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ビンボー家の日々

      
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マラソンびと

2022-07-09 15:43:37 | ビンボー雑思帳
おお〜

マラソンびと、といえば五輪真弓の「恋人よ」ですね。大好きな歌です。
 (宵の流れ星 光っては消える 無情の夢よ〜 ♪ の部分は特に好き)
初めて聞いた時、マラソンびとの箇所に正直なところ「違和感」を覚えました。
マラソンをしている人を「マラソンびと」とは、こりゃ大袈裟な!みたいな。
 万葉びととか思いびと ・ 思われびとと同格? マラソンしているだけの人に「びと」?

そもそもこの歌に「マラソンをする人」が必要か? みたいな。

けれど二度三度聴くうちに歌の世界内での「動と静」のバランス効果に気づきました。
冬の公園のベンチで失恋に打ちひしがれている女性の心情描写が歌の中で80%
そして動のマラソンびと部分が全体の20% 、料理でいえば良い塩加減です。
 (算数苦手なのでパーセントはイイカゲンです。。。)
失恋女性が夕闇迫る公園のベンチでメソメソは、着てはもらえぬセーターを編んでいる
北の女に通じるところがあって、それはちと怖い。。。 はさておいても、とにかく暗い。
そんな静のメソメソシーンに登場し駆け去って行った動のマラソンびとのおかげで画には
動きが生まれ、次の歌詞で女性はようやく「恋人よ さようなら」と思うに至るのです。
 (ま、次のパートでは またしてもメソついていますが)

そして「マラソンびと」という造語問題。。。
この歌で、それを走る人マラソンしている人としてしまえば字余りとか字足らずになり
唐突というか? もっと(?)妙ちきりんなことになったかもと思うのです。そこを
俳人でも歌人でもない五輪真弓は一詩人として、マラソンびと造語に走ったのではなかろうか
そんな気が、聞いているうちにしてきたものです。
不肖 ワタクシもマラソンで そこを過ぎてゆく人を、この歌の中でピタリ表せられる表現を
考える遊び(?)をしたこともありますが、マラソンびと以上の言葉は皆無でした。


ところで話は変わりますが
今、渦中のアノ人にオズワルドの匂いを感じたワタシは
ただの妄想好きなのでしょう。。。か?


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