煙管と螺屋さん

2006年03月12日 00時00分00秒 | 想いでブログ
私の記憶のなかのおじちゃんは、何時もきせるで
美味しそうにたばこを吸っていた。実に手つきが
良かったのが今は妙に懐かしい!!

昔は「刻みたばこ」「ゴールデンバット」が安かった
のだろうか腰に何時もたばこ入れがぶる下がっていた
根付けは象牙の般若のお面を彫ったのが着いていたのを
良く覚えている。

おしゃれな人だった。

一服するときに実に手際よくたばこをキセルに詰めるのを
見ているのが好きだった。
早く大人になって一度遣ってみたいと子供心にも思ったこと
がある。
次の火種は手の平にポンと落として転がしてその間にキセルに
たばこを詰める手際よさには、憬れさえ感じていた。

らおやサンは、実にタイミング良く回ってきてくれる伯父は
普段は自分で「雁首」を焼いて脂を出してこよりで掃除を
していたが、時々らおやサンのお世話になっていた。

リヤカーに綺麗な屋根が着いていて、小さな引き出しには
「色とりどりの竿」や「高そうな雁首」や「吸い口」そして
私が一番欲しかったのは細く綺麗に縒ってあった「こより」
此は綺麗だった。
竹の筒に沢山ささていた。

ぴーぴーと煙突から煙を出してやって来るらおやさんは遊ぶ
玩具の無かった子供達が、一番のお客様だった。
おじいちゃんやお婆ちゃんに頼まれて持ってくるから。
らおやさんのおじさんも時々飴などを呉れたりした。

キセルのお掃除を見ているのが楽しかった。
火で雁首を暖めて吸い口からこよりを入れて何度も何度も
同じ事をやっている。
時には、竿を外している事もあった。

焼けたりして汚い竿は新しいのに取り替えるからだ。

何人かで着いて歩いていて迷子になって送って貰って
帰って来たことがある。

夕焼けの中をおじさんが色んな話をしてくれたのが懐かしい。
それは絵の様に綺麗な吉原の花魁の話でした。

意味は分からないけれどもキセルの使い方は色気があると
言いたかったのだろうと今思う。


「紫の煙ゆらゆら阿呆草もえる春の日三尺の板」


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