共産党は忠誠を競った。戦後アメリカに服属するとなると、日本外務省はアメリカ一辺倒になった、などの話。

どれも日本人のまこと精神の危険性を示している。しかし現実に対して楽天的だが、「まこと」社会を求めることによって、日本はおおむね誠実で嘘の少ない社会になってきたのであり、それに道徳思想とはどこでも理念的でありその欠点に目をつぶっているものだ。

3、善一元論のキリスト教精神の歴史

 現世には天変地異あり戦争あり飢餓あり、社会には権力の搾取、憎しみ、欺瞞、裏切りなどどう見ても人間には過酷な現実があった。にも拘らず人間はニヒリズムに陥らず、秩序や信頼や愛や平和を求めつづけてきたし、その希求心を失おうとしなかった。そうしなければ生が成り立たないからだ。

西欧のキリスト教においてはかなり作為的な善一元論が採られてきた。即ちこの世は善なる神だけが支配している世界であり、「悪とは善の欠けた状態である」(13世紀トマスアクイナスの言葉)となんとも詭弁的であるが、悪はこの世に本質的にはないというのである。悪はこの世に限りなくあり、善は弱く、悪を認めてしまえばこの世は悪に占領されてしまう、と考える。このカトリック神学にもっとも影響を与えたのは、4世紀のアウグスティヌスであろう。彼は『告白』という本を書いて、人間は神の助けなくして善は成り立たないといった。この本は西洋では歴史を通じて読まれてきた。中世スコラ哲学では「神義論」という議論が盛んに行われた。神の善が支配するというのに、現実にはどうしてかくも悪がはびこっているのかという、もっともな議論であった。

ルネッサンスや宗教改革を経て、西洋近代に人間主義や理性主義が生まれると、神への不信、無神論が広まった。18世紀カント哲学は神に依存しない、自立した人間精神の哲学だった。その根拠は人間理性であった。彼の哲学は哲学史上「コペルニクス的(180度の)転回といわれて画期的だった。そのカントは倫理についてもまるで神のような厳かな定義をしている。「カントの定言命令(絶対的無条件的命令)」というが、ここでの説明ははぶく。西洋人には今も神のような根拠の役をしている。このカントの言い方を借りれば、「明けき清き直き誠の心を持て」というのは、日本人の定言命令と言うべきである。

19世紀、がニーチェが現われ「神は死んだ」と宣告し、西洋人の無神論は強まった。今日、ヨーロッパでは教会に来る人がなくなり、教会は閑古鳥が鳴いているという。西洋人は神を失い、ニヒリズムの荒野をさまよい歩く状態となっている。彼らは、無神論者で無常観や空の精神をもって平然としている日本人に注目しだした。フランスの思想家モーリス・パンゲはその著作『自死の日本史』で言う。「日本が、日本こそがその歴史のもっとも奥深いところからやってきて励まし、力づけてくれるのだ」しかし日本人はその注目に応えるだけの思想力、知的弁論力をもっているだろうか。

アメリカ人もまたニヒリズムに漂流している。アメリカでは頭のなかで正義を求める議論が盛んだ。ジョン・ロールズの『正義論』、日本にも来たマイケル・サンデルの白熱教室、リチャード・ローティ―の「アイロニズム」など、彼らはみな神なき時代に正義の根拠を掴もうとしているのだ。先般ローマ法王がアメリカを訪問し大いに人気を呼んだが、アメリカの大衆はキリスト教に回帰する気持ちを強めているのかもしれない。

4、精善悪二元論の神

この世は、闘争、憎しみ、苦痛に満ちているが、また美しく楽しくいつまでも生きていたいところだ。しかし多くの民族のなかには、その事実を受け止め、この世には善の神と悪の神の両方が支配していると考えた者もいた。「善悪二元論」の精神である。古代ペルシャに盛んだったゾロアスター教、マニ教、それに初期キリスト教のグノーシス派などはこの世は善の神と悪の神が支配すると考えた。

善悪二元論の精神はこれを理解するのは難しい。一人の心のなかに善心と悪心が同居することを承認するのだから、悪事をしてもそれは悪の神に根拠をもっていて正当に赦されるのである。この矛盾した精神を平気でもってカオスの世界を生き延びようとする。

 善悪二元論はその矛盾の故に人間精神史から消えていった。人間は二元論を嫌ったのだ。先に書いたアウグスティヌスも若いころグノーシス派に属し、悪事を行ったと告白している。

この善悪二元論をもった民族の生存環境は、総じて生きることの過酷なのな土地である。砂漠地帯は植物の生育が悪いうえ、各異民族がその少ない食物をめぐって奪い合う環境である。そのような地域として中東や中国大陸がある。中国は砂漠でなく豊かな土地であるが、四方から貧しい民族が歴史を通じて侵略してくるところだった。中国人は儒教など観念では立派な道徳論を創ったが、過酷な生存環境はそれを一元論として守ることを赦さなかったと思える。

儒教は優れた道徳理論であったが、過酷な現実の前に形式主義になって行った。支配階級の観念論となり、現実の行動とは乖離していった。実行に担保されない道徳論など意味がないのだ。儒教が科挙という官吏登用試験の試験科目になったため中国人は懸命に儒教を勉強したが、現実には平気で賄賂をとり、平気で人肉を食うこともした。(魯迅は「喫人」といっている)理念と現実との乖離ははなはだしいまま長年中国人は過ごしてきた。日本人が誠実を追究したのとは対照的である。

明代、16世紀になってやっと王陽明がこの頭と現実の乖離を糺そうとした。彼は「知行合一」を主張した。考えたことは実行せねばならないという理論だったので、現実主義で誠実を尊んできた日本の侍たちはこれに救われるように飛びついた。幕末の多くの志士は陽明学を奉じていた。陽明学左派といわれた李卓吾(りたくご)は、朱子学のもつ偽善性を激しく非難し、朱子学を学ぶより「童心」をもつことが大事だとした。まさに北畠親房の主張した「鏡のような心」と同じである。

だが陽明学や李卓吾の思想は中国では受け容れられず衰退した。中国には諸子百家の時代から荀子や韓非子のような性悪説があったし、清代末には李宗吾が『厚黒学』という本を書いた。

これは大ヒットし、中国知識人で知らない人はないといわれる。そのエッセンスはこうである。「天は人間を作る時、面の皮の厚かましさを隠せるようにしてくれた。また心中に悪だくみを隠せるようにもしてくれた。愚かな衆生がこのような貴重な宝を身につけていても使わないのでは天下でもっとも愚かなことといえるだろう」

 中国人の中には孔子孟子のような善を求める精神と韓非子、李宗吾のような悪を求める精神があるのだ。まさに二元論である。このような二元論は中国社会を崩壊させつつある。観光客の爆買という現象はすでに社会の崩壊の一端を示している。それは中国人自身が自国の日用品にまで不信をもっているということである。嘘のない誠実な社会でなければ社会は成り立たない。こう言う風潮がニヒリズムの深まる世界においても広がっている。日本人は古代から培ってきた誠の精神を堅持し、それをロゴス化して世界を指導しなければならない時代である。

 

 

 

 

 

 

 


期限切れワクチン注射事件  第三者委員会を設け徹底究明すべし あまりに深い闇がみえる

2015-10-05 12:16:21 | 日記

鎌倉9月議会で中沢克之議員(自民党)が口火を切って始まったこの疑惑は、市民常識からみて、まるで深く暗い穴が足元に空いてそれをのぞきこんでいるような思いだ。穴は深いのか浅いのか、なんだかとんでもない腐臭もしているような気配がする。

子どもに期限切れワクチンを注射したのは、不注意なのか故意なのか。その事例が沢山あり、しかも何年も続いていたというから、故意の疑いが濃い。故意ならば、医者の倫理問題が問われることであり、しかも重罪だ。

医者の倫理がそこまで堕ちているとは思いたくないが、事実としたら、世も末の感じだ。しかしよく調査するということを理由に、9月議会は10月20日まで休会している。

10月1日、松尾市長は記者会見を開き、事実報告と謝罪をしたそうだが、朝日新聞など小さいべた記事で、マスコミの認識は知らん顔の様子だ。マスコミはもっと重大事件として大きく扱うべきと思うが、何かよからぬ因縁があるのかもしれない。かくなる上はネットマスコミが書かねばならない。

しかもこの問題は注射の問題だけではないのだ。医師会は役所に白紙請求書を渡し、請求金額を書き込んでもらっていた、という、これも世間常識ではありえない事務処理が行われていたというのだ。

この話で思い浮かべるのは、サラリーマンの営業マンが飲み屋から白紙請求書をもらってそれに自分が使った金額以上の数字を書き込み会社に請求し、差額をポケットに入れるという話だ。この事務処理はこのサラリーマンの悪事と同じ話なのだ。しかし営業マンの話と違って、これはスケールが大きいし、とんでもない組織的犯罪になる。

なぜそんな事務処理をしたのか。その裏には役人が医師会からバックペイを受け、そのカネをみんなで飲み食いに使うということが行われていたのではないか。

市民は当然こんな疑惑をもつが、納税者としては至極正当で当たり前の疑いである。

そこでまずは真実の究明が第一となる。役所の内部監査などといういい加減な調査では信用できない。ここは市民や議員、市民派弁護士も入れた第三者委員会を立ち上げ、調査を始めることだ。

           毒注射 医者の倫理は どこにある