光りの進軍  光りよ通え・・・☆

合言葉は光の使命を果たす。
心一つに情報発信

ホンモノとニセモノの見わけのつく、確かな目と心を持った人間になることだ。 (西村滋さん・追悼配信)

2016-05-29 05:14:07 | 桜 咲久也

理想国家日本の条件 自立国家日本http://blog.goo.ne.jp/sakurasakuya7/e/825e1058f5557c4f6c77214b00da24e1

 

【13歳の非行少年が立ち直る  きっかけとなった「母の真実」】

2016年05月29日 00時00分00秒 | 日記、つぶやき記事、趣味の動画等

致知出版社 https://www.facebook.com/chichipublishing/?fref=photo

◆3分で読める『致知』の感動する話◆
~西村滋さん・追悼配信~

【13歳の非行少年が立ち直る
 きっかけとなった「母の真実」】

『お菓子放浪記』『やくざ先生』など
 数々の人気作品を残した
 作家の西村滋さんが
 去る21日、
 91歳で亡くなりました。
 心よりご冥福をお祈りします。
 
 生前、西村さんが『致知』で語った
 人生の原点にある「母の真実」とは――

・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・

 僕は幼少期に両親を結核で
 亡くしているんですが、
 まず母が6歳の時に亡くなりました。
 
 物心のついた時から、
 なぜか僕を邪険にして邪険にして、
 嫌なお母さんだったんですよ。

 散々いじめ抜かれて、
 憎まざるを得ないような母親でした。

 これは後で知ったことですが、
 母は僕に菌をうつしちゃいけない、
 傍へ寄せつけちゃいけない、
 という思いでいたようです。

 本当は入院しなきゃいけない
 身なんですが、
 そうなれば面会にも
 来させられないだろう。
 
 そこで母は、
 どうせ自分は死ぬのだから、
 せめてこの家のどこかに
 置いてほしいと父に頼み込み、
 離れを建ててもらったそうです。

 僕はそこに母がいることを
 知っているものですから、
 喜んで会いに行く。

 するとありったけの罵声を浴びせられ、
 物を投げつけられる。
 
 本当に悲しい思いをして、
 だんだんと母を憎むようになりました。

 母としては非常に辛い思いを
 したんだと思いますよ。
 
  ・  ・  ・  ・  ・

 それと、家には家政婦がいましてね。

 僕が幼稚園から帰ってくると、
 なぜか裏庭に連れて行かれて
 歌を歌わされるんです。
 
「きょうはどんな歌を習ってきたの?」

 と聞かれ、
 いくつか歌っていると、

「もっと大きな声で歌いなさい」

 なんてうるさく言うから
 嫌になったんですがね。
 
 これも母が僕の歌を聞きながら、
 成長していく様子を
 毎日楽しみにしていたのだと
 後になって知りました。

  ・  ・  ・  ・  ・

 僕はそんなことを
 知る由もありませんから、
 母と死に別れた時も
 ちっとも悲しくないわけね。

 でも母はわざとそうしていた。
 
 病気をうつさないためだけじゃない。

 幼い子が母親に死なれて泣くのは、
 優しく愛された記憶があるからだ。

 憎らしい母なら
 死んでも悲しまないだろう。
 
 また、父も若かったため、
 新しい母親が来るはずだと
 考えたんでしょうね。

 継母に愛されるためには、
 実の母親のことなど
 憎ませておいたほうがいい、と。

 それを聞かされた時は
 非常にびっくりしましたね。

  ・  ・  ・  ・  ・

 私がそれを知ったのは、
 孤児院を転々としながら
 非行を繰り返し、
 愛知の少年院に入っていた
 13歳の時でした。

 ある時、家政婦だったおばさんが、
 僕がグレたという噂を聞いて
 駆けつけてくれたんです。
 
 母からは20歳になるまではと
 口止めされていたそうですが、
 そのおばさんも胃がんを患い、
 生きているうちに本当のことを
 伝えておきたいと、
 この話をしてくれたんですね。

 僕はこの13歳の時に
 ようやく立ち直った、
 と言っていいかな。

 あぁ、俺は母に愛されていた子なんだ、
 そういう形で愛されていたんだ
 ということが分かって、
 とめどなく涙が溢れてきました。

  ・  ・  ・  ・  ・

 それから戦争期間を経て、
 僕は戦災孤児収容所の
 補導員になったり、
 歌唄いになったりしながら
 子供たちと交流を重ねました。

 その子たちの口にする言葉を
 消えさせてしまいたくない、
 という思いでものを書く
 仕事を始めたんです。

『お菓子放浪記』の結びにも

「美味しいお菓子のような
 人間になるということは、
 ホンモノとニセモノの見わけのつく、
 確かな目と心を持った
 人間になることだ」

 と書きましたが、
 僕の生きてきたテーマは
 そこなんです。

  ・  ・  ・  ・  ・

 僕が思うのは、
 人間は2度生きなきゃならない、
 ということ。

 僕にも経験があるんですが、
 元気があれば通ってしまう
 時期があるんです。

 それは子供だからですよ。

 でもある時期がきて、
 自分の人生をふっと振り返った時に、
 あぁ、あの時のあれは……、
 と気づくことがあるんですね。

 それが人生をもう1回生きる
 ということだと思うんです。

 人間は2度生きるという
 苦しみを通って、
 初めて本当の生を生きるのだと
 思うんです。

-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・- 

『人間は2度生きなければならない』

 西村 滋

『致知』2011年6月号
 特集「新生」より

・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・

~ホンモノに学ぶ人間学~

 月刊誌『致知』には毎号、
 仕事力・人間力を高める
 人生の教えや言葉が満載です!

☆月刊誌『致知』のお申込はこちらから☆
◎毎月858円で、人間力・仕事力アップ!!
http://www.chichi.co.jp/special/teiki1603/

 ラインナップはこちらから!
http://www.chichi.co.jp/info/month

 



大好きだった優しい父が鬼のように・・


父を7歳で亡くしてます。最後の記憶が、お絵かきをやめるって言ったあと、5メートル以上ぶっ飛ばされた事。

母に聞くとクモ膜下出血で脳が圧迫されてイラついていたとか。。その後、すぐ入院先で亡くなりました。

やはり涙は少なかった記憶が。。

でも、あれは、きっと飽きっぽい自分に、物事を途中で投げ出すな、という

最後に教えたかったことかな?と考え直しています。


まさに今のブログへの姿勢です(;´∇`:) 桜 咲久也


 

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿