閑寂肆独白

ひまでさびしい本屋のひとりごと

知らないことが・・・第二

2015-08-29 08:17:37 | 日記

先日、 通信販売の注文があって、発送前に点検を兼ねざっと目を通そうとパラパラ見始めてびっくり!思いがけぬ発見で「これは売れない、手元に必要」と思ってしまった。とりあえず奥付をコピーし目に付いた数点をメモ、仕方がない今回は「お金にしよう」とあきらめて送り出した。でも気になるので「日本の古本屋」で調べるとあるではないか。早速注文し、間をおかず手元に届いたのだが 吾店の価格より安かったのはちょっと恥ずかしい気分であった。 物は石炭産業に関するちょっと古い本で、戦時中に啓蒙のために書かれたものだが なかなかどうして。 もとより小生の知識・読書量は知れたものだが、この本の視点は意外・新鮮、であってまさに「知らざるを知らしめ」てくれた本といえる。こういう出会いは大変うれしい。  石炭採掘の労働は過酷だ(だった)のはよく知られるが、我が国が 近代化のお手本とした英国と 近代鉱山を牽引したドイツとの採掘労働者の立場の違い これを指摘した本は他にあるだろうか。 また 鉄道と関連する施設・技術は英国と米国、軍隊ははじめフランス、のちドイツ、海軍だけ英国、製糸・織物は英国・フランスをまねた、導入したという話はあるけれど、石炭鉱山の開発についてどこをモデルにしたかというはなしがあるのかしら。三井・三池に関しては明治の近代化の際、MITで鉱山技術を学んだ団琢磨という「大物」がいた、彼の功績の第一号はデビーポンプの導入だけれどこれは英国製である。明治も半ばにかかると色々な情報・知識が入ってきてどこがどうと判然としなくなったということだろうか。 ただ、労務管理に関しては「日本式」というか「御上式・武家式」のまったく旧態のまま走ってきたように思える。  近代化遺産になったことでにわかに騒動が始まった感じの大牟田・荒尾。 県が違うというので連携もままならずいう情けなさ。 ここに至るまで連綿と活動を続けてきた民間の努力は置き去り、あたかも自分たちの手柄顔の連中を見ていると 腹が立つより情けなさが先に立つ。 何かをしようというのをダメというのではない、自分たちが「知らざる」を知り、謙虚になってほしいというのだが わかっちゃくれまい。

  

 

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本屋がないという話は・・。

2015-08-17 07:19:18 | 日記

前のブログは PCの事を繰り返し書いていて ちょっとみっともないところをお見せした感があります。その前に書いていることを忘れ、確かめもせず書いたのですがそれだけ PCの騒動は「面白くなかった」小生としては大事件だったということで 勘弁してください。 これも前に触れたことだけれど、地方都市で本屋がなくなっているという記事が新聞に時々掲載される、一方では小さな個性ある本屋が誕生したという  記事も目につく。しかし、しかし、吾店の状況をかんがみれば、あるいは古本という「時間」を置いた本の価値から見れば 何でもないことで、「本」を必要とする人は世の中にそうたくさんはいないということだ。 売れるものなら店はつぶれはしない。売れないからこそ町から本屋が消えてゆく。そこを何かすごく情緒的に「文化・教養・知的財産」 云々が失われるという論調になるのがおかしい。 田舎の新刊屋に限らず、都会でも小さな本屋が消えてゆく、その元凶はコンビニで週刊誌を売ることにある。とずっと以前から主張していて ある複数の記者にも話したことがあるけれど反応はない。 また「小さな個性ある本屋が誕生した」という 記事も数年後にその店がどうなったかはまず触れない。おそらく生き残っているのはほとんどいないのではないか。以前「文庫屋」という店がマスコミで騒がれたことがあって、その数年後今度はその店の主人が 蒸発して残った本の処分に自治体が困っているという報道だった。これもその後については何も書いていない。 先にこの店を褒めそやした記者連中は今なぜ黙っているのだろうか。 3~40年前の出版物が多すぎる、資源の無駄使いであったとは これまでも書いてきたけれど、今の出版もまだ多すぎると確信している。大手の宣伝上手でしかない「仕掛けられた」ものが多すぎる、これに乗る、あるいは煽るマスコミも問題。いつもいうように「べストセラー」は古本屋にとっては「ゴミ」でしかない。一時のあだ花でしかないのに宣伝に乗って買う方も問題かもしれないが、それないついてはちょっと別問題。 翻って吾店の事に触れると、大牟田という町でやっていること自体が奇跡。 ずっと前はともかくも、今、大牟田の人は吾店の相手では「全く」無い! 売ってくださる、処分を依頼されるのを見ても、そのレベル(古書として)の低いこと覆うべくもありません。買い手についても同様で、日々売れるのは百均ばかり。我が地我家だからこそしがみついているだけでおよそ「商売」のレベルではない。 一般論としても商店街や小売店がつぶれるのは、買い手がないからつぶれるのであって、つぶたから本を買わなくなる、本屋離れを助長するというマスコミの論調は間違いだといえる。そんな少女趣味の感情論の話ではない。 一方では、本離れ、本屋離れは当然の事、そもそも本を必要とする人ははんの一握りでしかないハズです。吾店の通販の実績を見ても論じることができる。来信・送本のホボ半分は関東1都3県、2割強が近畿の2府1県。そもそも通信販売は離島や地方の人こそ使える道具 と思っていたのだけれど実際はまったく違っておそらく生活圏に古本屋がないわけはない人たちからの注文が断然多いというのはどういう意味を持つのか。要するに「本を必要」とするかどうか、であって、本が「好き」という程度ではないといえよう。このことはまた別の機会に話しましょう。 日本の出版量が減ってきたとをいかにも「まずい」文化の危機のように言うけれど、吾店の目線からすれば大いに結構、資源と流通エネルギーの無駄使いをやめましょう ということでしかない。後世に残すような本はそう多いわけではないのですよ。

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2015-08-06 08:39:45 | 日記

先だって 店のPCがおかしくなって 新しくしてもらったのだが、これが結構大変で 設置したものの まとも画面が動かない。 電源を入れて起動まで十数分かかるし、切ってからも 初めは4時間もかかって画面が落ちる。日を追ってだんだん短くなったのだけれどまともに起動・終了するまでに一週間かかった。いったいどうなったのかわからないので、ズット気を付けていなければならない、また新しいいろんな付加機能、ボタン類が面倒でイライラ。 やっとやれやれと思ったら 今度はクーラーが壊れた。十数年もたつのだからやむを得ないというものの PCの出費に重ねてというタイミングが恨めしい。しかも エアコンの繁忙期とあって 安くはないしすぐには取付できませン。 本体は「これだけお安くなります」と言ってくれたものの、他に廃棄や取付の費用がいっぱいあって 結局本体価格の数万円増し! 踏んだり蹴ったり、PCの事もあって「泣き面に蜂」とはこのことだ と実感した次第。  このところ店への来客がない日が続いている。わざわざ 店を開けている意味がないのは困ったことです。暑さのせいだけではなく、「古本屋」に足を運ぼうかという人が本当にこの街にはいないということです。 たまっている未整理の本の山の片づけには好い機会いだけれども これまたあれこれ思惑が交錯して はかどらない。 「カルタの考察」に関して少し動きがありました。これについては次にでも書きましょう。世界遺産についても イライラすること多々あって 書き出したら止まらないかも。 もちろん「アホノミクス」と自民・公明・維新についても・・・。

 

 

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