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Voiceless screaming 沢田泰司さん 49日を前に 【4】

2011-09-03 02:41:24 | Music
9月3日がTAIJIさんの49日になります。

仏教での故人の逝去の日を含む49日間で、故人が生前の思いを整理し昇華する期間であると同時に、残された人たちもを悲しみ、故人を悼み、成仏を願い、はたまた自分のネガティブな気持ちの浄化に努める期間を言います。

また、49は「魂の解放」「幕開け」という意味もあります。

そして前日の48日間については、48という数字はヨハネ(48音)でもあり、又、ひふみよいむやこともちろらね・・・の計48音の意味があります。ヨハネは福音書と黙示録の12使徒のヨハネではなく、「悔い改めよ」と人々に説いた洗礼者ヨハネの方だと思うのですけどね。

ただ「悔い改めよ、さもなくば・・」と考えるのは権威を一点に集中させた一神教の教えであり、日本の「ひふみ」は、地球創世の理(ことわり)を現しています。その「在るべき理」に整えていく過程では改悛、反省も勿論含まれますが、それも含めて在るべき理、即ち生きとし生けるものを各々に尊重し、生かし合ってる理・・・大いなるものより生かされているという大宇宙本来の摂理や秩序に整えようとするのが、洗礼者ヨハネの預言にあたる「ひふみ」48音です。そして故人は死後49日で浄土に旅立っていかれる・・という私なりの解釈で申し上げるとこうなります。何やら仏教と神道が合わさっていますが、これが日本の宗教の受け入れ方だと思います^^

これを書いている内に、これは残される人間に対しても同じことだ痛感しました。"Death Education" と言いますが、私たちはこの世での命の旅を終えて去り行く人々から、本当本当にに沢山のことを学びます。

また話は飛びますが、北マリアナ諸島連邦(サイパン)地裁の確定記録閲覧については、現地の制度を調べる必要があります。日本国内だと確定後3年は「誰でも」検察庁で閲覧できるそうですが、これは勿論日本の法律に基づいてのことです。米国は各州に裁判権があって制度も州によって全く異なるそうです。また支援団体やジャーナリストに当たった方が良い、とも言われました。サイパン側にTAIJIさんの死を不可解に思われている支援者がいて下さればいいのですが。恐らく現地制度でも「確定後○○年」を過ぎればアクセスできる可能性はは限りなくゼロだと思われます。ふぅぅ。。。。


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TAIJIさんのシンボルは火の鳥・不死鳥(フェニックス)でした。
目も眩むような成功、それから数々の苦難を超え、病気や怪我も克服し。
そして今度は燃え尽き、灰になって、次の新たな命のために旅立たれます。

不思議な人だと思います。この表現は軽すぎますか。はやり稀有な人でした。

「LOUDNESS・沢田泰司」という名前の記憶しかなく、お顔が思い出せないと『Weekend』のPVを観た第一印象は・・「綺麗な顔してるんだな」「ベースの音、すごいな」でした。



やはり、こちらのイメージだったので。
サングラスをしていない顔は一度も見たことがなかったと思います。
(LOUDNESS時代のTAIJIさん、左から2人目)


それから他の動画も見るたび、TAIJIさんの印象は驚嘆に変わっていきました。
「こんな人、初めて見た!」「こんな人、いたんだ!」と。
TAIJIさんから醸し出されているのは尋常でない色気で、見ていても苦しくなるほどでした。

色気のある人は沢山いらっしゃるけれど、TAIJIさんはそれが尋常でなく。
ベースプレイはともかく、一挙手一投足がいちいちカッコいい。きっと人と同じアクションをしていても、TAIJIさんのそれは全く違うだろうと、想像に難くなく・・何だかぬめっとしてるんです、ぬめっと^^

もちろん美形です。でも、X、LOUDNESS、D.T.R.の頃も、
化粧をしてようがしてまいが、LAメタル風の格好であろうが、両腕が筋肉隆々でTATOOバリバリだろうが、帽子が目深で表情が見えなかろうが、TAIJIさんはどうしても女性に見えてしまう。反対に、YOSHIKIさんやhideさんは、どんなに化粧してても、コスチュームがお姫様っぽくでも、やはりどこまで行っても男性にしか見えません。このTAIJIさんの個性は強烈でした。だから「こんな人、見たことない!」の驚嘆に繋がったのだと思います。

一挙手一投足、いちいちのカッコ良さというのは、その瞬間瞬間の空気の粒に完全に調和しているからなんだろうと思いました。どういうことかと言うと、ご自分のプレイとパフォーマンスに絶対の自信があるからこそ、そこにはあれこれ考えてる自我がない。ぜーんぶ自分自身をその瞬間に投げ出せてた人なんだと思いました。形を持たず、その場その場で自在に動けいて、自在にその時々の器に収まれる「水」の人だったのではなかろうかと。だから火の鳥・不死鳥でもいられたんだと思います。潤沢な水の性質がないと、このシンボルは強すぎて持てません。

形ではなく、物質でもなく、正に「Presence=実存の人」だったように思います。


・・・でも、実は、何故だか本当に分からないけれど、毎日泣いてばかりいました。
昼も、夜も、時には眠ってからも。いきなり目の前に現れたTAIJIさんの死が本当に耐え難い日々でした。

最大限の幸せをその手に掴んで欲しかったし、最大限の栄光に身を置いて欲しかったと心から思いました。
TAIJIさんは、そうでなければならなかったとさえ思いました。ヒーロー、スター願望なのでしょうか。類まれなる実存と稀代の才能を併せ持つ人が体現する栄光と彼個人の穏やかで静かな幸せ。少なくとも私はそれを見てみたかったのだと思います。

何と言うのか・・・光が強い人は闇も強いと言います。しかし、これもここ数年のスピリチャル文化の流入による刷り込みに過ぎません。光があれば闇もある。しかし全てを光にしても良いのです。どうしてなのか、私は本当に勝手にも、その体現者たるべきをTAIJIさんに求めてしまったみたいです。何をもってその人の最大限の幸せなのか、最大限の栄光なのか。第三者の私が思い煩うことではないことなのに、それでも悲しくて悲しくて仕方なかったです。TAIJIさんの死が。

どこまでも天に向かっていけるような喜び、一方で不条理。私自身もこの20年間、ちょうど20年前がおかしくなり始めた時期で、そしてこの10年間は這い上がることだけを考えていた月日でした。全部自分に照らし合わせて泣き続けたのでしょうし、泣かせてもらえたのかもしれません。そして20年を経て、新しい命をもらったように感ぜずにはおれません。

「類まれなる実存、稀代の才能」
しかし、TAIJIさんがそれを持ち合わせていたから彼の死が惜しまれるということでは決してないと思います。
どんな命も、失くなって(亡くなって、ではなく)よい命なんてありません。


一週間前くらいからですかね、「これじゃTAIJIさんを送れないだろう」と思い直し、しんみりする曲もなるべく聴かないようにしていたのですが、その時ですね、「笑顔」・・・これをとても願ってられるんだと確信したのは。ですから、もう日付が変わって49日になりましたが、今日同じくTAIJIさんをお見送りされる多くの皆さんも、涙が溢れてもそれでOkなので「泣き笑い」でいきましょう^^



最後はLOUDNESSで。
「死者は起きる」(「起きようとする死体」?)
いずれにせよ、怒られそうなタイトルです(笑)
でもTAIJIさん、今もあんまり眠っているイメージがないんですけど(爆)
→9月4日追記: これは、今はお元気でじっとされていないように思ったからです。成仏されていない、という意味ではありません。


喪ったものを取り戻す。喪失から再生。そんな意味にも取れますね。



LOUDNESS - WakingTheDead -




最後に:

泰司さん、

やっと貴方の音楽に触れることができて幸せです。
ずるいですね、そんな格好良くて。素敵な音楽を残してくれてありがとう。

あちらでは樋口さんやhideさんともバンド組んで、
震災でお亡くなりになった沢山の方々にロック聴かせてあげるのかな。

私も、願わくばまた貴方のベースが聴きたい。

安らかに、そしてお元気で。


さようなら、フェニックス。



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