原子時計の精度とは何か。どうやってそれを知るのか。
原子時計の話題がニュースになるとき、
「○○年に1秒以下の誤差」
という言葉が使われます。これは原子時計がいかにすごいかを端的に
表すために用いられていますが、誤解を招きやすい表現でもあります。
○○年もしたらもう人類など滅びているだろう、とか、
これが世界一の原子時計なら、これの誤差を測る原子時計がないだろう、とか。
これらの意見はもっともですが、的外れです。
そこで今回は、原子時計の精度をどうやって調べるかについて、
巷のニュースよりずっと詳しく、ただしちょっと小難しく、
説明したいと思います。
最初に「精度」という言葉の意味について大まかに説明します。
測定する対象には、長さであれ重さであれ、「真の値」というものが
あると考えます。測定には、ものさしや天秤を使いますが、これの
性能によって、測定した値と真の値を比較すると、
「ズレ」が発生します。このズレが小さいほど、精度が高い、といいます。
サッカーにたとえてみましょう。
サッカーの実況で、「シュートの精度が高い」という言い方をしますね。
この場合「真の値」に相当するのは、ゴールの枠がある場所です。
「ズレ」に相当するのは、ボールが飛んでいったところとゴールのある場所との
距離、ということになります。
精度が高い、というのはきっちりゴールの枠内に向かってボールを蹴ったことを
意味します。
もっとも、真の値が存在しない測定対象もあったりします。
そういう事情があり、実は、計測を本業にしている人は
「誤差(error)」も「精度(accuracy)」ももう使わないことになっていて、
「不確かさ(uncertainty)」で性能を評価することになっています。
しかし、不確かさの概念は、専門外の人には少しわかりにくいので、
今回は昔から使われてきた「精度」のまま、解説をします。
さて、ここに1台の原子時計(セシウム原子時計とします)があります。
この原子時計の精度はどれくらいか知りたい。
そのためにまず、「真の値」を定める基準を知る必要があります。
基準とは何か?それは、定義です。
では、1秒の定義をみてみましょう。
「1秒は、セシウム133原子の基底状態の2つの超微細準位間の遷移に
対応する放射の、9192631770周期の継続時間である」
「この定義は、静止していて、(周囲が)絶対零度の、
セシウム原子に言及するものである」
注目してほしいのは、下の一文にある「静止していて」、「絶対零度の」というところです。
わざわざこのように断ることで、定義を明確にしています。
また、定義では触れられていませんが、他にも磁力、重力等すべての
外的な要因が原子に加わっていない状況を前提としています。
裏を返せば、静止していない原子や、周囲が絶対零度でない原子や、
磁力や重力が加わっている原子の共鳴周波数を測定すると、
真の値からズレてしまう、ということです。
このズレが、精度と関わってきます(精度そのものではありません)。
したがって、精度がどの程度かを知るためには、
このズレがどのくらいであるかを測定する必要があります。
原子時計の専門家は、定義で示されているような状況を実現しようとして、
多くの工夫をこらしてきました。
しかしながら、どんなにがんばっても、
原子を完全に静止させることはできません。
周囲を絶対零度にすることはできません(室温は絶対温度ではいうと300度ほどもあります)。
磁力がない状況をつくることはできません。
地球上では重力がない状況を保持することはできません。
これらは単に技術的に困難であるというだけでなく、
場合によっては原理的に不可能ですらあります。
原理的に不可能な状況を定義に用いるのはおかしいな気がするかもしれませんが、
基準を明確にすることの重要性を優先させたものと考えます。
さて、定義された状況を実現できなかった部分は
すべて精度を悪くする要因かというと、
必ずしもそうではありません。
ここで「補正」が重要になってきます。
補正とは何かを理解するために、
ここでは原子にかかる磁力を例に説明します。
今、磁力の大きさを磁力計という装置で測ることができるとします。
そこで、原子にかかる磁力をさまざまに変えて、原子時計の
周波数を測ってみることにします。
磁力が1ぐらいのとき、原子の共鳴周波数は101ぐらいでした。
磁力が2ぐらいのとき、原子の共鳴周波数は102ぐらいでした。
磁力が3ぐらいのとき、原子の共鳴周波数は103ぐらいでした。
磁力を0にすることは、わけあってできませんでした。
問題:磁力が0のときには、原子の共鳴周波数はいくつぐらいでしょう?
答え:100ぐらいです。
なぜ、100ぐらいだと言えるのか?なぜなら、
共鳴の周波数の変化が、磁力の変化に対して比例していると思えるからです。
こうして、他の知識を前提にして、測定したデータに数字を足したり
引いたりすることを「補正」と呼びます。
では補正さえうまくやれば、ズレを完璧に予想できるから、
定義された状況が実現できなくてもよいのではないか?
精度なんて考えなくてもよいのではないか?
そうではありません。先ほどの答えは、「100ぐらいです。」でした。
この「ぐらい」、という部分が精度に直結します。
「ぐらい」がどこから来たのかというと、
磁力を発生させる装置がどれくらい安定であるか
磁力計がどのくらいきちんと磁力を測れているか
共鳴周波数がどれくらい安定に測定できているか 等
です。
つまり、外的要因をなくすことができないだけでなく、
外的要因がどの程度なのか測定することすら完璧にはできない。
ここが重要なポイントです。
これらの、
外的要因の測定精度によって発生する、周波数の不明なズレの部分、
これを数値化したものが「精度」なのです。
さてこれで、原子時計の精度をどうやって知るのかをまとめて説明できます。
1.原子時計で測られる周波数の測定においては、原子に加わる
外的要因をすべて排除して行うべし、という定義がある
2.外的要因はあらかじめできる限り取り除いておく
2.しかし完全に取り除くことは不可能であるから、外的要因の大きさを
何らかの方法で測定して、ズレを補正する
3.ところが外的要因の大きさの測定にも精度がある。この精度に
起因して、原子時計に周波数にもズレが残る。これが原子時計の精度である。
というわけで、世界一の原子時計の精度を割り出すのに必要なことは、
外的要因の影響をいかに小さくして、
その影響の大きさをいかに精度よく測定できるか、ということです。
この測定には、必ずしも別の原子時計は必要ではないのです。
ついでに、「○○年に1秒以内の誤差」という本当の意味を説明しておきます。
当然、○○年間測れる、という意味ではありません。
さらに言えば、絶えず測っている必要すらありません。
仮に、「100,000,000(1億)年に1秒の誤差」としましょう。これを次々に言い換えると、
10000000年に0.1秒の誤差
1000000年に0.01秒の誤差
100000年に0.001秒の誤差
10000年に0.0001秒の誤差
1000年に0.00001秒の誤差
100年に0.000001秒の誤差
10年に0.0000001秒の誤差
1年に0.00000001秒の誤差
....
つまり、1秒の誤差という表現をするから1億年などという途方もない
長い時間が出てくるわけで、誤差の方をもっと短い時間で表せば、
考える時間スケールはごく現実的なものとなります。
実際、セシウム原子時計の実質の測定というのは、
1日から1ヶ月といったところです。
この測定で得られたデータから、先ほど説明したような種々の補正を施し、
さらに精度を求めてやります。すると、
セシウム原子時計の周波数の定義である9192631770ヘルツに対して、
補正しきれなかった、分からなかった部分のズレが、
0.000003ヘルツ分くらい出てきました、
という話なのです。
確かに、こういう言い方をするとすごみが薄れるなとは思いました。
ご理解いただけましたでしょうか?
原子時計の話題がニュースになるとき、
「○○年に1秒以下の誤差」
という言葉が使われます。これは原子時計がいかにすごいかを端的に
表すために用いられていますが、誤解を招きやすい表現でもあります。
○○年もしたらもう人類など滅びているだろう、とか、
これが世界一の原子時計なら、これの誤差を測る原子時計がないだろう、とか。
これらの意見はもっともですが、的外れです。
そこで今回は、原子時計の精度をどうやって調べるかについて、
巷のニュースよりずっと詳しく、ただしちょっと小難しく、
説明したいと思います。
最初に「精度」という言葉の意味について大まかに説明します。
測定する対象には、長さであれ重さであれ、「真の値」というものが
あると考えます。測定には、ものさしや天秤を使いますが、これの
性能によって、測定した値と真の値を比較すると、
「ズレ」が発生します。このズレが小さいほど、精度が高い、といいます。
サッカーにたとえてみましょう。
サッカーの実況で、「シュートの精度が高い」という言い方をしますね。
この場合「真の値」に相当するのは、ゴールの枠がある場所です。
「ズレ」に相当するのは、ボールが飛んでいったところとゴールのある場所との
距離、ということになります。
精度が高い、というのはきっちりゴールの枠内に向かってボールを蹴ったことを
意味します。
もっとも、真の値が存在しない測定対象もあったりします。
そういう事情があり、実は、計測を本業にしている人は
「誤差(error)」も「精度(accuracy)」ももう使わないことになっていて、
「不確かさ(uncertainty)」で性能を評価することになっています。
しかし、不確かさの概念は、専門外の人には少しわかりにくいので、
今回は昔から使われてきた「精度」のまま、解説をします。
さて、ここに1台の原子時計(セシウム原子時計とします)があります。
この原子時計の精度はどれくらいか知りたい。
そのためにまず、「真の値」を定める基準を知る必要があります。
基準とは何か?それは、定義です。
では、1秒の定義をみてみましょう。
「1秒は、セシウム133原子の基底状態の2つの超微細準位間の遷移に
対応する放射の、9192631770周期の継続時間である」
「この定義は、静止していて、(周囲が)絶対零度の、
セシウム原子に言及するものである」
注目してほしいのは、下の一文にある「静止していて」、「絶対零度の」というところです。
わざわざこのように断ることで、定義を明確にしています。
また、定義では触れられていませんが、他にも磁力、重力等すべての
外的な要因が原子に加わっていない状況を前提としています。
裏を返せば、静止していない原子や、周囲が絶対零度でない原子や、
磁力や重力が加わっている原子の共鳴周波数を測定すると、
真の値からズレてしまう、ということです。
このズレが、精度と関わってきます(精度そのものではありません)。
したがって、精度がどの程度かを知るためには、
このズレがどのくらいであるかを測定する必要があります。
原子時計の専門家は、定義で示されているような状況を実現しようとして、
多くの工夫をこらしてきました。
しかしながら、どんなにがんばっても、
原子を完全に静止させることはできません。
周囲を絶対零度にすることはできません(室温は絶対温度ではいうと300度ほどもあります)。
磁力がない状況をつくることはできません。
地球上では重力がない状況を保持することはできません。
これらは単に技術的に困難であるというだけでなく、
場合によっては原理的に不可能ですらあります。
原理的に不可能な状況を定義に用いるのはおかしいな気がするかもしれませんが、
基準を明確にすることの重要性を優先させたものと考えます。
さて、定義された状況を実現できなかった部分は
すべて精度を悪くする要因かというと、
必ずしもそうではありません。
ここで「補正」が重要になってきます。
補正とは何かを理解するために、
ここでは原子にかかる磁力を例に説明します。
今、磁力の大きさを磁力計という装置で測ることができるとします。
そこで、原子にかかる磁力をさまざまに変えて、原子時計の
周波数を測ってみることにします。
磁力が1ぐらいのとき、原子の共鳴周波数は101ぐらいでした。
磁力が2ぐらいのとき、原子の共鳴周波数は102ぐらいでした。
磁力が3ぐらいのとき、原子の共鳴周波数は103ぐらいでした。
磁力を0にすることは、わけあってできませんでした。
問題:磁力が0のときには、原子の共鳴周波数はいくつぐらいでしょう?
答え:100ぐらいです。
なぜ、100ぐらいだと言えるのか?なぜなら、
共鳴の周波数の変化が、磁力の変化に対して比例していると思えるからです。
こうして、他の知識を前提にして、測定したデータに数字を足したり
引いたりすることを「補正」と呼びます。
では補正さえうまくやれば、ズレを完璧に予想できるから、
定義された状況が実現できなくてもよいのではないか?
精度なんて考えなくてもよいのではないか?
そうではありません。先ほどの答えは、「100ぐらいです。」でした。
この「ぐらい」、という部分が精度に直結します。
「ぐらい」がどこから来たのかというと、
磁力を発生させる装置がどれくらい安定であるか
磁力計がどのくらいきちんと磁力を測れているか
共鳴周波数がどれくらい安定に測定できているか 等
です。
つまり、外的要因をなくすことができないだけでなく、
外的要因がどの程度なのか測定することすら完璧にはできない。
ここが重要なポイントです。
これらの、
外的要因の測定精度によって発生する、周波数の不明なズレの部分、
これを数値化したものが「精度」なのです。
さてこれで、原子時計の精度をどうやって知るのかをまとめて説明できます。
1.原子時計で測られる周波数の測定においては、原子に加わる
外的要因をすべて排除して行うべし、という定義がある
2.外的要因はあらかじめできる限り取り除いておく
2.しかし完全に取り除くことは不可能であるから、外的要因の大きさを
何らかの方法で測定して、ズレを補正する
3.ところが外的要因の大きさの測定にも精度がある。この精度に
起因して、原子時計に周波数にもズレが残る。これが原子時計の精度である。
というわけで、世界一の原子時計の精度を割り出すのに必要なことは、
外的要因の影響をいかに小さくして、
その影響の大きさをいかに精度よく測定できるか、ということです。
この測定には、必ずしも別の原子時計は必要ではないのです。
ついでに、「○○年に1秒以内の誤差」という本当の意味を説明しておきます。
当然、○○年間測れる、という意味ではありません。
さらに言えば、絶えず測っている必要すらありません。
仮に、「100,000,000(1億)年に1秒の誤差」としましょう。これを次々に言い換えると、
10000000年に0.1秒の誤差
1000000年に0.01秒の誤差
100000年に0.001秒の誤差
10000年に0.0001秒の誤差
1000年に0.00001秒の誤差
100年に0.000001秒の誤差
10年に0.0000001秒の誤差
1年に0.00000001秒の誤差
....
つまり、1秒の誤差という表現をするから1億年などという途方もない
長い時間が出てくるわけで、誤差の方をもっと短い時間で表せば、
考える時間スケールはごく現実的なものとなります。
実際、セシウム原子時計の実質の測定というのは、
1日から1ヶ月といったところです。
この測定で得られたデータから、先ほど説明したような種々の補正を施し、
さらに精度を求めてやります。すると、
セシウム原子時計の周波数の定義である9192631770ヘルツに対して、
補正しきれなかった、分からなかった部分のズレが、
0.000003ヘルツ分くらい出てきました、
という話なのです。
確かに、こういう言い方をするとすごみが薄れるなとは思いました。
ご理解いただけましたでしょうか?