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閑寂肆独白

ひまでさびしい本屋のひとりごと

官僚主義の行く末 員数合わせと責任逃れ

2022-09-05 07:48:54 | 日記

  少し前、途中からの聞きかじりで 或るラジオ番組で山本七平の「ある下級将校の見た帝国陸軍」が話題となっていた。いわゆる「員数合わせ」についてだったが、有無をいわせぬ暴力支配で帳面づらを合わせることに汲々として、事の本質(なぜそうなったのか、その結果はどうなるか)はまるで考えない、考えようともしない、この「事大主義」について紹介していた。 そんなのは「昔の軍隊の話」だと思っている人がほとんどだと思うが、 このことは今でも官僚社会では全く其まゝであることは古賀茂明のいくつかの告発書(官僚の責任 等)で知られた。 さらにこの事態は過去のこと軍隊や上部組織のことだと思っていたら大間違いである。

 小生はこれまでに自分自身の経験と周りの人の経験を聴いた中で直接には大牟田市役所のことだが、さすがに軍隊ではないので暴力行為はないけれど、役所の人間の感覚は全く変わっていないと思われる。色々な要望を持って行ってもまず聞いてはくれない、いったん決めたことは何れ必ず貫徹する(公表したか内部だけの決定かを問わない) その近頃の大きな例は 諫早干拓、八ッ場ダム、川辺川ダム、そして長崎新幹線であることはわかると思う。大牟田でも市民の要望は聞かない、その理由の大きなものが「いちいち聞いていてはキリがない、いったん要望を受け入れる前例を作ると後が大変」 そして対応した者が「自分の責任」になることを徹底して避けるからだ。其反面彼らにとっての「上部組織」からの要求には滑稽なほど大慌てで対応する。「誰それが言ってきたから}という責任逃れでもあり点数稼ぎ・ゴマ擂りでもある。産業遺産指定がそうであり荒尾のラムサール条約指定も全くその通り、「百年も立たないものは歴史のうちに入らない」と公言していた職員が今や「観光遺産」の先頭にいる。荒尾でも先だって亡くなった柳生何某が中央のTVで干潟を紹介したのを見て環境庁が荒尾に問い合わせたのがきっかけ、それまで市民の地道な運動に全く取り合わなかった役所が手の平を返した。これも責任逃れ。 しかも「観光」であって 産業遺産の何たるや、干潟が何たるやは二の次!

十数年前、 役所で目撃したのはある土木関係の部署に行った際横の棚にマーカーのダース入りの箱がなんとぎっちりと詰め込んである、とても使いきれまい!揮発性のものだから時間がたてば使い物にならない品である。これはいわゆる「予算消化」!という員数合わせ。予算主義の悪しき結果である。 

 話を戻すと、員数合わせはどこの軍隊でもある程度はあるようだが、例えばUSArmyの事例を見ると壊れた飛行機を並べて「数は揃っとります」 というような日本式の「馬鹿気た」ことは聞かない。これは単に物資の貧困と豊かさの違いではない。少し飛ぶけれど「民主主義」の浸透、成熟の差だと小生は思う。

 民主主義といえば、統一教会、神道政治連盟、日本会議など自由民主党にがっちり食い入っているのは明治の政治の復活を図っている連中で彼らの頭の中には民主主義なぞ全くなく、潰そうと計っている。

 ゴルバチョフが亡くなった。社会主義の崩壊は世間と違って小生は「ソ連官僚主義」の招いた結果だと思っています。

 先に読んだ「不死身の特攻兵・鴻上尚史」さらには「日本はなぜ、基地と原発を止められないのか・矢部宏治」  これらはぜひ読んで頂きたいですが、

 読むほどに日本の先行きに希望が無くなる。心して読んでください。

 話が雑駁になりました。もっと丁寧に紹介したいのですが、書こうとすると自分の文才・筆力のなさを感じます。もどかしい限りです。


拾い読みも面白い

2022-08-15 21:46:26 | 日記

 

入手した色々な本を店で整理するのは 愉しみです。線引きの癖のある方の本を引き取ったら結構大変で、全ページ繰って消せるものは消す。数日前からはじめた口では やわらかい鉛筆の線引きと書き込みで割と樂ではあったけれど鉛筆型の細い消しゴムをすぐに一本使ってしまう勢い。全く関心のない分野の本でなければところどころ拾い読み、場合によってはちゃんと読むこともある。これが赤鉛筆やペンだとあきらめざるを得ない。 名前の表示も色々で消すことを全くあきらめなければならないものもある。 もともと「売る」ことを想定していない所業なので 口を挿む筋合いではないが、小生は線引きではなく、当該部分を書き写してメモることにしている。その方が印象、記憶に残るであろうからだ。

 ところで線引きとは関係なくパラパラとみていた本で拾った一節。

「世の中のたいていの人間は、他人から命令を受け、それに従うことに特に抵抗を感じていないという事だ。むしろ人から命令されることに喜びさえ覚えている。むろん文句は言うがそれは本気じゃない、ただ習慣的にぶつぶつこぼしているだけだ。 自分の頭で考えろ、責任をもって判断しろと言われると彼らは混乱する」

 さて何からの引用かお判りだろうか(ベストセラーらしい)。それより今の「サラリーマン社会」のことに公務員(上下大小と問わず)社会のことをよく言っていますよね。今の公務員の無責任な大勢は「日本を潰す」と真剣に思っています。誰も「私が責任をもって」とは言わない。もし言ったら周りから袋叩きに会う。さらに言えば舊ソ連の崩壊も社会主義の官僚組織の疲弊が原因(共産主義ではない)と今だに思っています。日本も本当に危ない。

 小さな町ですから何事につけ「役場」とかかわることが大なり小なりありますが、役所の個々の持ち場の無責任、その無自覚ぶりは本当にひどい、先ず名乗ろうとしない、その場しのぎでごまかそうとするし、周りへの責任逃れの塊。

 「前例主義」というのは、新しい問題が出ても決して認めないことだが、それは先輩への批判になる、他の部署への波及になることを避け、先送りすれば当面自分の責任で無くなる、という事の「お墨付き」なのだという事だ。皆さんもお役所と何らかのかかわりを持つとこのことがわかるでしょう。こんな連中を税金で養っているのかと・・・。

 またしても脱線。  安部の一件その他世の中のことでは言いたいことはあるけれど「本」に絡めてはなかなか書けない。


本が(在庫)減らない

2022-08-12 22:52:53 | 日記

 

 ここ数年、市場(業者の交換会)へは 3~6個くらい出品し、買ってくるのは手ぶらかせいぜい1・2個程度に心がけてきた(つもり)。その日は少し在庫が減ったぞと思うのだが しばらくすると概ね元通りか、かえって増えていることもある。 なんでだろう?ト思いつゝだったが(うかつなことに)やっと思い当たった。  それは単純に買い込みが多いからだとわかった。市場へはせっせ何とか売れるように色々組み合わせて出品してきたが、一方で店に持ち込まれる(店買い)、あるいは売主の家へ出かける(宅買い)そのさい買いすぎる(捨てきれない)ことにようやく思い至った。最前伺った家で、またこのところの店買いではっきり自覚した。店に持ち込まれると折角持ってきていただいたのだから「要りません・お金になりません」というのは気の毒、という思いもあって何とかいくばくかの代価を払って引き取ることになる、この頃はだいぶ冷酷になって少なくはなってきたけれども、これがうまくいくことはまれ。

 店に持ち込みがあって其中に「これはいいぞ」というものがあって他にもあるのでしょう、と持ち掛けて伺ったのだが、これがスカ! 本来の持ち主は亡くなっていて其子供の対応、一見すでに以前に処分されている。そしてその子供たちは全く関心がなくあれこれ聞いても生返事、全部なら軽バンいっぱいの量だがほとんどダメ。週刊の歴史・美術・料理のセット類、当然百科事典、通信講座の揃、そして文庫。古いものはほとんどなし。目についたのは数点・終戦後の、あるいは地方の同人誌等、新しい本も「捨てきれず」結局バナナ箱3杯引き取ることにしたのだけれど、こちらの提示価格にご不満の様子。結局折り合いはついて持って帰った、下ろしながら「半分にすればよかったかなあ」と。店で数百円なら売れるか?あるいはネットに載せるかというものがほとんどで、要するに「ひょっとしたら売れるかも」というスケベ根性、 店売りなんて百均・特価で一日数点、店の中の本は平均すれば一日一冊程度しか売れないのに・・。しからば市場に出せばどうなるか、おそらく一箱数百円、千円になればめっけもの程度の品、なまじ綺麗なものだから捨てきれない!  これでは在庫が減るわけないよ。

 それにつけても我店に「本を売りたい」と言ってくる人たちで我店の「中身」を知るどころか店に入ったことのない人がほとんど、というのは何だろう。

 昨日も10冊ほど袋に入れて持ってきた人があったけれど出されて「困った」全くの新本、我店にとってはどうでもいい品で、結局数点だけを引き取って、

書棚を指して「せっかくですからどんな本を並べているかご覧になってはいかがですか?」と、ほんの少し見て「どうも私どもにはわからん物ばっかりですな」と。 他の衣料品・什器とかは惜しげもなく捨てるのにどうして「本」だけ「捨てるのはもったいない」という事になるのかいまだにわからない。また親が買った本で自分が負担したわけでもなく、「処分」しようというのに、また古本を全く知らないのに「もっと高く買って」という神経もわからない。

 ぼやくより、「買うな」という事を教訓に・・・。


 言っても始まらないが

2022-07-24 10:26:53 | 日記

 

 先だって 或る大学の研究者が来店し、挨拶もそこそこに書棚に向かい、黙っててきぱきと選んで 十点ばかり買い上げを決めたのを見て 報告したばかりですが 一昨日にも面識のない40歳くらいの来客、棚を一わたり見回してから目当ての棚で幾冊か手に取ってみた後、2冊を「是ください」。話しかけようとしたのだけれど乗ってこないのでやむなし。代金をいただいておしまい、その間十数分。

 わが方としてはこれぞ「古本屋のお客様」です。 入ってくるなり「〇●はないかね」等という輩は 正直言ってきてほしくないです。 

 店売りが不振で 「他所からの人」しか評価しないのをこのところボヤキ続けなのだけれど、見方を変えようと思う。というのが、これが食べ物屋だったらどうだろうか、と思った次第。いくら「伝統の、名物の、天下一品」といったところで地元の人が来なければ難しいのはこの度のコロナでよくわかった。食べ物屋は仕込んだものは期限があってむやみにストックできないので客がなければ商売を止めざるを得ない。 この点古本屋は「在庫商売」その通り、いくら時間がたっても食べ物のような「賞味期限」はないのだから これを良しとしなければいけない「仕事」なのだと言い聞かせることにした。「読む人を待つ」しかないのだから。

 もっとも店先の百均・特価くらいの売り上げでは電気代にしかならない、これは困るのだ。しかもその「常連」がいて(スーパーなどで時間切れ割引・特売を待つ、しかもそれしか買わない輩と同じく)「お得意様顔」されるのはホボ生理的にイヤなのです

 このところ「日本の古本屋」の通販が順調(と言っても全国平均にはまだかなり及ばない)で 助かっている。荷造りをしながら、いずれもこの店の店頭にあってはまず売れないどころか目をくれる人もいないだろう書物で うれしいやら悲しいやら、という感情は拭えませんね。


久しぶりの来店。

2022-07-10 07:34:25 | 日記

 以前数回来てくださっていた某大学の教授が弟子の助手?と共に来店された。コロナのせいで 2年ほど大牟田にこれなかったという事だ。

わざわざ我店に、という事は言わずと知れる「炭鉱」関係の研究者である。 今回は連れのお弟子さんの方が 我が家の棚を喜んでもらってよかった。教授を含め、文系の研究者の目に留まるものは概ね似ていて、数回来店すればもう買うものがないという事になりがちです、そもそもそう沢山の種類の文献・資料が転がっているわけはないのだから。 このお弟子さんは文系ではあっても鉱山の採炭稼働・機械周辺の研究とあってちょっと見る目が違っていた。挨拶もそこそこに棚に張り付いて「是も・あれも」と ものの数分で10点ほど「是いただきます」  これまでほとんど動かなかった技術に関する研究誌や報告書。わが方ももとより「動く道具」への関心があるので意図的に集めて、「意地で維持」してきた品々で、売れてくれるのはうれしいけれども、一方で思うのは さて同種のものを再度入手できるか?

 今回に限らず炭鉱関係の来客に以前から「資源の枯渇」を訴え・お伝えしている。閉山後20年を超え、炭鉱に関係した人や機関はすでに周りにいなくなって、あそこにはまだあるかもしれない、という目途が立たなくなっていて、要するに資料を入手できる可能性がなくなってきている。 大手、中小を、あるいは私家版を問わず、「出版されたもの」であれば少なくとも数百、大手であれば数千冊は世に出回っているのだからそのうちに巡り合える可能性はある。しかしその本や論文を書く材料、元になる資料となるとそうはいかない。       

 このところ店への来客が激減していることは以前から書いています。今回のお二人のお買い上げは我店の「店頭販売」の数か月分の金額です。

 見る人が見たらこのような結果になる「物」がこの店に並んでいるのだぞ、と大牟田の人たちに訴えたい。「馬耳東風」「犬が星を見るような」喩えは他にもまだありそうですが浅学で思いつかない。

 教授のほうのこれからの研究は「産児制限・人口中絶」という事だ。昭和30年ころから望まれない子供の増加が問題になっていたそう、ことに注目されるのは各単産ごとの教育・普及だったそうで、これに特に炭組は反対した、理由は「児童手当を減らすための方策だ」という、一方で主婦連中にとっては切実な話で、組合の反対の中でも教育を続けた、という事でその関連の資料が欲しい、と。

 これは難しい!時すでに経験者はすでに80歳を超えているだろう、主婦会の資料と言われてもねえ。わが方としてもこれまで思いもしなかった方面のことで返答のしようもない。お手伝いできるかどうか、まったく楽観できません。  一口に「炭鉱関係」といっても間口は広い。 

 本当にうれしいけれども困った、という話です。