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閑寂肆独白

ひまでさびしい本屋のひとりごと

空の弾丸ツアー

2023-02-22 22:24:11 | 日記

今回は「本」とは全く関係ありません。

 息子が小生への贈り物として「乗り物遠足」を企画してくれた。

 小生の乗り物好きを踏まえての全部彼のお膳立てで小生は全くラクチン。

福岡→那覇→羽田→大阪→福岡 を乗り継いで廻るというもの。

 4便全部違う機種というのが目的でAirbusA350・Boeing787と777・そしてEmbraer170  乗った環境・位置は4便とも前の方の同じような座席だったので 機体の大きさ、客室の様子、そして静かかうるさいか の違いがよくわかって面白い。Embraer170の窓側は頭上にハットラックが張り出していて大きくはない小生でも立ち上がれないくらい低い。昔の小柄な727やYS11でもこんなに低くはなかったのではないか?大柄な人はとても困るだろう。777の静かなのはさすが大きくて新型、しかも海外向けの長距離用というのが判る。大型の3機種は座席に液晶画面があってそれなりに楽しめるのだけれど、Embraer170は何もなし。座席の背に画面が付くようになったのは近年(20年くらい前?)のことで昔を知る小生としてはたった1・2時間の飛行には過剰サービスのように思えていたが、周りを見ると皆さん結構楽しんでいる様子。便所は大型機の一度しか使わなかったけれども、さすがに進化していると思った。

 4機種を一気に乗るのはなかなかできないことでよく時刻表と使用機種を見てくれて大変面白い12時間だった。 しかし、正直なところを言えば、小生は大型機は好みではない。できれば小型のそれもプロップ機に、なお言えば高翼機が好みで乗ってみたいと思っている。4・50年前は大型では747、3発機が727,トライスター、DC10,そして双発のDC9(これが好きだった)、しかもエンジンがR&R, GE,P&H等いく種類かあってそれぞれに「音」が違っていて空港でこれらを眺め、聴き分けるのは大変面白かった、しかし!今は 双発機ばかり、しかもAirbusとBoeing、Embraer くらいしか飛んでおらずせいぜい航空会社の模様・色の違いを見るくらいで小生には熱心にはなれないものだが、それでもマニアはいるもので、展望デッキは大人気。  それにしても空港の人出の多さには驚かされる。乗ったどの便も満席。わが身のことはさておいて、一体何のためにこんなに人が動くのかわけがよくわからない。直言えば小生は乗らない新幹線の駅も似たような様子ですね。

 3カ所とも空港ビルからは一歩も出ない、まあ2度とやらないであろう「変な」旅、色々なサービス、店舗がぎっしりあってこの人出の多さで賄っているのかと思った次第。


ちょっと違うこと、体の変調

2023-02-08 20:48:00 | 日記

本についてとは違いますが・・。前に触れたけれど 眼について、やはり手術することになりました。其時期はズット順番待ちで、三月半という事に。以前別のことでやはり10日以上閉じ込められたことはあったのですがそのころはネット通信などなく休んでも大して問題はなかったのですが、今やそうはいかない、通販の方は出品を一時差し止めでいいのですが普通の他の連絡事は困る。 どうするか今検討中。 一方もう一つの変調はある部位の痛みを訴えても医者はそんなところの痛みは内臓疾患にはつながらない、という。しからば何かという事になって調べると思わぬことに膵臓がおかしいことがわかってしまった。おかげで「禁酒」を申し渡されてしまった。肝臓の心配はしていたがまさか。医者はこれまで人一倍飲んできた結果だし、先に3週間止められたならもっと止めるのもできるでしょう、と変哲もなく言う。そのへんのことはこのブログの主題ではない。

 酒を断たれたことと、楽器の稽古・練習もなく、暇でこのところ夕方7時乃至7時半からのFMの音楽番組をよく聞くことになった。再生機は変哲もないラジカセだがこれで十分。楽しい反面おかげで自分の音楽の知識がいかに狭く偏ったものであったかを知らされることとなった。「知らざるを知る」ことになったわけだ。 この音楽については別に書きかけの短文がある、そのうちここに載せるかもしれない。

 猪瀬直樹「マガジン青春譜・川端康成と大宅壮一」(著作集3)小学館

あと少しで読み終えるところ。面白いです。猪瀬は以前「ミカドの肖像」も大変面白く読んで、「ノンフィクション作家」という看板は本物だと思っていた。その後の政治からみの言動で失望してほかのものを読む気がなかったのだが、これもたまたま入手したので手に取ったものです。二人の周りの菊地・芥川他との係わりに知らなかった事柄が多いだけに大変面白かった。文壇とは狭い世界なのだなと思った次第。小説家を目指す、あるいは画家を、音楽家も、その「熱意・情熱」に今一つ思い至らない。「書かずに居れるか」という思いに対して「作品の完成度」、自己満足だけではちょっと困る。

それにつけても猪瀬は新聞・日記・書簡その他の記録をどれだけ目を通したのだろうか、と思うだけでも感心するしやはりすごいことだと思わざるを得ない。もっとも小生の知らないことについては「本当にそうか」という点で保留はしておこう。以前書いたことがあるけれど「間違い」というのは結構ある、学問的なものにさえあって、まして 大衆向けの一応「小説」であっては鵜呑みにするわけにはいかない。

 音楽の世界でも言えることだけれども「純文学と大衆小説」の線引きや如何、書きかけの音楽に関しても似たようなことが言える。 眼の手術とあって入院中本を読むことがどの程度可能かまだ不明。ずっと以前40年も前、肝臓で少し長く閉じ込められた際には漱石の書簡集を持って行った。読むというより「筆写」した。いわゆる「候文」を書けるようになろうと思っていたから、そしてもう一つ、漱石は「借金申し込みを断る」のが上手だったと聞いていたから。


危ない・怪しい本

2023-01-18 07:49:45 | 日記

のところあまり本を読んでいない。年末から体の変調・故障?がいくつかあり、その一つは原因不明、一つは進行して近々手術が避けられない「眼」の問題。いずれも直接命に係わることではないけれど不愉快・不自由なことは変わりがない。 それと「お前がイライラしてもどうなるの」という意見は尤もだが世の中の様子、ウクライナも当然だが、日本の政治に本当にあきれて「いてもたってもおれない」気分なのです。

明治維新以来の日本の政治の中に厳然として貫かれている「官僚」の思考の狭さと傲慢・怠慢・不遜その他いろいろ、について本当に霞が関を全員抹消させてみたいと思う。

 小生の手に取り読む本は当然ながら発刊から少し時間のたったものがほとんど、また戦争に関係したもの、政治だけでなく軍事、戦略、技術、生産・銃後の生活などの分野が多く 読むごとに1945年8月15日に至るまでに思いを巡らす。まだいえば、どうして日本に「民主主義」が根付かないのだろうか、も大きな疑問。

「近代日本の戦争」梅田正巳・高文研2010刊 いま目を通している。これは 田母神元空将の事件を受けてのものだけれど十分に今も通用し ぜひ多くの人に読んでもらいたいと思います。田母神以降も自民党の息のかかった学者・評論家の「提灯持ち」あるいは「煽動」本は切れ目なく発刊されている。一昨年秋に発売された百田直樹・文庫「日本國紀」についての反論・検証(毎日新聞・吉井記者2021・12月20日掲載)も読んでほしいものです。何しろ思い違いなどではなく、検証なし、我田引水 大間違いというのが堂々と出版されて書店に山積みされ、それが又売れるというのだから困ったというより「怖い」です。「学会本」と同じく、ある筋が大量に買い上げてくれて「商売」としてはうまい話なのだろう。本を出すには「校閲」という言う作業があるのだけれど、このところ「死語」になっている、「著者の意見・見解だから」訂正しないというのであれば「校閲」の意味はない。

それは中小・弱小の圧力に弱い出版屋だけでなく大手の出版社でも同じで、小生のようにおよそ読書家とは言えないものの目からも「??」という記事、明らかな間違いなどが目に付く。出版されて世に出ればそれは一つの「権威」を持ってしまう。単なる間違い・誤植でも出版社の見識・権威にかかわる「ハズ」なのだが、その点でも「タガ」が緩んでいるようで、まさに小生言う昭和10年前後 そっくり。

 戦争が近づいています。各々方 わが身を守ることを真剣に考える必要があります。地震・台風・水害といった自然災害ではなく全くの「人災」です。

言いたくないけれど次の選挙では絶対に「自民・公明・維新」に投票してはいけない(地方選でも同じです)  心してください。 


新たな知識

2022-12-11 07:56:50 | 日記

書物を読めば何らかの刺激があり知識が増えるのはごく当たり前のことで、特別に取り上げることもないかもしれないし、この文章を見る人の興味を引くとは思えないけれども、ずっと以前の記憶の中の知識を書き直すことになったので書いてみた。

 小学生の頃、日本のあちこちで盛んにダム建設が行われていた。その様子を多分ニュース映画(そんなものがありました)や雑誌の写真記事で見た中で、

建設現場にコンクリートプラントが建てられ、できたセメントミルクをバケットに入れ空中索道(古いね!空中ケーブルカーです)にぶら下げて打設の現場に下ろすのを見た。ここまではコンクリート打ちをただ規模を大きくしただけなのだが、プラントの脇に製氷工場もあって、多量の氷を打設現場へ入れるというのに驚いたことも覚えている。それは多量のセメントが固化するとき「熱」を発する、それを抑えるために、という事だった。

 それが今は違っていることを知ったという事です。今は氷はいらない、そしてセメントミルクという言葉もない。スランプゼロコンクリートと言って流体ではないコンクリートなのだそうだ。「流体状ではなく、むしろアスファルト舗装で使われている砕石や砂のようなもの、ビチャビチャではなくガサガサしたもの」だそうでこれは知らなかった。このスランプゼロコンクリートの超固練りの技術は日本独自のものだとある。 土木技術や機械の進歩は目で見えるのでわかりやすいが、当然のことながらセメントの技術も進歩しているわけだ。 明石海峡の大橋の建設で海中に柱の基礎を作る時もセメントの進化を思ったけれどその時は其海中の基礎の上面を鏡面仕上げにするというのにもっと驚いた覚えがある。 何万トンという重量と地震などの揺れに対応するには完ぺきに密着した状態でコンクリートを打たなければならないそうだ。 コンクリートは砂と砕石の混合を密着させ、硬くするものだが、さらにそれらの砕かれる以前の「岩」の状態に戻し、百年たっても壊れない「コンクリート塊、一つの岩」にするというのだ。

 「技術の街道をゆく:畑村洋太郎」岩波新書 です。ほかにも「たたら」「鉄」等これまでの知識を補強するだけでなく技術の精神について考える處あったのですが、小生の言葉では伝えることができない、ぜひ読んでみてください。


 珍しい来客

2022-11-22 07:14:27 | 日記

 数日前のこと、若い男性二人連れで入店、黙って隅から隅までゆっくりとみて時々本を手にとっては二人でぼそぼそと相談。2周目に入ったら本を抜き出しては集めている。およそ30分くらいしてそれらを抱えてきて、「これ(合計)いくらになりますか」

そこで電卓で加算していくのを横から見ている。「〆て〇●¥になります」というと「よし!予定通りだ」と言ってさっとお金を取り出した。(実はもう少し余裕があったらしいけれど)

 ちょうど店にあった段ボール函に入る嵩で、品物を自分で詰めて「車ですから、そこ(近場)に止めています」と言って抱えて行ってしまった。初めから金額を予定してそれだけ買おう、しかも百円、千円の額ではない。こんな買い方をしてくれるお客さんは初めてでびっくりした次第。入ってきた当初から「これは大牟田の人ではないな」とみていたが案の定、北の方からの来客、初めて来たそうだが、あらかじめ我が店の様子をある程度分かっての来店で、まさに「予定通り」の書物漁りだったそうだ。一点一点は高い金額ではないけれど一抱えもの買い上げとなると店の棚はあちこちで空きが見える。本当に久しぶりの、しかも珍しい、多分我が家では初めての買い方の来店でちょっとほっこりした次第。大牟田にも斯くなる人がいてほしいです。

 前にも書いたけれど、店に入ってくるなり、「××はないかね」と宣うのは全くダメ。これと電話で同じように聞いてくるのもダメ。 そもそも書名・著者だけ言って出版社などの他の要件をこたえられる人は殆どいない。「××色のこれくらいの本」というなら自分が一番わかっているのだから「自分の目でさがせばどうですか」というと「探せというのか」と。 「探す」は手偏、あなたのは「尋ねる」であって探しているのではない。「どうぞご自分の手・目で見てください」という小生の言い分なのだが、ここまで聞いてくれる人はいない。

 此の手合いについては、この頃はホボ「ありません」という事にしている。