私が「私」と思っている「それ」は、まるで器のような形をしている。
その大きさは、横幅も、上へも、下へも限りなく広がっているように感じて、
天井も、最果ての場所も、実は存在しているのが分る。ただ、地の底だけは感じない。
落ちても、堕ちても、
ただ、どこまでも、下降していくしかないような、そんな形の器。
・・・それが、私の思う「私」。
その器の中で、たくさんの小さな繭玉が、ピンポン玉のように飛び跳ねる。
天井に当たって、今度は右の壁、前の壁にぶつかって、
ぶつかる度に速度を増して、跳ね続ける。
器の中、狭しと。
私は、器。
繭玉は、ただ、好きなように、飛んで、跳んで、走って。
繭玉がぶつかるとき、痛くて。
跳び続けて、いつか燃え尽きて。
走り続けても見えないゴールに、不安をあおられて。
器の私は、いろんなことを感じるけれど、そこを支配しようとはしない。そのように努めるの。
見なかったことにしようとか。
二度と思い出さないように、忘れようとするとか。
心地よく感じた経験に執着し、そのときの感情だけに恋をして、過去の世界の住人であり続けるとか、せずに。
痛かったら、痛い。
苦しかったら、苦しい。
愉しかったら、愉しいと。
そして、ぶつかっても気付かない痛みや、
彼方へ封印した苦しみや悲しみは、目の前の人たちが、日々、教えてくれる。
「何で、この人、こうなんだろう」「あの人の、こんなことろが、どうしようもなく嫌」
それも、全部、自分のこと。
自分にも、同じ繭玉があるから、感じることだもの。
あれこれ思い煩ずに「それも私」と、
その人たちへのコントロールや決め付けを止めれば、ただそれでいい。
それはそのまま、自分へのコントロールや決め付けを止めることだから。
「気付かなかった」という点では、
教えてもられるのは、自分の素晴らしい点や、今までずっと投げかけられていた称賛もそう。
こちらも、あれこれ思い煩ずに「これも私」と。
それはそのまま、そこに気付かないようにしていた自分へのコントロールや決めつけを止めることだから。
自分で自分に、両腕を回すとき、
それは、天にちりばむ幾千万もの星々を、私の内に抱くことと同じ。
小さい星も、虹色の星も、終焉を迎えようとする星も、流れ星も、欠片も。
私が思う私は、器。
今日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。
今日も、皆さんの全てが慈しまれる一日でありますように。
その大きさは、横幅も、上へも、下へも限りなく広がっているように感じて、
天井も、最果ての場所も、実は存在しているのが分る。ただ、地の底だけは感じない。
落ちても、堕ちても、
ただ、どこまでも、下降していくしかないような、そんな形の器。
・・・それが、私の思う「私」。
その器の中で、たくさんの小さな繭玉が、ピンポン玉のように飛び跳ねる。
天井に当たって、今度は右の壁、前の壁にぶつかって、
ぶつかる度に速度を増して、跳ね続ける。
器の中、狭しと。
私は、器。
繭玉は、ただ、好きなように、飛んで、跳んで、走って。
繭玉がぶつかるとき、痛くて。
跳び続けて、いつか燃え尽きて。
走り続けても見えないゴールに、不安をあおられて。
器の私は、いろんなことを感じるけれど、そこを支配しようとはしない。そのように努めるの。
見なかったことにしようとか。
二度と思い出さないように、忘れようとするとか。
心地よく感じた経験に執着し、そのときの感情だけに恋をして、過去の世界の住人であり続けるとか、せずに。
痛かったら、痛い。
苦しかったら、苦しい。
愉しかったら、愉しいと。
そして、ぶつかっても気付かない痛みや、
彼方へ封印した苦しみや悲しみは、目の前の人たちが、日々、教えてくれる。
「何で、この人、こうなんだろう」「あの人の、こんなことろが、どうしようもなく嫌」
それも、全部、自分のこと。
自分にも、同じ繭玉があるから、感じることだもの。
あれこれ思い煩ずに「それも私」と、
その人たちへのコントロールや決め付けを止めれば、ただそれでいい。
それはそのまま、自分へのコントロールや決め付けを止めることだから。
「気付かなかった」という点では、
教えてもられるのは、自分の素晴らしい点や、今までずっと投げかけられていた称賛もそう。
こちらも、あれこれ思い煩ずに「これも私」と。
それはそのまま、そこに気付かないようにしていた自分へのコントロールや決めつけを止めることだから。
自分で自分に、両腕を回すとき、
それは、天にちりばむ幾千万もの星々を、私の内に抱くことと同じ。
小さい星も、虹色の星も、終焉を迎えようとする星も、流れ星も、欠片も。
私が思う私は、器。
今日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。
今日も、皆さんの全てが慈しまれる一日でありますように。
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