基礎教養って?
以前、柴田錬三郎が「この頃の小説書きは世界文学全集を読み通したというのがいない」「全巻読み通すくらいの気概・文章に対しての執着がない」と言っていたことをこのブログで書いたことがあります。
それと同じ様なことを述べたのを見つけました。「文学全集を立ち上げる」2006年刊です。「過去の様々な小説を読んで、いろんな技法を知っておけば、もうちょっと作家生命を長くできるのに、極単純な技法で自分の経験を書き尽くすと終わりになる、今の日本の小説の貧しさはそれが原因でしょう」「今の日本の小説を書きたいという連中は無知であることを少しも恥ずかしいと思っていない。信じているのは自分の感性だけ」「今の日本では音楽、小説だけでなく政治家にしても、官僚にしても教養というものが必要とされない」「日本の首相をみればわかるようにサミットの席上でポツンと座っている。それは語学ではなく教養の問題なのだ」云々。丸谷才一・鹿島茂・三浦雅士の鼎談。
我店の身の回りでもこれまでに同様の思いをさせられた人はかなりいます。絵を描く人、小説・詩、あるいは歴史の調べ物の発表、等々。絵でも焼き物でも地方でちょっと知れた人たちがなぜ田舎でとどまっているのだろうか?文芸の同人誌(俳句・短歌は関心がないのでほとんど見ない)を見る、あるいは絵画の同人展を見る、作陶の個展を見る。わが方に「教養」がないので言葉に表せないもどかしさが募るばかりですが、「何か足りない」。小説の世界では上記の批評は全くその通りと思うし、店の商品の動きを見ても古典の作品に触れてみようという人は(少なくともこの大牟田では)皆無といってよい。俳句川柳を作っている人で芭蕉以下江戸期のものを読み通したひとがいるだろうか。絵にしてもデッサン、素描、クロッキーで「いいな」と言わせる人はいるかな?
以前、柴田錬三郎が「この頃の小説書きは世界文学全集を読み通したというのがいない」「全巻読み通すくらいの気概・文章に対しての執着がない」と言っていたことをこのブログで書いたことがあります。
それと同じ様なことを述べたのを見つけました。「文学全集を立ち上げる」2006年刊です。「過去の様々な小説を読んで、いろんな技法を知っておけば、もうちょっと作家生命を長くできるのに、極単純な技法で自分の経験を書き尽くすと終わりになる、今の日本の小説の貧しさはそれが原因でしょう」「今の日本の小説を書きたいという連中は無知であることを少しも恥ずかしいと思っていない。信じているのは自分の感性だけ」「今の日本では音楽、小説だけでなく政治家にしても、官僚にしても教養というものが必要とされない」「日本の首相をみればわかるようにサミットの席上でポツンと座っている。それは語学ではなく教養の問題なのだ」云々。丸谷才一・鹿島茂・三浦雅士の鼎談。
我店の身の回りでもこれまでに同様の思いをさせられた人はかなりいます。絵を描く人、小説・詩、あるいは歴史の調べ物の発表、等々。絵でも焼き物でも地方でちょっと知れた人たちがなぜ田舎でとどまっているのだろうか?文芸の同人誌(俳句・短歌は関心がないのでほとんど見ない)を見る、あるいは絵画の同人展を見る、作陶の個展を見る。わが方に「教養」がないので言葉に表せないもどかしさが募るばかりですが、「何か足りない」。小説の世界では上記の批評は全くその通りと思うし、店の商品の動きを見ても古典の作品に触れてみようという人は(少なくともこの大牟田では)皆無といってよい。俳句川柳を作っている人で芭蕉以下江戸期のものを読み通したひとがいるだろうか。絵にしてもデッサン、素描、クロッキーで「いいな」と言わせる人はいるかな?