逃尻(にげじり)の光りけふとき螢哉
見えずなる樫(かし)の葉ごしのほたる哉
水底(みなぞこ)の草にこがるゝほたる哉
淀舟の棹(さを)の雫(しづく)もほたるかな
我門(わがかど)を扣(たた)けば遠き螢かな
静(しづか)さの柱にとまるほたるかな
摑(つか)みとりて心の闇のほたる哉
辻堂の仏にともすほたる哉
手習の顔にくれ行(ゆく)ほたるかな
なつかしき八百(やほ)やが軒のほたるかな
空窓(あきまど)をのがれ出(いで)たるほたる哉
洪水(おほみづ)を見てかへるさのほたるかな
(一書生の閑窓に書す)
学問は尻からぬけるほたる哉
狩ぎぬの袖の裏這ふほたる哉
さし汐にあめのほそ江のほたる哉
ほたる籠(かご)破(や)れよとおもふこゝろかな
ほたる飛ブや家路にかへる蜆(しじみ)うり
螢火に殊(ことに)うれしき家居(いえゐ)かな
蚊屋の内にほたる放してアヽ楽や
草を打(うつ)て螢いつはる団(うちは)かな
佐保(さほ)川のほたるに遊ぶ上艸履(うはざうり)
堀川の螢や鍛冶(かぢ)が火かとこそ
草の葉を落(おつ)るより飛(とぶ)螢哉
(木曾路のたびをおもひ立て、大津にとゞまる比、
先せたの螢を見に出て)
此(この)ほたる田ごとの月にくらべみん
ほたる見や船頭酔(ゑう)ておぼつかな
(しのぶの郡しのぶ摺の石は、茅の下に埋れ果て、いまは
其わざもなかりければ、風流の昔に衰ふる事ほいなくて)
五月乙女(さをとめ)にしかた望(のぞま)んしのぶ摺(ずり)
けふから田植をはじめる朝月
空が人が田植はじまつてゐる
降つて降つていつせいに田植はじまつた
笠きて簑きてさびしや田植唄はなく
ここでもそこでも馬を叱りつつ田植いそがしい
これで田植ができる雨を聴きつゝ寝る
田植唄もうたはず植ゑてゐる
田植じまひは子を連れて里へ山越えて
田植べんとうはみんないつしよに草の上で
田植もすましてこれだけ売る米もあつて
(宛 丘)
信濃路(しなのぢ)の田植過(すぎ)けり几巾(いかのぼり)
藪陰(やぶかげ)やたつた一人(ひとり)の田植唄(うた)
(身一ツすぐすとて、女やもめの哀さは)
おのが里仕廻(しま)うてどこへ田植笠(がさ)
しなのぢや山の上にも田植笠
襟迠(えりまで)も白粉(おしろい)ぬりて田植哉
道とふも遠慮がましき田植哉
雨ほろほろ曾我中村の田植哉
おくびなり席(ついで)がましき田植哉
けふはとて娵(よめ)も出(いで)たつ田植哉
恋草に恋風も吹く田植哉
離別(さら)れたる身を蹈込(ふんごん)で田植哉
おそを打し翁も誘ふ田うへかな
泊りがけの伯母もむれつゝ田うへ哉
参河(みかは)なる八橋もちかき田植かな