少し前、途中からの聞きかじりで 或るラジオ番組で山本七平の「ある下級将校の見た帝国陸軍」が話題となっていた。いわゆる「員数合わせ」についてだったが、有無をいわせぬ暴力支配で帳面づらを合わせることに汲々として、事の本質(なぜそうなったのか、その結果はどうなるか)はまるで考えない、考えようともしない、この「事大主義」について紹介していた。 そんなのは「昔の軍隊の話」だと思っている人がほとんどだと思うが、 このことは今でも官僚社会では全く其まゝであることは古賀茂明のいくつかの告発書(官僚の責任 等)で知られた。 さらにこの事態は過去のこと軍隊や上部組織のことだと思っていたら大間違いである。
小生はこれまでに自分自身の経験と周りの人の経験を聴いた中で直接には大牟田市役所のことだが、さすがに軍隊ではないので暴力行為はないけれど、役所の人間の感覚は全く変わっていないと思われる。色々な要望を持って行ってもまず聞いてはくれない、いったん決めたことは何れ必ず貫徹する(公表したか内部だけの決定かを問わない) その近頃の大きな例は 諫早干拓、八ッ場ダム、川辺川ダム、そして長崎新幹線であることはわかると思う。大牟田でも市民の要望は聞かない、その理由の大きなものが「いちいち聞いていてはキリがない、いったん要望を受け入れる前例を作ると後が大変」 そして対応した者が「自分の責任」になることを徹底して避けるからだ。其反面彼らにとっての「上部組織」からの要求には滑稽なほど大慌てで対応する。「誰それが言ってきたから}という責任逃れでもあり点数稼ぎ・ゴマ擂りでもある。産業遺産指定がそうであり荒尾のラムサール条約指定も全くその通り、「百年も立たないものは歴史のうちに入らない」と公言していた職員が今や「観光遺産」の先頭にいる。荒尾でも先だって亡くなった柳生何某が中央のTVで干潟を紹介したのを見て環境庁が荒尾に問い合わせたのがきっかけ、それまで市民の地道な運動に全く取り合わなかった役所が手の平を返した。これも責任逃れ。 しかも「観光」であって 産業遺産の何たるや、干潟が何たるやは二の次!
十数年前、 役所で目撃したのはある土木関係の部署に行った際横の棚にマーカーのダース入りの箱がなんとぎっちりと詰め込んである、とても使いきれまい!揮発性のものだから時間がたてば使い物にならない品である。これはいわゆる「予算消化」!という員数合わせ。予算主義の悪しき結果である。
話を戻すと、員数合わせはどこの軍隊でもある程度はあるようだが、例えばUSArmyの事例を見ると壊れた飛行機を並べて「数は揃っとります」 というような日本式の「馬鹿気た」ことは聞かない。これは単に物資の貧困と豊かさの違いではない。少し飛ぶけれど「民主主義」の浸透、成熟の差だと小生は思う。
民主主義といえば、統一教会、神道政治連盟、日本会議など自由民主党にがっちり食い入っているのは明治の政治の復活を図っている連中で彼らの頭の中には民主主義なぞ全くなく、潰そうと計っている。
ゴルバチョフが亡くなった。社会主義の崩壊は世間と違って小生は「ソ連官僚主義」の招いた結果だと思っています。
先に読んだ「不死身の特攻兵・鴻上尚史」さらには「日本はなぜ、基地と原発を止められないのか・矢部宏治」 これらはぜひ読んで頂きたいですが、
読むほどに日本の先行きに希望が無くなる。心して読んでください。
話が雑駁になりました。もっと丁寧に紹介したいのですが、書こうとすると自分の文才・筆力のなさを感じます。もどかしい限りです。