厳しい戦況の中でユダヤ難民を救った人道的な日本人
アンネの日記の破損行為に「ショック」 オランダの博物館
http://sankei.jp.msn.com/world/news/140222/erp14022200200000-n1.htm
東京都内の公立図書館が所蔵する「アンネの日記」が破られているのが相次いで
見つかったことについてオランダ・アムステルダムの博物館「アンネ・フランクの家」の
ロナルド・レオポルド館長は21日、「ショックを受けた」とするコメントを出した。
レオポルド館長は、アンネの生涯に関心を抱いた多くの日本人が毎年博物館を
訪れていることを指摘し、「この破損行為に関する詳細な事実を知りたい」と訴えた。
アンネの一家がナチスの迫害を逃れて隠れ住んでいた家を活用した博物館は、
アムステルダムの観光名所となっている・・
(`・ω・´)この件で・・・・
中山なりあき氏 ツイッター転載
https://twitter.com/nakayamanariaki/status/436983730209435650
各地の図書館でアンネの日記が破られているというニュースに、
瞬間日本人の感性ではない、日本人の仕業ではないと思った。
ディスカウントジャパンに精出す国、安倍総理をヒットラーに例える国もある。
図書館にも隠しカメラがあるの嫌だが、徹底して調べてほしい。
不可解な事が多発する日本、要注意だ。
【アンネの日記破損】 中山成彬議員 「日本人の仕業ではないと思う。
ディスカウントジャパンに精出す国もある。徹底して調べて」★
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1393074009/l50
(`・ω・´)最近、妙な事件が多いと思ったし、自分も同感しました。
ただ、安倍総理を貶めたいものが、軍国主義の復活と言うならば、
・・・犯人は勉強不足だ。
日本はドイツと同盟国で、あったが、ユダヤ人を守った話も多い・・
参考「『日本よ、国家たれ』― 李登輝元台湾総統・魂のメッセージ―」
2月25日全国の書店で発売開始
1,470円(税込) 発行/幸福の科学出版
その他の参考記事
第二次世界大戦時の
日本とユダヤの知られざる関係
ナチスの迫害から逃れて日本にやってきた人たち
http://inri.client.jp/hexagon/floorA3F_hb/a3fhb113.html
抜粋しました
●軍国主義下の日本では、ナチスを通じて反ユダヤ主義が上陸し、ユダヤ人差別の
書籍が数多く出版されたが、同時に、当時の日本には多くの親ユダヤ知識人がいて、
ユダヤ人社会が築かれていたことを見逃すことはできない。
日本が中国大陸に進出した時、上海に「ユダヤ人租界」があり、これは一種の
避難地だったし、満州にユダヤ人の自治区を作って、そこにユダヤ人たちを集め、
その資金力で満州を開発しようという動きも軍部の中にあった。これは「フグ計画」
と名付けられた。ユダヤ人をフグにたとえ、フグは毒を持っているが、料理の仕方
によってはおいしく食べられる、という意味でこう呼ばれたのである。
(これはテレビ朝日「ニュース・ステーション」でも取り上げられたことが
あるので、ご存じの方も多いはず)。
結局、「フグ計画」は日の目を見なかったが、陸軍中将の樋口季一郎氏が
「満州をユダヤ人のために解放し、彼らの安住の地たらしめよ」と世界に向かって
放送したことは有名。
●また、ナチスの手を逃れて来たユダヤ人たちは、
日本を経由してアメリカに渡った人が多かった。
特にポーランドの北に位置するリトアニアの日本領事・杉原千畝氏が、ナチスの
手からユダヤ人を助けるために、数多くの日本通過査証(ビザ)を発行し、
6000人のユダヤ人を救出したことは、最近のメディアで頻繁に取り上げられる
ようになったので、知っている方も多いだろう。彼に助けられたユダヤ人は、
日本を通過して他の国に渡っていったが、神戸に住み着いた者もいた。
(ちなみに、かの有名なオスカー・シンドラーが助けたユダヤ人の数は1100人)。
1985年、杉原千畝氏はイスラエルの公的機関「ヤド・バシェム」から表彰され、
「諸国民の中の正義の人賞」を受賞。翌年に彼は亡くなった。
発給ビザを求めてリトアニア日本領事館前にやってきたユダヤ難民たち
厳しい戦況の中でユダヤ難民を救った人道的な日本人
http://blog.goo.ne.jp/kimama08/e/936f0c897a59c533954c91605e0404ca
抜粋
杉原千畝氏以外にも、もっと大規模にユダヤ人救済に奔走した人物がいる。
関東軍ハルピン特務機関長であった樋口季一郎少将である。
彼は1938年3月、ドイツからシベリア鉄道経由で約2万人のユダヤ難民が、ソ連と満州
の国境の駅、オトポールに集まった。 ユダヤ人たちは満州経由で上海に向かいた
かったが、満州国外交部は、友好国ドイツに配慮して入国を拒否する。
ユダヤ難民たちは、満州国境まで来て、足止めを食らい野営生活を強いられていた。
満州国境の3月は寒さが厳しく食料もなく彼らは凍死寸前だった。
そこで、ハルピン在住の極東ユダヤ人協会会長のアブラハム・カウマン氏の要請
により、樋口少将が満州国外交部を説得した。 一方で樋口少将は南満州鉄道の
松岡洋右総裁に救援列車を要請、12両編成の列車13本が行き場を失ったユダヤ人
救出に出動した。
この救出劇は、当然のようにドイツ外務省より猛烈な抗議を受ける。
このため当時の東条英機中将が、樋口中将を参謀本部に呼びつける。 樋口中将は
東条参謀長に持論の人種差別についての正統性を、熱心に説明したところ、
東条参謀長も深い理解を示し、樋口少将の行為を不問にしたと伝えられている・・
。
理想国家日本の条件 自立国家日本 http://blog.goo.ne.jp/sakurasakuya7/arcv
。