goo blog サービス終了のお知らせ 

閑寂肆独白

ひまでさびしい本屋のひとりごと

またしても ミス  水増ししたわけではありません

2017-03-14 22:29:43 | 日記
 前便 ご覧になって 「はてな」ということでしょう。 このブログは いったんワードで書いた物を
コピーして 貼り付けるのですが なんでこのように重複して表示されるのか、どこのどの操作を間違ったのか・・???。 えらく長い分を載せたなと思われたでしょう。 半分です!  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 品ぞろえが難しい

2017-03-14 22:21:08 | 日記
 昨年の秋以降 暮れ、年明け 春休み と 普段見かけない来店が次々とあった。
東京3件、信州・名古屋各1件 関西2件 信州からの方以外は明確に古雅書店を目指してきていただいた。いずれも三池炭鉱からみである。視点・角度はそれぞれ違っていて 各々それなりの収穫を得て帰られたと思っている。長年棚の上の方に鎮座していたもの、倉庫から引っ張り出して来たもの金額も嵩も普段では考えられないだけ持って行かれ、それぞれに「来てよかった。なかなかお目に掛かれないものがあった」と言ってくださったのはうれしい。しかしである、問題が二つ。遠来のお客様がこれだけ喜んで買って行かれる品々を大牟田の人たちは目もくれない、そもそも吾店にそういう「研究資料」というものが、あるいは文芸書でもちょっと変わったものが置いてあることすら知らないだろう。歯がゆくて「おまえら何やってんだ、どこに目をつけてるんだ」と言いたいのですが、いけないだろうか。 もう一点は いずれも出版社などから出された刊行物ではなく、会社部内、組合、研究機関から出されたガリ版刷や 仮綴じの あるいは本になっていないものなどがほとんどで、これらは売れてしまうと二つある物ではなく後の補充の見込みが立たない品物だということだ。
 お買い上げいただくのはありがたいけれど、「売れたら困る」というものもあるのだ。
 これまでは、細々と時々目について集めることが出来たけれど、今やそういう「物」が出てくる可能性のある人も場所もなくなってしまったという実感がある。例えるのはちょっと恥ずかしいけれど、弘文荘・反町さんに話を伺った際、彼も売れたものの補充、自分の店の「レベル」の維持はとても大変だ、と言っておられた。彼の場合は重文、貴重図書の世界で吾店とまさしく桁違いではあるが、「炭鑛ものの古雅書店」という看板を維持するという点では同じこと。大牟田・古雅書店なればこそという品を、さてどうやって手に入れるか大問題なのです。
 ついでながらもう一点 信州からの二人連れは大牟田の知人宅に立寄ったら古本屋があるというので来てみた、ということで特段の目的があっての事ではなかったが、入ってきてズット本棚を巡り二人であれこれ話をしていた。こんな態度の人はまず地元ではないと見て「どちらからですか」と声をかけたのだ。彼ら曰く「町に古本屋があれば暇なとき覗きに来るのは当たり前でしょう」というのだ。我が家が「三日も四日も来店客無しは珍しくない」というと「信じられない」と。 そうなのです!減ったとはいえ11万人・隣の荒尾を加えると15万人の町なのに!。
 昨年の秋以降 暮れ、年明け 春休み と 普段見かけない来店が次々とあった。
東京3件、信州・名古屋各1件 関西2件 信州からの方以外は明確に古雅書店を目指してきていただいた。いずれも三池炭鉱からみである。視点・角度はそれぞれ違っていて 各々それなりの収穫を得て帰られたと思っている。長年棚の上の方に鎮座していたもの、倉庫から引っ張り出して来たもの金額も嵩も普段では考えられないだけ持って行かれ、それぞれに「来てよかった。なかなかお目に掛かれないものがあった」と言ってくださったのはうれしい。しかしである、問題が二つ。遠来のお客様がこれだけ喜んで買って行かれる品々を大牟田の人たちは目もくれない、そもそも吾店にそういう「研究資料」というものが、あるいは文芸書でもちょっと変わったものが置いてあることすら知らないだろう。歯がゆくて「おまえら何やってんだ、どこに目をつけてるんだ」と言いたいのですが、いけないだろうか。 もう一点は いずれも出版社などから出された刊行物ではなく、会社部内、組合、研究機関から出されたガリ版刷や 仮綴じの あるいは本になっていないものなどがほとんどで、これらは売れてしまうと二つある物ではなく後の補充の見込みが立たない品物だということだ。
 お買い上げいただくのはありがたいけれど、「売れたら困る」というものもあるのだ。
 これまでは、細々と時々目について集めることが出来たけれど、今やそういう「物」が出てくる可能性のある人も場所もなくなってしまったという実感がある。例えるのはちょっと恥ずかしいけれど、弘文荘・反町さんに話を伺った際、彼も売れたものの補充、自分の店の「レベル」の維持はとても大変だ、と言っておられた。彼の場合は重文、貴重図書の世界で吾店とまさしく桁違いではあるが、「炭鑛ものの古雅書店」という看板を維持するという点では同じこと。大牟田・古雅書店なればこそという品を、さてどうやって手に入れるか大問題なのです。
 ついでながらもう一点 信州からの二人連れは大牟田の知人宅に立寄ったら古本屋があるというので来てみた、ということで特段の目的があっての事ではなかったが、入ってきてズット本棚を巡り二人であれこれ話をしていた。こんな態度の人はまず地元ではないと見て「どちらからですか」と声をかけたのだ。彼ら曰く「町に古本屋があれば暇なとき覗きに来るのは当たり前でしょう」というのだ。我が家が「三日も四日も来店客無しは珍しくない」というと「信じられない」と。 そうなのです!減ったとはいえ11万人・隣の荒尾を加えると15万人の町なのに!。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする