Cyber Night Syndrome

あまねく夜光生命に捧ぐ

体感温度 その4

2021年06月01日 | 理系
前記事では、体感温度を「暑い」「寒い」といった表現、つまり言語の問題ととらえてきた。

一方で、Wikipediaによれば体感温度とは「人間の肌が感じる温度の感覚を、定量的に表したもの」だそうである。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%93%E6%84%9F%E6%B8%A9%E5%BA%A6
ここでいう体感温度は、湿度や風速や日照により定量的に補正ができるとの主張である。

しかし、補正された結果、何か定量的な温度の数字が出てきたとしても、
それをどう「感じて」どう「表す」かは結局主観的であり、言葉の問題に帰着するように思われる。
さらに言えば、ある個人において、ある均一に近い環境下において、
感じられる温度感覚がひとつの意識の中で集約された結果現れる感想のひとつであるといえる。

したがって、同じ環境下に置かれていたとしても、ある人間は「暑い」といい、また別の
ある人間は「涼しい」ということには何の矛盾もない。


私は前記事において「暑い」「寒い」を定義してきたが、これを言えるためには
ある均一に近い環境条件が必要ではないかと考えるようになった。

たとえば思考実験として、からだじゅうに5cm四方のペルチェ素子をくまなく張り付けたとしよう。

ペルチェ素子とは、電流を流すと表面から熱をうばう素子である。
電流の向きを反対に流すと表面から熱を与えることもできる。
(裏面ではそれらの反対の現象が起きている。)

からだに張り付いたペルチェ素子に、上半身には熱をうばう電流を、
同時に下半身には熱を与えるように電流を流したらどうなるか?おそらく
上半身は「冷たい」、下半身は「熱い」と感じることであろう。

では、頭から足までの上下方向に10等分に区分してストライプ上に加熱と冷却を与えたら?
局所的に「冷たい」「熱い」と識別して表現できるだろうか?

さらに、市松模様のように隣り合うペルチェ素子の電流の向きと互い違いにしたら?
このあたりでは脳が混乱して何も言えなくなるように思われる。
ここで電流の向きを時間的に交互に反転させればなおさらである。

しかし、同じ市松模様でも、ペルチェ素子のサイズ(メッシュの粗さ)が小さくなればなるほど、
それは平均的な感覚としてまたひとつの「熱い」「冷たい」に収束しそうな気がする。

思考実験とはいったものの、実際にできないわけでもないだろうから、
自分がどう感じ、どう表現するのかについては興味がある。




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