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閑寂肆独白

ひまでさびしい本屋のひとりごと

拾い読みは楽しみ

2022-10-24 05:21:00 | 日記

 鉛筆で書き込みや線引きがしてある本だと できる限り「消す」ことにしている。そもそも線引きをしてある本というのはいわゆる「硬い内容」のものがほとんどなのは言うまでもなく、もとより自分から手に取って読むことはそうあるわけではなく、どんな内容なのか関心はもちろんある。

 最初からページを繰って見ていくのでその本の内容をおおざっぱながら知ることになる。中には何でこんなところに線引き?とか意味不明の書き込み・印など無しなどもあるけれど、「これは?」と手が止まってしまう事もたまにあることです。

クラウゼビッツという著名な学者?評論家?の「戦争論」という名著がある。題名にひかれて若い時目を通した覚えがあるけれどしっかりした関心があったわけではないので内容をほとんど覚えておらず、ただ「戦争は政治の失敗の尻ぬぐい」(小生の意訳)というのは方々で引用されているので忘れるいとまがなかった。

「批評をする人間は、批評される当の事柄のなかにうごめいていた人間より一段高い見地に立たねばならない」というのを見つけた。「中野重治は語る」の最初の章「「批評の問題―一般的に」という文章の中にある。

もとよりクラウゼビッツは「戦争・戦略・戦場・戦闘」に関して述べているのだけれどそれが文芸評論の分野でも通じる大事なことだという事を縷々述べてある。ここでは文芸を対象にしてあるが、事はもっと大きく、この頃の「いいね」とか「ヘイトスピーチ」とかに限らず軽い無責任な「批評・非難」があふれてきているし、TVの出演者の軽薄な短評(コメント)などを中野が生きていたらなんと言うだろうかと思う。さらに言えば、それを仕掛ける側(番組制作者)の見識が一番問題だという意見はあまり聞かない。

事の本質を突いた言葉は普遍性を持つ、というようなことを思った次第。

相変わらず言葉不足で意を通じることができないけれど、関心を持たれたら平凡社ライブラリーの「中野重治は語る」をお読みください。


 日本の「城」に見る支配層のこと

2022-10-04 17:19:32 | 日記

  

「実証 古代朝鮮」・井上秀雄 を読んだ(目を通した!?) 古代のことに神話の違い等 面白いことがいくつもあった。

中から一件取り上げる。それは 「城・砦・柵」の由来についてです。

これらは当然のことながら日本の歴史の始まるズット前から大陸中国では始まっていた「構築物」。領土の取ったり取られたりの中で自分の陣地として柵や砦が作られたのは全く当然のことだろう。古代朝鮮でも似たような事情だったようだ。ただ朝鮮の場合、西と北からの侵略と内輪の勢力争いが絶えずあって、なお「砦・柵」の必要があったようだ。 よく城塞という言葉を見るが、城と塞は違うもの。

 広い平原に本拠地を構え、存在を示すためにはじめは「柵」を、少したって「城」が始まった、「自領」に攻め込まれた時に、その周辺の住民を避難させるためにかなり広く城の周りに築いたのが「塞」、その住民はある程度は兵士にもなるが、兵器や衣料、食料の製造などの「後方支援・兵站」の大事な役割を担っていた。これは西洋の城塞でも似た・あるいは同じ思想で、領主の居城の周りにはいざというとき領民を「避難」させ囲い込む構造になっていた、当然のことながら井戸などの水源が用意されていた。

 然るに、日本では「砦・柵」の構築は大陸からの侵攻に備えるために百済からの亡命貴族の指導で作られたのが始まりだ。それらには大宰府や官衙の防衛のためであって、付近の住民を収容することは考慮していなかった。その後も東北への侵攻や国衙の防衛に「砦・柵」はかなりつくられ、また朝鮮式築城と言われる山城もいくつも作られたが周辺の住民に対する考慮は全くなされておらず、もっぱら領主と其の取り巻きの「武装集団」の自分たちだけのための「砦・柵」であった。これはその後も変わらず、いわゆる「城」が構築される時代になってもあくまでも「軍勢」のための物であって、いざ他軍勢から攻め込まれた時、周辺の住民を囲う、収容することは全く考慮されていなかった。またこれから先はこの本から離れるが、江戸期になると日本の城は実際の戦闘を経験したのは大阪くらいなもので、維新前後に会津、函館、鹿児島、熊本くらいか、熊本以外は「落城」している。江戸期も半ばになると西洋の情報で洋式の「大筒」が知られていたが実際の性能を知らずに終わってしまった。姫路城などは全く「権威」を見せつける「だけ」の物で、飛び道具の「戦闘」を考えればほとんど無意味の見てくれだけの典型だろう。熊本城は籠城に備えて銀杏を植え、壁にはいざというとき食べられるものを塗り込んだ、との備えがあったとほめるけれど何ばかりの役に立つものであったろうか。 江戸時代の百姓の抵抗形態に「逃散」がある。これをやられると領内の生産者がいなくなるわけで年貢を取れなくなる、領主にとっては困ることなのだ。然るにその解決、弾圧、一揆勢の処分の理由を資料で見ると、「みだりに他国領へ」といった文言が多く幕府の監視、あるいは他領への外聞が悪くなるというのがかなり多く「生産者」という意識が薄い。身分制度を作ったことの根っ子には特権階級意識があって、それが(小生の私見では)今に続いていると思っている。少し話が飛ぶけれど、以前にも触れたが、西洋の古典的な街には必ず「広場」がある。日本には全くない。

 民衆を無視した城、広場のない街づくり、 民主主義の根付きを考えるにとってこれらは 「鍵」だろうと思っている。

 


「音」・楽器の好み。

2022-09-26 07:43:39 | 日記

いわゆるクラシック音楽が好きです。生で聴くのが一番ですが田舎ではそうはいかない。 電気仕掛けの「拡声器」が苦手なので「ステレオ」なるものもない、それにレコードやCDは便利だろうけれども所詮は「缶詰食品」、何度食べても同じ味。何度聞いても全く同じ、というのは味気ないではないか。FMの番組をできるだけ拾うことでごまかし?ています。 

 先日「リサイタル・パッシオ」で小沢るいの演奏を聴いた。演奏は素晴らしいことは言うまでもないことでしたが、もう一つ確かめられたことがありました。

 それは「サキソフォーン」が全く小生の好みでないことです。なぜサックスを選んだかという答えに、「キラキラしていてかっこよかった」「音が大きい」というのが多いらしい、小生には姿ではなくその「音」が問題なのです。 ずっと前、高校時代(半世紀以上前!)ジャズを知ったころデキシーランドジャズが流行っていたのだけれども小生はあのごちゃごちゃした音になじめなかった。そのころソニー・ロリンズ他サックスの名手がいてことにシル・オースティンの「音」にしばらくかぶれていた時期がありました。 その後はオケに参加したこともあってほとんどジャズを聴くことはなかった。そうこうしているころ、指揮者の飯吉氏が本来トロンボーン奏者で、彼の「音」、彼の後輩・弟子筋の人たちの「音」を知ってから、今度はジャズでもトロンボーンに関心が移った。で、サックスの音が大変気になりだしたのです。ほかの人はどう思うか知りませんが小生の耳にはあの「音」はベタッと皮膚にまとわりつく感じ、あるいは押し付けがましい「音」に感じられるようになって「サックス嫌い」になったという事です。ライネッケ作ソナタ・ウンディーネを聴きながらも「クラリネットでの演奏のほうがズット上品で聞きやすいんではないか」と。

 今、我が身辺にはこんなことを語り合える相手がいません。 自分で「フムフム」と思っているだけ、寂しいというより独りよがりになるのが心配。

 音楽会・映画は一緒に行っても途中で感想を言い合うわけにはいかず、終わってからだと観点が違って話がかみ合わないことが多い。その点、展覧会などは見ながらあれこれ言い合えるので良いのだが、普通の絵や書の展覧会は吾ほうがあまり気乗りがしない。博物館の方がまだましです。

 


 鴎外の意地・見識

2022-09-17 08:14:45 | 日記

 

面白い本を見つけた。正確には本というよりその「序文」が面白い。鴎外の筆なのだけれど 明治時代の活字と日本語の表記の揺れ動きについて対話形式に苦言を呈している。先に雑誌に提供した小文を「本」にする際に 彼なりの言い回し、正字の使用を求めたのに、活版屋が応じないので仲介の出版人と談判する話。

「机上寶典 誤用便覧」明治44初版。大町桂月・佐伯常麿著、文栄閣書店・春秋社書店 発行、A6版・総ページ583という袖珍本としては厚めの本。 

洒脱な文章で漱石の「坊ちゃん」を思わせる表現、鴎外だってこんな軽味の文を書くのだ、と思った次第。 本文は「当て字」「誤用」のオンパレード。その解説も一読の価値あり。このころの人々は漢籍の下地があるし、康煕字典をもっぱら使っていたので漢字は自在、仏典に多いむやみと字画を増やした字も苦にならない、文語體から口語への「実施試験中」、しかも西洋語の翻訳の新語も加わるというという時期で今日の「日本語」の成り立ちにとって大変面白い時期であることは先刻承知。

小生もできれば簡略な教科書風の字よりも「本字」を使った方がよいと思っている方で、ことに今日のようにワープロが普及したら戦後のいい加減な漢字制限などはなくしてもよいのではないかと思っている。交差点の差は「叉」でなければ無意味、塚の字もいのこへん(豕)の中に押さえの一筆がなければ本来の塚の意味をなさない。塚とは積み上げた土をたたいて固めたもの、すなはち「墓」のことだという意味が分からなくなってしまう。一説にはこの改変・略はある大手新聞社がやりだしてそのまま普及したという。 戦前の書物にはほとんどがルビを振ってあって(これは江戸期の庶民文化の大きな功績・これには音読という習慣も加勢している)多少字が判らなくとも一応「読める」、そのうち慣れて難しい漢字も苦にならなくなる。 いま 先に言ったようにワープロ全盛なのだから雑誌や大衆読み物にルビを付けるのはそう難しいことではないはず、総ルビ本が復活するのは悪いことではないと思うのだが。


返品 があった そして百均のこと

2022-09-12 20:13:46 | 日記

先だって「落丁」だから返品する、という連絡があり、とにかくお受けしたわけだが、その品はある大手出版社の文学全集の1巻である。 受け取ってみて「これは手ごわい」と思ったのが全部で1000頁もある後ろのほう十数ページが欠丁なのだ。天金の立派な造本、書き込み・印など無しなどはありなしを一応パラパラと捲っては見るけれども 返品者も「綺麗な本で残念」とあり、このきっちりとした造本に欠丁ありとは考えつかなかった。代金は当然お返しして、その返品が大変厳重なもので、着払いの金額は本の代金をはるかに超えていた。 新刊を買った時点で気が付いていれば出版社に交換を要求できるけれども三十数年も経てしかも「古本」ではとても交換は無理。この品は転売できるものでなし 捨てるほかはなく、結局まる「損」!  買い入れの時の点検は大事であることは言うまでもないことだけれど、なかなか徹底できない。数日前も、店への持ち込みで 大方は断ったのだが数冊「ビニール袋」に入れたムックがあって、タイトルはいいので買いあげたけれど、袋から出してびっくり!傷だらけ(種類は色々ですが) ちゃんと袋から出して確認しなかった小生の手落ちです。予期したように綺麗ならばという価格には遠く及ばず・これも損!・・。

 話変わって、(閑話休題というのかな?)百均本のお客のこと。

 数人の常連というべき人があるけれど、彼らはスーパーマーケットで時間が来ると割引するのを待ち構えている人たちと全く同じに見えます。昨日まで特価で2・300円で出していたものを我慢できず100円均一に入れると実に良く、しかも即刻!売れる。全く良く見ているのだと感心する。また少し前のブームの頃の地方史の半端品、〇●編の中巻とか、3冊揃の一冊とか、ただし厚さは一人前に3~6cmはある函入りの本、このところ在庫整理のためにあきらめて100均に出したら次々と売れる!うれる!

 これ一体何であろうか?  買われていく本の表題を見ると実に支離滅裂。本来は500円700円でもよいはずだが少し小さかったり薄いという100円の本には目もくれない。 要するに「厚くて・安い」が彼らの基準であり、「大きな獲物であればよい」ことがわかる、買ってくださるのに文句は言えないが「実に情けない」 彼らにとって「書物」とは何なのでしょうね。 美術全集類の端本を買っていた人たちもこちらの手持ちがなくなって安売りの特価に出ないと知るやバッタリと来なくなった。 もとよりこのところは100均・2・300円なら売れるだろうという程度のものは仕入れそのものをなくしている。

 百均・特価台に向かって下を向いてみる人は「本」を見る人ではない。

 我が家を100円均一の古本店と思っている人が少なからずこの大牟田に存在していることが分かって、いろいろ考えているところです。