Cyber Night Syndrome

あまねく夜光生命に捧ぐ

光の速さの測り方(フィゾーの方法)

2007年03月25日 | 理系
光はものすごい速さで進みます。
1秒間におよそ30万km(秒速30万kmと言います)です。
地球と月の間の距離が38万kmなので、
地球から出た光は1秒と少しで月に到達することになります。

昔の物好きな人は、この光の速さを何とかして測ろうとしてきました。
今回はその中でも、フィゾーという人が1800年代半ばに行った実験が
わかりやすいので、それについて説明します。

まず速さを測る方法ですが、
速さ=距離÷時間
という式を使います。
たとえば、100mを10秒で走った場合には、
速さ=100m÷10秒=秒速10m(時速36km)
となります。ただしこれは平均の速さです。
実際には、
スタートの瞬間は速さはゼロで、
ゴール付近ではトップスピード(時速40km以上)になるでしょう。
一方、光については、基本的にはスタートからゴールまで同じ
速さであると考えて構いません。

さて、秒速30万kmという速さを測るにあたっては、
「測る時間(間隔)をできるだけ短くする」
ことがポイントになります。つまり
1秒なら30万km進み、
100分の1秒なら3000km進み、
10000分の1秒なら30km進み、
というふうに、時間間隔を細切れにすれば、その間に光が
進める距離は実験装置を組める現実的な長さになってきます。

フィゾーは、この時間の細切れを実現するために、
高速で回転する大きな歯車を用意しました。
歯車は、円盤の円周部分がデコボコになっています。
以後、デコの部分を歯、ボコの部分を穴と呼ぶことにします。
歯車の手前側からデコボコに向けて光を当てると、
歯車の向こう側では、
穴に当たったときは光が通ります。
歯に当たったときは光が通りません。
歯車は回転していますから、穴と歯が交互にやってくるので、
その結果、光は通る通らないを繰り返します。
実験では歯の数(穴の数)が720個で、
回転数は1秒に約12回だったそうですから、
光がオンからオフ(あるいはオフからオン)を繰り返す周期は
1÷720÷12÷2=0.00005(秒)、
つまり約20000分の1秒ごとに光が明滅するという状況です。

ここからが重要なところです。
フィゾーは歯車の向こう側9km先に、光を折り返す鏡を置きました。
すると、行きで穴を通ることができた光は、
鏡で折り返されて、帰りは行きとまったく同じ道筋をたどり、
往復で18kmの距離を進んで、
再び歯車に差し掛かり穴を通ろうとします。
歯車が止まっているとき、あるいは回転数がとてもゆっくりであるうちは、
光は行きと帰りで同じ穴を通ることができます。
ところが、歯車の回転数をどんどん上げていくと、
行きで通った穴はすでに少しずれてしまって、
帰りには次の歯の部分が来てしまって通ることができません。
そしてついに、ある回転数まで上げると行きで通った光が
帰りは歯の部分に完全にブロックされてしまう、ということになります。
言い換えると、光が往復する時間に歯車は穴から歯までずれたのです。

この様子を人間の目で観察するには、行って帰ってきた光をスクリーンに
映しておけばよいのです。歯車が回転していないとき、スクリーンは
往復した光で明るくなっています。そして、歯車の回転数を上げていくと
徐々にスクリーンは暗くなっていき、ある回転数ではスクリーンは
真っ暗になってしまいます。さらに回転数を上げると、また明るくなって
きます。これは行って帰ってきた光が隣の穴を通ってきた証拠です。
実験では、スクリーンがいちばん暗くなったときの歯車の回転数を
測定しておきます。

さあこれで光の速さを求めることができます。
少し細かく数字を見てみると、
歯車は穴の数(歯の数)が720で、スクリーンが真っ暗になったときの
回転数は毎秒12.68回でした。したがってある歯が隣の穴にずれるまでの
時間は、先ほどの計算と同様にして
1÷720÷12.68÷2=0.0000548(秒)
となります。
また、折り返しの鏡を置いた距離は8633mですから、
往復で光は17266mの道筋を通ってきます。
よって、光は0.0000548秒で17266m進むわけですから、
光の速さは
17266÷0.0000548=315000 (km毎秒)
となります!

さて、現在は光の速さは
毎秒299792.458km
と定義されています。

フィゾーの仕事は、
1800年代の測定としては毎時約30万kmという程度には
一致しているのだから、たいしたものだと思います。

なお現在は、光の速さは距離を測る基準として
「定義」されているので、
光の速さを測る、という行為には意味がありません。


9 コメント

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Unknown (のび太)
2007-04-07 09:53:35
そうだ、そんなんだったね。小さい頃に漫画で読んだのを思い出しました。あと、マイケルソンとモーリーの実験の話とか。当時、相対性理論にものすごいロマンを感じました。将来物理学者になりたい、と思ったものです。人間だれしも、ロマンチストな時期があるものですね(波動拳!)。

Q&A2を読み返しています。昨日、自分がかつてした質問にさしかかり、笑ってしまいました。20歳、北海道、学生!質問の内容も、若い!といっても、他の人と比べれば、老成してますが。

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世紀末浪漫第ニ幕 (ヒガシ)
2007-04-10 05:00:13
相対論は今でもロマンを感じますよ。

MORI LOGネタですが
「加速度は絶対的な値であるが、速度は相対的な値であり」というフレーズに寒気がしました。

そしてMORI LOGといえばライトノベルに関する
見解が示されましたね。予想どおりの反応。
しかし小説の小は盲点でした。
議論の余地しかない。

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ヒロシ (のび太)
2007-04-10 22:07:22
>ライトノベル
予想通り、期待通りの反応でしたね。もはやヒロシは僕の手の上・・・逆だろ。

>小説の小
僕的には、盲点ではありませんでした。

軽音楽の軽というのは、多分、聴く側にとって「のり」と、演奏する側の「編成」、双方が軽いことから連想されて作られた言葉ではないかと思います。のりに関しては、クラシック音楽も当初はある程度軽いものだったかもしれませんが、評価基準時はあくまでも「現在」です。
ライトノベルも同じでしょう。読むほうが軽いのりで読めて、客体的に見れば、分量が少ない。

しかし何にせよ、そういったカテゴリーわけを重視する人が本物だとは思えません。僕も興味ないし。

ところで、こないだのプロジェクトからしばらく経って、つまり僕がやりたかったことが何なのかということがわかりました。


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右から2番目のそいつが私 (ヒガシ)
2007-04-18 22:20:15
どきどきフェノメノン
というのを読みました。

かつてニュアンス大魔王と言われた御主にあえてお尋ねするが、
言葉の適切な使い分けと、作品の適切な分類というのは
どう違うのだろうか。
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ニュアンス大魔神 (のび太)
2007-04-19 03:15:09
言葉の意義は主に二つ、①他人と何かの認識を共有することができる、②自分の脳内で論理的思考をするための道具になる
①の観点から、ある程度の厳密さが必要であり、①の観点から、ある程度、一義的に同定されなくてはならない。
作品のジャンル分けというものも、何かを言葉(名詞)で現すものである以上、同じ意義を持つ。つまり、厳密なジャンルわけの効果として、他人とその作品についての共通の性質の認識を、共有できる。自分の思考の中においては、そのものと他のものを論理的に区別できる。

結論として、両者の意義は同じである。問題は、必要性の大小。それは、ジャンルの分類に限ることではない。他人と認識を共有する必要があるか、自分の中で厳密にそれを同定することによって、何かメリットがあるか。
そういう観点で見たときに、ジャンルというもの自体の価値は低く、本質的な価値は作品そのものにあることが多いことから、ジャンルの分類をする意味はあまりない、という結論にいたる。
ただし、必ずしもジャンルというものに全く価値が無いということでもなく、例えば、生命科学を生物科学と厳密に区別することに、大きな意義がある、というような話もある。

以上
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誤記訂正 (のび太)
2007-04-19 04:00:38
>①の観点から、ある程度の厳密さが必要であり、①の観点から、ある程度、一義的に同定されなくてはならない。

「②の観点から~であり、①の観点から~はならない。」
の間違えでした。
できれば、管理人パワーで訂正してくれれば嬉しい。
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Unknown (ヒガシ)
2007-04-27 01:48:35
ふむ、納得がいきました。
コメントの修正はできません。
できるのは削除だけです。
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短いですね。 (のび太)
2007-04-28 20:18:42
レスが。
海月以上、ヒロシ以下の長さです。
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いえ (ヒガシ)
2007-05-27 21:53:29
そうでも
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