megamiyamaです。
イエス・キリストと言えば、愛。
「愛の日」に相応しい、スピリチュアルメッセージをお届けします。
「宇宙の兄弟達へ@スピリチュアルブログ」の洪さんから発信されたメッセージも、また、天の父への感謝と愛の賜物。
ブログを通して、日々、“無償の奉仕”をされています。
そして、われわれ一人一人に、「愛」を感じとることが出来る「ハート」が必ず備わっていることが、何より“有り難い”ことです。
願わくば、全てのひとがの無償の愛に気づき、感謝できますように!
「御名」があがめられますように。
(イエスが天の父と呼んだ「存在の名」が、あまねく知られますように。)
世界が「愛」で包まれ、一つになりますように!
以下、転載です。
http://japan-spiritual.blogspot.jp/
「宇宙の兄弟達へ@スピリチュアルブログ」
2013年12月24日火曜日
天の父はあなたを愛されている
先日から引き続きまして クリスマス特集のスピリチュアルメッセージをお伝えいたします
愛ある者となるためには感謝することと申し上げました
感謝するとは
感謝は天の父に愛されていることを知り
神の愛を素直に受け入れることです
父の愛を受け入れない者は、まるで乳飲み子が乳を拒むかのようです
放蕩息子のたとえがあります
ある父親が財産を二人の息子に分けました
下の息子はその財産で放蕩の限りを尽くして、あっという間に財産を全て無くし、食べるにも困り始めた
彼は罪を犯したことを悔い、もう息子と呼ばれる資格は無いので、雇われ人となってでも食事にありつこうと父親のもとに行きました
父親は息子を見つるなり、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻し
そして贅沢な服を着せて豪華な食べ物で祝宴をひらいた
死んだと思っていた息子が帰ってきて、財産を潰したことなどとがめず、無事であることを祝ったのです
天の父も同じように、罪を犯した者であっても、自分の元へと立ち返り、父の愛を受け入れることを願っているのです
父の愛を受け入れられず、信じられない者は、暴れたり、騒いだり、罪を重ねる者です
わたしの伝えたいシンプルな言葉は「天の父はあなたを愛されている」ということです
天の父の愛を受け入れたなら感謝の気持ちが生まれます
感謝からは神と人への愛が芽生えます
愛からは無償の奉仕が生まれます
父の愛、それは目に見えず、手に触れられません
だから人々はそれを信じられないと言います
目に見えず耳で聞こえず鼻で匂いを嗅げず、であるからこそ信じるということが重要となってくるのです
目に見える物をただあると認めることに何の価値があるでしょう
それはただ事実をそのまま語っているに過ぎません
本当に価値あるものは目に見えず、存在を証明できないものです
ですから人々は何時の時代も目に見えない存在を信じ、敬ってきました
愛の思いは目に見えず耳に聞こえませんが、みなさんのハートはその存在を感じ取ります
真に人に大切なものはハートにてその存在を感じ、受け止められるものなのです
二千年前に語られた人の子の愛の言葉は、人々の心の内を伝い、今にいたるまで受け継がれてきました
人の子の愛は、その存在をみなさんの前に取り出して証明は出来ません
しかしその愛の温もりは人々の心を伝い、何千年とたくさんの人のハートをあたためてきました
どうか大切なものはハートでしかその存在を認識出来ないことを知ってください
目は色を感じるように、耳は音を感じるように、ハートは愛を感じ取ります
目・耳・鼻・舌・皮膚からなる五感はこの世の物を理解するための器官であり、ハートはこの世を超えた存在を理解するための器官です
愛ある者となるためには感謝することと申し上げました
感謝するとは
感謝は天の父に愛されていることを知り
神の愛を素直に受け入れることです
父の愛を受け入れない者は、まるで乳飲み子が乳を拒むかのようです
放蕩息子のたとえがあります
ある父親が財産を二人の息子に分けました
下の息子はその財産で放蕩の限りを尽くして、あっという間に財産を全て無くし、食べるにも困り始めた
彼は罪を犯したことを悔い、もう息子と呼ばれる資格は無いので、雇われ人となってでも食事にありつこうと父親のもとに行きました
父親は息子を見つるなり、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻し
そして贅沢な服を着せて豪華な食べ物で祝宴をひらいた
死んだと思っていた息子が帰ってきて、財産を潰したことなどとがめず、無事であることを祝ったのです
天の父も同じように、罪を犯した者であっても、自分の元へと立ち返り、父の愛を受け入れることを願っているのです
父の愛を受け入れられず、信じられない者は、暴れたり、騒いだり、罪を重ねる者です
わたしの伝えたいシンプルな言葉は「天の父はあなたを愛されている」ということです
天の父の愛を受け入れたなら感謝の気持ちが生まれます
感謝からは神と人への愛が芽生えます
愛からは無償の奉仕が生まれます
父の愛、それは目に見えず、手に触れられません
だから人々はそれを信じられないと言います
目に見えず耳で聞こえず鼻で匂いを嗅げず、であるからこそ信じるということが重要となってくるのです
目に見える物をただあると認めることに何の価値があるでしょう
それはただ事実をそのまま語っているに過ぎません
本当に価値あるものは目に見えず、存在を証明できないものです
ですから人々は何時の時代も目に見えない存在を信じ、敬ってきました
愛の思いは目に見えず耳に聞こえませんが、みなさんのハートはその存在を感じ取ります
真に人に大切なものはハートにてその存在を感じ、受け止められるものなのです
二千年前に語られた人の子の愛の言葉は、人々の心の内を伝い、今にいたるまで受け継がれてきました
人の子の愛は、その存在をみなさんの前に取り出して証明は出来ません
しかしその愛の温もりは人々の心を伝い、何千年とたくさんの人のハートをあたためてきました
どうか大切なものはハートでしかその存在を認識出来ないことを知ってください
目は色を感じるように、耳は音を感じるように、ハートは愛を感じ取ります
目・耳・鼻・舌・皮膚からなる五感はこの世の物を理解するための器官であり、ハートはこの世を超えた存在を理解するための器官です
なんと素晴らしい言葉でしょう。
天上界の 光が “謝す” のを “感じる”
これが“感謝”
みんなの心にそなわっている創造主のシステム。
>みんなの心にそなわっている創造主のシステム。
すばらしいコメント有り難うございました!