Cyber Night Syndrome

あまねく夜光生命に捧ぐ

体感温度 その3

2013年08月24日 | 理系
33℃の空気中にいると、暑い。
33℃の水につかると、ぬるい。
おそらく私はそう表現する。
このことを言葉の定義から考察する。

暑い、寒い、暖かい、涼しい、
熱い、冷たい、温かい、ぬるい

これらの日本語による温度の感覚表現を私は使い分けている。
goo辞書(デジタル大辞泉)によるこれらの言葉の定義と、私なりの定義を並べてみたい。

goo辞書による定義

暑い: 気温が著しく高い。
寒い: 温度の低さを不快に感じる。また、そう感じるほど温度が低い。
暖かい/温かい: 寒すぎもせず、暑すぎもせず、程よい気温である。
涼しい: 温度や湿度が程よくて気持ちがいい。さわやかだ。
熱い: 温度が著しく高く感じられる。
冷たい: 温度が低く感じられる。
ぬるい: 適温よりも低い。また、なまあたたかい。

私の定義

暑い: 気温が高くて不快だ。
寒い: 気温が低くて不快だ。
暖かい: 気温が高くて快適だ。
涼しい: 気温が低くて快適だ。
熱い: 液体や固体に触れて、温度が高くて不快だ。
冷たい: 液体や固体に触れて、温度が低く感じられる。
温かい: 液体や固体に触れて、温度が高くて快適だ。
ぬるい: 液体に触れて、温度が期待したよりも低く不快だ。

「私の定義」の説明

温度に対する感情表現としてこれらの言葉を用いている。
つまり、からだ中の温度センサからの温度情報を受けて、
どう思ったかを表現しようとしている。

上の4つは気温に対して、下の4つは液体や固体に対して
用いるという大きな違いがあった。

感情については不快か快適かで分かれた。

ただし「冷たい」と「ぬるい」は他と表現が異なった。

「冷たい」は必ずしも不快を表さなかった。

「ぬるい」は期待する温度を前提にした。
風呂に期待する温度と、コーヒーに期待する温度は異なるだろう。
ぬるいと感じたコーヒーの温度と同じ温度の風呂には、熱くて入れない、
ということはあり得る。

放射に対してはどうだろうか。たとえば太陽や炎からの電磁波を
からだが受けた場合である。熱い、暖かいを用いそうである。
私の定義に放射を受けた場合は含まれていなかった。

私の定義がどのくらいの割合の日本語話者に通用するだろうか。

さて、次回以降は私の定義(暫定)に基づいて体感温度を考察する。


体感温度 その2

2013年08月18日 | 理系
以前の記事「体感温度」
http://blog.goo.ne.jp/higashi19801215/e/2e6124f51d29191882e7b489dc580ba5
の後半で、
「33度の東京はうだるような暑さですが
33度のお風呂はぬるくて湯冷めしそうです。なぜでしょう?」
と読者に疑問を投げかけた。

これは、答えることが困難な疑問文であるということがわかった。

この疑問に関連するインターネット上の記事をいくつか紹介する。著者は敬称略である。

1. 日常の化学工学
「同じ33℃で気温は暑く水温は冷たいのはなぜ」
伊東 章、化学工学,Vol. 73, No. 4, 199 (2009)
http://chemeng.in.coocan.jp/ice/pche05.html
 
この記事では「皮膚温度が暑い、冷たいを決めている」と出張している。
33℃の空気中より、33℃の水中のほうが皮膚温度がより低くなるため
より冷たく感じる、という主張である。

2. 第43回自然科学観察コンクール入賞作品 (2002)
「38℃の日は暑いのに38℃の風呂に入ると熱くないのはなぜか」
愛知県刈谷市立刈谷南中学校 科学部 2年/3年 原田 丈史 他5名
http://www.shizecon.net/sakuhin/43jhs_minister.html

彼らは調査、実験により以下のような結論を得ている。
「皮膚温と外部の温度の差で暑さ・寒さを感じるから」
この内容を以下に引用する。
・気温38℃のときは発汗により気化熱が奪われるため、皮膚の温度が下がっていく。その結果、外部の気温と皮膚温の差が大きくなり、暑く感じてしまう。
・38℃の風呂に入ったときは、湯の熱伝導率が高いことや、水中では発汗による皮膚温低下がないことにより、すぐに皮膚温は38℃になる。これにより、皮膚温と外部の湯温との差がなくなり、熱さを感じなくなる。

3. 高杉親知の日本語内省記
「熱さと暑さの間」
高杉親知
http://www.sf.airnet.ne.jp/ts/language/temperature.html

この記事では熱いと暑い、冷たいと寒いという言葉を皮膚温度と体温の感覚
の違いとして、日本語の使い分けについて述べている。
 
4. 京都大学>研究>お知らせ
「暑さから身を守るための温度感覚の仕組みを解明」
http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/news_data/h/h1/news6/2010/100427_2.htm

この記事では、研究により以下のことを明らかにしたと述べている。
「意識の上で「暑い」と感じる感覚とは別に、暑さの感覚が皮膚から脊髄―結合腕傍核を経て体温調節中枢へと神経伝達され、その「無意識下の感覚」が、暑熱環境中でも体温を一定に保つための生命機能に必要であることを示しています」


以上の記事を読んで、私が理解したことは、
これは単なる物理学の問題ではなく、人体のセンシングや脳での情報処理のしくみの問題、
さらに言語表現、あるいは言葉の定義の問題でもある、ということである。

さらに、冒頭の疑問文は
「イシューになっていない」ことも明らかになった。
つまり
・主語がない。誰が、もっと言えば、誰の何が、暑い、あるいはぬるいと感じるのかがわからない。
・暑い、ぬるいという感覚が主観的であるうえに、比較できない。
・誰に問うているのかわからない。
ために、答えが出せないのである。

たとえば少し文を改めて疑問を投げかけたとする。
「私の脳は、私のからだが33℃の空気中にあるときには暑いと感じ、
 33℃の水中にあるときにはぬるいと感じる。あなたは、同じように感じますか?」
「もし、上記の感覚が多くの人々に共通するとすれば、それはなぜだと思いますか?」

しかし人によっては(ある方との問答を想定している)、こう答えるだろう。
「そうは感じません」
「共通するとは思わないのでわかりません。」

これは科学的な答えではないが、質問に対する答えとしては成立するだろう。
つまり、暑い、ぬるいという言葉の定義が明確になっていない、
またその感じが主観によるために、
未だ科学的なイシューに落とし込めていないのである。

では、いったい私は何を答えとして望んでいるのか?
いや、何を問おうとしているのか?

言葉の定義を切り口にして、改めて考察する必要がある。