涙ながれて春の夜のかなしくはないけれど
涙流れぬしんしんと燃ゆる火の前に
大空澄みわたる日の丸あかるい涙あふるる
眼とづれば涙ながるゝ人々戦ふ
ま夜なかひとり飯あたゝめつ涙をこぼす
ふとめざめたらなみだこぼれてゐた
初夢に古郷(ふるさと)を見て涙哉
老ぬれば日の長いにも泪かな
雉(きじ)なくや彼(かの)梅わかの泪(なみだ)雨
散(ちり)がての花よりもろき泪哉
舞扇(まひあふぎ)猿の泪のかゝる哉
藪入や泪(なみだ)先立(さきだつ)人の親
仰(あふ)ぎ鳴(なく)しかの泪(なみだ)や月の露
行春の鳥も蛙(かはづ)も泪哉
らうそくの泪(なみだ)氷るや夜の鶴
我泪(わがなみだ)古くはあれど泉かな
雨乞に曇る国司のなみだ哉
餉(かれいひ)にからきなみだやとうがらし
月見ればなみだに砕く千々の玉
ある人の追善に
埋火(うづみび)もきゆやなみだの烹(にゆ)る音
梅こひて卯花拝むなみだ哉
手にとらば消んなみだぞあつき秋の霜
櫓の声(こゑ)波ヲうつて腸(はらわた)氷ル夜やなみだ
たふとがる涙やそめてちる紅葉
撫子にかかる涙や楠の露
岩躑躅(いはつつじ)染むる泪やほとゝぎ朱
麦の穂や泪に染(そめ)て啼雲雀(なくひばり)
行(ゆく)はるや鳥啼(なき)うをの目は泪
雨のひねもすうつむける牡丹散るべけれ
雨三日晴るべうを牡丹ゆらぐかな
お客といへば私一人の牡丹燃ゆる
髪を梳く女あり牡丹かがやかに
つめたい雨が牡丹に、牡丹くづれる
とほくちかく稲こぐひゞきの牡丹咲いてゐる
やうやくたづねあてた家で牡丹の芽
牡丹が咲いてトマトが赤い
牡丹ちるや鬢のほつれを掻きあげる
牡丹蕾みければ小雨しみじみそゝぐなり
ぼうたんや咲いてゐるのも散つてゐるのも
ぼうたんゆらぐや天龍はさかまく
是程(これほど)と牡丹の仕方する子哉
(四日 花嬌仏)
目覚しのぼたん芍薬(しやくやく)でありしよな
扇にて尺を取(とり)たるぼたん哉
掃(はく)人の尻で散りたる牡丹かな
異艸(ことぐさ)も刈捨ぬ家のぼたん哉
地車(じぐるま)のとゞろとひゞくぼたんかな
寂(せき)として客の絶間のぼたん哉
ちりて後(のち)おもかげにたつぼたん哉
日枝の日をはたち重ねてぼたん哉
不動画(ゑが)く琢摩が庭のぼたんかな
方(ほう)百里雨雲よせぬぼたむ哉
みじか夜の夜(よ)の間に咲(さけ)るぼたん哉
燃(もゆ)るばかり垣のひまもるぼたむかな
やゝ廿日(はつか)月も更行(ふけゆく)ぼたむかな
詠物(えいぶつ)の詩を口ずさむ牡丹哉
(蟻垤)
蟻王宮(ぎおうきゆう)朱門を開く牡丹哉
金屏のかくやくとして牡丹哉
虹を吐てひらかんとする牡丹哉
日光の土にも彫(ゑ)れる牡丹かな
飯椀(めしわん)に一盃きりの牡丹哉
山蟻のあからさま也白牡丹(はくぼたん)
山蟻の覆道(ふくどう)造る牡丹哉
牡丹有(ある)寺ゆき過しうらみ哉
牡丹散(ちり)て打かさなりぬ二三片(にさんぺん)
(移徙の賀)
うつし植て牡丹は花の富春館
(波翻舌本吐紅蓮)
閻王の口や牡丹を吐んとす
から草の牡丹めでたき蒲団哉
南蘋(なんびん)を牡丹の客や福西寺(ふくさいじ)
(二たび桐葉子がもとに有て、今や東に下らんとするに)
牡丹蘂(ぼたんしべ)ふかく分出(わけいづ)る蜂の名殘哉
(贈桃鄰新宅自畫自讃)
寒からぬ露や牡丹の花の蜜
暮れると風が出た月の出を蚊帳の中から
寝しな蚊帳の中の一杯のいのち
寝て月を観る蚊帳の中から
のぼる月のあかるい蚊帳に寝てゐて
萩のこぼるるに蚊帳干しておく
水音に蚊帳のかげ更けてゐる
もくもく蚊帳のうちひとり飯喰ふ
蚊帳の中なる親と子に雨音せまる
蚊帳の中の私にまで月の明るく
蚊帳のなかまで月かげの旅にゐる
(仲秋明月)
蚊帳の中までまんまるい月昇る
蚊帳の中まで夕焼の一人寝てゐる