鎌倉評論 (平井 嵩のページ)

市民の目から世界と日本と地域を見つめる

鎌倉にまたも怪しげな人事  鎌倉観光協会専務理事に中山一彦氏が就任

2015-08-23 12:57:28 | 日記

鎌倉観光協会といえば市から多額の補助金をもらって、ミス鎌倉選出や薪能、鎌倉まつりなどを主宰している団体である。市民が監視的関心をもたねばならない団体なのだ。会長は井出太一氏である。

情報筋によると、この団体の専務理事に、最近中山一彦(なかやまかずひこ)氏なる人物が就任した。井出会長の強い希望によるものらしい。

所がこの人物、今年3月の横浜市長選において、公職選挙法違反にっとわれ、裁判で検察から1年6カ月の求刑されている。

その罪状というのが、高階前市長を当選させるために100万円で人を買収したというものである。中山被告は裁判でそれを全面的に認めたと言うから間違いない。

どうもこの人物はワイロ体質の強い人間とみられ、このような人物を好んで鎌倉市観光協会の専務理事にするなど、井出会長の資質を問われかねないことだ。

横浜市の職員や警察関係者はこの人物が鎌倉観光の顔になったことに驚きあきれているそうだ。

       類友でおいしいことする鎌倉村

 

 

 

 

 


鳩山元首相の勇気  愚かというのは簡単だが、それをあえてする信念と勇気は日本人離れしてみごとである

2015-08-14 11:33:19 | 日記

鳩山元首相が、韓国独立運動家が投獄されていた監獄跡地を訪ね、土下座して謝ったというニュースは、多くの日本人に衝撃と当惑をおこさせたことだろう。政界では誰もコメントせず、またかと呆れているそうだ。

しかし筆者は、この人の個性的で、勇気ある行動を評価したい。日本社会はとかく空気を読んで、体制の空気に従った発言や行動をするという人が多い中で、それに抗する行動をする人はそれだけで評価できる。

それは戦中、軍国主義の時代、誰もが大政翼賛会的発言しかせず、異論は口をつぐませられた、ことを考えると、日本にはこうした変わった意見を行動する人がいるということ自体貴重である。

それに彼は、何処までも、いつまでも、相手がもういいというまで謝りつづけるという、この自己をへり下り、卑しくし、人間なら誰もがもっている自尊心をあえて殺すという思想と行動は、実は日本人の伝統に適ったものなのだ。

日本には自己存在を虫けらのように詰まらない存在とみる卑下の思想がある。かの福沢諭吉は、『福翁百話』のなかで、人間は虫けらのようなつまらぬものであり、一瞬のうちに消えていくと、じつに自己卑下的な人間観を述べている。

これに反し、西洋精神は自尊心を重んじ、自己中心の主体のなかにまわりのものを支配しようとする。唯我独尊思想こそ西洋精神の神髄であり、カント、ヘーゲルなど彼らの近代哲学は、この自己存在を支えるためのものだったといえる。

ヘーゲルは「人間は承認を求める存在」とした古来の戦争はすべて承認を求める行動だった、という。承認を求めるとは、自己の他者に対する優位を求めることであり、人間は自尊をもとめて戦う存在である、ということである。

ヘーゲル的な考え、人間観は、人間の普遍性を衝いているだろう。個的存在、主観的存在としての人間は、だれでも自分を尊いものと思いたいし、他者に対し優越した存在になりたいと思う。それは人間の普遍的心理であろう。

日本人はこれをよく承知した上で、必然的に衝突し合う存在としての人間が、社会のなかで協力し合えるため、また世界で平和に存在できるために、ヘーゲルの言う「主人と奴隷」の関係をつくり闘争するのではなく、自ら進んで、自我や自尊を捨てて、へりくだり奴隷となり、相手に従うべきだという思想を創った。

日本人のぺこぺこするぽ字義の風習は、日本人のそうした思想、黙示思想を表現し、実行している。

鳩山元首相の行動は、日本人のペコペコお辞儀する風習と同じ精神に根づいている。彼の主張は実は日本人の根底にある哲学を表現しているのだ。

    花火のごと咲いては消えて数えきれず

               はかなきものぞこの世の生は

 

 

 


鎌倉出身作家 長嶋公栄氏作 『国家売春命令の足跡』  敗戦日本の裏面史とそれに巻き込まれた女性の物語

2015-08-11 10:45:15 | 日記

また終戦記念日がやってきた。今年は新聞もテレビも戦争回想の番組や記事が多いような気がする。しかもどれも戦争の悲惨を告発している。これも安倍内閣の安保法制論議のせいだろうか。この法案はだんだん廃案に追い詰められるような気がする。

鎌倉在住の作家、長嶋公栄氏が最近発表した小説作品はまさに敗戦時日本を回想し、痛恨の思いを後世に伝える記録文学だと思う。

題名は『国家売春命令の足跡』と言うが、戦争によって生活を追い詰められたうら若い女性が、切羽詰まった金策のために、戦後政府が進めた駐留軍向けの売春政策に応募し、いわゆるパンパンになっていく物語である。

国家売春命令とあるように、駐留軍向け慰安所設置は、獣欲に飢えた戦場帰りの米兵から、善良な日本婦女子を守る防波堤として、内閣の決定によって作られたものである。

この作品は単に一子女の身の上話以上に、こうした日本の戦後政治の裏面が詳しく描写されており、まさに敗戦日本のあわれにして屈辱的現実が描かれている。

この作品は戦後日本の裏面史を記録するものとして貴重であり、同時に女性という性ののもつ特有の悲しさがつづられている。

敗戦記念日にあたり、一読する価値のある作品である。

長嶋公栄氏は、鎌倉市会議員長嶋竜弘氏の御母堂である。長年創作活動を続けてこられ沢山の作品を発表されてきている。今回の作品が広く世に読まれ、氏の文名が上がることを願っている。

    

      夾竹桃咲き誇る真昼の空の彼方

                痛みに沈む逝きし時の思いに

 

 

 


礒崎補佐官は辞任すべき   その思想は謝って消えるものではない

2015-08-04 16:41:29 | 日記

磯崎補佐官が「法の安定性はどうでもいい」発言で、謝罪する羽目になったが、当然である。だが職は辞めないという。

 

こんな重大な、民主主義政治家にあるまじき発言をしておいて、のうのうと生き延びるというのは、その任命権者の本性をますますはっきり表すものとなる。

 

補佐官の発言は、彼が深く信念としてもっている思想を表現したものであり、失言です、すみません、で打ち消せないものだ。彼のような考えをもった人間が総理大臣に影響を与えて、ますます権力主義的政治をやるのは大きい不安を国民に与える。国民の不安を払しょくするのはやめてもらうのが一番いい。

 

安倍首相もこんな湿原をした人物を抱えておくより、きっぱりと首を切った方が、首相自身のイメージ改善になるはずだ。

 

「磯崎補佐官の発言は法を重んじる我が国において、不穏当な発言であり、私も見過ごすことができないと考え、このさい退任させることが適当と考えました」とかなんとかいえば、安倍首相の株は一気に上がるだろう。

 


あきれ返った首相補佐官の発言   これが安倍無法内閣の本性

2015-08-03 10:45:55 | 日記

安倍内閣の首相補佐官が「法的安定性などどうでもよい」と発言したことには、呆れるどころか、こんな無法者がこの内閣の本性かと思うと恐怖さえ覚える。

権力は目的のためには法の安定性などどうでもいい、目的を遂げることが優先なのだ、というなら、それを突き詰めれば、憲法も法もいらない、ただ権力さえあればいい、という考えになる。

それは昔の君主制や近代全体主義の考えと同じである。

政治には権力だけあって、それによって国家を引っ張っていけばよいと言うなら、近代における、人類が苦労して達成した法治主義や民主主義の考えがすべて無になってしまう。

安倍首相の安保法制は、法(憲法)を恣意的に拡大解釈し、法の限界を踏み越えようとしている。自衛権の限界などというものは主観的なもので、曖昧であり、いくらでも拡大解釈できる。国会で具体例が議論されているが、そんなことはあまり意味がない。

安倍首相の解釈では、もはや憲法の平和主義の文言は決定的に虚構性を露呈し、hぷとして意味をなさない。法的安定性など吹っ飛んでしまうのだ。

法の安定性などどうでもよいというのは、法治国家の政治家として許せない考えである。ルール無視でよいと言うなら、北朝鮮の君主国にでも行ってもらいたい。