まいど! ステキなとくれば奥さんといきたいところですが
私、とっくに奥さんのほうはリタイアしちゃってま~す。
ま、奥さんこそリタイアしましたが、カーサンであることは
地道にソコソコやっております。。。
かあちゃん
さて、そのソコソコやってるカーサン業ですが、これはもう自分でもお粗末だと思う仕上がり。
大抵の場合、自分が楽しいことやしたいことがまずあって家庭や子どもはその後についてくる路線を
ひた走ってきた私です。
そのような自分を育て支えてくれた母親といえば昭和一桁生まれ、私などよりはるかに母親密度が高い
のが特徴です。
母親である前に『 一個の人間として、あるいは女性として充実した生き方をしたい 』などという意識が
昭和一桁世代の母親たちにあったのかどうかは、私などが知る由もありませんが彼女たちの生活の第一義
には、まず母として・主婦としてということがあったのは間違いないと思うのです。
生活を支えるための内職
子どもの服は手作りし、破れたところは必ず繕う
貧しいながら子どもたちに行き渡るよう食事を用意し
オヤツに芋をふかし、トウモロコシをゆでる。
洗濯板を持って川へ洗濯へ(水道代節約のため :私が小学校四年の頃まで)
そんな生活のどこにも私(シ)の部分が肥大する余地が無かったということでしょう。
そんなあれこれを思うと
まず、自分が、という考えがしみついている私の脳裏を滅私奉公という言葉がかすめます。
(めっしほうこう:私心を捨てて公のために尽くすこと)
子どもを育てることが公にあたるかどうかは分りませんが、子どもは社会の宝とも言いますからあながち
公ではないとも言い切れません。
ところで、
私には滅私なんてトンデモナイことで、そのようなことを強要されたりしたら三日ともちません。。。
ですが、私(シ)の部分が極端に少なかったと思われる昭和前半の母親たちは、ステキの遥か上を行く非常
に素晴らしい人たちだったと思えてならないのです。
カーサンの場合
ビンボーカーサンの場合はもう、私(シ)が肥大しきっておりまして、大きな子ども状態。
趣味は文芸方面に浅く広く熱中し、また万事に選り好み激しく家事にもそれが現れるので
ついには汚家になってしまいました。。。
いまは、その汚家のままでは物量的にも見ため的にも精神的にも良くない上にゆくゆくは
子どもに迷惑がかかるのがハッキリしているのでモノ捨て活動中。捨て期ですね。
だから捨て期にあるカーサン、つまりステキなカーサンってことですが (こじつけが過ぎたでしょうか?)
けっこう楽しげに汚家改善の活動中なのです。( ほとんど趣味化してしまいました)
その捨て期も半ばをすでに越え、次にくるのが掃除期。。。。。
苦手な分野ですが、これをやらないと真の意味での汚家卒業はできません。よネ?
汚家がピカピカになったところを
見たい方も見たくない方も ポッチンクリックを
ありがとう
きょうも
選り好みでやろーっと・・・