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日中戦争の真相  (中国南部編)

2013-12-15 19:16:42 | 土佐のくじら

2013-06-12 23:05:48 | 誇るべき日本の歴史

土佐のくじら(幸福うさぎ丸)です。

では前回に引き続き、近代日本最大のミステリーを料理いたします。
それは日中戦争の動機です。

日中戦争と今では言われますが、日華事変とも言われます。
事変・・・と言われるのは、宣戦布告がなされていないからです。

宣戦布告なき戦いのことと、日本は卑怯と見る向きもあります。
しかし私は、中国北部と南部の戦いがありますが、恐らくその両方とも、
日本政府側にとっては、中国と戦っている意識はなかったと推測しています。

北部戦線は前回述べましたので、今日は南部です。

第2次世界大戦前の日本は、全世界から石油の輸入を禁じられていました。
ですからこの大戦は、石油を求めての戦いであったことは間違いないと思います。

しかし、最初に戦闘状態に入ったのは中国です。
中国からは石油は産出されません。
ではなぜ中国と戦うことになったのか。

それは、当時の中国の港が問題だったから と私は考えます。

こう考えれば、全てがつじつまが合うのです。

恐らく日本の目的地は、今のインドネシアです。
当時は、オランダ領東インドと呼ばれておりました。
ここは石油が産出されます。

オランダは連合国側でしたし、ABCD包囲網のDはオランダです。
インドネシアのオランダ政府から、無理やり石油を買い付ける、
それが出来ないなら、オランダ政府を追い出し、この地で産出される石油の権益を握る・・・これが第1目的だと思います。

そうなると、この無謀と思われていた戦い、アジアの皆様に迷惑をかけた戦いと言われている、
狂気と言われる戦いの全貌が見えて参ります。

しかし、問題があります。

ここに海上ルートで至るには、東シナ海を南下する必要がありますが、
当時の中華民国の主だった港は、イギリスなどの連合国側が占拠していたのです。

ここから軍艦や潜水艦などを出されれば、日本は南下できません。
実際に、国際法違反ですけど、日本の民間輸送船舶への攻撃などもありました。

ですので、中国大陸にいる外国人勢力の排斥そして、
彼らが実質支配する港の制圧が、日中戦争の真相 ではないでしょうか?


その証拠に、中国大陸南部で日本が制圧した土地は、北京のある東北部北京周辺を除けば、全て港のある大都市のみです。

内陸の北京周辺も征圧していますが、ここは満州とも陸続きでありますし、
そしてここを制圧すれば、黄海の制海権を握ることができ、九州・朝鮮半島から、船が安全に出航できるのですね。

そして、フィリピンはアメリカ領でしたので、南に安全に船が向かうには、中国大陸にギリギリ近づき、航行しなければいけません。
ですから連合国側が居つく中国の港が、日本の船の南下にとても邪魔だったのです。

ですから港を攻撃、もしくは制圧することで、インドネシアに至るまでの制海権の確保することが、
日中戦争の真相だとすれば、全てのつじつまが合います。

中国と戦うのは、そもそもそのつもりがなかったので、宣戦布告はなかった・・・
日本にとっては、英・仏・蘭などの欧米勢力の追い出し行動であり、戦闘行為が中国とあったかも知れないが、
あくまで成り行き上のものであった・・・という仮説です。

ですから当時の日本は、中国政府そのものと戦っている意識は、あまりなかったのではないでしょうか?

中国国内で、戦闘は行われていたのは事実でしょうけど、中国政府、そして中国の支配そのものは、
日本にとってはどうでも良いことだったはずです。

なぜなら この戦争の目的は、あくまで”石油” だからです。
中国を支配しても、石油は手に入らないから、どうでも良かったのです。

日本に石油輸入を禁じた、欧米勢力と密室な関係である当時の中国政府は、当然気に入らなかったことは事実でしょうけど、
中国国民をどうこうしようとは、思いもよらないでしょうし、当時の日本に、そういう余裕は全くなかったでしょうね。

ですからまぁ、北京周辺や港を再占領しようとした勢力とは、日本は戦ったはずです。
でないと、軍を出した意味はないからですからね。

肝心なことは、当時の世界で信任されている中国の政府は、中華民国ではありましたが、
中国大陸に中華民国という、かっちりした国境に囲まれた国家が実在したのではないということです。

せいぜい南京周辺を実効支配していただけで、後は昔ながらの軍閥支配です。
今の中国国内の状況とは、全く違うのです。

当時の中国大陸側の情報を収集し分析する限り、実質的な日中戦争は、
中国の港を支配していたヨーロッパ諸国との戦いであり、中国人との戦いの大部分は、
地方軍閥(山賊)やそのころ出現し始めていた、中国共産党ゲリラたちとの小競り合いだったはずです。

「土佐のくじら」より転送http://blog.goo.ne.jp/orbakuchan/e/00a7995c667a5284f0d8a54ebe9eed8e


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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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先手必勝が犠牲を出さなくて済む (はっちょ)
2013-12-16 11:30:53
私の父は従軍し、中国から陸路でベトナムに行き終戦を迎えました。
ブログでも記事になりましたが、ベトナムでの抑留で地元の酋長さんから解放の嘆願があり無事に帰国できました。→(厚情に生きる)

その父が中国に駐屯していた時の話を思い出しましたが、
毛沢東の陣営を包囲し、攻撃命令を待って野営していたそうです。
こちらの軍勢も充分の備えがあり、総攻撃で毛沢東軍を打ちのめすことが出来る体勢でした。
しかし、本部からの命令はなく陣営を引き上げたそうです。

日本にとって攻撃する理由は特になかったようです。

「あの時、攻撃命令がでていたら戦争も速く終息出来たのになあ」
とつぶやいていたのが思い起こされます。

戦略参謀とはいかに先見を観る目が必要か、一手によって多くの犠牲者が出なくて済むのか。

大切な事だと思います。
返信する
やはり・・・ (土佐のくじら)
2013-12-16 20:02:24
はっちょさん、コメントありがとうございます。

私は、日本軍は滅多やたらと中国軍とは戦わなかったと考えております。

武器弾薬や資源が、余りなく、無駄遣いができない状況だったので、中国は膠着させていたと思っております。

はっちょさんのお父様は、現場で戦っていらっしゃったのですから、これほど貴重な証言はありません。

ベトナムの酋長さんから、解放の嘆願があり・・・
これも、旧日本軍ならではのエピソードですよね。
返信する

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