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閑寂肆独白

ひまでさびしい本屋のひとりごと

古い地図をみて

2015-05-26 11:42:10 | 日記

この小さな町にも 歴史の中には結構色々な印刷物、出版物があるもんだとは常々思っていますが、最近 明治42年の3万分の一「大牟田町三川村荒尾村に係る連続図」というものを知り、コピーを手に入れることができました。この図そのものはどこかでズット以前に1枚物の姿で見たような気がしますが、これが「大牟田案内写真帳」という出版物の折込付図であるとは知らなかった。写真帳はいまでは大変珍しいものだといえると思うけど、その刊行者がかつてこの辺に聞こえた薬局で、自分の店の宣伝を兼ねたものであり、地元で企画されたものであることがうれしい(印刷は大阪)。掲載写真もさることながらウラにある薬を主にした宣伝・広告が又、大変面白いものです。地図について言えば、三池港ができてはいるが、外港の両脇の干拓もまだで「二期・三期計画」の段階。横須の工場になったところもまだ干拓されておらず、大牟田港の石炭積み込用の入れ込みドッグが海岸線のスグ近くであったことがわかる。浅牟田の工場群もない。小浜・浜田などの干拓もできたばかりで人家はない。古い海岸線が三池港の部分以外はまだ残っていて、江戸時代の姿を窺うことができる。宮浦・大浦・七浦・宮ノ原・萬田坑がある。今、馬場貯水地になっているところは諏訪川の蛇行地点で、後に堤防で流れを直行させた跡(いわば三日月湖)だということがはっきり判る。大牟田駅もまだ移転する前、最初にできたところのまま。人家の集積したところもわかりやすく、見ていて大変楽しい。石炭化学工業が導入される直前の町の姿、この後合成、電化、染料、精錬と立地し、町の中心部は化学工場に囲まれてしまう事になった。 もし現在の三井系の諸工場が撤退する事になったら この地図のような姿に戻る事になるだろうか。半農半漁の静かな集落になるのも視野に入れておくべきか、それも悪いことではないとおもうけど・・・。一点、気になることがある、大浦坑から下って浅牟田を通って横須への鉄道の記載があるが、これは知らない。調べてみる事にしよう。

 


即売会の準備

2015-05-13 07:19:41 | 日記

このところ15日からの丸善ギャラリー展の準備で頭のなかは占領されている。作業の能率が落ちてきていることを実感しながらなので 余計に面白くない。本当に、頭の中で思いついたことを実行するのに手間を喰うし、何かで後回しにすると忘れてしまう。 持っていくべき本の量や作業手順も自分で「大丈夫かな?」と思ってしまう。 しかし!一方で世の中の出来事はお構い無しに押し寄せてくるわけで、オスプレイを佐賀空港に持って来る話に「騙されるな!」という檄文を書いて投稿したけれど採用されず、頭にきて書き直し、書き直しに数日かけてしまった。初めのころの文はいくつかの新聞社に送り付け、今のところの最終稿は昨日ある市会議員に送ったら其のままメールで方々に発信してくれた模様。さてどんな反応があるやら。 まだある、先だって片づけに伺った家に数十枚の絵の額があった。どれもこの近辺の「画家」とは言いきれない、絵の先生などの作品で、何かの展覧会に出品したものを「お祝儀」で買われて、納戸に放り込んであったもの。ほとんどは焚き付けにしかならない(今やそれも無理)けれど、かつてこの地でかなり知られ、多くの弟子を育てた方のものが十数枚。これは散逸させるのはもったいない、と思って、しばらくそのままで保管していただき、どこかにお嫁入りさせようと思った次第。ところが、市はまずそんなものを受け入れる体制はまったくない!どこに聞いても、頼もうと思ってもよい返事はない。或る美術館に聞いても「無理でしょう、その程度の作家はいくらでもいらっしゃる、本当の地元でしか通用しませんよ」ということ。さてどうするか、まったく知らぬことならなくなってしまっても仕方がないが、あると知ってしまった以上、これらがゴミなるのを座視するわけにはまいらない。まったく我ながらおせっかいだとは思うけれど。  204号電車もそうですね、嫁入り先を決めないままに、とりあえず引き取ろうという算段のまずさは分かっているはずなのに・・。 死ななきゃなおらないか。